久しぶりに、
少し前に書いた小説を。
妄想のもとになったのは、
REDのWeb。
昔ながらの喫茶店が好き、ってやつです。
少々、設定に無理があるような気がしますが、
いつものことながら、
あくまでも妄想で、
人物モデルが、彼、ということですので、
そのあたりは、ご理解を。
実は。
これをリライトしながら、
彼の、例の新曲が脳内再生されていて、
困ったことに、
ぼんやりと、続編らしき影が浮かんでしまった私。
うううむうう。
形になるかな、これ。
何はともあれ、本編を。
では。
お付き合いくださる方は、続きから。
切れ目なしなので、一気にいきます。
夏には、まだ早い、
少し汗ばむ陽気の、
穏やかな土曜の昼下がり。
彼女は、
懐かしい街の、雑踏の中に佇んでいた。
いつもは、電車の中から見るだけの、
通り過ぎていくだけの街。
学生時代の大半を、
この街で過ごした彼女にとって、
見覚えのある風景は、
優しくて、懐かしい、
けれど、とてもせつない記憶を呼び起こす街でもあった。
通り過ぎる人たちの中に、
目を凝らせば、
見知った顔だって、あるのかもしれない。
あれから、
もう何年がたっているのだろう。
懐かしさにひかれて、街中を歩き回った彼女は、
一軒の、喫茶店の看板に目をとめた。
まだ、あった・・・
一本通りを入っているとはいえ、
おしゃれなカフェだって、
数多く立ち並ぶこの街中にあって、
落ち着いているといえば、聞こえはいいけれど、
なんだか、取り残されたような、
昔ながらの喫茶店。
あの頃、
彼とふたり、
待ち合わせに使った店。
人見知りの彼は、
なかなか顔馴染みの店も出来にくかったけれど、
ここは、
ここだけは、
なぜか、大丈夫だったんだ。
カラン、カラン・・・・
少し重たい木製のドアを開けたときの、ベルの音も、
真っ先に飛び込んでくる、正面の絵も、
店内に流れている、オルゴールの音楽も、
「いらっしゃいませ」と迎えてくれた笑顔も、
彼女の記憶のまま、
時が止まっているかのようだった。
「あら・・・」
ドアのところで立ち止まった彼女のことを、
赤いエプロンの女性は、
すぐに思い出したようだった。
「待ち合わせ・・・?」
女性のセリフの意味を、
彼女は、すぐに理解した。
あの頃、彼と二人、
座る席は、いつも決まっていた。
光の差し込む窓際の、
店内奥の、柱の陰、
大きな観葉植物に仕切られた席。
「どうして・・・」
不意にこぼれた、その言葉は、
店内に流れる音楽よりも小さかったはずなのに、
まるで、
彼女の声が聞こえたかのように、
そこにあった見覚えのある姿が、
手にした雑誌から、視線を上げた。
考えてみれば。
ここは、彼の地元だもの。
彼が居たって、別段、不思議なことじゃない。
ただ、彼の仕事がら、
土曜日の午後に、
こんな場所にいるはずがないと、
勝手に思い込んでいただけだ。
入り口で佇む彼女に、
店の女性が声をかけた。
「向こうの席も、空いてますけど」
指差された先は、
彼の席からは見えない位置の、
壁際のボックス席だった。
促されるまま、その席に着いた彼女は、
アイスティーをオーダーしたあと、
ゆっくりと店内を見渡した。
この店に、
この街に、
縁がなくなったのは、
決して卒業だけが、理由じゃない。
この街の、
どの風景を目にしても、
そこにいたはずの、彼の姿を探してしまう自分がイヤで、
そばに、彼がいないことを、認めるのが怖くて、
仕事が忙しいのを言い訳に、
この街から、足が遠のいた。
本当は。
逢えないとわかっていても、
逢いたくて、
忘れようとしても、
忘れられなくて、
逢いにいきたくて、
でも、
決して、
逢いには、行けなくて。
彼が、愛しかった。
別れたくなんて、なかった。
たった一度の過ちを、許してさえいたら。
見ないフリを、していたら。
まだ、
彼のそばにいられたんだろうか。
火遊びに身を任せた彼と、
それを許しきれない自分を、
何度憎んで・・・・・・
自分の中に、
そんな感情があることすら、
どれだけ憎んだことだろう。
「久しぶり、やね」
オーダーしたアイスティーを運んできた女性は、
以前と変わらない笑顔で、
彼女に話しかけてきた。
「就職は、地元、やった?
今日は、こっちに、何か用事でもあったん?」
ひとしきり、
近況報告みたいな会話のあと、
「彼、まだ、時々、来てくれるわよ。
仕事、忙しいみたいやけど、ね。
まあ、元気なんが、一番やけど」
彼の仕事が忙しいのは、
彼女も知っていた。
今、どんな仕事をしていて、
どれほど忙しい毎日なのかは、
知りたくなくても、耳に入ってくる。
おせっかいに、教えてくれる人もいるし、
そうでなくても、
彼の仕事の、大まかなスケジュールを知ることは、
さほど、難しいことじゃない。
逢いたいと、行動すれば、
その姿を見ることだって、
なんら不可能なことじゃない。
けれど、
もう振り切らなければいけない時期だった。
でなければ、次へ進めない。
いつまでも、
過去の自分に縛られていたら、
今を、
見失ってしまう。
彼と過ごした時間を否定せずに、
あの頃の自分をまるごと認めることから始めなくては、
これから、が、始まらない。
そう想ったから、
今日、この街を歩いて、
彼の姿と過去の自分に、決別をしていたのに。
まさか、最後の最後。
本当に彼を見かけるなんて、
想ってもみなかった。
もの思いにふけるうち、
汗をかいてしまったグラスの中で、
アイスティーの氷が、小さな音をたてた時、
テーブルに、人影が落ちた。
見上げた彼女にむかって、
「ひとり・・・?」
少し低めの、
懐かしい声が、落ちてきた。
「元気に、してた・・・?」
彼は、まっすぐに彼女を見て、そう言った。
彼女のテーブルに来てまで、
その一言を言うのに、
どれだけ彼が逡巡したか、は、
想像に難くない。
「ええ、あなたは?」
「まぁ、そこそこ・・・」
話しかけたものの、
そこからどう続けていいのか、と、
戸惑っているのが、
手に取るように、彼女には、わかった。
「これから、仕事?」
「いや、今日は、休みで・・・。
これから、メンバーと買いもんでも、行こうかな、と・・・」
「たまのお休みに、買い物?」
「ま、それが一番の、ストレス解消法やったりするから」
「昔から、そう・・・よね」
出会った頃の彼は、
まだ、その未来に確たる約束もなくて、
その仕事の中に、希望のカケラすらも、ありはしなかった。
あったのは、
「あせり」と「不安」と、「迷い」だけ。
だから、かなり荒れてもいたし、
ムチャなやんちゃも、繰り返していた。
付き合い始めて傍にいても、
彼女が心から安心できたのは、
わずかな時間だけだ。
確かに、二人でいれば、彼は優しかった。
デートの間も、
愛し合う間も、
何気ない、
ありきたりの時間ですらも。
彼の仕事を別にすれば、
普通の恋人同士と、
何ら変わりない二人だったはずだ。
彼女の学生生活は、
彼を中心に彩られていた。
ただ、彼女が卒業の時期を迎え、
その将来を考え始めたとき、
二人の間に、かすかな、距離が出来た。
彼女が、大学の卒論と就職活動に忙殺されていた間、
彼自身にも、大きな転機がやってきていた。
淋しがりの彼は、
その転機を一人で乗り切ることが出来なくて、
たった一度、
彼女から、目を逸らした。
知らなければ、幸せだったのだ。
彼だけを愛してたのに。
彼だけが、すべてだったのに。
彼女は、彼を信じきることが、出来なかった。
そこにあった彼の真実を、
汲み取ることが、出来なかった。
眼の前の事実だけが、
彼女にとっての、真実でしかなかった。
許せなくて。
彼を許せない自分自身すら、許せなくて。
宿ったはずの、小さな小さな命すら、
命自ら、希望を失ってしまうほどに、
悩んで、
苦しんで、
もがきあがいて、
泥沼に足を取られ、
幾度となく暗闇に沈んだ。
光は、
どこにも見つからなかった。
別れることでしか、
救われないと、気付くまで。
「あの・・・」
なにか言いあぐねているかのような、彼の表情。
心に引っかかっていることを、
どうしても確かめたい、
そんな感じの。
「私ね、結婚するの。この秋」
彼女の言葉に、
彼がさほど驚いた様子もないのは、
やはり、誰かから聞かされていたから、だろう。
あの頃、グループで行動することだって多かったのだから、
共通の友人だって、
いないわけじゃない。
風の便りに過ぎなかったことを、
彼女の口から、直接聞けて、
彼は、安心したかのように、微笑んだ。
「おめでとう、で、いいんだよな」
「ええ、ありがとう」
「相手は・・・って、聞くのは、
野暮ってもんか?」
「ううん・・・。同じ会社の人で、
良くも悪くも、普通の人。でも・・・」
「でも?」
「貴方との過去も、私の何もかも知った上で、
それでも、包み込んでくれたから」
「そうか・・・」
彼自身にも、
ずっと、影を落としていたのだろう。
自らの若さゆえに、
傷つけるだけ傷つけてしまった彼女と、
不可抗力とはいえ、
失ってしまった命と、その未来と。
「幸せに・・・って、もう充分、幸せやんな?」
彼女にだけは、幸せでいてほしい。
彼女が幸せなら、
自分が彼女にしたことも、
許されるような気がしていたから。
それは、
彼の、勝手な思い込みにすぎなかったのだけれど。
「貴方も、幸せ、よね?」
私と引き換えにしてまで手にした、その仕事。
それを、充分に楽しんで、充実させていてくれなければ、
あの時、
あれほどに私が泣いて、苦しんだ意味もなくなるのだ、と。
二人でいた時間や、
彼を愛した自分だけでなく、
あの時、消えてしまった命すら、
無駄な存在にしたくなかったから。
それは、
彼女の、切なる願いですら、あった。
彼は、彼女のその言葉に、確かに頷いたように見えた。
目を逸らしてしまった彼の表情は、
読み取ることが出来なかったけれど。
代わりに、
彼の手のひらが、彼女の頭に軽く触れた。
小さな子供に、
いい子いい子をするように。
昔、
デートの別れ際、
彼がしてくれた、おきまりの仕草。
それが照れ隠し以外のなにものでもないことは、
彼女になら、判る。
「もう、行くわ」
テーブルの端にあった会計票を、無造作に掴むと、
彼は、背を向けた。
「応援してるから、ずっと」
聞こえたのか、聞こえなかったのか。
彼は、それには、答えなかった。
ただ、後ろ手に、紙をひらひらさせただけ。
その姿を見送って、彼女の頬を、
ひとすじ、涙が伝わった。
逢えるはずのない人に出会えて、
きちんと過去の自分と向き合って、
改めて、
今の自分の存在の意味を確認して。
彼の未来と、
彼女の未来は別々のもので、
それを認めるのに、
永い時間がかかったけれど。
これで、やっと、明日へ歩き出せる。
歩いていける。
なにもかも、ここから、始まる。
新しい愛は、
やわらかい光のように、
彼女に降り注ぎ続けるだろう。
FIN.