先週の土曜日、先行ロードショーで見てきました。
一言で感想を述べるならば、イギリスの田舎へ旅に出たはずなのに、そこはディズニーランドだった、という感じ、です。あるいは、イギリスの素朴な田舎料理を食べに出かけたら、ファーストフードが出てきた、とでも。
いえね、ディズニーランドにはディズニーランドの楽しさがありますし、ファーストフードにもそれなりのおいしさがあります。だから、まったくだめだ、というわけではないのですが、大昔に原作を読んでいて、わくわく期待した身にとっては、はずれ、でした。
『ロード・オブ・ザ・リング 』の原作となった『指輪物語』にくらべて、『ナルニア国ものがたり』は、正統派ファンタジーであるだけに、映画にするのはより難しいのでは、とは思っていました。
『指輪物語』は大人向けで、スペクタクルの規模も大きく、物語世界に観客を引き込む仕掛けが、映像に向いているともいえます。
一方の『ナルニア国物語』は、いわゆる異世界ものなので、ごく普通のこちら側の世界と異世界と、双方を自然に描く必要があり、しかも今回映画化された第一巻『ライオンと魔女』の設定では、こちら側の世界が第1次世界大戦中、つまり百年近く昔です。百年近く昔の子供たちに観客を感情移入させた上で、今度はその子供たちが迷い込む異世界を、無理なく受け入れさせなければいけないわけでして、そうなってきますと、ディテールが非常に大切になってくるんですね。
ちなみに、『指輪物語』と『ナルニア国物語』の原作者はともにイギリスの大学教授で、お友達。書かれた時期もともに50年ほど前で、重なっています。
まず冒頭、原作の舞台である第一次世界大戦中のイギリスを、映画では第二次世界大戦中に変更していて、これに違和感がありました。
『指輪物語』ほどではないのですが、『ナルニア国物語』にも、反近代的な気分とでもいうのでしょうか、近代消費社会への嫌悪、つまり皮肉なんですが、ファーストフードやディズニーランド的な世界を拒否する姿勢、があります。
指輪にくらべてナルニアは、あまりにもキリスト教的、それもプロテスタント的ですので、くっきりと浮かび上がってはこないのですが、滅びゆく伝統社会への哀惜は、やはり、そこはかとなく漂っているのですね。
その気分を描くには、第一次世界大戦中でなければいけないのです。大正から昭和へ、第1次大戦後の30年は、大きいのです。『春の雪』が大正でなければ成り立たないように、です。
それが影響しているのでしょうけれども、こちら側の世界で異世界への通路となった田舎のお屋敷、これが映画では、ただの田舎屋敷なのも、いただけません。原作では、長い歴史が積み重ねられた館のように描かれていますし、であれば、中世の修道院や城から増改築を重ねたマナーハウスでしょう。
ナルニア国を内部に隠した衣装ダンスは、雑然と堆積した過去の遺物の中にあってこそ、存在感を持ちます。つまり、こちらの側にも数奇な歴史があることを感じさせなければ、不思議が起こりえる臨場感は、かもし出せません。
子供たちをはじめ、フォーンのタムナスさんや白い魔女(どこかで見たと思ったら『オルランド』)など、役者さんの演技は悪くはありませんでしたし、異世界の描き方には、よくできている部分も多いのです。たとえば、衣装ダンスからナルニアへ、というその瞬間の場面は、さすがに秀逸でした。
にもかかわらず、全体に臨場感がないのはなぜなのか、と思うのですが、やはり、ディテールが丁寧に描かれてはいないんですね。
原作を読んでいて、異世界をリアルに感じるのは、ほっかりと湯気があがっているような料理の描写だったりするのですが、そんな皮膚感覚が、映像ではいまひとつ伝わってきませんし、作りものめいた感じが、どうにもぬぐえません。
例えばケンタウロスなんですが、上半身の人間の部分は風格が備わっているにもかかわらず、やはり下半身がとってつけたように感じられたりします。
ケンタウロスといえば、パゾリーニの『王女メディア』に出てきまして、古い映画ですし、それほど資金に恵まれていたとも思えないのですが、人間の上半身のゆれが馬の下半身の筋肉にほんとうにつながっているような、そんな生々しい感じを受けた記憶があります。ケンタウロスの動きが少なかったので、できたことだったのかもしれませんが、ああいったリアルな感じがなぜ出せてないのか、不思議です。
またパンフレットによれば、「スペクタクルを見せる映画ではない」というようなことを、監督さんは言っているのですが、しかしやはり、たとえば調理や食事の場面など、原作が丁寧に描いている細部は省いて、原作では数行でしかない戦場スペクタクルには、力を入れています。
たしかに『ロード・オブ・ザ・リング』は、スペクタクルの方に重点を置いて映画化に成功しましたが、そもそも『ナルニア国物語』はそういうお話ではありません。
それでも力を入れるのならば、戦闘場面にもそれなりの臨場感を出すべきであって、中途半端に「血は流さない」というようなきれいごとばかりにしてしまったのは、失敗でしょう。決闘の場面など、相手は人間ではなく、狼なんですから、もう少しスリルや迫力を出す描き方をしても、残酷で子供に見せられないということには、ならないと思うのですが。
とはいいつつ、続編が製作されるのならば、全編見てしまうと思います。DVDは買いませんが。
なお原作の『ナルニア国ものがたり』は全7巻ですが、全体として一つにまとまりながら、それぞれ一冊の読み切りとしてでも読めてしまう形式です。
原作を読んでいなければ感想も変わったか、といわれると、あるいは、そうであるかもしれません。しかしおそらく、そもそも原作を読んでいなければ、この映画は見なかったでしょう。
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『ナルニア国物語』と『十二国記』
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一言で感想を述べるならば、イギリスの田舎へ旅に出たはずなのに、そこはディズニーランドだった、という感じ、です。あるいは、イギリスの素朴な田舎料理を食べに出かけたら、ファーストフードが出てきた、とでも。
いえね、ディズニーランドにはディズニーランドの楽しさがありますし、ファーストフードにもそれなりのおいしさがあります。だから、まったくだめだ、というわけではないのですが、大昔に原作を読んでいて、わくわく期待した身にとっては、はずれ、でした。
『ロード・オブ・ザ・リング 』の原作となった『指輪物語』にくらべて、『ナルニア国ものがたり』は、正統派ファンタジーであるだけに、映画にするのはより難しいのでは、とは思っていました。
『指輪物語』は大人向けで、スペクタクルの規模も大きく、物語世界に観客を引き込む仕掛けが、映像に向いているともいえます。
一方の『ナルニア国物語』は、いわゆる異世界ものなので、ごく普通のこちら側の世界と異世界と、双方を自然に描く必要があり、しかも今回映画化された第一巻『ライオンと魔女』の設定では、こちら側の世界が第1次世界大戦中、つまり百年近く昔です。百年近く昔の子供たちに観客を感情移入させた上で、今度はその子供たちが迷い込む異世界を、無理なく受け入れさせなければいけないわけでして、そうなってきますと、ディテールが非常に大切になってくるんですね。
ちなみに、『指輪物語』と『ナルニア国物語』の原作者はともにイギリスの大学教授で、お友達。書かれた時期もともに50年ほど前で、重なっています。
まず冒頭、原作の舞台である第一次世界大戦中のイギリスを、映画では第二次世界大戦中に変更していて、これに違和感がありました。
『指輪物語』ほどではないのですが、『ナルニア国物語』にも、反近代的な気分とでもいうのでしょうか、近代消費社会への嫌悪、つまり皮肉なんですが、ファーストフードやディズニーランド的な世界を拒否する姿勢、があります。
指輪にくらべてナルニアは、あまりにもキリスト教的、それもプロテスタント的ですので、くっきりと浮かび上がってはこないのですが、滅びゆく伝統社会への哀惜は、やはり、そこはかとなく漂っているのですね。
その気分を描くには、第一次世界大戦中でなければいけないのです。大正から昭和へ、第1次大戦後の30年は、大きいのです。『春の雪』が大正でなければ成り立たないように、です。
それが影響しているのでしょうけれども、こちら側の世界で異世界への通路となった田舎のお屋敷、これが映画では、ただの田舎屋敷なのも、いただけません。原作では、長い歴史が積み重ねられた館のように描かれていますし、であれば、中世の修道院や城から増改築を重ねたマナーハウスでしょう。
ナルニア国を内部に隠した衣装ダンスは、雑然と堆積した過去の遺物の中にあってこそ、存在感を持ちます。つまり、こちらの側にも数奇な歴史があることを感じさせなければ、不思議が起こりえる臨場感は、かもし出せません。
子供たちをはじめ、フォーンのタムナスさんや白い魔女(どこかで見たと思ったら『オルランド』)など、役者さんの演技は悪くはありませんでしたし、異世界の描き方には、よくできている部分も多いのです。たとえば、衣装ダンスからナルニアへ、というその瞬間の場面は、さすがに秀逸でした。
にもかかわらず、全体に臨場感がないのはなぜなのか、と思うのですが、やはり、ディテールが丁寧に描かれてはいないんですね。
原作を読んでいて、異世界をリアルに感じるのは、ほっかりと湯気があがっているような料理の描写だったりするのですが、そんな皮膚感覚が、映像ではいまひとつ伝わってきませんし、作りものめいた感じが、どうにもぬぐえません。
例えばケンタウロスなんですが、上半身の人間の部分は風格が備わっているにもかかわらず、やはり下半身がとってつけたように感じられたりします。
ケンタウロスといえば、パゾリーニの『王女メディア』に出てきまして、古い映画ですし、それほど資金に恵まれていたとも思えないのですが、人間の上半身のゆれが馬の下半身の筋肉にほんとうにつながっているような、そんな生々しい感じを受けた記憶があります。ケンタウロスの動きが少なかったので、できたことだったのかもしれませんが、ああいったリアルな感じがなぜ出せてないのか、不思議です。
またパンフレットによれば、「スペクタクルを見せる映画ではない」というようなことを、監督さんは言っているのですが、しかしやはり、たとえば調理や食事の場面など、原作が丁寧に描いている細部は省いて、原作では数行でしかない戦場スペクタクルには、力を入れています。
たしかに『ロード・オブ・ザ・リング』は、スペクタクルの方に重点を置いて映画化に成功しましたが、そもそも『ナルニア国物語』はそういうお話ではありません。
それでも力を入れるのならば、戦闘場面にもそれなりの臨場感を出すべきであって、中途半端に「血は流さない」というようなきれいごとばかりにしてしまったのは、失敗でしょう。決闘の場面など、相手は人間ではなく、狼なんですから、もう少しスリルや迫力を出す描き方をしても、残酷で子供に見せられないということには、ならないと思うのですが。
とはいいつつ、続編が製作されるのならば、全編見てしまうと思います。DVDは買いませんが。
なお原作の『ナルニア国ものがたり』は全7巻ですが、全体として一つにまとまりながら、それぞれ一冊の読み切りとしてでも読めてしまう形式です。
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ぼくも戦闘シーンが長々と描かれていたことが、
違和感を感じた大きな要因だと思っています。
田舎のお屋敷については、なるほど盲点でした。
物足りなさはありますよね。
確かに雰囲気はいいんだけど肝心のアトラクションがあっさりしてるディズニーランドに似てますね(苦笑)
なるほど
なんか物足りないという感覚だったんです。ディテールがはしょってあるような。。。解説を読ませてもらってなるほどなあと思うところも多々ありました。
血。確かにあまりみませんでしたね。
物足りなさは感じるものの、満足している部分もありやっぱり続編は観ると思います(笑)
映画である以上見せ方は重要だと思います。
こちらからもTBさせていただきますね
私、今回はBBCのDVDを見てないのですが、レビューを見せていただいて、見てみようかな、という気が動きました。ぬいぐるみを見せられるのがいやだったんですが、BBCならば日常的な場面を丁寧に描いてくれていそうですよね。
製作サイドが『ロード・オブ・ザ・リング』のヒットを意識しすぎたのではないか、という点など、おっしゃる通りだと思います。残念でした。
「ストーリが面白くないー昔の作品だから」とおっしゃっていること、あたっていると思います。古典的なんです。だから、映画化するのならば工夫が必要になってきますし、私はナルニアには、文芸映画的な丁寧な演出が必要だと思うのですが、それでは地味になりすぎてヒットが望めない、という製作の判断だったのではないのかと、かんぐったりしています。
古典的といっても、おっしゃるように難しい作品ではないんですから、むしろ丁寧に描くことで臨場感は出せたと思うんですけど。
「どきどきわくわく」がなぜなかったのか、という点、私も「原作を読んでいるからかな」とも思ってみたのですが、『ロード・オブ・ザ・リング』を考えてみましたら、原作を読んでいたにもかかわらず、最初から緊迫感はありました。
演出やシナリオの問題は、大きいんだと思うんです。でも、未練がましく、次回の改善を期待したりしています(笑)
どうしても『ロード・オブ・ザ・リング』とくらべてしまいますよねえ。
映画ですから、スペクタクル重視になってしまうのもやむをえない部分はあると思うのですが、まったく違った映画にしてみせる、という製作サイドの意欲が欲しかったな、と思ったりします。
ディズニーにそれを期待しても、とは思うのですが。
血については、パンフでどなたかが(監督だったかと)、「血を流すような映画ではない」とおっしゃっていたので、つい「それならスペクタクルにこだわるなよ」と思ってしまったような次第です。
おっしゃるように、感情移入の中心になるのは、やはり末っ子のルーシですよね。子役さんは、よくやっていたと思います。
見るべきところがないわけではないですし、私も、やはり続編も見るだろうと思うのですが、どうも、原作への思い入れが強すぎるのでしょうか(笑)
おっしゃること、いちいち同感で、レビューを読ませていただきました。
アスランの威厳、魔女の怖さ、さっぱり感じられないんです。
原作で一言「何者をもうちひしぐような威厳のある王者の目」と書かれていましても、それを映像で表現するのは至難の技であるのはわかるのですが、それこそ、見せ方の問題ですよねえ。
音楽についてのご指摘、言われてみればその通りです。なんでもない場面でも、音で不安や感動を盛り上げることはできますのに、まるで、それがなかったですねえ。
あと、サンタクロース。「なんだこれ……」と気抜けした場面だったのは、おっしゃる通りです。これも原作のいう「威厳」が、さっぱり表現できていないですし、サンタクロースに出会うまでのルーシーの心情描写が省かれすぎ、なんだと思うんです。
原作を読んでおられないのですよね? 原作にこだわりすぎなのかと、ちょっと感じていたのですが、安心しました。