出と入りを練習してステップアップ‥
暖かくて家の窓が開いているから、ナミちゃんの女らしく細い声がいい‥
ナミちゃんの納得しそうな理由をつけて
彼女の出番を増やそうと画策するセコい私だった。
そんなある日、国道沿いを走っていたら、例のごとく後ろに車が連なる。
法定速度を守る選挙カーは、常に後続車に気を配らなくてはならない。
路肩に車を寄せ、通り過ぎる車にわびながら
車列が途切れるのを待って再び走り出すのだ。
町外れの道端に、車を寄せられる空き地がある。
「ここらでいつも渋滞してくるんですよね。
毎日停めさせてもらってますけど、迷惑かかってませんかね」
候補が心配する。
選挙には、時々いるのだ。
「私有地に選挙カーを停められて迷惑した」
などと大仰に苦情を言ってくる、よその候補の支持者が。
ご迷惑をおかけ致しました‥申し訳ございません‥
私は後続車に謝り続ける合間、早口で言った。
「大丈夫ですよ、私の土地なので」
「なるほど‥」
候補がつぶやいたのと
「ええっ?!」
ナミちゃんが叫んだのは同時だった。
「今、すごいこと聞いたと思うんですけど」
「何が‥全然」
誰も欲しがらず、せいぜい4年に一回
選挙カーを停車させるくらいしか用途の無い
休眠地の持ち主であることを私は恥じている。
昔、祖父が買ったのが回ってきただけの厄介なシロモノだ。
曲がりなりにも会社経営に携わる者が、1円にもならないどころか
固定資産税の分だけマイナスの持ち物を保有しているなんて
他人ごとなら笑っちゃう自虐物件。
恥をしのんで秘密を明かしたのは
候補を安心させたかったからに他ならない。
彼は、その辺のところをちゃんとわかっている。
けれどもナミちゃんにとっては、大興奮のタネになるらしい。
これも価値観の違いというやつ。
ともあれナミちゃん、ますます私に恭順を示すようになった。
やっぱり今までナメとったんじゃ。
ナミめ。
さて、彼女に選挙カーの出と入りを任せ
前後の安楽を入手した私だったが
夜8時、街宣を終えて事務所に帰った時のセリフには文句をつけた。
「皆様、今日一日、本当にありがとうございました。
「明日もどうかよろしくお願い申し上げます」
そこまではいい。
問題はラスト。
「本日はこれで、マイクを置かせていただきます」
「山口百恵か!」
私は不機嫌につぶやく。
マイクを置くのなんのと言うウグイス、わりといるし
ナミちゃんは先輩たちのセリフを覚えているだけなんだろうが
私はこのセリフ、虫酸が走るほど嫌い。
ナミちゃんが悪いのではなく、個人的な好みの問題。
たまにしかやらない私のようなシロウトと、あちこちで活動するプロの
流派の違いだと思うが、我ながら身勝手なものだ。
これを言うウグイスは、選挙活動が全終了した夜
したり顔で真剣に「マイク納め式」なんてのをやりたがる。
ウグイスという存在に特別な意味を持たせようと
女の浅知恵で行うまじない遊び‥ゾッとする。
こっくりさんじゃあるまいし
てめえらが大袈裟に儀式の真似事なんかして、票が取れるんか‥
何様のつもりじゃ‥
だから女が馬鹿にされるんじゃ‥
ヘソで茶ぁ沸かしやがれ!
と思ってしまうのだ。
ああ、悪い癖。
叱られ慣れているナミちゃん、山口百恵発言にたいそう喜ぶ。
この子の長所は美しいことを始めとして、たくさんあるけど
何か言われても顔や態度に表さず
「でも」や「だって」を言わない所は最大の美点である。
ああ、見習いたいものじゃ。
「もっと色々、教えてください!」
「ナミちゃんの方がずっとうまいんだから
教えることなんてありゃせんよ」
「そんなことありません!
師匠からも、しっかり習ってくるように言われてるんです」
ウグイスチームに持ち帰る土産は多い方がいいらしいのはともかく
ナミちゃん、実力は素晴らしいんだけど
先輩たちの口移しをそのままオウムのように繰り返しているので
耳触りがいいだけで終わっているのが惜しいところ。
教えろ、教えろとうるさいので、とりあえず翌日は
言葉の効果をテーマに活動することにした。
「じゃあ、その前に宿題」
「キャー!」
両手を頬に当てて、嬉しそうなナミちゃん。
「今晩も師匠と電話するんじゃろ?」
「はい、多分します」
「“やっぱり師匠は都会の人じゃね、垢抜けて洗練されてらっしゃる”
って、私が言うとったと伝えんさい」
「え‥うちの師匠にですか?」
「そうよ」
「優しそうとかじゃ‥なく?」
「そうよ」
ナミちゃんの師匠とは初日の朝、警察署の駐車場で会った。
4年ぶりの再会だ。
その時、私がご案内して警察署のトイレへ一緒に行った。
ナミちゃんのウグイスチームには“ウグイス年齢”というのがあり
年を若く詐称する習慣のため、誰も師匠の実年齢を知らないそうだが
おそらく70才前後だと思う。
かなり太めで、支給されたジャンパーのファスナーが閉まらないとこぼしつつ
人に会い慣れ、揉まれ慣れた、包み込むような雰囲気が確かにある。
天童よしみ風の付けまつ毛もいい味を出していて
ただのおばちゃんじゃないことはよくわかった。
それを垢抜けや洗練と表現しても、嘘では無いと私は思っている。
《続く》
暖かくて家の窓が開いているから、ナミちゃんの女らしく細い声がいい‥
ナミちゃんの納得しそうな理由をつけて
彼女の出番を増やそうと画策するセコい私だった。
そんなある日、国道沿いを走っていたら、例のごとく後ろに車が連なる。
法定速度を守る選挙カーは、常に後続車に気を配らなくてはならない。
路肩に車を寄せ、通り過ぎる車にわびながら
車列が途切れるのを待って再び走り出すのだ。
町外れの道端に、車を寄せられる空き地がある。
「ここらでいつも渋滞してくるんですよね。
毎日停めさせてもらってますけど、迷惑かかってませんかね」
候補が心配する。
選挙には、時々いるのだ。
「私有地に選挙カーを停められて迷惑した」
などと大仰に苦情を言ってくる、よその候補の支持者が。
ご迷惑をおかけ致しました‥申し訳ございません‥
私は後続車に謝り続ける合間、早口で言った。
「大丈夫ですよ、私の土地なので」
「なるほど‥」
候補がつぶやいたのと
「ええっ?!」
ナミちゃんが叫んだのは同時だった。
「今、すごいこと聞いたと思うんですけど」
「何が‥全然」
誰も欲しがらず、せいぜい4年に一回
選挙カーを停車させるくらいしか用途の無い
休眠地の持ち主であることを私は恥じている。
昔、祖父が買ったのが回ってきただけの厄介なシロモノだ。
曲がりなりにも会社経営に携わる者が、1円にもならないどころか
固定資産税の分だけマイナスの持ち物を保有しているなんて
他人ごとなら笑っちゃう自虐物件。
恥をしのんで秘密を明かしたのは
候補を安心させたかったからに他ならない。
彼は、その辺のところをちゃんとわかっている。
けれどもナミちゃんにとっては、大興奮のタネになるらしい。
これも価値観の違いというやつ。
ともあれナミちゃん、ますます私に恭順を示すようになった。
やっぱり今までナメとったんじゃ。
ナミめ。
さて、彼女に選挙カーの出と入りを任せ
前後の安楽を入手した私だったが
夜8時、街宣を終えて事務所に帰った時のセリフには文句をつけた。
「皆様、今日一日、本当にありがとうございました。
「明日もどうかよろしくお願い申し上げます」
そこまではいい。
問題はラスト。
「本日はこれで、マイクを置かせていただきます」
「山口百恵か!」
私は不機嫌につぶやく。
マイクを置くのなんのと言うウグイス、わりといるし
ナミちゃんは先輩たちのセリフを覚えているだけなんだろうが
私はこのセリフ、虫酸が走るほど嫌い。
ナミちゃんが悪いのではなく、個人的な好みの問題。
たまにしかやらない私のようなシロウトと、あちこちで活動するプロの
流派の違いだと思うが、我ながら身勝手なものだ。
これを言うウグイスは、選挙活動が全終了した夜
したり顔で真剣に「マイク納め式」なんてのをやりたがる。
ウグイスという存在に特別な意味を持たせようと
女の浅知恵で行うまじない遊び‥ゾッとする。
こっくりさんじゃあるまいし
てめえらが大袈裟に儀式の真似事なんかして、票が取れるんか‥
何様のつもりじゃ‥
だから女が馬鹿にされるんじゃ‥
ヘソで茶ぁ沸かしやがれ!
と思ってしまうのだ。
ああ、悪い癖。
叱られ慣れているナミちゃん、山口百恵発言にたいそう喜ぶ。
この子の長所は美しいことを始めとして、たくさんあるけど
何か言われても顔や態度に表さず
「でも」や「だって」を言わない所は最大の美点である。
ああ、見習いたいものじゃ。
「もっと色々、教えてください!」
「ナミちゃんの方がずっとうまいんだから
教えることなんてありゃせんよ」
「そんなことありません!
師匠からも、しっかり習ってくるように言われてるんです」
ウグイスチームに持ち帰る土産は多い方がいいらしいのはともかく
ナミちゃん、実力は素晴らしいんだけど
先輩たちの口移しをそのままオウムのように繰り返しているので
耳触りがいいだけで終わっているのが惜しいところ。
教えろ、教えろとうるさいので、とりあえず翌日は
言葉の効果をテーマに活動することにした。
「じゃあ、その前に宿題」
「キャー!」
両手を頬に当てて、嬉しそうなナミちゃん。
「今晩も師匠と電話するんじゃろ?」
「はい、多分します」
「“やっぱり師匠は都会の人じゃね、垢抜けて洗練されてらっしゃる”
って、私が言うとったと伝えんさい」
「え‥うちの師匠にですか?」
「そうよ」
「優しそうとかじゃ‥なく?」
「そうよ」
ナミちゃんの師匠とは初日の朝、警察署の駐車場で会った。
4年ぶりの再会だ。
その時、私がご案内して警察署のトイレへ一緒に行った。
ナミちゃんのウグイスチームには“ウグイス年齢”というのがあり
年を若く詐称する習慣のため、誰も師匠の実年齢を知らないそうだが
おそらく70才前後だと思う。
かなり太めで、支給されたジャンパーのファスナーが閉まらないとこぼしつつ
人に会い慣れ、揉まれ慣れた、包み込むような雰囲気が確かにある。
天童よしみ風の付けまつ毛もいい味を出していて
ただのおばちゃんじゃないことはよくわかった。
それを垢抜けや洗練と表現しても、嘘では無いと私は思っている。
《続く》