先日、和尚様の好意により「千種忠顕奉納金泥法華経」を拝観することができました。
【千種忠顕奉納 金泥法華経末尾】
千種忠顕の名のある法華経末尾の奥書である。
法華経典そのものは八巻から成立しており、八巻が納められる専用の木箱にある。
千数百年を経ているか何度も何度も修理した後が見受けられた。現在の法華経本体も金泥紙が所々、はがれかかって
おり早急な修繕が必要である。専門家に修理の依頼をせなばならないでしょう。
本題に戻り、この法華経八巻が果たして「千種忠顕奉納金泥法華経」であるか否かであるが当方は素人なので判断は
できない。実態として、
① この「奉納金泥法華経」は三人の筆跡が確認される。
まず本体の法華経部分はとても達筆で末尾の千種忠顕の奉る文とは異筆であるので本体を書いた人は別人なので
あろう。本来、金泥法華経を書こうとすると一文字を記すと起立三拝を要すとするので、千種忠顕が僅か2ケ月で
書いたとは思えない。
次に末尾の千種忠顕の書とされるものが異筆である。花押はない。
これが本物であれば【千種忠顕奉納 金泥法華経】は重要文化財級となります。
ただ気になるのは同じ年代の千種忠顕の筆跡と花押は
であり一致しないが、発給文の字と神に北朝討伐を祈願した法華経の奥書の文字が正式であるかも知れません。
もう一つの気になる異筆で法華経巻頭にある「帯石山普門寺奉納」の文字であった。
これは巻頭に別の金泥紙に書かれ切り貼りされている。これは後世の人の所作と思われます。
この紙をはがすと本来の奉納寺が書かれているか、何も書かれていないかでしょう。
また現在の普門寺寺紋は
であり、所謂「菊水紋」でありこれは千種忠顕が主君の後醍醐天皇から拝領された紋となります。
ただ普門寺の千年以上の歴史の中でどなたかが間違ったか本来の菊水紋は、「水が左から右に流れる」図で
すが、当山は反転しています。
ただ、南朝後醍醐天皇とその忠臣千種忠顕との関連をさらに深くします。
まだまだ研究が必要です。
【千種忠顕奉納 金泥法華経末尾】
千種忠顕の名のある法華経末尾の奥書である。
法華経典そのものは八巻から成立しており、八巻が納められる専用の木箱にある。
千数百年を経ているか何度も何度も修理した後が見受けられた。現在の法華経本体も金泥紙が所々、はがれかかって
おり早急な修繕が必要である。専門家に修理の依頼をせなばならないでしょう。
本題に戻り、この法華経八巻が果たして「千種忠顕奉納金泥法華経」であるか否かであるが当方は素人なので判断は
できない。実態として、
① この「奉納金泥法華経」は三人の筆跡が確認される。
まず本体の法華経部分はとても達筆で末尾の千種忠顕の奉る文とは異筆であるので本体を書いた人は別人なので
あろう。本来、金泥法華経を書こうとすると一文字を記すと起立三拝を要すとするので、千種忠顕が僅か2ケ月で
書いたとは思えない。
次に末尾の千種忠顕の書とされるものが異筆である。花押はない。
これが本物であれば【千種忠顕奉納 金泥法華経】は重要文化財級となります。
ただ気になるのは同じ年代の千種忠顕の筆跡と花押は
であり一致しないが、発給文の字と神に北朝討伐を祈願した法華経の奥書の文字が正式であるかも知れません。
もう一つの気になる異筆で法華経巻頭にある「帯石山普門寺奉納」の文字であった。
これは巻頭に別の金泥紙に書かれ切り貼りされている。これは後世の人の所作と思われます。
この紙をはがすと本来の奉納寺が書かれているか、何も書かれていないかでしょう。
また現在の普門寺寺紋は
であり、所謂「菊水紋」でありこれは千種忠顕が主君の後醍醐天皇から拝領された紋となります。
ただ普門寺の千年以上の歴史の中でどなたかが間違ったか本来の菊水紋は、「水が左から右に流れる」図で
すが、当山は反転しています。
ただ、南朝後醍醐天皇とその忠臣千種忠顕との関連をさらに深くします。
まだまだ研究が必要です。