きっかけ
仕事場の環境が大幅に変わった最大のきっかけの一つがWindows95の登場だという話が出た。Windowsの登場前と登場後とで、仕事の効率が大幅に上がっただけではなく、仕事の仕方、求められる仕事の種類も異なるようになった。しかしその事実も既に過去の話、時代の流れはますます加速化し、その加速化現象が当たり前のようになっている。
私のピアノの再開にまつわるきっかけを思い出してみた。独学で再開したきっかけは、ラジオで聴いたショパンを始めとしたピアノ曲(当時は演奏者には全くと言っていいほど無頓着だった)に運命らしきものを感じ、このような曲が弾けるような人生を送りたいと思うようになったからだ。そこで学生時代にアルバイトで買ったデジタルピアノでハノンから練習した。子供のときに弾いていたアップライトピアノは、とある事情で、途中から住んでいた自宅に置かなくなっていたので、ピアノが家にやってきたときにはものすごく嬉しかった。自己流での譜読みが楽しくてたまらなかった。聴く側だった当時の先生からしたらそれはそれはもうひどいものだったそうだが。そしてレッスンに行ったきっかけは、職場で理不尽なことがあった瞬間、仕事や机上の勉強の世界しかない人間から脱出したい、本音で好きなこともできないまま終わる人生なんて嫌だと思い、ピアノ教室に駆け込んだことだった。そしてピアノ仲間を探したいと思ったきっかけは、職場で一緒だった劇団をやっていた友人による、仲間を作ったらどう?という後押しの一言と、辛い青春時代を送っていた青年がピアノを弾くことで人生が好転しバラ色になったという大人からのピアノ人生について書かれたとあるサイト(今は閉鎖)を読んで感動したからだった。私もピアノを再開して人生をバラ色にしたいと思った。原動力はハングリー精神。人前で弾けるチャンスは真っ先にゲットして演奏を人に聴いてもらう人生を送るのだと意気込んでいた。しかし良く考えてみたら何も分かっていなかった。実際に、人前で弾く機会、そして自分の演奏を録音して聴く機会を重ねれば重ねるほど、自分の演奏レベルというもの、そして今となっては限界らしきものも分かってきて、穴に入りたい気持ちになったのは言うまでもないのだが。
今になってなぜこのようなことを思い出そうとしたのか、自分でもよく分からないのだが、思い出す時期は、個人的には、よい時期だった気がする。でもなんか不器用で青臭いけど。
「意識高い系」という言葉が出回っている。古谷経衡氏が文春新書『「意識高い系」の研究』という本を出していた。内容への興味と著者の強烈なインパクトに惹かれて手に取ってみた。「意識高い系」と真に「意識の高い人」との違いを本人の体験と具体例を挙げながら述べているのだが、読んでいくうちに、冷や汗が出そうになった。中身のない中途半端な、そして面倒くさい存在の「意識が高い系」、いつの間にかその罠に、陥っていたかもしれない。
発表会はもうすぐなんですか?頑張ってくださいね(^^)/
そして有難うございます!本番は昨日無事に終わりました。反省点と良かったところが入り混じった状態なのですが今後につないでいけたらと思っています♪その後ばたばたでレポも書けていないのですが改めて振り返ってみました。
最初の一歩を踏み出す、勇気がいりますよね。しかしどうしてもという思いがあれば、その一歩がひょいと踏み出せちゃうのかもしれません。昨日の本番でも50歳からピアノを始めたという方がいらっしゃり、とても若々しく生き生きとされていました。私も勇気をいただきました。遅すぎる、ということはないのかもしれないと思いました^^
さらさらさんがネットラジオで音楽を聴き始められたきっかけも気になってきました。よろしければいつかお話を聞かせて頂けたら嬉しいです♪