狂人の頭の中

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狂人の頭の中 「『お金は人間を幸せにするか?』経済、資本、金銭至上主義を笑う」

2023-03-27 23:40:30 | 狂人の頭の中
私のように若い年齢で健康を害するような出来事があったり、近親者や恩人、先輩、後輩が亡くなったり、災難に遭う様を見たり、その方とお話しをさせていただいたりすると「お金さえあれば人生楽しくなる」という話しは、違う星の違う生き物の戯れ言のように思えてならない。

私自身、子供の頃から「厭世的私感」を抱かざるを得ず、勉強に背を向け、友人クラスの中でも一歩も二歩も下がって見ているような生活だった。では、なぜそのような子供時代を経て現在に至ったか。両親が離婚した理由は金銭問題ではなかったし、成人して事故に遭ったが体の傷や心の傷は金を積んで手術をしても治療をしても元には戻ることはない。一般的に「治療」というのは『治れば元に戻る』という印象だろうが、風邪でも正確に言えば元には戻っていないのだろう。今、蔓延しているコロナウイルスに感染しても後遺症に悩む人は多いということだ。「私は感染したけど無症状で後遺症もなかったからコロナは存在しないようなものだ」といっているのは、『偏った考え』という病に冒されていると言わざるを得ない。
話は脱線しましたが「お金で賄えないものの有/無」は、日常生活で買いものをしたり、金銭でサービスを受けたりしていますが、そんな毎日の繰り返しで脳も錯覚を起こす。また世間でも「お金で全て賄える風潮」が蔓延していると子供はそのような考えに自然になってしまうし、その考えから抜け出すのは難しくなってくる。本を読んだり、話しを聞いても、自分の姿勢で感じ方はその時々で変わるし、大きな変化となるとなかなか難しいだろう。全ては鋭い触覚、感性がないと気づきは難しいのかも知れません。
そのような病気になったり、不和家庭で育ったり、事故に遭って体が不自由になると「後天的貧困」になることがあるが、その「後天的貧困」をお金で挽回したとしても「後天的貧困の因」は挽回できない。つまり、一度失ったものの多くはお金で戻ってくることはない。例えば子供がミニカーを取り上げられ、子供の目も前で壊され捨てられたとしよう。子供は泣いたり、悲しい気持ちになる。その後、全く同じものを買い与えられ子供が手にしたとしても壊され捨てられたときの衝撃や悲しさを払拭できることはないだろう。

世の中には揺るがせることのない価値があることを念頭に置いて生きなければ「誰々が言っていたから間違いない」というのは他力本願が過ぎる。このブログもそうかもしれないし…。


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