掛け声だけは勇ましかった『政治主導』が段々尻すぼまりになって、全て官僚にお任せ状態になった民主党政権、己の無能さを痛感していれば救いがあるが、それの自覚も出来ない有様だからケッロとしてどこ吹く風だ。政治責任も本人が負わないようにしている。大臣が決定すれば済むものを委員会を創って答申させてから決定する。これで責任は委員会に負わせる寸法だ。無能だが悪智慧だけは誰にも引けをとらない程、長けている。代議士先生から村長に至るまで、祝事や開通式など『開と新』が付く『オメデタイ席』には率先垂範、シャシャリ出て、一席祝辞をぶったり、テープカットをする。さも『我輩の政治力の発露』だと言わんばかりに反っくり返って見せる、本人にはこの上ない至福の瞬間だろう。民主党政府の無責任政治、無能政治が地方自治にも蔓延しつつある。静岡の浜岡原子力発電所を昨年5月カンカラが運転を停止させたままになっている。カンは法的根拠もないのに強制的に停止させたものだ。電力事情などお構いなし『己の実行力』を見せ付けて、いかにも国民の皆様の為に停止させましたとアピールするパフォーマンスに過ぎない、媚を売る、体たらくだ。本来なら委員会の答申を待って事を進めるのだが、福島原発の事故により国民には原発不信が芽生えている、中部電力など民間企業は許認可権を持ってる役所と上に君臨する政治屋に弱いのは百も承知だ。総理のオレに、クレームなど持ち込めぬだろうと高を括って運転停止を強要した訳だ。その浜岡原発の安全性が確認出来た場合、政府が再稼動の可否を決断すべきものだろう。この再稼動を巡って市民団体が16万人の署名を集めて再稼動すべきか、否かを問う住民投票条例案を提出した。県議会は原発再稼動の件は住民投票には、そぐはない、却って政府、自治体の判断を誤らせかねないと否決した。県議会はまともの判断をした。一方の川勝静岡県知事は署名数が多いからと住民投票賛成に傾いた。知事は主体性も決断力もない『現場の風』に身を任せて、大衆に決定して貰う魂胆。ポピュリズムの典型だ。どうも学者なる人種は理屈を捏ねるのは人一倍だが政治家には向かないようだ。ノダイコも干し鬼オコゼを幹事長にして便所のタイルの剥げるのを防止するのに懸命だが、どうあがいても剥げ落ちるのは落ちる。剥げないで残っても解散・総選挙できれいさっぱり落選するだろう。評論家曰く再選されるのは80人程度になると予想しているようだ。この所、穴の開いた風船みたいに萎んできたが橋下の『日本維新の会』の後塵を拝する結果になりかねない。