郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

坂本龍馬トンデモ本の盛況!

2013年04月24日 | 幕末土佐
 えーと、またちょっとより道をします。
 あきれ果てたあまり、なのですが。

 近藤長次郎本出版計画と龍馬 vol2に書いておりますような事情で、知野文哉氏の『「坂本龍馬」の誕生: 船中八策と坂崎紫瀾』を買ったわけなのですが、下のリンクでアマゾンをごらんになってみてください。

「坂本龍馬」の誕生: 船中八策と坂崎紫瀾
知野 文哉
人文書院


 「よく一緒に購入されている商品」に、細野マサシ氏の『坂本龍馬はいなかった』という本があげられていますよね。
 普通に考えて、『坂本龍馬はいなかった』というタイトルの真意は、「現在、世間一般で定説になっている龍馬像は、史料が提示してくれる実体からかけ離れている」ということだろうと思い、商品説明でも、「一次資料を丹念に読み込む」とか書いていますし、わたくしつい、知野氏のご本を予約すると同時に、買っちゃったんです。

坂本龍馬はいなかった
細田 マサシ
彩図社


 一瞥、「ひえーっ!!! トンデモ本にひっかかっちゃた!!! 一次資料どころか、史料と名のつくものはまったく読んでないよ、この著者!!!」と放り投げました。
 しかしまあ、買ってしまったことではありますし、ちょっとだけと、つい先日とばし読んだんです。
 著者の言いたいことは、だいたい、こういうことです。
 「坂本龍馬はいなかった! 現在、世間一般で知られている龍馬像は、坂崎紫瀾が作り上げたものである」 とまあ、ここまではいいんです。続いて、「実は龍馬は3人いたっ!!! 初代龍馬は大石団蔵、二代目は近藤長次郎、そして三代目が現在にまで語られている坂本龍馬で、薩摩が勝海舟と談合して作り上げたスパイであるっ!!!」
 これほどわけのわからない妄想を延々と書き連ねられるって、この人、キチガイなの?????と、お口あーんぐり、です。

 もしかしまして、奇書生ロニーはフリーメーソンだった!でご紹介しました加治将一氏のキチガイ本の上をいくかもっ!!!なんですが、加治氏のキチガイ本は文庫になってまた出ているみたいですし、細田マサシ氏の『坂本龍馬はいなかった』、去年の9月に第一刷、翌10月に第二刷になっていて、それなりに売れているらしいんです。
 ギャグとしてもおもしろくもないこのキチガイ本が、なんで売れるんでしょうかっ???
 
 お気の毒なのは、まっとうな労作であります知野文哉氏の『「坂本龍馬」の誕生: 船中八策と坂崎紫瀾』が、アマゾンでは、こんなトンデモ本と並べられまして、表紙を一見し、内容説明を読みましただけでは、どうちがうのか、さっぱりわからないことです。

 本を選びますのに、出版社を見る、ということは、当然するのですけれども、歴史物にかぎって言いますと、例えば山本栄一郎氏の著作など、弱小自費出版社から、まともな本が出版されていることもありますし、栗原智久氏の『史伝 桐野利秋 』は、史料を探索しました実にまっとうな桐野の史伝なのですが、当時、一般にはあまり知られていませんでした学研M文庫から出されました。

 そして、例えば新人物往来社や文藝春秋社、新潮社など、名の知られた出版社でも、自費出版であることも多々ありますし、けっこうトンデモ本が出ていたりもします。
 その顕著な例をあげますと、文藝春秋が延々出し続けていました李寧煕氏の万葉集が韓国語で読めるシリーズでしょうか。まったくのキチガイ本なのですが、推理仕立てで、当時、かなり売れたみたいです。

もう一つの万葉集 (解読シリーズ)
李 寧煕
文藝春秋


 ふう。
 私、近藤長次郎本も、おもしろおかしくトンデモ本にしちゃった方が、売れるんではないかい、というような気がしてきちゃいました(笑)

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6 コメント

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Unknown (未到散人)
2013-04-24 18:58:46
昨日から北川村でした。どちらにしろ真の姿は知りたいところです。
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楽しみにしています。 (green)
2013-04-24 23:04:07
四国、長浜、大洲藩あれ、聞いた事がある。四国(新居浜?)のそれぞれ材木商、海運業の私の祖母、祖父の先祖の話です。海運業をしていた先祖は大洲藩から養子を取ったものの幕末京都に行ったきり、家業は傾いたとのことでした。そして、海軍軍楽隊に入り、ごく若いうちから3つの勲章をつけて微笑む先祖の写真がある。名刺入れには海軍少将をはじめ海軍の将校達のものが入っています。祖父の先祖は海軍に知人がいたということでしょう。まさか、海援隊や竜馬と関わりがあったとか?などと妄想しています。
豊臣方の武士であった先祖は関が原以降四国で海運業を営んでいたと言うのです。
戸籍には80年ルールがあるそう。今となってはルーツさえはっきりしなくなってしまいました。しかも親族の誰も興味はない。ちゃんと祖母の話を聞くべきだったかもしれません。
ところで、本の墨で塗りつぶした部分はトレースとか、科学的方法で読めないでしょうか?警察の鑑識というわけには行かないでしょうけれど。
郎女様のブログに出会わなかったら、先祖の事など考えることもなかったので、感謝しています。
できるだけ多くの人に私のような経験をしていただきたいので、一般受けする物を書いていただけたらと思います。一方で今のままで十分一般受けするとも思います。歴史に興味が全くなかった私でも興味を持つようになったのですから。
という訳でとても楽しみにしています。ブログも楽しみに読ませていただいています。
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未到散人さま (郎女)
2013-04-25 14:32:01
北川村とはおうらやましいことです。先日の旅行では、行く暇がありませんで。中岡慎太郎は大好きです。
返信する
greenさま (郎女)
2013-04-25 15:19:13
お久しぶりです。実は私の高祖母も、幕末、大洲藩領の郡中(現在の伊予市)から、子供の頃に養女に来ていまして、結婚し、3人の子供を儲けたのですが、その夫、つまり高祖父は行方不明で、墓も残っておりません。高祖父の養父、養母の墓はあるのですけれども。慶応末年ころに生まれました高祖母の次男の半次郎が、私の曾祖父なんですが、明治20年ころに筑豊へ働きに行き、そこで、なぜか松山藩主の親戚や、元柳川藩士などと知り合い、妹を藩主の従兄弟に嫁がせ、先妻と別れて元松山藩士の娘(曾祖母)と結婚し、先妻との間の長女を、元柳川藩士に嫁がせています。
幕末維新は、ほんとうに激動の時代であったのだと思います。
戸籍の話なんですが、壬申戸籍を見ることができなくなったのは、どうも、身分が書いてあったがため、らしいんですね。私も見ることができなかったのですが、そうなる前に見ました又従兄弟の話によりますと、江戸後期に彼の家に入った養子は「博労」と書いてあったそうです。
ほんとうに、無名の日本人一人一人の生き方が、歴史に直結しているのだと思います。だれかの生涯を取り上げて、歴史の狭間に埋没していった人々の思いを、少しでもすくい上げることができたら、と思います。
近藤長次郎本出版計画と龍馬 vol2に書いておりますが、知野氏によれば個人蔵の瑞山会編「近藤長次郎傅」は墨塗りの史料と同じ文章で、墨塗り部分に書いてあったのは、「長次郎自刃時に龍馬が長崎にいたこと」であって、後からまちがいとわかったから消したのだ、という推測なんですね。
ありがとうございます。興味を持ったと言っていただけると勇気百倍、迷いつつも、思うままに書いてみたいと思います。またお越しくださいませ。
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信者 (名無し)
2020-09-17 09:24:22
恐ろしいことに細田マサシの本を信じ込んでいる人たちもいます。水道橋博士とか増井高一公認会計士とか。
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お返事が遅れました。 (郎女)
2020-09-30 21:32:42
ようこそ。けっこう高名な方が、実はちゃんと史料を読んでおられないと知った今、そういう方々がいても仕方ないですね、としか、私には言いようがございません。
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