城郭都市設計史Ⅴ

2015年12月19日 | 湖と城郭都市

 

  【佐和山城郭都市考】

● 佐和山藩時代

 佐和山藩は、近江国(現在の滋賀県彦根市古沢町)に存
在した。藩庁は佐和山城
佐和山は織田信長の時代から要
衝と見なされ、信長は特に信任の厚かった重臣・丹羽長
秀を城主とした。文禄4年(1595年)に豊臣秀吉のもとで
五奉行として辣腕を振るっていた石田三成が、近江水口
から移封されて19万4千石で入った。

三成治下の佐和山はその善政によって民は豊かになり、
「三成に過ぎたるものがふたつあり。島の左近(島左近
)と佐和山の城」と言われるほどであった。ちなみに三
成の善政を示すものとして、古橋の領民が凶作で苦しん
でいるとき、三成は年貢を免訴して領民を助けたり、様
々な法令を制定して領内を整備するなどの手腕を発揮す
る。

関ヶ原の戦いで石田氏が滅亡した後、佐和山には関ヶ原
の戦いで武功を挙げた徳川四天王の一人井伊直政が18
万石で入り、佐和山藩が立藩したが、直政は2年後の慶
長7年(1602年)に死去。これは関ヶ原の戦いによる戦
傷による死去と言われているが、世間では三成の亡霊に
呪い殺されたとも噂された。 このため、家康は三成に関
わるものとして佐和山城は勿論のこと、寺であろうと何
であろうと破却させ、直政の後を継いだ子の直継には新
たに彦根城を築城するように命じた。そして彦根城の完
成と共に、佐和山藩は廃藩となる。

 

● 佐和山藩(城下)とは何か?

 

今夜の所は、詳細なことがいっこうにイメージできなかったので
年明けの2月末には素描掲載してみたい。


 

【エピソード】     

     

● 地名の由来

「彦根」という地名は天照大神の御子であるアマツヒコ
ネ(天津彦根命;アマツヒコネノミコト)とイクツヒコネ(
活津彦根命;イクツヒコネのミコト)2柱のうちの後者
が活津彦根明神として彦根山(彦根城が築かれた、琵琶
湖岸の山)に祀られたことに由来するとされる。
 

縄文時代:松原内湖遺跡(在・松原町。縄文時代の琴・
木船・縄文式土器等、出土)、南川瀬南遺跡(在・川瀬馬
。竪穴式住居跡、縄文式土器、土師器等、出土)等の最
古い形成期


弥生時代:掘南遺跡(在・堀町。方形周溝墓、竪穴式住
跡、土師器等、出土)、肥田西遺跡(在・肥田町。弥生式土
器、須恵器等、出土)等の最も古い形成期•古墳時代前


荒神山の尾根に荒神山古墳が築造される。全長約124
ートルと、規模にして滋賀県下第2位の前方後円墳。古墳時
代後期:荒神山一帯に群集墳が築造される

● 古代

舒明天皇2年(630年):近江国犬上郡(現・彦根市相当
を含む)発祥の豪族・犬上氏(犬上君
)出身の犬上御田鍬が、
第1回遣唐大使して唐
出航•天智天皇10年7月2日(671
年8月12日)前
後:壬申の乱において、大友皇子(弘文天皇)
の将・山部王が
犬上川河畔に布陣したと
ころ、味方の将であ
る蘇我果安と巨勢比等(巨勢
)に殺害される(事由は不明)。


天武天皇元年7月9日(672年8月7日):壬申の乱の一局面と
て、鳥籠山(とこのやま)の戦いが勃発。7月7日に息長横

(おきながのよこかわ。現・米原市梓河内)で大友皇子(

文天皇)方・境
部薬軍を撃破した(息長横河の戦い)大海人
皇子
(天武天皇)方・村国男依らの軍勢は、その2日後、鳥
籠山に布陣した秦友足軍(大友皇子方)も
破り、秦友足を討
ち取る。なお、『万葉集』にも
歌われた「鳥籠山」なる山の
所在は特定されてお
らず、現在の大堀山と比定する説も含め
て諸説
が並立する。

養老4年(710年):淡海公・藤原不比等が近江国国司とし
てこのころ彦根に住んだことから、その
子・藤原房前が、自
ら護持仏としていた黄金の亀の背に乗った高さ1寸8分(約
5.5センチメートル)の聖観音像を本尊として、当年、彦根
山に金亀山 西寺観音(彦根寺)を建立する。7
世紀前半(
奈良時代前期):行基が平流山(へいるやま。現・荒神山)
山頂に奥山寺を開山したと伝わる。
 

● 中世 

鎌倉時代

建久3年(1192年):鎌倉幕府が成立し、佐々木定綱が近
江国守護となる(佐々木氏による近江国支配の始まり)。


建久年間(1190- 1198年):佐和山城の最古の史料あり。
鎌倉時代の近江国守護・佐々木荘地頭であった佐々木定綱
の六男・佐保時綱が築いた砦が始まりとされる。

仁治3年3月7日(1242年4月8日):佐々木信綱の死に伴
い、所領は分割統治されることとなり、江北6郡(当時は
犬上郡を含む)は四男・氏信(京極氏信)が継承する(京
極氏の登場と、その支配の始まり)。

                  

  六角氏   佐々木氏     浅井氏    京極氏

  
室町時代

室町時代中期:犬上郡(現在の彦根地方を含む)の多賀神
社(現・多賀大社)を本拠とする多賀氏と坂田郡を本拠と
する多賀氏が同族間で争う。


戦国時代前期:近江国守護・佐々木氏の嫡流で湖南を統べ
る六角氏が、湖東(犬上郡を含む)および湖北の一角をも
勢力下に置く。

時期不明ながら、荒神山に六角氏の重臣・日夏安芸守が荒
神山城(日夏氏[六角氏の庶流]居城)を築く。

応仁2年(1468年):応仁の乱の局地戦において、東軍の
京極持清重臣・多賀高忠らが、六角高頼ら西軍を破り、湖
北・湖東から六角勢を排除する。

文明元年(1469年):六角氏に替わって京極氏(京極持清)
が近江国守護を任じられる。

文明4年9月(1472年9月か10月):京極方の実権者・多
賀高忠が、京極方の政敵と六角高頼ら西軍方の連合軍を破
り、湖北・湖東を掌握するも、同月末に巻き返され、結果、
六角氏が再び勢力を伸ばす。

文明7年(1475年):多賀高忠が再起し、六角高頼に勝利
するも、西軍方の援軍に敗退。

明応3年(1494年):神仏習合によって多賀大社(在・犬
上郡多賀町多賀)に神宮寺として不動院(天台宗)が建立
されると、これ以降、同社は「お伊勢参らばお多賀へ参れ」
と俗謡に歌われる全国的聖地となってゆき、同社とその参
詣道周辺[注 2]では伊勢・熊野と相比される隆盛が近世末
まで続く。

永禄3年(1560年):野良田の戦いで浅井氏が六角氏に大
勝し、これ以降、湖北・湖東における六角氏勢力を一掃す
る(湖北・湖東の名目上の支配者であった京極氏の時代も
ここで完全に終わる)。これにより、当時の犬上郡も浅井
氏勢力下に入る。

● 近世
安土桃山時代


元亀年間(1570- 1573年):佐和山城主・磯野員昌(浅
井氏家臣)が織田信長らと8ヶ月に及ぶ激戦を繰り広げる。


元亀2年2月24日(1571年3月19日):佐和山城の磯野員昌
が織田信長に降伏し、犬上郡は織田政権下に入る(浅井氏
支配の終わり)。その後、織田氏家臣・丹羽長秀が佐和山
城に入城。

元亀2年(1571年)頃:比叡山焼き討ちと時を前後して、
荒神山山頂の奥山寺(現・荒神山神社)が織田信長に焼き
討ちされる。荒神山城もこのとき廃城処分されたという説
がある。

天正10年6月27日(1582年7月26日):清洲会議の結果、明
智光秀討伐に功のあった堀秀政に佐和山城が与えられ、翌
年、入城。犬上郡は豊臣政権下に入る。


天正13年(1585年):転封となった堀氏に替わって堀尾吉
晴が佐和山城に入城。

文禄4年(1595年):石田三成が佐和山城に入城(従来説
では天正18年[1590年]、他説では天正19年[1591年]4
月)。これよりのち、荒廃していた城を近世城郭に大改修
する。

関ケ原合戦以降略。、

 

 

          16年度新年会(案) 

日時 2月6日(土)か2月13日(土)のどちらかで
   開宴18:00~20:00まで  

場所 彦根市内西今町 『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石(6千円+飲み放題酒代1・2千円)
送迎 幹事が責任もって手配します。
                              幹事敬白  

  

  【脚注及びリンク】
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  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 中山道 高宮宿 彦根観光協会
  3. 宿駅散策 近江中山道中絵巻:高宮宿 
  4. 中山道 道中記 第64宿 高宮宿
  5. 中山道 高宮宿/高宮宿から愛知川宿
  6. 滋賀県彦根市 高宮宿 Japn Geographic
  7. 彦根市西葛町籠町~高宮宿-街道のんびり旅
  8. 高宮町~鳥居本宿-ひとり歩み-ひとり歩きの
    中山道 2004.4.9
  9. 彦根文化遺産 中山道と宿場町 高宮宿高宮ま
    つり・高宮布
  10. 日本写真紀行 鳥居本宿~64高宮宿
  11. 中山道高宮宿 馬場憲山宿
  12. 高宮宿 栗東歴史民族博物館民芸員の会のブログ
  13. 新高宮町史 自費出版デジタル
  14. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一 
    サンライズ印刷出版図  2002.9.20
  15. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  16. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
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  22. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
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  48. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
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  57. 石田三成 Wikipedia
  58. 佐々木十代之屋形太郎判官定綱 Wikipedia
  59. 第一章 鎌倉・南北時代の石部近江守護佐々木氏
    の成立
  60. 佐和山城 彦根市民の飲み水を守る会
  61. 石田 正継 Wikipedia
  62. 佐和山城跡の公式パンフレット 彦根観光協会
  63. 彦根藩並近郷往古聞書
  64. 彦根古図部分(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
  65. 井伊家年譜
  66. 佐和山藩 Wikipedia  
  67. 丹羽長秀 Wikipedia  
  68. 『新修彦根市史』の紹介 | 彦根市
  69. 彦根古図略図 彦根市
  70. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  71. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  72. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  73. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  74. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27

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