友人が10月の半ば、東北へ泥掃除のボランティアに行きました。正直、「まだ、そういう作業が必要なの?」と感じました。
彼の写してきた数枚の写真は、あまりにも無知で無神経だった自分を恥ずかしく思う、とてもつらい写真でした。彼は、若く元気な男子ですが、15人で半日かけて10メートルの泥を掃除したそうです。その作業の尊さと同時に、これから先「復興」と呼ぶ状態に至るまで、その土地が、街が、人々が、超えなくてはならない壁の高さを見せつけられたような気がしました。気を付けていたつもりだったのに、震災が自分から少し遠い存在になっていました。
普通の生活を送ることを心がけ、経済が正常に動く歯車であり続けるとともに、やはり「想い」と「余裕のあるお金」は、東北の人々に向かなくてはいけない。そして、家族や家を失った人々や、自分の家を離れなくてはならなくなった人々に関する報道から、「もう、つらい」と、目を背けてはいけない。
この半年、ニュースや新聞を見て、安易に泣くことはとても失礼だと、自分を律してきました。でも、それが忘れる原因になってしまうなら、間違いだと思い直しました。3月11日の朝の写真が見つかり、「母ちゃん、このときは元気だったのになぁ。」とつぶやく漁師のおじいさんの姿を目にして泣くことで、次の日に財布を握って募金に出向くなら、それでいいんじゃないか、と。