伊予大津(大洲)宇都宮家家老、大野上総介右衛門大夫直之は大野家古来の地である
菅田に城を構えたので菅田直之とも称された。その子孫が戦国末期に紀州徳川家への
仕官が叶い紀州徳川大野(菅田)家として存続します。徳川家は明治維新により朝敵
とされ証拠隠滅の為か歴代分限帳が見つかりません。和歌山県立図書館は復元に努力
していますが、散逸した資料を元に作られていますので整合性が分かりません。
こちらも関係者の投稿をお待ちします。
紀州徳川藩大野(菅田)家略系図
先々代
大野上総介右衛門大夫直之(伊予大津城主)
先 代
大野半(吉)右衛門直綱
初 代
菅田(大野)吉右衛門直偆 (紀州徳川頼宣公へ仕官)
二代目
菅田吉右衛門豊直
三代目
菅田九郎右衛門直正
四代目
菅田平右衛門直矩
五代目
菅田茂左衛門包朝(養子)
六代目
菅田九郎右衛門直次
七代目
菅田茂一郎直行
以下不詳
菅田に城を構えたので菅田直之とも称された。その子孫が戦国末期に紀州徳川家への
仕官が叶い紀州徳川大野(菅田)家として存続します。徳川家は明治維新により朝敵
とされ証拠隠滅の為か歴代分限帳が見つかりません。和歌山県立図書館は復元に努力
していますが、散逸した資料を元に作られていますので整合性が分かりません。
こちらも関係者の投稿をお待ちします。
紀州徳川藩大野(菅田)家略系図
先々代
大野上総介右衛門大夫直之(伊予大津城主)
先 代
大野半(吉)右衛門直綱
初 代
菅田(大野)吉右衛門直偆 (紀州徳川頼宣公へ仕官)
二代目
菅田吉右衛門豊直
三代目
菅田九郎右衛門直正
四代目
菅田平右衛門直矩
五代目
菅田茂左衛門包朝(養子)
六代目
菅田九郎右衛門直次
七代目
菅田茂一郎直行
以下不詳