城郭都市設計史 19

2016年02月06日 | 湖と城郭都市


 【上代の彦根】

 いざ子ども 野蒜摘みに 蒜摘みに わが行く道の
 香ぐはし 花橘は 上枝は 鳥居枯らし 下枝は 
 人取り枯らし 三つ栗の 中つ枝の ほつもり 赤
 ら嬢子を いざささば 宜らしな

            応神天皇 「古事記」

 

● 彦根・犬上地方の条里制

今回は飛鳥・奈良時代に遡り、集落形成について『城と
湖のまち彦根
』中島一、サンライズ印刷出版部を基に
察する。

古代わが国の律令体制下における土地区画制度として条
制がある。方格の耕地区画としての条里地割と、条・
咀・坪による土地の友示方式としての条咀地番法を組み
合わせ
て耕地を国家的に支配、管理し、班田制度を補完
する役割を果たした。条里制の成
立の過程は、どうも明
確ではない。しかし六世紀未から七世紀初頭に条理型地
割りが
局地的に出現した。さらに七世紀後半から八世紀
中期にかけて、全国の平野でそ
れまでの耕地を再編して、
新たな土地開発を進めて施行されたものと思われる。水
利施
設や農道の整備をともなう大規模な土木事業がなさ
れ、農業生産の発展と安定に大きく寄
与して農業史の画
期となった。



しかし、十世紀から十一世紀初頭になると、国司や国衙
(こくが)により条里地番が拡張・修正
されて条里地割
以外の土地をも広く包括することになり、ついで十一世
紀後半から十二世
紀前半では、条里地番は国衙、荘園領
主、在地領有などによって恣意的に変更されるとと
もに、
新しく開発された耕地や荒廃した耕地では条里地番がと
られなくなる傾向が進みま
す。さらに十二世紀後半から
十四世紀前半の時期では、それそれが荘園や所領単位ご
とに
再編されるため形骸化して条里地番と分離し、その
後はほとんどの地方で姿を消すことになりる。

彦根の中部、南部地区、犬上郡でも最近まで、その面影
が残っているが、現在ではその一部だけしか条里の跡を
みることはできない。万一町犬辺が60歩、約109メ
ートルの坪区画が基本で、坪(田積1町=10段)・内
部の地割は幅一12歩、長さ30歩の半折型と、幅6歩
長さ60歩の長地型に分けられていた。いずれも田積は.
1段です。坪の上位の単位は方六町の里区画で、1坪か
ら36坪の通し番号をつけますが、その配列(坪並とい
う)には各行の数字順を折り返して続ける連続千鳥)式
と、それが同じ万向となる平(並)行式とがある。つま
り条理の区割は60間四方、すなわち1町四方を単位に
坪と呼び、これを縦横6列ずつ並べた6町四方を里とい
い、この区画をある起点から東西万向の並びを、一理、
二里と数えるレに他の南北の方向を一条、二条と呼ぶこ
とになっている。彦根地方付近では、「条」は北から南
へ、「里」は山手から琵琶湖岸方向に設定されていた。


さて、「彦根史誌」に解説されている犬上条理の分布図
に後三条四ノ坪や、平田町二ノ坪・北四ノ坪・南四ノ坪・
八ノ坪・九ノ坪など小字名に残っている区割地を重ね合
わせてみると、後三条の地域は六条五里から六里、七条
の一部に当たる。また現在の久佐の辻辺りが六条五里一
ノ坪、橋本町近辺が同二ノ坪、芹川近辺が同三ノ坪、恵
比寿神社付近が小字名のとおり四ノ坪、八反田が五ノ坪、
中片渕の片渕川から北が六ノ坪、中片渕の片渕川の南が
七条五里一ノ坪となり、平田町ニノ坪になる。

後三条という地名の起こりは、六条にあるので後の三条、
すなわち後三条が後三条と呼ばれるようになったという
説がある。(因みに、後三条天皇が上皇として政治の実
権を保ち藤原一門の横暴を押さえるために各地に設立し
た後三条勅旨田の一つであるとする説もある。)
最後に、『談海木間擢』という記録にこの時代の彦根地
方のようすが述べられているので引用する。

彦根の地は往古は荒野荊蒜(けいさん)のはびこれる
地にして、山野沼沢交接して人家別たず。所々に住民の
民有りて皆世渡に漁猟を業として日暮を過る者共ながり
しに古昔、人廃村子、武川網、此両将山を讐て地を平け
開きて、此所最上地となし人民安堵せしめ三根の地を起
し玉う

三根の地とは彦根・長曽根・里根の三村であり、入鹿村
子、武川網は、ともに聖徳太子時代の人といわれている。

                                          
この頃の彦根は荒地にして、鄙びた原風景を映す。
さて、次回は「壬申の乱と彦根」を取り上げる。

【注】

①国司 律令制で、中火から派遣され、諸国の政務をつ
    かさ
どった地方官。

②国衙(こくが) 律令制で、国司が政務を執った役所。
    国府。

 

【エピソード】      

 

          

 

   


下記の通り当会を開催いたします。

 

        16年度新年会ご案内 


下記の通り当会を開催いたします。

日時 2月13日(土)
   開宴18:00~20:00まで  

場所 彦根市内西今町 『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石(6千円+飲み放題酒代1・2千円)
送迎 送迎バスは以下のようになります。

 (1)
17:45 JR彦根駅西口(彦根城側)
 (2)17:55 戸賀町交差点西入る10メートル 


                              幹事敬白  

 【脚注及びリンク】
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  1. 「地域資源・交通拠点等のネットワーク化による
    国際観光振興方策に関する研究」国土技術政策総
    合研究所 プロジェクト研究報告 2008.05.21
  2. 「歴史まちづくりのてびき(案)」ISSN 1346-73
    28 2013.11.13
  3. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  4. 「城と湖のまち彦根」中島一 サンライズ印刷出版
  5. 「続・城と湖のまち彦根」中島一 サンライズ印刷
    出版部 
  6. 中島一・水野金一・田中治是『建築空間における
    都市計画額』コロナ社
  7. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  8. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  9. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  10. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  11. ボーデン湖 Wikopedia
  12. コモ湖 Wikipedia
  13. ネッカー川 Wikipedia
  14. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  15. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  16. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  17. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
    』詩文楽
  18. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論として
    の『絹と明察』(1)~(7) 詩文楽-Shibunraku
  19. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  20. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千
    夜千冊
  21. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思
    索頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.
    09.06
  22. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  23. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  24. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
    局公式日本語
  25. リンダウ - Wikipedia
  26. ハイデルベルグ Wikipedia
  27. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  28. 城郭都市 Wikipedia
  29. ヨーロッパ100名城 Wikipedia 
  30. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  31. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  32. 万里の長城 世界史の窓  
  33. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  34. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  35. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ
    出版
  36. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  37. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  38. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  39. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
     

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