(八) 藩政時代の風俗等
【教育】
維新以前における教育は系統的なるものはなく、例の寺子屋教育で、素読、習字等が主なるもので
算数も教えられていた。小松に於ける寺子屋として知られているものは左の如くである。
大乗院(四福寺)、萬性院(称念寺)、小松北町・小田源右衛門、妙善寺・玉林玄蕃、
持明院(雲蓋寺)、開作久保・山本湖十郎、自性院(現在廃寺)、玉林権守、濱の寮
歓福寺(以上、両寺とも志佐であるが現在廃寺)
【産業】
当時は農商の区別が割合に厳重で両者を兼ねることは大体に許されない方針であったらしい。
農産物は米麦を主とし、甘蔗、茶、楮、櫨等の外菠菜類であった。このうち楮及び櫨は之が
植栽多く当年の産物中有数なるものであった。この外に白木綿の製造、藁を材料とする大小
縄の製造がおこなわれており、この産額は白木綿が三万反(屋代村の製造分を含む)縄が
三千束である。尚、塩は年間五万石であった。
【風俗】
男子は十五歳になると一人前となり、冠婚葬祭に上下を着て扇子を持ったものである。
家屋は主として藁葺であり、門は神社、寺院、士分の家に許され、農工商は特別に階級の
ある者でなければ許されなかった。普通のものは履物でも草履、あしなかであった。
旅行の折には寺送り状を証状(注・手形=パスポート)として請い受けたものである。
当時の女の風習は幼女は左右と後部を残し中央を剃る、十二三才になると髪を延ばし、
十五六歳から幅広の帯を結び、人妻になれば髪に荓をさし、お歯黒をつける子があると
眉をそり落としたものである。