山口県周防大島物語

山口県周防大島を中心とした「今昔物語」を発信します。
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ハワイ出稼契約番号順名簿 明治18年官約移民2回船 6月17日ホノルル着

2023年09月17日 16時22分26秒 | ハワイ出稼者契約番号順名簿(官約移民)
第二回船 名簿

第一回船 東京市號に後るること四か月、明治18年(1885年)6月17日ホノルル着の山城丸で来布した
人達の契約場番号契約、行先地、月給等は下記の如くである。下記の名簿中注意を要する事は「明治何年
何月何月渡米」または「明治何年何月何日帰国」と記入されていても居てもそれは必ずしも本人が渡米また
は帰国したこと意味せず、三ケ年に亘る二割五分の月給積立金の払い戻しを受ける方便として、総領事館へ
渡米または帰国の手続きをしたのが記録に残っているのである、尤も実際に渡米、または帰国した者が
相当あったことも事実である。【官約日本移民布哇渡航五十年記念誌(布哇時事社1885年発行)】より

一回船は多くの大島郡人が乗っていましたが二回船には殆どいません。
官約移民が始まった時の布哇(ハワイ)全島の人口は八万五百七十八名と1884年人口調査に現れて
います。
  『カラカウア王治下の布哇王国政府は1884年(明治17年)全島的に人口調査を行ったがその結果
   ホノルルの人口は合計20487人で男子12671名、女子7816名であった翌1885年2月18日発表された。
   また、オアフ島全人口は28068名、ハワイ島24990名、カウアイ島とニイハク島は8935名、
   モロカイ島とラナイ島で2614名、布哇国全部で80、578名であった。【五十年誌】』

白人が経営する労働集約産業である砂糖製造現場に日本人が送り込まれたのである。
数千人単位で送りこまれ、後の自由移民や呼寄せ移民時代が続きハワイ人口の四割方を占めるに至り
戦前までほぼ日本国が現出していたのであるから、右も左も分からない土地ではなく、日本語が通じ
日本食があり日本の習慣が持ち込まれたジャパンアイランドが出来上がっていきました。

雇用契約番号      姓名(NAME)              月給(弗)        付属情報(本籍・勤務先等)

713番    江端 貞八夫妻        Sadahachi Ebata P.     9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治23年10月16日帰国
714番    石田 富太          Tomita Ishida        9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治22年6月帰国
715番    高橋 庄次          Shouji Takahasi       9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
716番    羽田 栄八          Eihachi Hada        9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治22年3月7日帰国
717番    須貝 久次          Hisatugu Sugai       9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治22年6月帰国
718番    鈴木 竹二郎         Takejiro Suzuki       9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治26年7月9日帰国
719番    傳 輿四郎          Yoshiro Den        9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治28年3月14日死亡
720番    津野 岩蔵          Iwazo Tuno        9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治21年6月帰国
721番    今井 清松夫妻        Kiyomatu Imai P.     9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治26年7月帰国
722番    織田 松蔵          Matuzo Oda        9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治21年6月帰国
723番    織田 直蔵          Naozo Oda        9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治21年6月帰国
724番    白井 金蔵          Kinzo Shirai        9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
725番    八幡 丑蔵          Ushizo Yhata       9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治21年6月帰国
726番    菅澤 福松          Fukumatu Sugasawa    9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治25年10月20日渡米
727番    吉村 富次郎         Tomijiro Yosimura      9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
728番    堀 幸三郎          Kouzaburo Hori      9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治25年8月2日帰国
729番    長谷川 富二郎        Tomijiro Hasegawa     9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
730番    渡邊 直次郎         Naojiro Watanabe     9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治23年4月7日帰国
731番    皆川 伊右衛門        Iemon Minagawa      9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                          明治21年8月帰国
732番    小坂井 保蔵         Yasuzo Kozakai      9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                          明治35年5月24日帰国
733番    高橋 乙次郎         Otujiro Takahasi      9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治21年12月帰国
734番    長谷川 三吉         Sankichi Hasegawa     9$   ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治23年4月5日帰国
735番    伊藤 惣四郎         Sousiro Ito        9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治26年7月帰国
736番    平田 清次          Kiyotugu Hirata      9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治27年10月5日帰国
737番    萩間 春松          Harumatu Hagima     9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
738番    佐藤 助次郎夫妻       Sukejiro Sato P.     9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                         明治26年7月9日帰国
739番    川崎 平八          Heihachi Kawasaki    9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
740番    見上 新六          Shinroku Mikami     9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                        明治26年6月帰国
741番    島田 戸一郎         Toichiro Shimada     9$    別名 田中 幸太郎
                                        ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                        明治26年7月9日帰国
742番    長谷部 虎松         Toramatu Hasebe    9$    ハワイ島ヒロ砂糖会社
                                        明治26年11月12日ホノルルで死亡
743番    山口 忠蔵          Cyuzou Yamaguchi   9$
744番    金子 松蔵          Matuzo Kaneko     9$
745番    中村 梅吉          Umekichi Nakamura   9$    カウアイ島コロア砂糖会社
746番    内田 清作          Kiyosaku Uchida    9$     
747番    大久保 荘吉         Shoukichi Okubo    9$    カウアイ島コロア砂糖会社
                                       妻テイ、女サワ、
                                       神奈川県高産郡海老名村
748番    欠番
749番    茂木 直蔵          Naozo Mogi      9$    カウアイ島コロア砂糖会社
                                       明治30年2月20日帰国
750番    樺澤 利一郎         Riichiro Kabasawa   9$    カウアイ島コロア砂糖会社


ハワイ出稼契約番号順名簿 明治18年官約移民1回船 2月8日ホノルル着

2023年09月17日 06時09分05秒 | ハワイ出稼者契約番号順名簿(官約移民)
雇用契約番号      姓名(NAME)              月給(弗)        付属情報(本籍・勤務先等)

651番    鶴谷平吉夫妻        Heikichi Turuya P.     15$   カウアイ島キラウエア
652番    荒川品蔵夫妻        Shinazo Arakawa P.   15$  妻トヨ、男直太郎 カウアイ島キラウエア
653番    新田光平夫妻        Mituhei Nitta P.     15$   妻ケフ、皃傳一、カウアイ島ケリア   
654番    岡村弘吉夫妻        Hirokichi Okamura P.   15$   山口県大島郡小松村
                                  (注・この人がハワイに小松村の分村を作るとし
                                   尻込みする大島郡人を叱咤激励し大島移民の
                                   原動力となる。娘は「ハワイ報知新聞」社長       
                                   夫人で同社設立資金は弘吉が出したとされる)
655番    藤本清一          Seiichi Fujimoto      9$   カウアイ島ケアリア
656番    中澤勝治郎         Katujiro Nakazawa     9$   ラナイ島
657番    辻 国松          Kunimatu Tuji       9$
658番    岩瀬勘助          Kansuke Iwaki       9$   カウアイ島ケアリア
659番    廣津菊次郎         Kikujiro Hirotu       9$   カウアイ島カパア
660番    山根常助          Tunesuke Yamane     9$    
661番    菊川金蔵          Kinnzo Kikukawa      9$   カウアイ島キラウエア
662番    西上倉次郎         Kurajiro Nishigami     9$   カウアイ島ケアリア
663番    竹中種蔵          Tanezo Takenaka     9$     
664番    欠番
665番    林 勝蔵          Katuzo Hayasi      9$    カウアイ島ケアリア
666番    吉岡源次郎         Genjiro Yoshioka     9$
667番    川崎喜代蔵         Kiyozo Kawasaki     9$   山口県大島郡久賀町、カウアイ島ケアリア
                                      (注・後の川崎旅館館主)
668番    大元友次郎         Tomijiro Omoto      9$    ラナイ島
669番    藤谷 伊作         Isaku Fujitani       9$    カウアイ島キラウエア
670番    岸本利助          Risuke Kishimoto     9$
671番    緒方甚蔵          Jinzo Ogata       9$    カウアイ島ケアリア
672番    川手大吉          Daikichi Kawate     9$     カウアイ島ケアリア
673番    近藤儀三郎         Gisaburo Kondo     9$     
674番    国末菊次郎         Kikujiro Kunisue     9$     リフェ耕地 岡山県
675番    小池和喜松         Wakimatu Koike     9$     リフェ耕地 岡山県
676番    犬飼傳蔵          Denzo Inukai       9$     リフェ耕地 岡山県
677番    田村要三郎         Yozaburo Tamura    9$    岡山県和気郡衣笠村 リフェ耕地
678番    鶴見熊太郎         Kumataro Turumi    9$      リフェ耕地 岡山県
679番    江田勝次郎         Katujiro Eda       9$     リフェ耕地 岡山県
680番    上田輿吉          Yokichi Ueda      9$      リフェ耕地 岡山県
681番    鹽尻長兵衛         Chobei Shiojiri     9$      リフェ耕地 岡山県
682番    中島新之助         Shinnosuke Nakajima  9$      リフェ耕地 岡山県
683番    明石森吉          Morikichi Akasi     9$      リフェ耕地 岡山県
684番    山下直三          Naozo Yamasita     9$     リフェ耕地 岡山県
685番    田中喜多治         Kitaji Tanaka      9$      リフェ耕地 岡山県
686番    田中善之助         Zennosuke Tanaka    9$     リフェ耕地 岡山県
687番    溝口清代二         Kiyoji Mizoguchi     9$   カウアイ島リフェ耕地 岡山県御津郡横井村富原
688番    河本十七三         Tonami Kawamoto    9$     リフェ耕地 岡山県
689番    松浦利吉          Rikichi Matuura     9$     リフェ耕地 岡山県
690番    林武兵次          Buheiji Hayasi      9$     リフェ耕地 岡山県
691番    片岡利八          Rihachi Kataoka     9$     リフェ耕地 岡山県
692番    本郷岩吉          Iwakichi Hongo     9$      リフェ耕地 岡山県
693番    山本林蔵          Rinzo Yamamoto    9$      リフェ耕地 岡山県
694番    本郷慶蔵          Keizo Hongo      9$      リフェ耕地 岡山県
695番    原田利喜造         Rikizo Harada      9$     リフェ耕地 岡山県
696番    菱川定吉          Sadakichi Hisikawa   9$      リフェ耕地 岡山県
697番    島村土太郎         Tuchitaro Shimamura  9$      リフェ耕地 岡山県
698番    松阪鐵吉          Tetukichi Matusaka   9$      リフェ耕地 岡山県
699番    安藤善三郎         Zenzaburo Ando    9$      リフェ耕地 岡山県
700番    河合鶴六          Tururoku Kawai     9$      リフェ耕地 岡山県
701番    黒田権太郎         Gontaro Kuroda    9$      リフェ耕地 岡山県
702番    谷為三郎          Tmesaburo Tani    9$      リフェ耕地 岡山県
703番    竹越春吉          Harukichi Takegosi   9$      リフェ耕地 岡山県
704番    松本源次郎夫妻       Genjiro Matumoto P.  9$      リフェ耕地 岡山県
705番    近藤春吉          Harukichi Kondo    9$      リフェ耕地 岡山県
706番    平井源太郎         Genntaro Hirai   9$      リフェ耕地 岡山県
707番    田村甚太郎         Jintaro Tamura    15$  岡山県和気郡衣笠村 カウアイ島リフェ耕地
708番    守屋佳三郎         Keizaburo Moriya   9$       リフェ耕地 岡山県
709番    小山勘平          Kanbei Oyama    9$       リフェ耕地 岡山県
710番    杉山厚近          Atuchika Sugiyama  9$       リフェ耕地 岡山県
711番    三保伊助          Isuke Miho      9$      ハワイ島パウハウ
712番    上村利之助         Rinosuke Uemura  20$      
未詳     青木リヨ          Riyo Aoki           山口県大島郡森野村 ハワイ島ワイナク
未詳     飯田竹造          Takezo Iida          兵庫県神戸市中山手通 妻ヒサノ
                                    長男筍太郎、次男英治、カウアイ島キラウエア

【第一回船来布者は以上終わり】

『源三注・契約番号は二月八日に到着した二日後の1885年2月10日付でなされており、三年契約となっている。
独身者は概ね9$、夫婦供働きは概ね15$であるが、個々の事情により若干相違がある。出身地毎に纏まって
入植しているようである。初回の人達は掘っ立て小屋を作ることから始めなくてならない過酷な条件であった。
雇用契約番号は二回船以降も連番となっているのでホノルルで払いだされたものと思われます。帰国費用を
使わないように一定額をハワイ日本領事館が天引きし預託させていたので、日本領事館は第一回からの個人
情報はすべて取り扱っていた。帰国、入国、婚姻、出産、養子縁組、死亡等の戸籍情報の管理とあくまで移住
者ではなく出稼ぎ者であるので、日本人として徴兵検査のため帰国の指示もしています。
もっとも、領事も一回船で赴任するので多忙を極めたでしょう。一回船になぜか捨て子が一人紛れ込んで
いたのでホノルル着の時、人数が合わず大騒ぎになったが、子供が育てられない夫婦が知り合いに頼んで
乗り込ませたものと分かりお灸をすえられて後日、子供のみ日本に送り返したとのエピソードがあります。
二回船以降はまた・・・・』

     
 

                                

防長人物百年 小田村信之進

2023年09月17日 04時44分55秒 | 長州医家 重宗家 山根家 秋本家 物語

これも防長医家 重宗家 山根家 秋本家の中の関係者で長州藩の医師伊達道伯(道延)の息、
小田村信之進について語りましょう。

 小田村信之進

名を敬一に惜行と云、長藩の医師伊達道延の長男となるがその家業を継ぐことを嫌い、同藩
小田村何某の養子となる。この人身の丈すぐれて高く、力量あり、しかもその性僕直にして
読書を好み、剣道の達人たり、文久三年の夏、藩主攘夷の勅諚をかしこみ、赤間が関に漕寄
せたる異船を討つ、時に信之進は明倫館中に物学びしてありけるが、概然として案を拍ち、
かねて文武両道を修行せしは、今日の為なりといひ、その筋に上書して兵隊に加えられん事
を請いけるに、速やかに聞き届られ、すなわちかしこに馳せ作き、必死となりて相戦う、
かかる折しも、都より七卿防州三田尻に下向あり、信之進等命を受けて、その旅館を護衛せ
り、されど先に奇兵が禁闕守衛の任をとかれし事を憤り、遂に十が月の始めころ、川上弥一
郎等八人と、血をすすりて盟約し、沢宣嘉に附従い、三田尻より但馬に赴き兵を挙げしに
討手の勢に攻め立てられ、妙見山に分け登り、臂を攘げ歯をくいしばり喉に刃を貫てうせぬ。
實に十四日のこととかや、年二十六と聞ゆ、後、沢宣嘉帰京の折、こがね若干を其の家に
つかわしたりなん。
 明治三十五年十一月八日、特旨を以て従五位を贈らる。


源三注 (小田村信之進の親族でもある周防大島町屋代の高城 俊氏所蔵の系図には
     父伊藤道延を伊藤道伯と記述せり、また「防長人物百年史」は道延長男と
     しているが、同家所蔵の系図には次男とあり、長男は静造と云い、
     大楽源太郎殺害容疑で家督を継げず別家内海家を建てるとある。
     長門忌宮宮司・古曽原に漢学塾開塾とも。子は内海幸太郎氏

     明治維新直前の但馬生野事件として有名である、主、沢宣嘉氏については
     別頁を設ける予定です。明治維新の記録となります。)



防長人物百年 山根正次

2023年09月16日 09時26分55秒 | 長州医家 重宗家 山根家 秋本家 物語
防長医家 重宗家 山根家 秋本家の中で東京医科大学設立者山根正次について「防長人物百年史」は
山口県らしく東京医科大学設立には触れず国の医学行政の功績を主として書かれている。曰く、

山根正次氏 (衆議院議員正五位君三等)

 萩氏香川津の出身、萩藩士山根考中氏の次男として安政四年十二月二十日生る。
幼名を吉太、後に正次と改む。殿山と号し詩文を能くす。十七歳にして長崎に出で洋学を修め、明治
十五年東京大学医学部を卒業し長崎医学校(後の長崎医学専門学校 現長崎医科大学)教授に任ぜられ
長崎県立病院内科医長を兼ね、同十八年コレラ病大いに長崎に蔓延す。氏は長崎県検疫委員を兼ね、
死体解剖を行う二十余屍体に及び、コレラ病を検診し「虎列拉病汎論」を著述せり、また本邦に於ける
コレラ病菌発見の嚆矢なり、また水道施設の必要を唱え遂に之を実行す。実に水道敷設主唱者の元祖に
して、爾来長崎港は悪疫の流行を免れるに至れり、同十九年清国艦隊の長崎上陸、水兵本邦巡査を傷く、
氏が概然国際医学上の初見を発表し、時の司法大臣山田顕義伯に我法律上に於ける医学的知識の不備を
建言するや、時の政府また之を偉とし、同二十年氏をして法医学研究の為、仏、墺、伊、英、瑞の各国
に歴遊せしむ在欧五年に及べるが、その間第十回万国医会の独逸(ドイツ)伯林に開かれるや、日本の
医師を代表して同会に臨み、明治二十四年帰朝するや、警視庁医長に任ぜられ爾来十余年間、専ら帝都
の衛生行政に当たり功績不滅なものを残せり。

 明治三十三年仏国巴里世界博覧会に官命を奉じ出席、万国法医学名誉副会頭並びに万国体育会日本
委員に推さる。帰朝後本邦医会の公私諸会の委員または顧問等に推されて活躍し、同三十五年八月
山口県より衆議院議員に推されて当選し、更に東京市参事会員に推され市会議員に当選、衛生常設
委員長、学務委員長等に推されて功労あり、爾来二回山口県より衆議院議員に当選、同四十一年五月
東京市より衆議院議員に選出され、斯くて前後六回衆議院議員に選ばれたるが、その間正五位勲三等
に叙さる。大正十四年八月二十九日病逝 享年六十九。
著書に「実用検毒学」「赤痢予防論」「日本体育論」「禁酒論」「禁烟論」「医権論」等多くあり。

小松町誌  昭和11年発行 10

2023年09月16日 05時27分01秒 | 昭和11年発行 【小松町誌】

       (十二) 明治維新以後

 明治二年岩国県知事に吉川経健公、山口県知事に毛利敬親公が任ぜられ、同時に一般に氏名が許された。
仝四年十月旧県を廃して防長両国を合して山口県と称し、その時より神社の社格が改正され、戸籍が訂正
された。仝五年より六年にわたり始めて地検地価の修正が行われた。仝七年県治分区に際し、大島郡は
第一大区となり、小松は第二小区となり、庄屋を戸長とし、その事務所は開作金屋町におかれた。
仝八年第十小区に改正され、仝十二年区制を廃止、郡村制の実施にあたり、

 志佐村、笠佐島、小松開作、小松村 

の四行政区画に分かれ、各区戸長が公選されていたが、仝十七年この四ケ行政区を合併して小松組戸長
役場と称し、事務所を開作小方に設けて執務した。かくて明治二十二年四月町村実施にあたり、四ケ村
を合併して小松志佐村と改称し始めて自治団体の村役場を置き村内一円の政務を執ることになった。
次いで大正五年六月一日町政を施行し小松町と改称したのである。

(源三注・庄屋から戸長に変更された当初は勿論役場がないのでそれぞれの戸長の自宅で執務していました。
     郡役所(勘場)は久賀にありましたが、四境の役で幕軍によって焼かれましたので東屋代に移転
     していました。大島郡の全戸長は屋代の郡役所と連携しました。郡役所を再度久賀に戻せとの
     大騒動は後のことです。戸長の最初の仕事は明治新政府の資金を集めるため地券(土地権利書)
     を発行して地税(現在の固定資産税)を徴収することでした。そのためには権利者の確定の為
     戸籍作成(壬申戸籍)に従事しました。初代戸長は元々は江戸期の庄屋ですので、土地の境界
     や家族構成、親族関係、士農工商身分、全軒・半軒・四分一、盲土百姓等の区分は分かっている
     ので明治検地と壬申戸籍編成には適任であった。戸籍の作成は富国強兵の為の徴兵制への基本
     情報ともなりました。この戸籍が現在、身分部分を除いて「改正原戸籍」となり相続時の公的
     史料となり、またルーツ研究の最初の史料ともなりました。)


       (十三) 地名の変遷

 古代以来、小松町となるまでの地名を要約すれば左の如し

大古                 大島国
                    ↓
郡領時代(大化改新以降)       屋代郷
                    ↓
庄時代(王朝より豊臣」時代迄)    屋代庄(小松を含む)
                   志佐
                    ↓
寛永時代               大八代(小松を含む)
                   志佐
                    ↓
慶安四年               大屋代庄(小松を含む)
                   志佐
                    ↓
元禄時代               屋代村(小松を含む)
                   志佐村
                    ↓
享保時代               屋代小松村
                   志佐村
                    ↓
天保時代               小松村(この頃初めて小松村が独立す) 
                   志佐村
                    ↓
廃藩置県の際             小松村
                    ↓
大小区制当時(明治七年)       小松村
                   小松開作村
                   笠佐島
                   志佐村
                    ↓
町村制実施当時(明治二十二年)    小松志佐村
                    ↓
大正五年六月町政施工         小松町



(源三注 後に小松町は台風被害で小松中学校が大破し同様な被害を受けた屋代村と中学校再建のため両村が
     資金都合のため合併し大島町(旧)となった。この学校が現在の大島中学校(周防大島中学校では
     ありません)です。更に、平成の大合併により大島郡の四町が大合併して現在の『周防大島町」と
     なったことは周知の通りです。