洋の東西 城郭都市

2015年12月05日 | 湖と城郭都市

 

 

  ● ヘルダーリンの故郷   5

 そこで私は無かえられる おお街の声 母の声!
 声は私を捉え 久しい昔に学んだことをよみがえらす
 昔ながらお姿のまま 陽は黙り喜びは燃え

 愛する者たちに かってなく明るく移る。
 古いものは確かにある。育ち自然の転変の中でも

 生きかつ愛したものはすべて まめやかに取り置かれる。
 最上のもの 神聖な平和のアーチなる肘の下に
 見いだされた.ものは老若いずれのためにも 大切にされている。
 包まずいえば 見いだされたのは喜び。明日もその先
 我らが表に出 はるの採点の日々に
 木々の花咲く生ける野を眺める時
 私は愛する者たちと喜びについて多くを語り、望むだろう。
 大木なる父について わたしは多くを聴いていたが
 長ららく口をつぐんできた さまよう時々を 
 高みで更新し 山心波万で宰領し 
 我らに天の美禄を保証し さらに明るい歌を
 唱え よき霊を派遣する父について。 今は遅獄するな
 来たれ 維持する者たちよ 年の大使よ! そしてまた

  Dort empfangen sie mich. O Stimme der Stadt, der Mutter!
  O du triffest, du regst Langegelerntes mir auf!
 
Dennoch sind sie es noch! noch blühet die Sonn' und die Freud' euch,
   O ihr Liebsten! und fast heller im Auge, wie sonst.
 
Ja! das Alte noch ists! Es gedeihet und reifet, doch keines
   Was da lebet und liebt, läßet die Treue zurück.
 
Aber das Beste, der Fund, der unter des heiligen Friedens
   Bogen lieget, er ist Jungen und Alten gespart.
 Törig red ich. Es ist die Freude. Doch morgen und künftig
   Wenn wir gehen und schaun draußen das lebende Feld
 
Unter den Blüten des Baums, in den Feiertagen des Frühlings
 
 Red' und hoff' ich mit euch vieles, ihr Lieben! davon.
 Vieles hab' ich gehört vom großen Vater und habe
 
Lange geschwiegen von ihm, welcher die wandernde Zeit
 Droben in Höhen erfrischt, und waltet über Gebirgen
  Der gewähret uns bald himmlische Gaben und ruft
 Hellern Gesang und schickt viel gute Geister. O säumt nicht,
   Kommt, Erhaltenden ihr! Engel des Jahres! und ihr,

● 日本での受け止め方

日本での受けとめ方に日本の文学界でのヘルグリーン受容
るいて、主要ななものにしぼって述べるとすればどのように
なるか?

まず大正時代だが、待人で翻訳家の生田春月(1892~
1930)により、ヘルダリーン詩数篇が翻訳されている。
さらに春月は自死の前年に出した.『メリケとヘルデルリン』
(1929)でメーリケと並べて特にヘルダリーンを論じ、
詩「ヒュペーリオンの運命の歌」(春月訳では、ヒュウペリ
オンの運命の歌)の訳解を中心に、彼が入水を前にして自分
にとって最も親しい詩人をヘルダリーンに見出すにいたった
喜びですらにじませた、我が国でのほとんど最初の先駆性に
富む小伝を創り上げた(「メリケとヘルデルリン――詩集と
伝記」(昭和四、1928行人社。なお、小磯仁「生田春月
とドイツ文学――へルダリーンの受容をめぐって」『生田春
月再現――生誕90周年念講演集』、1983、27~85頁、
いまい書店).も参考にななろう)。

文芸評論家の堀田興重朗(1910~81)も目いくから
ヘルグリーンに着目し、「清らかな詩人ヘルデルリーン覚え
書」(1933)発表した。これはグンドルフやディルタイ
によりつつ、9世紀二元的な詩人への分類定義からヘルダリ
ーンを救出し、「ヒュペーリオンサ、エンペドクレスハ」の
主人公に近代人の苦悩や悲劇性の典型を認めようとした注目
すべき論である(小磯仁「
ヘルダリーンと堀田興重郎――へ
ルグリーン受容史の一断面」〔浪漫派〕第12号、保田興亜
郎追悼号」1982。98~100頁出雲出版{参照)。

夭折した詩人々訟原道造(1914~39)は、秀抜な堀辰
推論「《風立ちぬ》」(1989)では、「ヒュベーリオン
の運命の歌」を除き作品自体よりもむしろハイデガーの講演
論文「ヘルダリーンの詩の本質」(1937、『ヘルダーリ
ーンの詩作の解明』に収載)を通してヘルダリーンに近づこ
うとしている姿勢がうかがわれる。

立原とほとんど同時間の詩人伊東静雄(1906~53)で
は、学生時代から原書でヘルダリーンに直接親しんだので、
立原を含む他の待人よりもヘルダリーンヘの傾倒度が問題に
ならないほど、受容内容もヘルグリーンの待人存在に直接触
れようとするものであり、その姿勢も.一貫して真摯だった
明言としてもよい。詩集ぺわがひとにりふる哀歌」はその純
度のひとつの達成を証するものでありヘルダリーンの影響は
この詩集全体についていえることだが、特に同題名の詩『わ
がひとに俘ふる哀歌』は「ヒュベーリオン」を始め、「生の
半ば」一連のディオーティマ詩、ことに「ティオーティマを
悼むメノンの哀悼歌」との照応において、詩的受容の我が国
でのひとつの代表例と指摘できる。

かねてヘルダリーンの古代ギリシアヘの憧憬に注目し、作品
中でヘルダリーンの名前まで銘記して引用も行ったのは作家
の三島由起夫(1925~70)である。彼は小説「絹と明
察」(1964)で、ハイデガーの「ヘルダリーンの詩作の
解明」を引き合いに出し、主人公について、「一方、岡野は
今もハイデッガーの新著を取り寄せて読み、何かと研讃を怠
らなかった。1951年に出たペルダアリンの詩の解明へを
消んでからは、ハイデッガ
ーを通じて、ヘルダアリンの詩の
愛好者になった。醇へばあの難解な}「帰郷」の一節を朗唱
して、並居る人を煙に巻くいたりした(『三島由紀夫全集』
第17巻(1973)77~98頁、新潮社。なお、引用の
「・・・・・・1951年増補第二版にあたる)と記し、以下全篇
を通じヘルダアリンのと悲歌『帰郷』(127頁)に触れ、
詩人への愛着が並並ならぬのだったことを示している。それ
は三島が三篇のヘンダーリン詩「むかしと今」(1798)、
「ソクラテスとアルキピアデス」(1798
)、「夕べの幻
想」(1799)の翻訳までこころみている。一例あげても
理解されよう。ただ三島由紀夫の場合、小説『潮騒』(19
54)についても、エッセイ『小説家の休暇』(1955)
で創作
に当たっては「ヒューベリオン」に意識的に範を求め
たいうほど自注に解いたほどの
ヘルダリーンへの傾斜ぶりを
しめしはした
が、「ヒュペーリオン」の根本主題の理解をめ
ぐっては、主人公の自然喪失の必然性という最重要の問題が
捉えられきれてはいない憾みがある。

ここから三島の伊東静雄との受容差異も浮上してこよう。伊
豪の詩人性をつとに評価していた三島だけに、そしてヘルダ
リーンヘの関心が現代作家のなかでは突出していただけに両
者のこの差異は日本の文学の
ヘルダリーン
受容上でも非常に
興味深い内容を
持つといえるだろう。


作品の全訳では、ヒュベーリオン」が最初だった(1935
~)。戦後、『ヒュベーリオン』の新訳や『エンベドクレス
』が凶行されまた初めての単独の訳詩集む出たがいずれも全
詩ではなく、昭和40年代初めようやく全集が四巻にまとめ
られた。ヘルダーリン主義主要作品のほとんど全てを収載し
た翻訳は初めての試みであり、その意義はきわめて高い。

しかしその後の約40年の、これまでの記述でもその一
端を明示した研究成果は当然反映されてはおらず、準拠
したSLA第7巻の資料編なども当時未完結だった事情もあ
り、詩の翻訳も含めて補訂すべき諸点は多い。また昭和
50年代の半ば(1980)に手塚富雄が、前述の小シ
ュヴァーブやミヒェルの評伝StAいま挙げた自らの編
集になる四巻の全集などを基に雑誌(「學鐙」、「心」
へに長間にわたり連載した評伝刊行した。これは上記の
特にミヒェルに多くを追っているのではあるが、日本人
によってまとめられた切めての本格的な伝記であり、正
確で優れた叙述と相俟って高い評価を受けるのも不思議
ではない。ただこの書物からすらもすでに20年以上が
経った現在全集哺訂と同質の新たなヘルダリーンが創ら
れていくのもまた必然であろうし、ヘルダリーン詩出身
に由来する.腫の近寄り難さから、我が国の.般への本
当の浸透は、むしろこれからこそ始まっていくとぢえら
れるのである(『ヘルダーリン』小磯仁 著 清水書院よ
り)。これ(ら)をふまえ新たな意図を発見していく。

 

  【目次】

 はじめに
上代の彦根

  お伊勢お多賀のお子じゃもの
 日本最古の庭園、阿白波神社の庭園
 淳和犬皇弟一一皇子守房親王の碑
 中世の彦根
 守房親王が神官となられたハ幡神社
 彦根の巡礼街道
 彦根とその周辺をめぐる近江百人一首 

● 守房親王が神官となられた八幡神社

参道の入口に建っている花両石造りの大鳥居は、この近郷に
はみ
られない大きいもので高さは三丈六尺五寸(11メート
ル)という
この大鳥居は大正十年(1921)4月に竣工し
ているが、昭和
十九年(1944)12月7日の大地震によ
って残念ながら倒 壊まし
たものの、昭和二十八年(195
3)5月に再建される。


この大鳥居が八幡神社の入人口を示すもので、造を走る車のウ
ィンドウからも見上げて、田附町の横野地区のランドマークとして
の存在感を示しす。この神社は、その昔は若宮ハ幡宮と号し、若
宮とも呼ばれた。祭神は、近江国坂田郡息長打(現在の近江町)
のご出身であるとする有名な神功皇后を御母君とする皇統譜に
よると第一五代の応神天皇。

この時代は、大和朝廷による全国的統一が成し遂げられると
ともに
いっぽう大陸の文物や工芸が伝来し、上古においての
黄金時代が
現出した時代。社殿によると、大智天皇の御代に
栗見大宮天神の
相殿に応神天皇をお祀りしたが、降って桓武
天皇天応元年(781)
に、当初に勧請したのが、当社造営
のめであると誌されている。

近江守護職であった佐々木高頬は、勅許を得て当社のため菊
の御紋章を賜り、また応安元年(1368)には近衛家より
若宮ハ幡官のご染筆を賜る。この地方の十郷は栗見庄といっ
た荘時代には、荘内には五社をお祀りしていた。この頃を伝
えるハ幡神社蔵文書の一節に次の一節が記されている。

「五社の御神繁盛ましまして、中でも若宮ハ幡官は、御境内
に右は青蓮寺左は犬御堂、後は景応寺、前は順礼堂・国領観
音堂。ここに五社の御神輿御幸有り、お供えを供え奉りしと。
今に正月十八日国領行きあり。山王大行事なり」とある。



大正期の頃(1570)のことです。織田信長の近江平定に
当たり焼き討ちにあい、現在はその面影を留めていなが、神
仏習合思潮により、ハ幡宮を巡って伽藍が並び建っていたと
想わせる当時の若宮の隆盛が偲ばれる。

降って寛文七年(1667)、彦根藩三代藩生井伊直澄四十
二歳の厄除けを多賀大社に於いて行われた祈、その祈祷札四
二枚を領内の各社に奉納されましたが、当社もその中の一礼
であった。また、愛知川支流の川尻の長浜の地に、長浜天満
宮と号して鎮座されていたのを、新海村(現新海町)開拓の
当時潮辺の護りとして、住民が勧請したものを、その後、水
害のため荒廃して無格社となっていたため明治四十二年(1
909)2月4日当社に合祀されたのが相殿に鎮座されてい
る高皇産霊神。この神は天地創造修理固成の天津神で、明治
維新になり、八幡神社と改称。また昭和十年(1936)2
月には郷社に昇格しましたものの、大東亜戦争(太平洋戦争)
後の昭和二十年(1945)12月占領軍(GHQ)が発し
た道指令により、社格は廃止となる。

本殿の構造は神明造り、桧造り、屋根は桧皮葺きで、建坪は
九坪(29・75平方メートル)貞享五年(1688の造営
となっている。拝殿の構造は、入母屋造り、桧造り、屋根は
日本瓦葺きで、建坪九坪(29・75平方メートル)。境内
に七重の石塔があり、この台石は五茎蓮華の上に、佛座像が
彫刻され、右に永仁六年(1298)、左に南無阿弥陀佛と
刻まれている。鎌倉期(1200から1300頃)のものだ
が意匠が大変珍しく貴重。

その他、神門丸・九1平方メートル。握舎二六・四四平方メ
ートル封。神撰所九・九一平方メートル、御輿蔵二十六・四
四平方メートル。手水舎四・九五平方メートル。社務所一一
〇・七五平方メートル。その他若宮ハ幡宮(現八幡神社)の
主な社歴を見ると、若宮ハ幡宮額は元禄二年(1689)。
御輿は安永六年(1777)。御輿蔵は文致七年(1824)
9月に建築。拝殿は四十一年(1908)11月に建築。「
八幡神社 彦根市田附町四二九・0749-43-2856(八幡神社社
務所)」


①勧請神仏 神仏の来臨を請う。
②神仏習合 日本固有の神と仏教信仰とを折衷して融合調和
      すること。
神明造り 神明とは天神地祗のことですが、とくにことわ
 らない限りこの神は火照大神を指します。従って、天照大
 神を祭神とする伊勢神宮正殿に代表される 社殿形式を、
 神明造りと 呼んでいます。もっとも 当の伊勢神宮につ
 いては、これを他がそのまま模倣することを許さないとし
 て、特に「唯一神明造りと呼び、細部に特徴を施している。
 形式は基本的に切妻造り平入りとしている。


【エピソード】
 
 

    

● 新年会の企画について   

ご無沙汰しております。
歳も押し詰まってきました。今年は幹事の都合で新年会を
取り止めにさせて頂きました。今年は、谷口さん、山田さ
ん、中村さん、芝原さんなどとは個人的ご挨拶などさせて
いただいておりましたが、新年度は下記の案で企画してお
りますので、肩肘はらず(いつものようにですが?)旧交
暖めたいと考えております。ご意見がございましたなら、
メールや電話などでお知らせ下さい。
なお、こちらからお邪魔させていただくやもしれませんが
その折りはよろしくお願い申し上げます。
  

        16年度新年会(案) 

日時 2月中の日曜(夕食・昼食のどちらか選択願います)
場所 彦根市内西今町 『水幸亭』050-5871-1454
会費 未定(希望の料理を選択願います)
送迎 幹事が責任もって手配します。

                               幹事敬白  


  

 

【脚注及びリンク】
-----------------------:------------------------ 

  1. 中山道 高宮宿 彦根観光協会
  2. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  3. 宿駅散策 近江中山道中絵巻:高宮宿 
  4. 中山道 道中記 第64宿 高宮宿
  5. 中山道 高宮宿/高宮宿から愛知川宿
  6. 滋賀県彦根市 高宮宿 Japn Geographic
  7. 彦根市西葛町籠町~高宮宿-街道のんびり旅
  8. 高宮町~鳥居本宿-ひとり歩み-ひとり歩きの
    中山道 2004.4.9
  9. 彦根文化遺産 中山道と宿場町 高宮宿高宮ま
    つり・高宮布
  10. 日本写真紀行 鳥居本宿~64高宮宿
  11. 中山道高宮宿 馬場憲山宿
  12. 高宮宿 栗東歴史民族博物館民芸員の会のブログ
  13. 新高宮町史 自費出版デジタル
  14. 「城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中島一
    サンライズ印刷出版図  2002.9.20
  15. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  16. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体コンテ
    スト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣府 経済社会総
    合研究所
  17. ボーデン湖 Wikopedia
  18. コモ湖 Wikipedia
  19. ネッカー川 Wikipedia
  20. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  21. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  22. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
  23. いのちの神様 多賀大社 Wikipedia
  24. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  25. 割れ窓理論( Broken Windows Theory )Wikipedia
  26. How New York Became Safe: The Full Story, George
    L. Kelling
  27.  K. Keizer, S. Lindenberg, L. Steg(2008) "The Spreadi-
    ng of Disorder", Science, 322, 5908
    , pp1681 - 1685
  28. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  29. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千夜千冊
  30. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思索
    頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.09.06
  31. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子
  32. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  33. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光局公
    式日本語
  34. 阿自岐(あじき)神社 豊郷町
  35. 城郭都市 Wipipedia
  36. ハイデルベルグ Wikipedia
  37. 田附城(田付城) 近江国(彦根)
  38. 荒神山古墳現地説明会 開催要項(案)彦根市
  39. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論としての『
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷』 、詩文楽
  40. リンダウ - Wikipedia
  41. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  42. 城郭都市 wikipedia
  43. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  44. 八幡神社  滋賀県彦根市田附町488
  45. 三ツ屋城 近江国(彦根)
  46. ヒュペーリオン Wikipedia

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