映画「俺たちに明日はない」を観る。1967年の作品。
三十年ぶりくらいに、懐かしく観たわけだが、やっぱり、すっかり内容を忘れていた……。
それでも、主役のウォーレン・ビーティ&フェイ・ダナウェイの組み合わせが、素晴らしい!ことを再確認。
この映画で製作も担当したウォーレンは、相手役のダナウェイが気に入らず、衝突を繰り返した、とどこかの裏話で聞いたのだけれど、そんなこと、映画の出来栄えには、何の関係もない。実際のところ、ウォーレン達の間に漂っていた緊張感が、かえって映画のスリリングな迫力を増しているよう。
この映画の主人公、ボニーとクライドは、知る人ぞ知る、実在の銀行強盗。世界恐慌の頃の騒然とした世情に、さっそうと登場し、その鮮やかな犯罪手口から、庶民たちには「義賊」として、拍手喝さいされたという、伝説のイコン。
そのボニーをダナウェイが、クライドをウォーレンが演じているというわけだが、ギャングとは思えぬほど、スタイリッシュ。上の写真を見てもわかるように、ボニーはベレー帽を小粋にかぶっているし、クライドの帽子は、ボルサリーノ風。
この二人が、クライドの兄夫婦(バックとブランチ)、頭の弱いガソリンスタンドの従業員のモスを加えて、ギャング団を結成するのだが、よく見てみると犯罪手口は鮮やかであると同時に、刹那的。こんな行き当たりばったりの犯罪なんて、今では考えられない。
銀行に入ったとたん、監視カメラで犯行が一部始終記録されるだろうし、目撃者の証言によって、あっという間に身元は割り出されるに違いない。 危険で刹那的でありながら、ボニーとクライドの犯罪は、どこか西部劇を見ているような、郷愁を感じさせる。例えば、ビリー・ザ・キッドとか、そうぃつた伝説上のアウトローたちの物語。
映画は、事実をそのまま正確になぞっているわけではないのだが、かなり史実に沿っている。兄夫婦を仲間に加えたところや、モーテルでの警察との銃撃戦。その銃撃戦で兄のバックが狙撃され、死亡。ブランチは逮捕される。そして、モスの父親の裏切りによって、沿道で待ち構えていた警察の銃撃を浴びて、ボニーとクライドの二人が死ぬところなど……。
話はいきなり変わるのだけれど、個人的に、1920年代や30年代の映像や文化を見る時、「近くて遠い」という感慨に打たれてしまう。この「俺たちに明日はない」もそうなのだけれど、人々が着ている服や生活様式は、身近でありながら、今ではとうに見られなくなっているものも多々あって、それが、不思議な感じがしてしまうのだ。ボニーが着ている服は、今でも、どこかでそっくりの服を着ている人に出くわしそうだし、彼女が働いていたカフェで出されているメニューもそう。
しかし、テキサスやアラバマ州の田園で働いている人たちの農作業服なんて、「やっぱり、百年近くも前の時代なのだなあ」と思わせられるので、現代と近代が同居しているような、不思議な感覚を覚えてしまうのだ。(私の他にも、こんな気持ちになる方はいませんか?)
そして、上の写真が映画史に残るラストシーン。待ち伏せによって、無数の銃弾を浴び、車ごとハチの巣状に体を射抜かれて死亡したボニーとクライド。ボニーは助手席から半ば、外へ倒れ、クライドは地面にうつ伏せになっている……こんな劇的な死を迎えた時、クライドは24歳、ボニーは23歳だったというのだから……伝説となるのも、むべなるかな。
「伝説のボニーとクライドのように――」と歌っていたのは、宇多田ヒカルだったろうか?(記憶がはっきりしないのだけれど)。90年たった今も、人々の記憶に残り続ける二人。伝説とは、あざやかな記憶そのものなのだ。
ウオーレン・オーツの「デリンジャー」は、テレビで観ましたが、やはり、FBIに追われて、ハンサムなギャングが、畑で撃たれるシーンとか、隠れ家を急襲されて、ギャングが撃たれて死ぬシーンが、やはり陰惨でした。
ジョニー・デップのデリンジャーは、観ていません。主人公が、ラストで死ぬ映画は、私が年をとったせいか、観られません。
「明日に向かって撃て」や「恐怖の報酬」も、ラストがきついです。おやすみなさい。
現実も実際あの通りで、クライドのお兄さんの奥さんのブランチは警察にとらわれ、自白され、その記録が本となったとも聞いています。物語ですけれど、この間見たレオナルド。・ディカプリオ版「華麗なるギャッッビー」も、美しく、残酷で、ギャッビーのために泣きたくなるような気分でした――主人公のリックの存在によって、青春の甘美さがそこはことなくミックスされてはいましたけれど……。1920~30年代って、想像以上に刹那的で、狂乱の時代だったのかな?
私も、若い頃はエキセントリックなヒロインが出たり、悲劇的な物語に惹かれがちでしたが、最近は年のせいか、心温かな物語に手が伸びるようになりました(読みやすく、優しい感じがするので、瀬尾まいこさんの小説などかがいいな)。
年齢によって、感受性や心のありようも変わってくるのだなあ、と私も実感しています。