今日は、ちょっと歴史散歩。 ハプスブルク家の終焉を彩ることとなった絶世の美女エリザベートであります。
ウィーンを訪れた時、びっくりしたのは、空港にドーンとエリザベートのポスタ―が幾枚も貼られていたこと。そして、空港内の売店にも、エリザベートの写真をパッケージにしたチョコレートが山積みになって売られていることに、ちょっと唖然…。
ウィーン内で泊まったホテルにも、ベッドの傍らには、ウェルカムプレゼントとして、エリザベートのパッケージの瀟洒なチョコレートの箱が置いてあったし…。 公園には、彼女の彫像、王宮内には、エリザベートを追憶する「シシィ・ミュージアム」があるというのだから、街じゅうがシシィ(エリザベートの愛称)の記憶に満ちているといっても、過言ではないのでした。
老舗のお菓子屋のショーウインドーにも、シシィの写真が飾られているのを見て、この街はまだ19世紀の夢の中に眠っているのでは、と思ってしまったほど。エリザベートが、スイスで青年ルケーニに暗殺されてから、もう一世紀以上もの時間が過ぎているというのに……。
オーストリア国民がかくも、かくもエリザベートを哀惜してやまないのも、不思議といえば不思議。神経症に悩まされ、ひっきりなしに旅をしては、帝都ウィーンにいることはほとんどなく、豪華な専用列車や瀟洒な調度品など贅沢をつくしていたエリザベート。当然、国民の受けは良くなかったと思うのだけど、やはり美女は得なのか? (そういえば、エジプトに昔行った時も、お土産物屋には、ツタンカーメンのものと同じくらいネフェルティティを扱ったものが多かったっけ)
170センチの長身に、50キロの体重を維持するため、乗馬やアスレチック体操など、ダイエットに励んでいたといわれるシシィ。その彼女が甘いスィーツを口にしていた? と思うのでありますが、「スミレの砂糖づけ」が好物だったとかで、そのお菓子も見ました(一説には、お菓子屋から、秘密の地下通路で、王宮内に運ばせていたという、まことしやかな言い伝えもあり)。
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そして、こちらの写真は、ババリアの狂王と言われるルードヴィヒ2世。ヴィスコンティの映画が有名ですね。実は、エリザベートのまた従弟の子とかで、親戚関係なのです。今でいう、究極のオタクとして、中世の騎士物語にあるようなお城の建造、ワーグナーの音楽に耽溺し、国庫をほとんど空にしたといわれるルードヴィヒ。わずか40歳で湖で溺死し、その時には、精神状態も冒され、肥満体にもなってしまっていたのですが、若き日はかくも美青年でありました。
「彼は神のように美しかった」とは、若き日のルードヴィヒに会った人の言葉でありますが、エリザベートとルードヴィヒ――この二人、よく似ていません? 栗色の髪に長身、お伽噺のプリンスとプリンセスのように整った顔――精神状態も極端で、厭世感に悩まされていたところもそっくり。
事実、二人は互いに近親感を感じていたよう。二人とも悲劇的な死を迎えましたが、どこかで(たとえば、ルードヴィヒが白鳥城内に、イタリアはカプリ島の「青の洞窟」を模して作った人工洞窟)、静かに語り合っているのでは? と思ってしまうのであります。
ウィーンを訪れた時、びっくりしたのは、空港にドーンとエリザベートのポスタ―が幾枚も貼られていたこと。そして、空港内の売店にも、エリザベートの写真をパッケージにしたチョコレートが山積みになって売られていることに、ちょっと唖然…。
ウィーン内で泊まったホテルにも、ベッドの傍らには、ウェルカムプレゼントとして、エリザベートのパッケージの瀟洒なチョコレートの箱が置いてあったし…。 公園には、彼女の彫像、王宮内には、エリザベートを追憶する「シシィ・ミュージアム」があるというのだから、街じゅうがシシィ(エリザベートの愛称)の記憶に満ちているといっても、過言ではないのでした。
老舗のお菓子屋のショーウインドーにも、シシィの写真が飾られているのを見て、この街はまだ19世紀の夢の中に眠っているのでは、と思ってしまったほど。エリザベートが、スイスで青年ルケーニに暗殺されてから、もう一世紀以上もの時間が過ぎているというのに……。
オーストリア国民がかくも、かくもエリザベートを哀惜してやまないのも、不思議といえば不思議。神経症に悩まされ、ひっきりなしに旅をしては、帝都ウィーンにいることはほとんどなく、豪華な専用列車や瀟洒な調度品など贅沢をつくしていたエリザベート。当然、国民の受けは良くなかったと思うのだけど、やはり美女は得なのか? (そういえば、エジプトに昔行った時も、お土産物屋には、ツタンカーメンのものと同じくらいネフェルティティを扱ったものが多かったっけ)
170センチの長身に、50キロの体重を維持するため、乗馬やアスレチック体操など、ダイエットに励んでいたといわれるシシィ。その彼女が甘いスィーツを口にしていた? と思うのでありますが、「スミレの砂糖づけ」が好物だったとかで、そのお菓子も見ました(一説には、お菓子屋から、秘密の地下通路で、王宮内に運ばせていたという、まことしやかな言い伝えもあり)。
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そして、こちらの写真は、ババリアの狂王と言われるルードヴィヒ2世。ヴィスコンティの映画が有名ですね。実は、エリザベートのまた従弟の子とかで、親戚関係なのです。今でいう、究極のオタクとして、中世の騎士物語にあるようなお城の建造、ワーグナーの音楽に耽溺し、国庫をほとんど空にしたといわれるルードヴィヒ。わずか40歳で湖で溺死し、その時には、精神状態も冒され、肥満体にもなってしまっていたのですが、若き日はかくも美青年でありました。
「彼は神のように美しかった」とは、若き日のルードヴィヒに会った人の言葉でありますが、エリザベートとルードヴィヒ――この二人、よく似ていません? 栗色の髪に長身、お伽噺のプリンスとプリンセスのように整った顔――精神状態も極端で、厭世感に悩まされていたところもそっくり。
事実、二人は互いに近親感を感じていたよう。二人とも悲劇的な死を迎えましたが、どこかで(たとえば、ルードヴィヒが白鳥城内に、イタリアはカプリ島の「青の洞窟」を模して作った人工洞窟)、静かに語り合っているのでは? と思ってしまうのであります。