殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

聖歌隊

2009年04月24日 10時22分22秒 | みりこんぐらし
先日から、我らがオバサンの星…

スーザン・ボイルの動画を眺めては

拍手を送っている。


自分も聖歌隊にいたことがあったのを

突如思い出す。


そういえば、スーザンと同じ番組で勝ち抜き

オペラ歌手となったポール・ポッツも

聖歌隊にいた経歴があるという。


この二人のおかげで、中年(初老?)の身にも

明るい希望の光が射したわけだが

聖歌隊での暗い過去も

ついでに思い出してしまった。


うちは仏教だったが、幼稚園がキリスト系であったため

希望者は卒園と同時に聖歌隊に入る。

聖歌隊と言えば聞こえはいいが

演目が賛美歌中心のお子さまコーラスだ。


聖歌隊の指導者は、園長先生の息子。

児童教育の理想に燃えた、若きクリスチャンだ。


クリスマスシーズンには、ろうそくを持って町を徘徊…歌を披露する。

ムチは持たない。

出たがりの私には、ぴったりである。

練習は厳しかったが、イベントもいろいろあって楽しかった。


暗雲が立ちこめ始めたのは、4年生の時だった。

その頃、母チーコは不治の病になっていた。

練習前の礼拝で、先生はいつもチーコの全快を祈ってくれる。

しかし、私はチーコが長くないのを

子供心にわかっていた。


先生は、一心に祈れば神が願いを聞いてくださると言う。

「祈ったら病気は治りますか?」と問えば

「きっとお元気になられますよ」と優しく微笑む。


先生は、チーコの病名を知らない。

祈ったって死ぬものは死ぬ…とも言えず、私は困った。


このまま、みんなでチーコのことを祈り

チーコが死んだら、先生は嘘つきになってしまう…。

チーコもまた、せっかくみんなが祈ってくれたのに

期待に応えられなかった女として

残念なチームに入れられてしまうのではないか…。

たいへん心配なわけ。


なにより、見えない存在に向かって命乞いをするのは

一種、屈辱に似た違和感をもたらした。

私は小さくかわいい胸をいためた。


バカ正直だった私は、意を決して先生に言った。

「あのぅ…もう、うちのお母さんのお祈りはしないでください…」


先生は目をむいた。

「なんてことを!」

こうしてみんなでお母さんの回復を祈っているのに

なぜそんなことが言えるのか…。

みんなの気持ちがわからないのか…。

そんな子は、賛美歌を歌ってはいけない…。

よく考えて、心を入れ替えたらまた来なさい…。


どえりゃー怒られて帰ったもんだが

心は入れ替わらなかったので

そのまま二度と行くことはなかった。

聖歌隊は楽しかったので続けたかったが

もう祈ってもらわなくていいのだと思うと、ホッとした。


狭い町で、私はしばらく

あの優しい坊ちゃん先生を激怒させたあげくに

聖歌隊をクビになった子供として

冷ややかな視線を注がれる身の上となる。

しかし、家の者はチーコのことで頭がいっぱいで

そんなことに気が付かなかったのは幸いであった。


それから長い年月が経って

世間には大人の望む「型」があると知った。

重要なのは、病気が治る治らないでなく

誰かのためにみんなで祈るという行為だ。

ともに祈り「みんな…ありがとう…」と言っておけば

安全だったのだ。

時、すでに遅し。








コメント (12)
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