山口県周防大島物語

山口県周防大島を中心とした「今昔物語」を発信します。
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原発処理水は本当に問題なの?

2023年08月25日 06時24分38秒 | 談論風発
福島原発の処理水の希薄化放水が始まりました。
これに韓国野党と中国共産党は反対として、中国は日本の水産物全面禁輸としました。

日本のマスコミは「大変だ大変だ」と漁民の声を伝えています。

これらは全て政治・政局がらみです。

中国は半導体関係の禁輸と台湾擁護への嫌がらせの一環のキャンペーンです。
韓国は日本よりの現政権への非難キャンペーンに利用しています。

日本のマスコミは温度差がありますが、毎日、朝日、赤旗は、反自民党政権へのキャンペーン
の一環ですね。読売、フジ産経は中立ですね。NHKはデイレクターの個人的主義により変わります。(番組によりトーンが違います。現場は左派ですが経営陣は右派です。中立公正公平ではありません、公共放送と言えない所以ですね。)
どの情報を重視するかで視聴者の判断が変わります。

今回の放水のトリチウムの数倍を現在も中国と韓国の原発は垂れ流してしますが、
中国当局は通常稼働原発のトリチウムと事故原発のトリチウムは違うと言う迷説明をします。
さすが道教の国です。迷信も主義主張のうちです。科学と迷信を共存できる国です。

しかし、これで日本国民は安い水産物が手に入ることになります。
輸出に回っていた魚が国内に流通します。韓国民も沿岸の魚を食べないでしょう?から日本の
商社は低価格で買付できます。
北太平洋の大半が汚染されるとする中国共産党はサンマ等の回遊魚の漁を禁止するでしょう。
禁止しなけでば、共産党中央は嫌がらせの禁輸をしたことの証となりますね(笑)

そうすると300円のサンマが昔の100円まで下がるでしょう。
本当に中国漁船は出漁を止めますかね?
北京が言っても現場は別行動する国民です。さて見ものですね。

日本最大の小売業のイオングループは福島県産の水産物に今まで通り厳格な検査はするが
問題がなければ今まで通り全国の水産物・農産物をお客様に提供しますとわざわざHPで
発表しました。これほど福島漁民への応援歌はないでしょう。

そもそも問題の根源の福島原発の爆発は当時の政権である民主党の管直人政権の判断ミスです。福島で処理に当たっていた原発所長は「却水が供給できなければ爆発するから、一兆円の
原発施設をダメにしても海水をポンプで注入させてください」と必死に訴えていました。
このやり取りは当時、生中継で現地と東電本社を結んだ回線映像で全国のテレビで流れて
いたので国民の多くは覚えているでしょう。所長の必死の訴えに対し東電社長は「官邸(民主党)が直接指示するので勝手に判断できない」としました。こうしていたづらに時間がかかるなかで最初の爆発が起こりましたね。東電内だけなら海水注入ができていたでしょう。

当時、菅直人首相は私は東京工業大学の出身だから原子力には強いとと言っていましたが彼が勉強したのは原子力とはなんの関係もありませんでした。おまけに現場対応に不眠不休の現場の視察に行くと言い出しさらに現場を混乱に追いやったことは、テレビ中継をみた国民は覚えているでしょう。彼は親の仕事上、宇部高校にいたので、山口県出身とするメディアがありますが彼は岡山県出身です。当時、宇部高同級生がはしゃいでいましたね。

民主党が一兆円をけちって今、100兆円以上の後処理費がかかり続けています。
これは民主党政権のミスです。その後、自民党が復帰しましたので今の若い人は福島原発の
根源は自民党政権と思い込み岸田政権を批判しています。お角違いもいいとこです。

情報過多の現在、「そもそも論」が逆に抜け落ちるメディアが多いので気をつけないと。




伊豫『河野家分限録』

2023年08月16日 13時58分08秒 | 伊豫 「河野家分限録」
     周防大島(含平郡島)の人達で維新までに居た人たちの多くは伊予からの移住者です。
     下記分限録にある同姓の人は伊予が先祖の地となる人たちでしょう。【屋代・注】

       『河野家分限録』

 源三注 【この分限録はあくまで分限録であり、河野家勘定方が記録した、分限帳ではない、
      色々な時代の散逸した記録を繋ぎ合わせて分限録の形を整えているので要注意。
      また江戸初期の記録も追補されているので史実と合致しない表現もあります。
      史実と違う所はご指摘を頂きたい。
      さりながら、河野家の家臣団を網羅した資料は他に見当たらないので、研究者ら
      は頼らざるを得ない。尚、南予の人達を河野家家臣とするには無理があります。
      尚、謄写をした乗松氏の手が入っています。 】

      
      伊予守(牛福)通直 天正3年(1575)時代の分限録     
      校訂 長山源雄氏 伊予史料叢書第一集   
      「弾正正弼通直  享禄3年(1530)代も存在するが、
      河野氏末期の、最後の当主(牛福)通直の時代の家臣団を謄写する。                  

 謄写 乗松 昭平    

<注>本文側の( )は校訂者長山氏の注、{ }は得能通貴本による異同を表す。「 」は乗松の注。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・              

  予州風早郡高縄山城主 温泉郡湯月御在城   
河野伊予守越智朝臣通直卿御内       
始四郎殿ト云、中頃号二兵部大輔一{後号二伊予守一} 

    御一門三十二将之事             

枝松太郎光栄 由並壱岐守通賢{資} 栗上左衛門尉通妙              

栗上因幡守通宗  栗上但馬入道通閑 別府宮少輔通興 

大祝日向守安勝  垣生加賀守盛周  大野山城守直昌 

村上掃部頭武蔵  村上備前守吉光  村上出雲守通康 

忽那式部少輔通著   得居半右エ門尉通久     

大内伊賀守信泰  平岡遠江守通倚  南美作守通師  

土居兵庫守通建  松末美濃守通為  久枝肥前守宣盛 

桑原三郎兵衛本書虫食名乗不知{泰国}  戒能備前守通森 

今岡民部大輔本書虫食名乗不知     中川常陸守通任 

重見弥{孫}七郎通俊  正岡右近太夫経政       

黒川美濃守通博  和田山城守通勝  河野左門通冬  

土居左馬介通利  櫛部肥後守本書虫食名乗不知{宣武}    

得能遠江守通能

 以上三十二人 御代々御連著御末孫 此三十二家ヨリ

御八家御寄合衆 御家老職 十八組御侍大将 御武者奉行 右御役被二仰蒙一御家筋之衆中也


 「御一門三十二将は、温泉、伊予、和気、浮穴、久米、風早、野間、越智、周布、桑村の十郡(上島、下島を含む)
 に分在し各々城砦と、居館を所持し所領を支配しており、この地域が河野氏の直接支配地であり、
 他の諸郡には直接支配が及んでいない。」           


     諸士御役付之事

御寄合衆八将

枝松太郎光栄 手勢五騎、但先祖ヨリ御陣ノ節ハ半役相勤来ル。 

由並壱岐守通資手勢十騎、此内正田若狭守、沢田氏、大森氏、小森氏此余不レ知。 

栗上左衛門尉通妙 手勢5騎

別府宮内大{少}輔通興 手勢六騎

大祝日向守安勝 手勢二十騎、越智郡三島。

垣生加賀守盛周 温泉郡高岡村高山城主、手勢十騎。

栗上因幡守通宗 松前城御陣代、{同但馬入道ト}両人ノ内、  

        手勢四騎、寄騎十騎、足軽十五人。     

栗上但馬入道道閑 右同断、手勢三騎、寄騎十騎、足軽十五人。

 以上八人 右之内御出陣之節ハ御先備御留守居。他国御加勢之節、御陣代被二仰蒙一御在城之節ハ御屋形日勤政務被^仰也。
  但、光栄、通資、通妙、通興此四人之衆ハ御組付無之故、御出陣ノ節ハ諸郡一騎合之衆預レ之。


御侍大将十八将

能島  村上掃部頭武蔵(吉)  {御軍役二十九騎}              

越智郡  御墓所芸州竹原珍海山  手勢九十騎、内海賊頭三十四
   屋代注)【誤】珍海山に葬られたのは武吉ではなく嫡男の元吉である。

     古城ニ有之、越智郡能  騎、御旗下組十五騎、外様手

     島城同郡国分山城同郡  先御船手百六十余騎、以上 

     務司城三ヶ所城主    二百六十余騎・三百余騎の違

備後国因村上備中守吉光    手勢八十五騎、御旗下組二十

島城主  因島青木{垂井}城野間郡 二騎、外様手先御船手百六十

野間郡高 武相天城和気郡九折葛城 余騎、以上二百六十余騎  

仙城主 三ヶ所城主 2項のは村上備前守とあり」


来島城主村上出雲守通康  御軍役手勢三十騎、手勢七十八騎 

     野間郡来島城越智郡 内海賊頭三十二騎、御旗下組十四 

     平地島城野間郡怪島 騎、外様手先御船手百八十余騎、 

     城同郡高仙山城四ヶ 以上二百七十余騎        

     所城主                       

下島泰山忽那式部少輔通著手勢十六騎軍陣{舟}八騎{艘}御城主     
                 下組五騎、合二十四騎                                   

風早郡 得居半右衛門衛通久 手勢五騎、軍船五艘、御旗下但 

恵良城主           組)十六騎、合二十一騎      

和気郡 大内伊賀守信泰  手勢九騎、御旗下組九騎合十八騎 

塩森城伊座城二ヶ所城主                     

浮穴郡 平岡遠江守通倚  手勢十五騎、御旗下組九騎、合二 

棚居城新作城生子山城三ヶ所城主  十四騎            

風早郡 南美作守通師   手勢八騎、御旗下十八騎、合二十 

横山城主           六騎               

久米郡 土居兵庫頭建通{通建} 手勢八騎、御旗下組八組(騎)

土居城主             十六騎            

温泉郡 松末美濃守通為  手勢四騎、御旗下組五騎、合九騎 

松末館同郡桑原城主                      

和気郡 久枝肥前守宣盛  手勢六騎、御旗下組七騎合十三騎 

安城寺館同花見山城(主)                    

桑村郡 桑原三郎兵衛泰国 手勢六騎、御旗下組三騎、寄騎十

鷺森城主         五騎、足軽十五{五十}人、合二十四騎              

浮穴郡 戒能備前守通森  手勢十騎、御旗下組十四騎、

大熊城小手縄城外屋森城三ヵ所城主        合二十四騎

上島  今岡民部大輔   手勢五騎、軍船五艘、御旗下組六

甘埼城主           騎、合十一騎         

越智郡 中川常陸介通任{豊佳} 手勢十騎、御旗下組十二騎、

霊山城主           合二十二騎          

同郡幸 正岡右近太夫経政 手勢十五騎、御旗下組十五騎、合

{サヒ}幸門城主        三十騎

周布郡 黒川美濃守通博  手勢二十九騎、御旗下組十三騎、 

剣山、鉢森、松尾三ヶ所城主  合四十二騎           

久米郡 和田山城守通勝  手勢十一騎、御旗下組十騎、合二 

岩伽羅城衣掛城二ヶ所城主   十一騎             

{吉山、三ヶ所}                         

                     「以上十八将」  

御侍大将十八将ノ列ニ入

桑村郡 櫛部肥後守兼武  手勢十五騎、御旗下組十三騎、合  

象森城主           二十八騎             

{越智郡 重見孫七郎    手勢不知、御旗下組無之      

明神山風早郡日高二ヶ所城主}          

 但重見孫七郎ノ祖父因幡守通種出奔ノ後、河野六十一
氏弾少弼通直公父子不快{和}之義出来、己ニ及合戦、為
通直孫七良(郎)伯父近江守通遠討死ニ依、十八将ノ列ヲ
除、其後通直公父子平和之後、孫七郎へ家督雖相立、十
八将ノ列ニ不入、依テ御旗下之組付無之、一騎合ノ列ト
ナル、

御家老衆

山方  大野山城守直昌  手勢四十五騎、御旗下粗衆三十二大除城主{久万山旗頭}     騎{合七十七騎}        

    村上出雲守通康  {越智郡久留島、手勢前ニアリ}  

    戒能備前守通森  {浮穴郡井内在城、同上}     

    垣生加賀守盛周  子孫伊予郡郷士安永与左衛門尉ト云市坪村ニ今ニアリ       

    大祝日向守安勝  子孫越智郡大三島社務大祝ト云テ

               今ニアリ 「以上五人」    
5

御船大将

村上掃部頭武蔵(吉)  {侍大将兼帯}子孫防州三田尻地頭村上氏ナリ 
            【源三注 三田尻の地頭ではなく毛利家御船手組頭です。】 

村上備中守吉光  {同上}子孫野間郡佐方村郷士村上氏トテ今ニアリ      

村上出雲守通康  御家老職併御侍大将兼帯     

                 「以上三人」   

「10P、11Pの、御旗下組衆、の項には、忽那式部少輔通薯、得居半右衛門尉通久、共に御船大将兼帯と、記載あり、
又下記、得能遠江守追能と元本通り記載したが、
通能の間違いであろう」

御旗本武者奉行

   河野左門通冬   {和気郡伊座ノ城主}       

   得能遠江守追能  {浮穴郡白石城手勢二十騎、八倉城

              久米郡石井縦淵城ヲ兼ル}     

土居左馬介通利  {久米郡土居城浮穴郡高井城ヲ兼ル 

         以上 非役ノ節大名分         

御足軽大将衆十五人

三好長門守秀慶本書虫食不知、村上内蔵太夫吉高     

佐伯河内守惟重      渡部但馬守長綱      

井門宗左衛門尉義安    東虫食不知{河内守}宗吉   

仙波左馬助虫食不知     津之亀吉イ津々亀谷斎宮通高、

白石斎宮イ津々亀谷イ高通景      虫食不知       

     虫食不知      宇野隼人正識弘      

大野佐渡守イ貞重虫食不知  二神豊前守重直      

中 石見守通言{吉}     重松豊後守イ宣久虫食不知  

安永能登守虫食不知

         以上十五人、御足軽一組二十五人宛    

6

御旗奉行

仙波大炊介貞俊   大西弾正忠通良虫食家名不知  

    騎馬三騎、足軽十五人宛預之  以上        

御鎗奉行

垣生治右衛門尉   乗松 内蔵允       

   但、騎馬二騎、足軽十人宛預レ之       

御使番 十八森衆

  村上左衛門五郎頼方羽州米沢城主村上彦四郎頼光八代稲井伯耆守嫡男、芸州村上氏、稲井氏多クハ此子孫也。         

  東 河内守   土岐荒五郎   白石新太郎   

  野口源四郎   田中 左近   栗木 将監   

  玉井民部之亟  久保 帯刀   筋違 七郎   

  福角 太郎   田所内蔵介   矢野左馬允   

      此外ニ五人虫食不知              

  以上十八人御出陣ノ節ハ森ノ字差物也。是ヲ十八森衆ト云ウ。 

大目付

  村上 神助   栗上左近将監  宇佐美伊賀守  

御小姓衆

  長野四郎兵衛 得居弥市郎イ孫 高松五郎三良{郎}  

  作道左衛門尉 小阪掃部允   松田右近イ左    

  高井 宮内  田窪小太郎   岡田 将監    

  宇野 民部  寺町 兵庫  以上十一人  7

御納戸頭衆

  武智九郎兵衛 此子孫久米郡久米村庄屋ニ代々武智九郎 ト云ウアリ            

  新居左京允                以上        

御同朋{門}頭

  平井幸阿弥  白井信阿弥  以上、此組衆十五騎 

御勘所頭衆{定}

  白井五郎左衛門 小川右衛門四郎 小千大学イ越智 

以上        

御台所頭衆

  難波内蔵介  井上釆女  以上七人内五人虫食不知

御祐筆頭衆

  石崎 監物  大内梅雲{雪}  宮山兵庫 以上

御横目衆

  拝志四郎兵衛  吉{本}田右衛門  今井 宗悦   

  松木源右{左}衛門 長沢虫食不知{左近} 高橋 藤馬  

 佐川{伊織 小泉{刑部 佐島{勘太夫 高野{小太夫 

 早川{渉  高部{帯刀               

       以上十二人、御小人二十人宛預レ之  

御前様付衆

  松田美作守久米郡今在家村松田庵ニ美作守墓所有レ之   

        子孫代々松田次郎左衛門ト云百姓今ニ在り。  

  中西大隈守                   

春禅院様付衆

  長井三郎左衛門   沼田大膳允         

        (右御役付之衆也)          

8

柳原殿 柳原館 手勢四十騎{五}           


御侍大将十八将之内御船大将兼帯          

村上備中守吉光{旗下組衆}              

 村上弾正景広  村上山城守顕吉  村上河内守吉継 

 久我兵衛次郎吉利    興居島城主村上信濃守弘正  

 千種三良吉兼 村上三郎左衛門吉住 村上備前守吉之 

 村上修理太夫吉房 村上大炊介吉国 村上監物大良  

 村上内蔵太夫吉高 大内伊賀守信泰 得居兵庫介通光 

 北畠大膳吉成 村上神之助吉久 村上左衛門五郎吉俊 

 村上源三郎武備 工藤伊勢守経泰    以上十九人 

御旗下組衆

 南山城守{手先組衆}  波頭長門守経行 末永常陸介 

 磯原{兼}左近太夫   木谷孫三郎  白井縫殿之允 

 財間新左衛門 田所神兵衛尉 粟井玄蕃 長野藤次郎 

 磯兼出雲太夫 越智兵衛三郎 末長常吉 

 今岡木工之允 四騎不知{虫食}  以上二十二{一}騎  

譜代家臣

 大名門左近顕宗手勢二十九騎     大館縫殿介顕孝  

 塩飽八郎光長  小千左門景住  末永矢治馬吉景  

 磯兼太郎吉信  木谷弥藤治吉方  神野藤内吉種  

 津之見次郎左衛門吉興 弓山市正吉勝 庄美 六郎  

 包{一色}次郎兵衛尉吉之   津軽右衛門七郎清久  

水谷兵衛次郎吉久 垣生兵庫通住 柚山主水吉清 

田坂源五兵衛尉景久 小田十郎安治、阿曽沼源吾清能                         

安達平内光宗 大沼弥七左衛門尉吉茂、会津七良吉泰        

生口杢之進景国 長谷川良助行長  高木三郎清経  

桑名門兵衛顕親 末長七郎吉信   二{三}騎不明     

以上二十九騎 

9

 黒川十郎右衛門尉手勢外様三十余人海賊頭         

 大館文蔵  神野郷左衛門 小田七九郎  安曇軍治 

 片岡丈左衛門尉 富賀見左内 山田左内  長島八郎 

 爪生作{弥}右衛門尉 戸島権平治 永井兵部左衛門尉 

 長岡半平治 大沼太良 早川帯刀 秋山丹左衛門顕忠 

 繫崎逸平、高井左源太、松本兵庫 伊奈権左{右衛門尉     

 松田源八郎 上林八左衛門尉 高渕藤次郎 高木源吾     

 桑名紋左衛門尉顕勝 工藤五郎左衛門尉  高橋藤馬      

 柚山軍兵衛尉  飯田長兵衛尉  卜部九郎左衛門尉 

 田房杢左衛門尉 繫井長兵衛尉 三騎名不名      

    以上三十五騎、{都合二百六十八騎}     


御侍大将十八将之内御船大将兼帯          

村上出雲守通康 御旗下組衆            

 原豊前守  村上和泉守  村上越後守 村上美濃守 

 村上右衛門佐イ尉 原イ村上備後守 原六郎左衛門尉  

 原下総守 高仙城代池原近江守侍五騎、足軽二十人宛預レ之。 

 怪島城代神野左馬允侍五騎、足軽二十人ズツ預レ之。    

 和田采女正 池原左近太夫 神野弥次郎 神野又四郎 

     以上十四騎、合四十四騎此外ニ三十余人   

    海賊頭有レ之。{都合二百七十余}


御侍大将十八将之内御船大将兼帯           

忽那式部少輔通著 御旗下組衆            

 忽那新左衛門尉 忽那四郎兵衛尉 忽那豊前守イ始民  

 西久左衛門尉  矢野兵庫介  法花津四郎左衛門尉  

 武市  寺町  丹下  

     以上九騎 合二十四騎

10

御侍大将十八将内御船大将兼帯           

得居半右衛門尉通久恵良城主、得能氏、村上姓。子孫風早郡 高山村ニ居ル。代々庄屋。得居七右衛門ト云フ。 

 高田若狭守   高田三河守   尾越助右衛門尉 

 尾越四郎右衛門尉   得居兵庫介   浅海和泉守 

 久畿田四郎兵衛尉 目見田修理允  玉井備後守イ前  

 宇佐美籐三  二神隼人佐  二神孫右衛門尉     

 二神新左衛門尉  二神修理之進イ允  二神和泉守  

 二神越後守                     

     以上十六騎 {合二十一騎}          


御侍大将十八将之内                 

大内伊賀守信泰{塩森伊座、手勢九騎、御旗下衆}御旗下組衆  

 松浦籐右衛門尉  高松美濃守  栗田右衛門尉    

 福角 隼人  井上三与右衛門尉  沢田惣次郎     

 北 源左衛門尉  尾賀部{岡部}  中西虫食不知    

     以上九騎 (合十八騎)                  


御侍大将十八将之内                 

平岡遠江守通倚 御旗下組衆             

 平岡上野介  水口大炊介  錦織勘解由左衛門尉   

 武昌{イ畠}修理之允 白潟弥左衛門尉 大熊刑部之允  

 大西  和{イ松}田  田中{虫食不知}         

     以上九騎 (合二十四騎)                 


11

御侍大将十八将之内                 

南美作守通師横山城主 御旗下組衆           

 国弘源左衛門尉  末房惣五郎  宮脇新左衛門尉   

 出羽出雲守  吉原新右衛門尉 吉原{住}式部少輔    

 武任備前守  武任修理之進  井門九郎左衛門尉   

 井門大和守 行元亦四郎 苞木将監  大森孫次郎   

 鴨池新左衛門  野元式部之允  富岡相模房     

 作道{虫食不知}  富居{名不知}             

      以上十八騎 (合二十六騎)               


御侍大将十八将之内                 

土居兵庫頭通建{土居城主} 御旗下組衆          

 合{イ郷}田高阿弥  熊式部之亟  玉井肥前守    

 岸宗右衛門尉  久保{窪}田修理之助  原大蔵少輔   

 久保源左衛門尉盛恒{子孫越智郡国府ニ蟄居、後、子孫今  治ニ止ル。}               

 堀内民{式}部之亟   以上八騎{合十六騎}       

御侍大将十八将之内                 

松末美濃守通為{松末館、桑原城主} 御旗下組衆      

 得居右馬之介  井出神兵衛尉  江戸{虫食不知}   

            以上五騎{合十六騎}      
 (表題には、合九騎と記有り)

御侍大将十八将之内               

久枝肥前守宣盛{安城寺館} 御旗下組衆            

 東但馬入道、久保、西畑、小渕、前川、北川、和助 

 {和気}           以上七騎{合十三騎}

12

御侍大将十八将之内

桑原三郎兵衛{泰国}{鷺森城主}  御旗下組衆            

 福角内蔵之助  桑村左京之允  目見田

            以上三騎{合九騎}

      天正3年秋之頃、湯月殿ヨリ騎馬五騎、足軽五十人番

      手替ニテ鷺森ヘ被二差添一.是ハ近年新居郡・宇摩郡

 之衆土州一味之色見ユルニ付、両群押ヘトシテ如^是

 被二定置一也。  (表題には、合二十四騎と記有り)


御侍大将十八将之内

戒能備前守通森 御旗下組衆

 宇和川伝左衛門尉  北{小}山備中守  小山兵庫正 

 大平新左衛門尉 上野兵庫介 江戸平太 南 新蔵人 

 野口左衛門尉イ太郎 樫尾四郎兵衛尉  吉井主水介  

森平内左衛門尉 山前勘解由  大野右近 戒能伊織       以上十四騎{合二十四騎}    


御侍大将十八将之内

今岡民部太夫{甘崎城主} 御旗下組衆

 今岡治郎之亟  東左近太夫  東条籐兵衛尉    

 小笠原{主馬}  白石{隼人頭} 岩城左衛門太夫  

        以上六騎(表題に合二十一騎と記あり)


御侍大将十八将之内

中川常陸守イ介通任{豊住}{霊仙山城主}御旗下組衆   

 高大寺左馬之介 武田真イ新三郎 治部新左衛門尉  

 目見田左馬介 高山左近将監 宮山三郎左衛門尉   

 高山和泉守 高橋次郎三郎 伊崎又次郎 久万出雲守 

町田彦九郎 高山籐蔵人   

以上十二騎(表題に合二十二騎と記あり)  13


御侍大将十八将之内

正岡右近太夫経政{幸門城主} 御旗下組衆      

 正岡備中守  中川三郎右衛門尉  得重石見守  

 向井筑前イ後守 門真三郎兵衛尉 正岡左衛門尉  

 北 美濃守  正岡九郎三良  中川籐左衛門尉  

 中西佐衛門佐イ尉 正岡弥九郎  門真六郎兵衛尉   
長野越中守越中守墓所ハ佐方村ノ内川向ニアリ越智郡葛谷村ニ父墓並ニ長野神霊ノ社モアリ  
別宮修理太夫修理太夫ハ湯月殿ヨリ右近太夫内ヘ御付人ナリ 別宮縫殿助        
       
            以上十五騎{合三十騎}    


御侍大将十八将之内

黒川美濃守通博 御旗下組衆

 佐伯伊賀守イ雄之 桑島四郎佐衛門尉 曽我部左近  

 戸田{采女正}不知 曽我部修理之允 久米五郎右衛門尉 

 兼頭日向守  桑村又左衛門尉  臼坂三郎兵衛尉  

 今井 玄蕃 野口四郎太夫 垂水彦三郎 玉井又十郎 

            以上十三騎{合三十騎}    

           (表題に合四十二騎、と記あり)

御侍大将十八将之内

和田山城守通勝{岩伽羅城主} 御旗下組衆                

 渡部丹後守 大西杢之亟 日吉六郎左衛門尉イ元亀中ヨリ衣掛城預ル。    有岡左京進   堀池右馬太夫 

 木原源左衛門    中 太郎次郎   和田兵庫介  

 中村兵衛次郎   堀池九郎三郎  久保{虫食名不知}  

            以上十一騎{合二十

御侍大将十八将之内

櫛部肥後守{象ヶ森城主} 御旗下組衆

 牧イ野備前守   宇佐美{主水正}   長井三四郎 

 近藤永寿 杉原{衛士助}  藤原五郎  竹田{多内} 

 大沢新太郎   鎌田{将監}   渡部四郎兵衛尉  

 高瀬{左衛門尉}  越智兵庫介   芥川源兵衛尉  

            以上十三騎{合二十八騎}   

 「侍大将十八将之内、村上掃部頭武蔵の御旗下組衆の記載が無く、表題の船大将、三名の外、
 忽那式部少輔通著と得居半右衛門尉通久が御船大将兼帯との、記載に成っている」


湯月殿直勤之御旗本近習衆

 温泉郡衆

  持田左京之允イ進  桑田{名不知}  逸見源太夫  

  高田イ山雅楽介   白石 五郎  大野因幡守  

  鈴木治部之亟    鈴木掃部頭  鈴木神三郎  

  佐川 玄蕃     森{名不知}   大篭 道三  

  進藤 帯刀  江戸{名不知}  崎山四郎左衛門尉  

  一色佐イ左衛門尉  関谷縫殿助 {三名ハ虫食不知}    

          (以上二十騎)         

 和気郡衆

  光宗彦左衛門 安田八郎右衛門尉 光宗三郎兵衛尉 

  森弥六左衛門尉 森六郎イ二左衛門尉 伊代左衛門尉 光宗平七郎 池内孫右イ左衛門尉 遠藤小太郎  

  高尾又四郎 志津川彦六イ二郎  福角七郎兵衛尉 

  松岡 五郎   田所 源内   矢野久兵衛尉  

  中西左京之允 高橋新兵衛             

            (以上十七騎)         

15

 久米群衆

  佐伯強右衛門尉  玉井武蔵守  玉井 将監   

  志津川修理之允  堀江雅楽助  平井左衛門尉  

  海垣 太郎  姫池{路}善太   田中{虫食不知}  

  山内{九郎三郎} 久保{虫食不知}  得久源三郎   

  高須賀左京{右兵衛} 中村兵衛四郎 根川六郎太夫  

  野口又四郎 大篭イ蔵神兵衛尉 中村九郎左衛門尉 

  {二名虫食ニテ名不知} (以上二十騎)


 浮穴群衆

  浅井新左衛門尉 寺町弥六左衛門尉 浮穴新左衛門尉 高野宮内之允  白石新太夫  大熊刑部之亟 

  白石左衛門尉 牛渕美作守 田窪八郎 石崎与一  

  定力左衛門尉 奴田新太夫  イ野田住人東籐内蔵  

  高井小太郎 高市{虫食名不知} (以上十五騎)    


 伊予群衆 

  高市図書允  右イ石川蔵人  岡田五郎兵衛尉  

  高市治部之亟 武智弥五郎 中子イ中之子右京允  

  土居大和守   中子{中の子}イ中根修理允     

  山崎六郎兵衛尉 大竹九郎太夫{太郎}イ右衛門     

  黒田無心イ作 寺町兵庫介 寺町豊前守 大政右衛門尉 中渕彦三郎

  松崎次郎 辛崎、垣生{二名虫食名不知}      
   以上十八騎    

五郡合八十六騎(九十騎)御譜代衆也。此外、外様百六十七騎、合二百五十三{一}騎。(二百五十七騎)

 外 様
土岐山城守   浮穴郡徳川城主      手勢五騎 
森 伊豆守   同郡花山城主        同三騎  
        元亀三年迄ハ大野山城守ノ寄騎也。 
曽根丹後守宣高 喜多郡曽根城主       同五騎  
高田左衛門尉通成 野間郡山内村内重門城主  同四騎  
渡部内蔵進    同郡黒岩城主       同三騎  
村上監物太郎  越智郡高橋村ノ内老曾山城主 同四騎  
重見孫七郎   同郡石井山城主       同六騎  
  美濃守子、始得能姓  石井村天神山ノコト也。 
岡部 十郎   同郡重茂城主{ママ}小鴨村ニアリ同三騎  
越智駿河守   同郡鷹森城主        同三騎           
鈍川、鬼原、畠寺三ヶ村ニ掛ル。     
越智右衛門佐  越智郡衣星城主鳥生村ノ内 手勢ナシ
  駿河守嫡子 二男佐兵衛尉何レモ武功者也。       
正岡紀伊守   同郡鷹取城主新谷村ノ内   同五騎 
  墓所新谷村光竜寺ニアリ。              
櫛部出雲守   同郡竜門城主朝倉上村ノ内  同四騎 
山内若狭守   桑村郡兼森城主       同三騎
或書ニ菊森トモアリ。

    {以 上}

柳原殿     風早郡柳原館  {御手勢} 同四十騎 
得能殿{遠江守通能}浮穴郡八倉館{外二ヶ所兼ル} 同二十騎 

「本稿5ページ御侍大将十八将ノ列ニ入、重見孫七郎、 
手勢不知、御旗下組無之、と記すも、ここでは上記の通りの明記有り。」

  外様諸郡旗頭衆
大野上総介直行 郡内地蔵嶽在城手勢四十騎 御旗下組衆
  西原斎兵衛尉 熊権兵衛尉 尾崎七郎  喜土六郎 
  鎌田甚六         以上五騎{合四十五騎} 

御旗頭
西園寺公広黒瀬城、我合城、岡城、土居城、鴟巣城五ヶ城城主  
                  御手先百二十騎 

宇和郡 御旗下組衆
 中村播磨守永時  上村修理進利信  梅本無心宗信 
 三善治部右衛門尉 宇都宮越前守  宇都宮左近之亟 
 山崎助太良通国 薬師寺五郎三郎 松浦四郎左衛門尉 
 薬師寺伝左衛門尉 渡部兵右衛門尉  鎌居弥籐次郎 
 宇都宮善右{左}衛門尉 松浦右衛門尉  大富海次良  
 公文太郎兵衛尉  松本弥五郎  岡崎太郎右衛門尉 
 関 大介 松田宇右衛門尉 小島又五郎 土橋弥五郎   
 猪袴五郎右衛門尉 井上兵吉郎 清家郷右衛門尉 
 田原徳右衛門尉 三浦五郎八 川胯兵之助 松浦善助 
 真田兵八郎 太田市良兵衛尉  小関織部 有馬十介 
 日野根五助             以上三十四騎 

御旗本七人衆
 岡田越中守 赤松肥前守 大森日向守 宇都宮越後守 
 市川右衛門尉 板島志摩守 勧修寺左馬頭      
                   以上七人   

(黒瀬衆)
 宇津宮三河守直綱鎌田城主 上甲伊豆守        
 明間兵部之亟明間城主   高山修理太夫高山城主    
 三善左衛門佐春範山田城、岸城、二ヶ所城主       
 熊崎三郎左衛門尉郷内城主 上甲筑前守真土領主    
 朝立左衛門督春綱 以上八騎黒瀬衆也、此手先四十騎 

御庄領主
 勧修寺左馬頭基詮大森本城、緑城、新城猿越城四ヶ所ノ城主 
                    手勢三十騎 
  上岡玄蕃允和光  満蔵加賀守  尾崎籐兵衛尉  
           以上三騎、御庄衆、合三十三騎 
 津島三郎通顕津島城主        手勢四十五騎 
  岩藤与右衛門尉繁昌   西新蔵人入道      
  曽根近江入道通之    上高田善介通宗     
              以上四騎、合四十九騎 
 西園寺宣久丸串城主       手勢二十五騎、以上 
 法花津弥八郎前延法華津領主、本城、新城、鍋城、今城、高  
          城、鍋森、吉岡城以上七ヶ所、手勢二十騎 
  御手洗弥三郎吉岡山城代          以上  
 今城左衛門尉能充有間城主       手勢二十騎  
  家臣、光任備後守義貞、武功高キ人也   以上  
 土居式部大輔清良土居城主    手勢五十騎 以上 
 河野新蔵人通賢中野城主、岡本、高森二ヶ所ノ城主。    
   嫡子弥次郎通氏、二男弥三郎通純、各武勇人也 

  御旗下
 宇都宮勝右衛門尉 井関亦右衛門尉盛景   以上 
 竹林院右兵衛佐実親深田城主     手勢十騎 以上 
 河原渕式部小輔教忠河原渕城主    手勢四十騎  
  津野新助 奥岩石見守 五郎丸長門守 両出右衛門 
  佐 兵頭左衛門進 中曽根源次郎  中屋敷主殿助 
  鳥居織部正  尾頭{顕}刑部大輔  重藤蔵人助 
  籐蔵人右衛門   古井内匠允   重実左兵衛尉 
  山岐{崎}監物  岩根{隅}備後守 太弐(名不知)   
 以上十六騎、合五十六騎

 河原淵持 松丸三河守重宗竹森城代、薄木城主      
  河原淵旗下組衆 手勢十三騎
  小松忠兵衛尉  太弐(名不知) 以上二騎 合十五騎 

 竹森在番寄騎{合}衆
  重実兵部亟 大宿権之進 高田左衛門尉 五郎丸右 
  衛門尉 中屋敷左京進 中屋敷甚助  小川新衛尉 
  芝 左京進  大宿右衛門尉  津之{野}伊賀之助 
  大藤新蔵人   則 左近   大畠掃部     
  {小松左衛門尉}虫食ニテ三騎不知{津野小善} 以上十六騎 
  河原淵持 芝常陸守 芝蔵人 多武森城々代手勢十騎 

  寄騎衆
  {芝蔵人}小松新次郎 勝山一学 芝源三郎 芝十郎 
  敷地越前守 神野三郎次郎 以上六騎 合二十一騎 
  河原淵持 西川美作守政輔鳥屋森城代   手勢八騎  
  嫡子四郎左衛門瑞胤            以上

 河原淵持 
大宿日向守諸正 亀城
大宿宮内少輔弘正 城代、二騎

寄騎衆
 渡部監物 大宿主馬介    以上二騎 合四騎 
 河原淵持 中尾坂采正吉貞中尾坂領主 手勢三騎以上
 魚成領主 魚成上総介親盛竜森在城     手勢五騎  
子息魚成弥五郎親能            以上 

 北川領主 北川安芸守通安三滝城、相伴{津}城、猿滝城、   
甲森城、大番城、白岩城、白石城以上七ヶ所城主   
手勢二十五騎 

  寄騎衆
   白岩城代白岩左近太夫    三滝城代立山修理 
   相伴{津}城代相伴{津}伊豆守 猿滝城代岩本将監 
   甲森城代永山伯耆守  大番城代紀長門守 20 
   白石城代大塚源十郎 以上七ヶ所(騎)合三十二騎 
   白木領主 宇都宮左近亟乗綱野村在城    手勢十騎      

   城代緒方籐蔵人              以上 

多田領主 宇都宮石見守宣綱下木在城  手勢十騎、以上 

南方領主 南方摂津守親安元城、今城、天神山城三ヶ所ノ城主 
嫡男親宗、二男親興
矢野民部少輔家成 天神山城代       以上 

宇都宮彦右衛門尉房綱萩森城、高森城、城高、飯城、四ヶ所  
舎弟吉之亟、法名喜清、子息金助

 手勢八十三騎
  大塚助兵衛  二宮新助 二神権之介  得能主税 
  大久主馬 梶谷修理 兵頭喜右衛門  大塚嵐之助 
  梶谷{大塚}久米之助 二宮市右衛門  谷 喜兵衛 
  堀江右馬之介  城戸源右衛門  村上与三兵衛  
  続谷覚之介 北村甚五郎 向井源蔵  窪田作兵衛 
  久保田平助   木瀬半右衛門   滝下六左衛門 
  滝下小作 菊池平兵衛 豊田勘左衛門  戸田六助 
  菊池喜右衛門   大塚新兵衛   小出平右衛門 
  小出新兵衛 加藤治部之介 安藤甚三郎 野田与七 
  矢野源左衛門 木村杢之介 寺井市之丞 門田仁介 
  岡孫右衛門 水野太兵衛 豊間作右衛門 玉津半{平}太夫 
  松原与右衛門 吉見新三郎 桜山馬之介 
  若山八右衛門   林田善右衛門   武田九兵衛 
  信村助蔵  松本市右衛門 森田平助  佐良喜作 
  阿部半助   脇谷伊右衛門   一色与三右衛門 
  桜井八蔵 宇多津九兵衛 矢部兵介 金田杢右衛門 
  熊尾喜左衛門   結城与一郎   田村徳右衛門 
  駒山仁右衛門   土居新右衛門  秋山三右衛門 
  河原与兵衛    伊藤助三郎     鹿田助七 
  長谷林右衛門 村尾茂兵衛 遠藤三右衛門  
  宮川市蔵 清家次兵衛 大角{隈源助 津田久兵衛 
  大谷八郎兵衛 下村与七郎 岸村覚之助 沢辺新七 
  三宅善三郎   野村助之進   斉藤勘右衛門  
  石山九郎介  本{東谷伊右衛門  山本小右衛門  
                  以上八十三騎  

 (右ハ、下浮穴郡野田村二百三十番地、士族得能通義、 累世伝フル所ノ書ヲ謄写スルモノナリ、
 明治十六年弐月。右愛媛県庁ノ蔵本ニ依リ、明治四十五年六月、
  河辺老人ヲシテ謄写セシム。     西園寺氏)

 (此後、得能通貴本ニヨリ追加ス。後葉二十七枚ニ入ル。
以下得能通貴本ニヨル。)

山方旗頭大除城主 大野山城守直昌 河野家筆頭老職   
         手勢四十五騎 御旗下組衆三十二騎

 御旗下組衆
  東明神船山  船草出羽(守仲重)  小田崎森   林勘解由 
  西明神脇保城 山ノ内丹後 小田岩森  林忠左衛門 
  久谷葛懸  明神清右衛門 小田赤森  東 筑前守 
  入野天神森  梅木但馬  小田本川  土居下野守 
  野尻池峠   渡辺右馬允 小田日野川  日野孫六 
  畑ノ川高藪  船草五兵衛 小田戸井  大野近江守 
  七鳥鷹森   越智帯刀  小田惣津 大野九郎兵衛 
  小田ロクロ  小倉丹後。宮内右京         
  大川石本   梅木右馬允 日ノ浦銭尾 菅新左衛門 
  久主松岡   重頭数馬  有枝高森  佐伯十兵衛 
  ヒルノ若山  菅内蔵之丞 西谷城ヶ森  中川主繕 
  西谷天神森  山下金兵衛 窪野真城   森 讃岐 
  西谷勝山   鳥越左門  久谷勝山 立林雅楽 22
  野尻柳小路 大家又兵衛  畑ノ川上ノ段  武市右近 
  久万野尻  山口甫順  東明神笠松 鶴原三郎兵衛 
  菅生中ノ城 露口清左衛門 森ノ城入替高岸 西原斎宮 
  宇津城寺町城ヘ替ル尾崎七郎○ 
  大洲古田竜王城  喜土六郎 付人日下八兵衛     
  大洲亀ケ城  大野上総介直行付人○
  大洲豊ヶ森  鎌田甚六○内ノ子曽根 曽根丹後守高政 
  北ノ川森ノ城 荒川 大学、淺川十次郎○
  君ヶ城    吉沢善兵衛、溝口喜太夫○
  北ノ川亀ヶ城 近沢左兵衛、高越 源八○
  宇和日土   樋土 行衛、亀井 万作○
  荏原東町   正岡右京  荏原西町 平岡左近
  森ノ城高妍ヘ移ル  熊 権兵衛
  宇和河原淵  川崎左衛門、石田武兵衛○
  宇和郡馬()城代土居 武部、安部 伊勢○

  (○印ハ杜撰ナリ。殊ニ宇和郡ニ属スルモノハ矛盾甚し。)

  「22P、山方旗頭:::大野山城守と記載したが、
  元本には、山城城守との記載である。」
  【源三注・これは元本が間違っている大野山城守直昌(ナオシゲ)の事。

  「下記で登場する、地名、人名に河ノ江城、河之江城。
  川上但馬守、河上但馬守の異語を見るが、元本通りの写記である。 乗松 」

新居、宇摩両群之衆

新居金子城主 金子備後守基家高尾ノ城ヲ兼ル

 御付人                 
  藤田大隈守岡崎城主   松木三河守林下ノ城主、生子山 
  寺川丹後守大保木城主  徳永修理之允垣上ノ城主   
  近藤四郎五郎横山城主           以上 

高峠城主 石川備中守通清

 御付人
  塩出左衛門佐吹上ノ城主 石川源太夫木曳原城主   
  石川越後守福武山城主  大西道誉轆城主      
  越智信濃守黒岩城主   泰 備前守早川城主    
  高橋美濃守里ノ城主   工藤虫食不知、野津子城主  

河ノ江城主 妻鳥采女正入野城、横尾城ヲ兼ル      

長田城主 川上但馬守安勝仏殿ノ城、轟ノ城ヲ兼ル    

 天正十年春、河ノ江城主妻鳥氏、背二河野家一長曾{宗
 }我部元親ヘ志ヲ通スルニ依、河上但馬蒙二河野家之
 命一、妻鳥ヲ始五十余人ヲ討テ、屋形ハ但馬守カ忠節
 ヲ被レ賞、妻鳥カ賜二所領一移二河之江城一。    
 宇野隼人周布郡獅子鼻城主 今井三郎左衛門大頭鹿花城主 
 越智式部松尾城主文台城兼ル 出渕筑後守笹ヶ頭城主   
 山内若狭守菊ヶ森城主、桑村郡、手勢三騎        
 櫛部伊賀守入道藤森城主、桑村郡           

以上
 (右ハ天正三乙亥年九月以前ノ城主并人名ヲ記スルモノ也。大正三年6月成本、伊予史談会。)       

小松町誌  昭和11年発行 7

2023年08月11日 06時30分18秒 | 昭和11年発行 【小松町誌】
       (九) 維新前後

 【文久の警備】

 文久三年ペルリ来朝の一投石によって国内の物情騒然として参り、毛利藩でも各地に武器を整え
農兵引立役が設けられ、小松町にも遠崎(注・現・柳井市遠崎)屋代、小松、三蒲、椋野を区域と
して小松稽古場がおかれ、農兵引立役として、中原彦太郎、秋元茂治右衛門の両名が任命され農工
商の中から講武の方法を講じたのである。仝四年には揃場と云うものが出来て、諸兵、社人、地下
医、僧兵、農兵その他は、一朝事ある場合にはこの揃場に集合すべく命じられたが、屋代、小松、
三蒲の揃場は小松稽古場と指定された。

 (参照)文久四年五月夷鑑降伏の祈願が志駄岸八幡宮で行われた。

 【四境の戦い】

 四境戦に於ける小松町には、松山藩の兵士が来朝していたのであるが、慶応二年六月十四日に
左の如く編製された討幕軍が笠佐島に来たって十五日から戦闘を開始した。

屋代進撃軍、第二奇兵隊、洪武隊、清水一小隊、大島土兵一小隊、(全部八小隊)

沖浦進撃軍、大野小隊、上関小隊、大島小隊(全部七小隊)

三蒲・椋野進撃軍、浦一小隊、村上亀之助五小隊、村上河内三小隊、其の他

かくて戦闘三日、十八日には郡内に敵影をみなくなったのである。

 (参照)慶応元年六月十日 松山藩士松本定右衛門、岩岡巳之助が京屋(今の金満為之助氏邸)
     いたのを同町の森 品蔵が生捕りにした。

   (注)幕府軍が広島方面隊と伊予から攻め込み一時、屋代島は陥落します。
      真っ先に逃げだしたのは大島の最高行政責任者の大島代官です。
      仕方なく各地で戦っていいた郷土部隊も本土の遠崎へ後退します。
      そこへ高杉晋作がオテントー号に乗って援軍に来て、逃亡の大島代官を罵倒したのち
      全軍を取り纏め屋代島奪回作戦を実行します。
      高杉は未明に久賀沖の幕府軍艦をめくら撃ちにし
      奪還部隊は笠佐沖に集結し、暗闇の中、屋代川河口(通称)瓢箪に上陸し
      一部隊は屋代川沿いに西連寺(当時・反撃隊総司令部)方面へ
      また一部隊は小松から三蒲への峠を越えて椋野方面へ
      また一部隊は開作水車から志佐・沖浦方面へ 進撃していきました。

      近年、沖浦方面は笠佐島から船部隊は上陸したと書いてある地元郷土史家の本がありますが
      これは錯誤です。敵が充満している屋代島にバラバラで上陸しては防衛がおぼつきません。
      高杉晋作の了承の許、一か所(屋代川河口)上陸作戦が行われました。

   (注)事実は森は一人を京屋で自白しなかったのでその場で殴り殺し、一人は毛利藩の前線基地
      遠崎(現・柳井市遠崎)に送り、その後大島の処刑場である屋代川河口大川で首を刎ね
      墓は飯の山の麓に丁寧に葬った(元入道松付近の墓場)

      今も現場に首切り地蔵があり「周防大島町教育委員会」はこの首切り地蔵の説明に
      京屋に忍び込んだ松山兵の首を切ったからこの「首切り地蔵」があるとしていますが
      松山兵の首も処刑場であるここで切りましたが、首切り地蔵の縁起は昔昔の享保の
      時代の百姓一揆で久賀代官所(宰判)へ直訴した人たちの供養のために建てたもの
      であり、四境の役の松山兵斬首とは関係ありませんが、その方が観光資源になると
      思ったのでしょうね(笑) 史実はどんどん変えていけます。

      旧大島町誌は首切り地蔵は享保の百姓一揆の犠牲者と書きますが、四町が合併すると
      新教育委員会は郷土史を変更してしまいます。たぶん地元のメンバーのいない他町
      の人が(東和・橘・久賀町)の人がいい加減に説明文を書いたのでしょう。

      尚、色気のない話ですが、大川の首切り地蔵は元々首切り地蔵ではなく、地震か何かで
      落ちて首が折れたのでしょう。昭和30年代初頭にはまだ折れた首が側に置いてありました。
      いつの間にかこの首はなくなりました。堤防をかさ上げしましたので元の首切り地蔵は
      2M以上、下にありましたから上げる時に紛失したのかもしれませんね。

      色気がない話ですから忘れて下さい(笑)

      四境の戦いについては詳しくは「山口県史 維新編 大島口戦い」に詳しいので興味の
      あるかたはそちらを参照してください・

      尚、京屋は旧星出醤油の手前に現存しています。村上河内隊とは和田の村上家のことで
      「一学家」と通称されます。当主も現存していますが、家史に詳しいのは養子に行った
      四男四郎氏と考えます。
      村上亀之助隊は和田村上家の本家で中世の瀬戸内村上海賊宗家の村上武吉の本流家です。