殿は今夜もご乱心

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ウグイス養成物語・2

2018年12月06日 13時24分09秒 | 選挙うぐいす日記
ナミちゃんを鍛えて自分は引退する‥そう言えば聞こえはいい。

けれどもその実、私一人で一週間を乗り切れるか自信が無かった。

前回は54才だったが、今回は58才。

おばさんからお婆さんへの移行期間に、4才の差は大きい。

4年前にはできたことが、4年後の今は難しいと思われた。


前回、私とナミちゃんの労働割合は、数字で表すと20対1。

いや、もっとかもしれない。

「うまい」だの「すごい」だのとナミちゃんにおだてられ

いい気になっていたが、終わってみると騙されたような気分だった。


前回の選挙が終わった後、候補は私に言った。

「人当たりがいいのでスカウトしたんですが

あそこまでしゃべらないとは思いませんでした。

僕の見込み違いで負担をかけて、すみませんでした」

私はその時、鷹揚に答えたものだ。

「いつも大人数の中でやってきたから、少数に慣れてなかったんだと思うわ。

じっくり育ってもらいましょう」


が、じっくりどころじゃない。

せめてもう少し働いてもらわないと、私の声と体が潰れてしまう。

途中リタイアだけは避けたかった。

そこで打ち合わせの時、私はナミちゃんに申し渡した。

「今度はもうちょっとしゃべってよね。

いきなり半分とは言わないから、せめて4分の1ぐらい」


するとナミちゃん、笑顔で手をパタパタと振りながら

全力で拒否するではないか。

「そんな‥私、今回も姐さんの助手をさせていただきますぅ」

「助手ってのは、誰よりも働かなきゃいけないのよ」

「え〜?私には無理ですからぁ」


多分この状況はナミちゃんにとってピンチだと思うが

彼女は明るい声と笑顔を崩さない。

大きな二重まぶたを糸のように細くして、ニコニコしている。

この熟練した職人技は、彼女最大の長所。

けれどもその反面、人の意見を軽く扱い

不都合は決して受け入れない、牛のような頑固さをも表していた。


ひょっとして一番タチが悪いのは、この手の女性かもしれない。

育ちの良さを思わせる上品で朗らかな言動を取っ払ったら

結局のところ、おじょうずとおべんちゃらで他人を持ち上げ

楽な環境を確保しながら報酬だけは他人と同額にありつくという

良く言えば要領の良さ、悪く言えばギャラ泥棒が残る。

本人、これを無意識に行っているが、ウグイス業界は女の園。

ウグイスというのは、実力に比例して勘が鋭いものだ。

謙虚仮面の裏に隠された、厚かましさを察知するウグイスは多いと思われる。


「先輩に、いつも叱られるんです」

ナミちゃんは言う。

それは嘘ではない。

彼女には叱られ続けてきた萎縮を感じるし、前回の選挙で行き交った彼女の仲間からも

おしなべて小馬鹿にされている様子が見て取れた。


ナミちゃんは顔も美しいが、声と発音も抜群に美しい。

こんなに良いウグイスをなぜ?と疑問に感じてはいたが

前回はしゃべるのに忙しくて原因の究明までには至らなかった。

しかし今回、ようやくわかった。

先輩ウグイスたちはこの癖にイラッとして、仕事にかこつけウップンを晴らしているのだ。

はっきり言うわけにはいかない。

だってナミちゃんは、文句なしに可愛い。

下手に叱責すると、周りからは彼女の美貌に嫉妬しているように見えるからである。

私もその憂き目に遭うのは嫌だから、あまり突っ込んだことは言わない。



さて、選挙戦の幕は切って落とされた。

スタートの運転手は、Tさんという80才の老人。

支持者が高齢者揃いのため

6〜7人の運転手が3〜4時間に一度、交代するシステムになっている。


選挙は第一声というのを重んじる。

第一声を発するのは、出陣式の司会と共にウグイスの花形。

その時の運転手も、やはり花形である。

Tさんは前回も運転手だったが

今回は初めてスタートの大役を受け持った。

候補がTさんを抜擢したのは、これが人生最後の花道と考えたからであろう。


それは構わないが、Tさんは運転がすこぶる荒い。

前回、彼の運転の時は、窓枠に頭をぶつけてタンコブをいくつも作った。

右手にマイクを持ち、左手を振りながらしゃべるので

両手がふさがり、衝撃への対応が後回しになるからだ。

カーブや段差で、彼にはそういう配慮が皆無なのだった。


致し方ない。

通常の運転と、選挙カーの運転は違う。

彼は選挙カーの運転経験が無いため

アクセルとブレーキを細かく踏み分け、臨機応変に走行する技術は無いのだ。

それに彼には、認知症の気配もかすかに感じられた。

さりとて人員不足ではあるし、大切な支持者である。

耐えるしかない。

つまり、要注意爺さんである。


候補の居住地や好みによって例外はあるものの

市議選は、たいてい警察署の駐車場からスタートする。

告示日の午前8時、各陣営の関係者は市役所へ赴き

市役所の一室に設けられた選挙管理委員会で

掲示板にポスターを貼る番号のくじ引きをする。

そこで紙袋に入れられた選挙の七つ道具‥

書類や候補の胸に付ける花、選挙カーの乗員を示す腕章などを受け取り

警察署へ街宣活動の許可申請に行くのだ。


この時、ウグイスを乗せた選挙カーは

頭上に設置された候補の名前入りのアンドンを幕で覆い隠し

警察署の駐車場で待機している。

許可申請が完了したら幕を取り外し、駐車場から出た瞬間に街宣活動が始まる。

候補は車に搭乗していない。

陣営でやることがたくさんあるからだ。

運転手とウグイスだけで軽く町を流し、出陣式の時間を見計らって陣営へと戻る。


候補は、スタートがお初のTさんを心配している様子だった。

「9時の出陣式まで、適当に回ってください。

Tさんはルートがわからないと思うので、指示してあげてください」

候補にそう言われていたため、私は出発前、Tさんにやんわりとたずねた。

「どこを回られますか?やっぱり住宅街の方がいいですかね?」


するとTさん、不機嫌きわまりない口調で吐き捨てた。

「ワシにはワシの考えがある!あんたの指図は受けん!」

荒い運転同様、これも選挙カーの運転手にはあるまじき言動であるが

緊張した高齢者は扱いにくいものだ。

いちいち腹を立てていては選挙はできない。

ともあれナミちゃんより先に、この爺さんをやり過ごすのが

私の課題らしい。

《続く》
コメント (2)
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