「オレンジの壺」 宮本輝 講談社文庫。上下巻
ずっと以前買っていた、宮本輝の作品を再読。
久しぶりに宮本輝を読んだのだけれど、やっぱりこの作家は天才! 天性の語り部にして、サーガを語る物語作家!
誰もあまりふれないけれど、この作家は、もう一人の国民的人気作家、村上春樹と同じ年(どちらも、関西出身だし)。
資質も感性もまったく違うタイプの作家なのだが、私自身は断然、宮本輝が好き!
こんなに面白く、小説がロマンであることを感じさせてくれる豊饒な才能を持つ作家なのに、なぜハルキほど世界的人気を得られないのか不思議…。
まあ、それは置いておいて、小説のあらすじを書くとしよう。
25歳のヒロイン、佐和子は短い結婚生活が破綻し離婚。それも、夫から「君には、悪いこところもないがいいところもない。人間として、女性としてまるで魅力がないんだ」という痛烈な捨てゼリフを投げつけられた後に。
大きな貿易業を営む父親のもとに帰った彼女に、父親は「何か事業をはじめたら?」と勧めるのだが、佐和子の心は動かない。別れ際に投げつけられた言葉が、彼女の心には反響していて、大きな傷口を作っていたのだ。
そんな佐和子に、弁護士が渡したのは、家業の会社の創始者である祖父が残した日記だった。今から65年も前、1922年(この「オレンジの壺」が書かれたのは、1990年頃)祖父田沼祐介が紅茶とスコッチウイスキーの輸入権を得るため、フランスに渡った時のことを記した日記には、恐るべき秘密が隠されていた……。
こうしたミステリー調の展開、スケールの大きな物語を語らせたら、面白さに置いて宮本輝の右にでる者はないに違いない!
1922年,すなわち大正11年という時代、船に乗って太平洋を渡り、ヨーロッパへ向かった田沼祐介――彼がパリで出会ったのは、アスリーヌ夫人というユダヤ系の女実業家だった。紅茶やジャムを日本に輸入するため、アスリーヌ夫人に近づく祐介だったが、夫人の口から「あなたは、オレンジの壺になってくれないか?」という謎めいた言葉がもれる。
やがて、アスリーヌ夫人の娘ローリーヌと愛し合うようになり、彼女との間に子供をもうけるのだが、祐介は一足先に日本へ帰ることとなる。
帰国後届いたのは、ローリーヌが出産の際に死に、子供も死産だったという知らせ。だが、何かおかしい。
生まれた赤ん坊は、本当は生きているのでは?
祐介は何度も手紙でアスリーヌ夫人を問い詰めるが、らちを得ない。おまけに、夫人の使いという者が現れ、オレンジの壺としての任務を果たせと言って迫ってくる……日記はそこで終わっていたが、祖父の真意は生きているかもしれない子供を探してくれ、と佐和子に頼むことだったのか? そしてオレンジの壺とは何なのか?
すでに長い歳月がたっている上、アスリーヌ夫人もアウシュビッツ収容所で死亡しており、当時を知る人などほとんど残っていない。しかし、佐和子は、自分にとっては伯母にあたる祖父の娘が生きていることを確信し、フランス語の翻訳を頼んだ青年滝井の協力を得て、パリに渡る。
だが、そこで探索の果て、エジプトのアスワンでドイツ人の老婦人モニカ・シュミットから渡されたのは、もう一つの日記だった。なんと、祖父は遺品として残した日記と同時期にもう一つの日記を書いていて、そこにこそやましい秘密が隠されていたのだ(これは、「商売人がよくやる裏帳簿のようなものね」と表現されている)。
ここでは、祖父は単なる事業家ではなく、当時軍部の秘密機関から、特務を担ったスパイでもあったのだ。 だが、祖父は恋人を汚した軍人に復讐しようと、協力するふりをしていたというのだから、話はややこしい。
第一次大戦と第二次大戦のはざまに渡る時代――軍部が隠然たる勢力を伸ばしていたきな臭い時代の雰囲気が見事に描かれていて、当時のヨーロッパには、本当に、こうした諜報活動が繰り広げられていたかもしれない、と思わせられる。
アスワンで会った老婦人は、祖父が当時かかわったドイツ人の若い娼婦だったのだが、彼女は佐和子に「あなたのお祖父さまは、度し難き売国奴よ」との言葉を投げつける。祖父の日記には、Wという国際スパイや、非情な軍人Sが頻繁に表れ、祖父とかかわっていくのだが、彼らの肖像は印象的である。エリート軍人そのもののように見えながら、女装を趣味とし、同性のイギリス人「鯨」(これは、スパイとしてのコードネーム?)への恋のため、日本を裏切り、アスリーヌ夫人の組織に協力しているらしいS。
底知れない緑の瞳を持つ美貌の男「鯨」。
彼らが、ヨーロッパでもくろんでいたのは、何だったのか? そして、第二次大戦を予期していたというアスリーヌ夫人が作り上げていた組織の正体は? そして、生きているとわかった祖父の娘マリーを、アスリーヌ夫人は「なぜ、死産だった」と言って嘘をつき、手渡そうとしなかったのか?
日記は、謎が深まっていくところで、突然ばたりと終わる。まるで、私たち読者と佐和子を迷宮に置き去りにしたように。
田沼祐介という日本人が残した日記は、もうはるか昔のことなのである。作品の舞台からも65年前。いかに長生きしたといえ、Sも「鯨」もすでに生きてはいないだろう。そして、彼らが誰であったかも、知ることはできない。
すべては、歴史の闇に消えてしまった……私の心に深く残ったのも、「謎」ということ。
遠い昔に、何があったにせよ、それは歴史といううねりに消えていくのである。
P.S 佐和子が、何度も「私って、石みたいなの」とか、「私、なぜ魅力がないのかわかったわ」と作品中でつぶやくところ……ふつうなら、「プライドがあるなら、そんなこと自分で言うな」と言ってやりたくなるところだけれど、この佐和子という女性、本人が自覚しているように「地味で、無口」にしろ、祖父の娘を探し出すために、パリやエジプトにまで飛び出していくという、一途で素晴らしい人なのだ。
そして、祖父が自分に日記を残したのも、「自分という人間の痕跡を残すため」だと思い、「人は誰しも、ある時代の中で懸命に生き、死に、そうしてその人を覚えていた人も皆いなくなる」と理解できる賢い女性でもある。
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