殿は今夜もご乱心

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ウグイス養成物語・3

2018年12月08日 09時45分11秒 | 選挙うぐいす日記
うちの候補の支持者は、大半が近隣住民。

静かな住宅街で悠々自適の老後を過ごす、紳士淑女が多い。

その中でTさんは一人、毛色を違えた存在である。

生きるのがヘタな人は、年を取ると顔に出るものだ。

その顔つきや衣服、立ち居振る舞いは、元チンピラの風情があった。


選挙カーの出発という大役を任命されたTさんは

緊張と戦うため、粗野と不機嫌の路線を選んだ様子で

4年前よりもさらに荒っぽいスタートを切った。

脳を始め、視力その他の機能は4年前よりいちだんと衰えているようだ。

急発進、急ブレーキの、オートマ車じゃないみたいな走りである。

タンコブ防止どころか、舌を噛まないようにしゃべるのがやっと。


が、心配はいらない。

代表が選挙管理委員会で引いたくじ引きの番号は、最後の方だ。

番号が若ければ七つ道具が早く受け取れるので、市役所を早く出られる。

当然ながら警察署への到着も早まり、届け出も早く終えられる。

遅い番号を引くと警察署への移動が遅くなり、出発も遅れるため

出陣式の始まる9時が近づいていた。

あちこち回る時間的余裕は無くなったので、まっすぐ事務所に帰った。


出陣式が終わって候補が乗れば、Tさんの運転は多少おとなしくなるはずだ。

出陣の見送りで大勢の人目に触れると

認知症予備軍に多く見られる“ええかっこ”が発動する。

それに候補、つまり男性がもう一人乗ることで責任が分散し

気分的に楽になるからである。



さて陣営に戻り、チャッチャと出陣式を済ませると

候補を乗せた選挙カーは再び出発。

候補が同乗すると、やはりTさんの運転は少しマシになった。


ナミちゃんは、今回もお手振り専門の気迫満々。

マイクを渡そうとすると

「いえいえ、やっぱり最初は姐さんでないと‥」

強い決意で何度も押し戻す。

いつまで“最初”なんだろう‥

そう思いながら、隣町にさしかかったところで事件は起こった。


「ドガン!」

頭上で大音響が炸裂。

続いて「ガガガ!バキバキバキ!」

隕石か?天変地異か?

と思ったら、選挙カーのスピーカーが線路の高架に激突したのだった。


背後を振り返ると、選挙カーの天井に設置したアンドンと

その上に載せたスピーカーはセットでずり落ち

一方は地面に、一方は車のリアウインドーに

斜めになってもたれかかっている。

カツラが後方に大きくズレた感じ。

無残。



ここは市内で唯一、選挙で通れない道であった。

アンドンとスピーカーで車高が2倍になった選挙カーは

絶対にくぐれないため、迂回が鉄則。

うっかり通って選挙カーをズタズタにした候補者は

長い歴史の中に数名いるが、何十年経っても失笑のネタにされる。

その鬼門をうっかり通っちゃったのだ。


この鬼門のことは、ペーパードライバーのナミちゃんを除き

候補、Tさん、私の頭にはちゃんと入っているはずだった。

しかし魔がさすというのはあるもので、すっぽり抜け落ちていた。


前から後ろから、車が渋滞し始める。

とりあえず我々がするべきことといったら

まず車から出て、アンドンとスピーカーを拾うことであった。

それらは落下しているものの、配線は車と繋がったまま。

拾い上げて選挙カーの天井に載せ直し、一刻も早く道を空けるしか

我々に残された方法は無い。


が、スピーカーは恐ろしく重い。

近くで農作業をしていた男性が手伝ってくれ

5人でようやく車の上に戻すことができた。

急いで留め金を締め直し、何とか動けるようになったら路肩に移動。


こんな時、候補は落ち着き払っていて、感情を揺らすことが一切無い。

率先して黙々、ニコニコと作業を行う。

多分、流血の大惨事になっても普通だと思う。

わたしゃ若い彼が市のためになるとか、そんなご大層なことは考えちゃいない。

彼のこういう所を心から尊敬している。

私が命を削ってウグイスを務める理由である。


選挙カーには大きな傷ができたが

走行にもスピーカーにも支障が無かったのは不幸中の幸いであった。

手伝ってくれたおじさんが帰ろうとしていたので、私は走り寄って言った。

「ありがとうございました!せめてお名前を‥」

「名乗るほどの者じゃあござんせん」

時代劇のようなやり取りの後、我々は鬼門を後にした。

選挙終了後、おじさんが作業していた畑から持ち主を割り出し

候補が改めてお礼に行ったのは言うまでもない。


そのまま昼まで市内を回る。

私はずり落ちたアンドンとスピーカーが再び落ちないかとヒヤヒヤしたが

大丈夫だった。


事務所に帰ったTさん、青菜に塩。

しかし彼だけの責任ではない。

うっかりしていた候補と私が悪いのだ。

「すみませんでした‥」

うなだれて、私に謝るTさん。

「何をおっしゃいます、あれは完全に候補と私の責任です。

Tさんの運転だったから、あの程度で済んだんですよ。

ありがとうございました」

心にも無いことを言い、慰める私。

以後、Tさんはおとなしくなった。

《続く》
コメント (2)
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