ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

煙突掃除の少年

2014-11-08 09:24:50 | 本のレビュー
ハヤカワミステリポケット文庫から出版されたもので、著者はバーバラ・バイン。これは、ルース・レンデルの別名義である。どうして、画像がないかというと、図書館から借りたものであるため。(こういうのにも、所有権みたいなものが発生する?)

ルース・レンデルといえば、現代英国ミステリの大御所。その割には、ほとんど読んだ覚えがない。以前、2,3冊読んだ記憶があるのだが、あまりに陰気くさい内容と陰惨なムードに辟易してしまった。これは、仏のカトリーヌ・アルレーの「わらの女」が名作と讃えられるも、不快な読後感を残すのと似たようなものかもしれない--。

さて、この「煙突掃除の少年」。素晴らしい傑作である。たとえて言えば、難解なジクゾーパズルをはめていって、それが完成した時、得も言われぬ美しい絵画に変身したとでもいうような。  謎解きの妙、巧みに張られた伏線、そして描かれる人物像の迫真力--これほどよくできたミステリに久しくお目にかかっていないといえば、ほめすぎだろうか?

物語は著名な作家、ジェラルド・キャンドレスが心臓発作で死んだことから幕を開ける。彼が溺愛した二人の娘たち--サラとホープ。彼女たちは美しく、頭も良く、順調にキャリアを重ねているが、母親のアーシュラとは疎遠の関係にある。これは、ジェラルドが、娘たちに母親を必要としないように仕向け、自分が彼女たちの愛情を独占していたため。 彼は、結婚生活のほとんどの間じゅう、妻を無視し、冷笑してもきてきた。

サラは、父の編集者から、作家ジェラルド・キャンドレスについての回想録を書かないか、と打診され、さっそくとりかかるのだが、ここで衝撃的な事実がわかる。 父は、ジェラルド・キャンドレスではなかった――ジェラルドとは、70年も昔、死んだ少年の名。 彼は、少年の名前と戸籍を盗んだのだ。 父は誰だったのか――?  そして、なぜ名を変えねばならなかったのか?

ここで、ジェラルドが自分の本に紋章がわりに小さな黒い蛾を用い、それが「煙突掃除屋の息子」という俗名を持つこと、彼が霧を異常に恐れることが巧みな伏線となっている。物語の最後--「霧」が現れ、それが晴れ上がるように、最後の謎が解けていき、ジェラルドが何故姿と消さねばならなかったかが、読者の前にさしだされる。 なんという、素晴らしいエンディングだろう。 

サラとアーシュラの内面を描く、作者の筆致も巧みである。彼女たちが実在し、そこに佇んでいると感じさせられるほどに。長年夫や娘たちから無視され続けてきた、アーシュラの孤独・・・彼女はひび割れた海綿のようにさえなってしまっていたが、自己の解放と独立を成し遂げようとする。娘のサラも、愛した父の真実の姿が浮かび上がるにつれ、自分の孤独を見据えざるをえなくなる。だが、彼らの孤独は決して、重なりあうことなく、溶けあうこともない。

第一級のミステリとしてだけでなく、「作家」という人間の謎、一種の怪物性を焙りだした小説といしても読める。
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