とあるスナックで
コー
この本で気になったところを読んで行こう。 p-37
それは、その中で各人が、秘密と果てしない陰謀の複雑な二重性をもって生きながら、猫なで声で慇懃に話をする悪夢の世界であった。舞台照明を受ける人間は、いつも周りの影の中でよりいっそう力のある人物として浮かび上がってくるものだ。一人の人間が果たした役割を評価するさい、彼の行為こそが、彼の言葉、交際、忠誠よりも、彼個人の性格よりも、重視されるべきである。国策は奥の間のそのまた奥の間で組み立てられ、そのなかには民衆の声はない。政党政治家たちさえ、産業界の大立物さえ、大概の場合、黒幕に操られた国家の網の目の外にあり、取るに足らぬ影響しか持たなかったのだ。大衆は、金で動かせる報道機関や官報と千年以上も使われてきたデマ屋の機構によって、左右される群衆(モップ)でしかなかった。
私の戦前の日本社会のーーーーーーーー。
p-49
西洋の歴史家たちは、日本人を集団(マス)ヒステリーの産物として描くことに成功しすぎてきたように、私にはみえる。日本の経済的記録はそうした横柄な態度の誤りを明らかにした。わずか一世紀前、1868年の日本経済の発達は、ヘンリー七世が王座についた1485年のイギリスのそれに類似していた。最近の世紀の変貌は、わけのわからない気違いどもによる所業ではなく、最も勤勉で知的な国民によってなされたのである。私は、生涯を通じ、彼らを知ることに畏怖と喜びを感じてきた。日本の指導者たちはーーーー彼らに対応する西洋の指導者もそうであるようにーーーーーきわめてスマートな連中であったということが、この本の一つの基本的な前提である。
・・・・・・。
小林
そのスマートな連中が最も残酷な命令を、出したということなんでしょう、後でわからないように。
松井石根将軍はその犠牲者だといっているみたいですね、バーガミニは。
コー
そしてこの構造は、戦後もまったく変わっていないと感じる、と言っている。
日本に生まれ育ったものにはこの辺りが分かりずらいんだな、たぶん。自分も含め日本しか知らないからね。p-69
1920年代までに、裕仁と彼の大臣下らは、国家的計画は東印度を大日本帝国に編入するまでは完了することはない、と決定していた。アジアにおいては蘭領東印度を除いては、適当な石油資源がなかった。船舶と飛行機のための石油なしでは、日本は「夷狄」を遠くに追い払ってしまっておくことを望めなかった。東印度を統御するには、日本は華南の海岸に沿って港と足場を必要とした。
1930年代の・・・・・・。
この戦争は決して「偶発」に起こったのではないということだ。