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沖縄のことあれこれ。

泊港隣接地に「アート&カルチャー」をコンセプトにしたホテル 20年春オープン予定

2018-10-20 22:13:52 | ニュース

不動産のリノベーション事業などを手掛けるUDS(東京)の子会社・沖縄UDS(那覇市、岡﨑勝彦社長)は19日、不動産開発のASAKA(那覇市、高野哲朗社長)と共同で、那覇市前島の泊港に接した地区に7階建ての「ホテルアンテルーム那覇」を建設すると発表した。

11月中旬までに着工し、2020年春ごろの開業を目指す。

敷地面積は2625平方メートル、延べ床面積は5756平方メートル。客室は20平方メートルから64平方メートルで、客室126室を予定する。

UDSグループが京都で運営している「ホテルアンテルーム京都」と同様に「アート&カルチャー」をコンセプトに、共用部分には作品を展示するギャラリーを設ける。客室にもアート作品を置くことを検討している。


沖縄UDSの担当者は「ホテルができることで、地域の発展につながればうれしい」と話した。

 

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琉球王国の国王の陵墓「玉陵」国宝指定へ 沖縄県内の建造物の国宝指定は初めて

2018-10-20 13:03:18 | ニュース

文化審議会が、国宝に指定するよう文部科学大臣に答申した琉球王国の国王の陵墓「玉陵」(沖縄県教育庁提供)

国の文化審議会は19日、琉球王国の国王の陵墓「玉陵」(たまうどぅん)(那覇市)を国宝に指定することを柴山昌彦文部科学大臣に答申した。

これまで、沖縄県では那覇市所有の「琉球国王尚家関連資料」(歴史資料)が国宝指定を受けている。県内の建造物の国宝指定は初めて。近く、官報の告示により正式に指定される。

今回の玉陵の指定を含め、国宝は226件となる。審議会はこのほか、大前神社(栃木県真岡市)など8件の建造物も重要文化財に指定するよう答申した。

玉陵は、琉球国王尚真王が1501年に築造。首里城の西に位置する。石牆(せきしょう)で囲む敷地の奥に連立する3棟の墓室は、琉球地方特有の「破風墓」で、現存する破風墓では最古で最大規模とされる。所有は那覇市。

2000年に世界文化遺産に登録された「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」の構成資産の一つになっている。

今回、国宝として答申された建造部分は、墓室3棟と、それらを取り囲むようにしてある石牆2棟。

那覇市の城間幹子市長は「建造物の国宝指定は県で初めてで、市民の誇りになるものと、大変うれしく思う。貴重な文化財を未来に継承していくために、文化財の保護、保存にしっかりと努める」とコメントした。【琉球新報電子版】

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きょうから沖縄の産業まつり 那覇奥武山

2018-10-19 11:00:52 | イベント

「うちなー発 世界へとどけ 県産品」をテーマに、第42回沖縄の産業まつり(同実行委員会主催)が19日に那覇市の奥武山公園と県立武道館で開幕する。

502の企業や団体などが出展し、21日までの期間中、自慢の県産品を紹介する。

昨年は台風接近の影響で全日程が中止となったため、2年ぶりの開催となる。

太陽熱や風力、バイオマスなどさまざまなエネルギー事業を取り上げる「新エネルギー産業展」のほか、海洋資源産業に関する展示、商工会特産品フェア「ありんくりん市」など多彩な出展がそろう。

屋内展示は午前10時から午後7時まで、屋外展示は午前10時から午後8時まで。

那覇軍港西側の特設駐車場から奥武山公園駅前バス停、奥武山鳥居前臨時バス停を結ぶシャトルバスも運行する。

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書家・謝花の名筆 発見 宮古島市総合博物館収蔵 戦前の書、確認は2点目

2018-10-19 10:49:28 | ニュース

沖縄を代表する書家謝花雲石(1883~1975年)が戦前に書いた作品が宮古島市総合博物館の収蔵資料から新たに見つかった。

謝花の戦前の書は、これまでに2009年に東京で見つかった1点しか確認されておらず、今回の書は2点目となる。

調査した沖縄国際大学非常勤講師の稲福政斉さんは「朝鮮から書法を伝えた雲石の初期の作風を知るための貴重な資料で、沖縄の近現代書道界において重要作品だ」と話した。同博物館の宮國恵良館長が12日、会見し発表した。

今回確認された書は、宮古島を代表する旧家・忠導氏仲宗根家が1981年ごろに当時の平良市に寄託した収蔵資料の中から、稲福さんが15年に見つけた。

09年に発見された1937年の書幅と書風が酷似しており、署名や印の特徴など複数の共通点があることから、戦前の作品と断定することができるという。

作品は「水閣夏涼聽雨坐 蕉窗畫靜抱書眠」と書かれており、印章は引首印で「平生一片心」、落款印は「謝華之印」「雲石」と読めるという。中国の昔の詩を引用したものとみられる。

謝花は那覇西村の出身。1911年に朝鮮へ渡って金圭鎮に書法を学び、帰郷後は後進の指導を通して書道の普及発展などに努めた。現在の県庁表札など、数多くの作品を残している。

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銘苅春政氏は彼に書道を教わったそうです。

 

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伝統酒「イムゲー」復活 泡盛技術で原料を蒸留 請福酒造、多良川、久米島の久米仙

2018-10-18 23:57:27 | ニュース

イムゲー(芋酒)の取り組みを発表した(左から)久米島の久米仙の島袋正也氏、請福酒造の漢那憲隆氏、多良川の砂川拓也氏、県工業技術センターの古堅勝也氏と豊川哲也氏

=17日、那覇市泉崎のANAクラウンプラザホテル沖縄ハーバービュー

請福酒造(石垣市)、多良川(宮古島市)、久米島の久米仙(久米島町)の離島酒造3社と沖縄県工業技術センター(うるま市)が、100年以上前に県内で庶民に広く親しまれた伝統蒸留酒「イムゲー(芋酒)」を復活させた。2019年春にも商品化し、3社で同時に発売する。復活させたイムゲーを泡盛と並ぶ酒として発展させ、沖縄の酒造業界の活性化につなげる。県産のイモや黒糖を利用して離島の1次産業の発展にも期待を寄せる。

イムゲーは約100年以上前に造られていた。首里王府の管理下で造られた泡盛と異なり、庶民に身近なイモや黒糖で自家用に製造していた。酒造3社と県工業技術センターは15年からイムゲーの研究を始め、現在の酒造設備で製造できる技術を確立した。泡盛の製造技術を駆使して米麹(こうじ)、サツマイモ、粉黒糖の3種類の原料を蒸留する。製造したイムゲーは酒税法でスピリッツに分類される。

17日に那覇市内のホテルで会見した請福酒造の漢那憲隆社長は「泡盛と共に活性化させたい」と力を込めた。多良川の砂川拓也社長は「島の原料を使った地産地消の蒸留酒で、1次産業にも貢献できる」と話した。久米島の久米仙の島袋正也社長は「みんなで地域や産業を興していく。他のメーカーもウエルカムで、イムゲーを発展させていきたい」と強調した。

19日に開幕する「沖縄の産業まつり」と11月3、4日の「2018八重山の産業まつり」、同23日から始まる「離島フェア2018」で、イムゲーを試験販売する。720ミリリットル、価格は1620円(税込み)。

<用語>イムゲー(芋酒)
琉球王朝時代から大正時代にかけて醸造された蒸留酒。原料は雑穀(米麹(こうじ))、甘藷(かんしょ)(サツマイモ)、黒糖など。泡盛の製造技術を基にして1700~1900年ごろに県内の離島や首里以外の地域などで造られた。1896年「県統計書」によると製造戸数(事業者数)は泡盛が272戸、甘藷焼酎(イムゲー)は7566戸、製造高は泡盛は2万533石、イムゲーは2618石あった(1石=180リットル)。イムゲーは主に自家消費を目的に製造され、王朝文化の泡盛に比べて庶民の文化に当たるという。酒類の自家製造の規制や廃藩置県、米軍施政権下などを経て、製造は徐々に途絶えたとみられる。


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