9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11について <マネーを生み出す怪物 連邦準備制度という壮大な詐欺システム>G・エドワード・グリフィン著 その12

2017年07月21日 | 日記
とあるスナックで
小林
この本の P-55

破産で大儲け

大企業向けの融資の多くが連邦政府によって保証されるなら、そのような融資を抱える銀行には何の問題もないと思われるかもしれない。ところが、それでも多くの銀行が倒産という不手際をする。本書のあとのほうで見るように、じつは倒産は部分準備制度と呼ばれる銀行システムにはつきもなのだ。
しかし銀行は倒産状態であっても、顧客が知らないでいるあいだは順調に経営を続けていける。マネーは生み出されて、帳簿への記入一つである架空のかたちからべつのかたちに転換され、創造力豊かな会計では貸借対照表はつねにバランスする。問題が起こるのは、理由は何であれ預金者が預金を引き出そうと決めたときだ。すると、おやおや充分なお金がないじゃないか。ついに秘密が露見する。銀行はドアを閉ざさねばならず、預金者は外で行列をつくって待ち・・・そう、ただ待ちつづけるしかない。

この問題のまっとうな解決策は、ほかの企業の場合と同じように銀行に契約履行を求めることだ。顧客には、預金は「要求がありしだい払い戻す」と言ったなら、顧客がいつ要求するか、何人が要求するかにかかわわず、その約束を実行できるだけのキャッシュを用意しておくべきなのである。言い換えれば、預金の100パーセントに見合うキャッシュが金庫になければならない。クロークで帽子を預けて、係りの女性から預かり証を受け取るとき、まさか彼女が帽子を誰かに貸してしまい、こっちの食事が終わるまでには帽子が・・・あるいはそっくりな品物が・・・返される予定だなどとは、夢にも思わない。帽子は全部、預けているあいだじゅうそこにあって、返してもらいたいときには必ず返してもらえると期待している。

そこで、銀行がわたしたちの預金を誰かに貸すので少々の利子をつけることができます、と言うのなら、同時に、要求がありしだい預金を払い戻すことはできません、とも伝えるべきなのだ。当然ではないか?預金は誰かに貸し出されて、もう金庫にはないのだから。利子を受け取る預金者には、それは「要求払い預金」ではなくて「定期預金」だと言うべきだ。銀行が貸出したお金を回収するには一定の時間が必要なのである。

これはちっとも難しいことではない。ところが銀行はこういう情報をほとんど顧客に伝えない。顧客はいつでも預金を下ろせますし、そのうえ利子もつきます、と聞かされている。たとえ顧客が利子を取らなくても、銀行は取る。だからこそ、多くの顧客サービスが無料かわずかな料金で提供されている。ときには30日あるいは60日遅れる可能性があると言われることもあるが、預金はじつは10年、20年、30年、のローンに化けているいるのだから、この数字はまったく適切ではない。要するに銀行は、問題はほとんど起こらないだろうという予想に賭けているだけなのだ。

この問題についてはのちにもっと詳しくとりあげる。いまは銀行経営では全面的な情報開示はおこなわれていないことを知るだけでいい。FRSは実際にある帽子よりも多い数の預り証を発行するというインチキを合法化、制度化し、この仕組みが完璧に適切で正常な銀行業務であるかのようにごまかす複雑な方法を編み出した。金融論を勉強すると、システムが機能するにはこの方法しかないと教えられる。この前提が受け入れられれば、あとはすべての関心が本質的なインチキにではなく、この仕組みをどう維持するか、できるだけ痛みを軽くするにはどうすればいいか、という方に向かう。

多数の預金者がいっぺんに預金を引き出したがることはないという想定にたって、FRSでは商業銀行が信じられないほど薄いキャッシュの層で「要求払い」預金の約束をカバーすることを認めている。銀行に現金が足りなくなって約束を履行できなくなると、FRSが最後の貸し手として行動する。銀行家が使うこの言葉は、FRSがいつでも無からマネーをひねりだし、ただちに問題銀行に貸し与えることを意味する。(実際にはどのようにおこなわれるかは8章をご覧いただきたい。しかし、こんなやり方がどこまで通用するか、実際には限度がある。FRSでさえ、深い穴に落ち込んでどう考えても這い上がれない銀行は支援しないだろう。銀行の帳簿上の債務が資産をついに超えたら、ゲームのルールによって、損失は預金者に転嫁され。これは預金者が二重に負担するはめになるということだ。一度は納税者として、もう一度は預金者として。このメカニズムが連邦預金保険公社(GDIC)とよばれるものである。



小林
10個の帽子をあずかったら、預り証は10枚しか出せないし、預かった帽子は無断で貸し出しなんかはしちゃいけないという話ですね。当たり前といえば当たり前ですね。でもいまの金融制度、銀行制度はこの当たり前のようにはなっていないというわけですね。


コー
そうだと思う。そして世間の大部分の人はこの仕組みがわからないようになっている。
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9.11について <マネーを生み出す怪物 連邦準備制度という壮大な詐欺システム> G・エドワード・グリフィン著 その11

2017年07月21日 | 日記
とあるスナックで
コー
またまた読んでいこう。P-52

公益保護プレー

やがて破局のときがやってくる。借り手はもう絶対に借金の返済は不可能だと気づき、金利支払いも拒否する。ここで、すべてを決するプレーが登場する。
アメリカの銀行や貯蓄貸付組合の安全性を格付けする専門誌<バンキング・セーフティ・ダイジェスト>(1989年8月号)によれば、「問題債権」を抱えている銀行のほとんどは非常に収益性の高い経営をしている。

第三世界向け融資をのぞけば。アメリカの大銀行のほとんどは非常に収益性が高い経営をおこなっている。貯蓄貸付組合の危機は悪化の一途をたどっているが、これと対照的に、銀行は収益をあげて海外債務の処理を(徐々にではあるが)進めてきた。・・・昨年の収益水準で考えれば、銀行界は理論的にはラテンアメリカ向け債権を二年以内に「買い取る」ことができる。


銀行は多国籍企業や外国政府への不良債権の損失を吸収できるが、しかしこれはルールとは違う。そんなことになったら株主にとっては大損失で、調整期間は配当が減少するか無配になってしまうし、そういうコースを選択したCEOはじきに新しい職を探さなければならなくなる。こんなゲームが想定されていないことは事実を見れば明らかだ。ラテンアメリカ向け債権のほんの一部は吸収されたものの、銀行は引き続きアフリカや中国、東欧などの国々に巨額の融資をおこなっている。理由は4章で分析するが、これらの債権がラテンアメリカ向け債権と大きく異なるとは考えにくい。だが、不良債権を自力で吸収しないもっと大事な理由は、こういう死に体の債権に息を吹き込んで再活性化させ、そこから多額の収益を引き出す標準的なプレーがあることだ。

それはどんな仕組みか。両チームのキャプテンがレフリーとゲーム・コミッショナーにゲームの延長を訴える。それが公益だ、ゲームを楽しんでいる観客はゲームが終わったら悲しむにちがいない、と彼らは主張する。さらに観客がスタジアムで楽しんでいるあいだに、全部の車のホイールキャップをこっそり外せと駐車場係りに命じてもらいたい、と。ホイールキャップは売り払って、選手やレフリー、それにもちろんコミッショナーの時間外勤務手当の支払いにあてる。みんな、観客のために時間を延長して働いているのだから、それが公平というものだ。話し合いがつくと、ホイッスが三度鳴り、スタジアムにはほっとした観客の喜びのどよめきが広がる。

これほど歴然としてはいないが、同じプレーが次のように展開する。貸し手銀行の頭取と債務返済不能に陥った会社や政府の財務担当者が額を集めて相談し、連邦議会に訴える。借り手にはもう金利を支払う能力がなく、連邦政府の援助がなければアメリカ国民に災厄がふりかかると説明するのだ。失業者が出て家計が逼迫(ひっぱく)するだけでなく、世界のマーケットが大混乱するだろう。われわれは世界のマーケットに大きく依存しているから、輸出が急減し、外国資本が引き上げられ、アメリカ経済は大打撃を受ける。必要なのは、連邦議会が借り手に直接、間接に資金を提供し、金利が支払えるようにすることと、充分に利益をあげてまもなく全員に借金を返済できる新しい財政プログラムをつくらせることである。

提案の一環として、借り手は第三者のレフリーの指示で、新たなマネーが空費されないように緊縮プログラムを採用するという条件を受け入れる。銀行も負担を分かち合うという姿勢を見せるために、債権のごく一部を放棄することに同意する。もちろんこれはゲームの最初から予想されていたことで、大きく前進するために小さく後退するにすぎない。結局、放棄した債権はそもそも無からひねりだしたあぶく銭だし、この最終段階の決定的なプレーがなければ、債権全額を放棄しなくてはならない。しかもこの少額の譲歩は、収益源を蘇生することによって得られる多額の利益に比べればほんのわずかでしかない。


支払保証プレー

最終段階の決定的なプレーの標準的バリエーションの一つは、政府が資金を直接提供するのではなく、信用保証することだ。つまり借り手がまた支払い不能に陥ることがあっても、支払いは保証される。議会が信用供与に同意すれば、政府が融資の保証人になる。こうして不可避的な損失はついに銀行の帳簿から消えて、納税者の負担へと移し替えられる。
マネーは連邦政府機関や国際機関、対外援助、補助金などの複雑なシステムを通じて銀行に流れこみはじめる。このようなメカニズムはすべて、アメリカ国民からお金を吸い上げて文無しの借り手に注ぎ込み、それが金利支払いとして銀行に送られる仕掛けになっている。そのうち税金として吸い上げられるのはほんの一部だ。資金のほとんどはFRS(連邦準備制度)によって生み出される。この新たに生み出されたマネーは、銀行に戻ってくるとすぐにまた出て行って経済の中で流通し、すでにあるマネーにまじってマネーの価値を引き下げる。その結果、物価が上がったように見えるが、じつはドルの価値が下がっている。
アメリカ国民は自分がつけを払わされているとは夢にも思わない。誰かがホイールキャップを盗んだのはわかるのだが、欲深なビジネスマンが物価を引き上げているのか、自分勝手な労働者が高い賃金を要求しているか、けしからん農民が作物の値段を吊り上げているのか、金持ちの外国人が輸出品の価格を上げているのだろうと考える。じつはその人々もFRSによって価格が侵食されつづけている通貨システムの被害者なのだとは知る由もない。

ゲームの実態を大衆がまるで知らないことは、最近のフィル・ドナヒューのテレビ番組で如実に示された。テーマは貯蓄貸付組合の危機で、納税者が何十億ドルもの負担を強いられるということだった。聴衆のなかから一人の男性が立ち上がり、怒りもあらわにこうこう尋ねた。「納税者じゃなく、政府にその借金を負担させりゃいいじゃないかね?」すると、数百人の聴衆はそうだそうだとばかり拍手喝采をしたのである!


ママ
そうよ政府に負担させるべきよ、絶対よ。


小林
ママったらまったく。


ママ
あら私、なんか変なこと言った。何しろもうこれ以上税金が上がるのはゴメンだわ。


コー
でも、ますます税金は上がっていくだろうな。お酒、タバコ、そして携帯電話。いろんなところから、薄く薄く取っていくんだろうな、おそらく。


ママ
いやだー、そしたら商売あがったりよ。まいっちゃうわ。


小林
ところでコーさん、ギリシャはこのプレーでいえば、どのあたりのプレーの段階なんですかね。


コー
そうだな、(債務繰り延べプレー)かそれとも((公益保護プレー)のあたりじゃないのかな。

いずれにしてもこのゲームの名前は、「銀行救済」という名前で、その目的は<大銀行のオーナーが不可避的にこうむる損失を納税者に肩代わりさせること>ということだ。


小林
なるほどですね。しかも救済するにしてもそれを選別して救済していたんでしょう、経済危機の時に。自分たちの仲間はいろんな手で救済する、もっともらしい理由をつけて。それは結局、増税やインフレという形で、何も知らない国民が払う。そして仲間以外のところは潰す。そうすれば残った仲間はますます大きくなる。

天才的な詐欺ですね。


コー
そうだね、国民の無知を利用した天才的<経済犯罪>だと思うよ、こうなると。
コメント
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