広瀬常と森有礼 美女ありき6の続きです。
今回の参考書は、主に明六雑誌に連載されました、森有礼の「妻妾論」です。下の本に収録されています。
しかしもう、今日のお話は妄想オンパレードでありますことを、ご承知おきください。
開拓使東京出張所は、増上寺境内にあります。長官の黒田清隆は、常時こちらにいて中央行政にも根をはり、こまめに政争にかかわっています。そこらへんの生臭い世界は、理念にこだわります森有礼の苦手とするところでして、まったくもってタイプがちがいますだけに、かえって気楽に接することができたりします。
四月の終わり、広大な境内は藤の花に彩られ、甘やかな香りがただよっておりました。
有礼は、自分が黒田に勧めました女子教育の実験学校でありますだけに、開拓使女学校へはたびたび足を運び、見学しておりました。
外務省からの払い下げを受け、木挽町に屋敷を構えましてから、同じ敷地内の隠居所に住みます母の里は、種子島から上京して森家に住み込みました古市静との結婚を勧めます。
しかし、有礼には、意中の美女がありました。開拓使女学校の女生徒、広瀬常です。
雛人形のように品のいい、整った顔立ちで、すらりとして姿勢が良く、お小姓の出で立ちが似合いそうな、美少年っぽい、きりりとした美人です。
欧米から帰りました有礼の目に、日本女性の最大の欠点として映りましたのは、猫背のような、その姿勢なのですが、常はなぜか西洋式にぴんと背筋をのばしていて、体操が得意です。聞けば、父親が紅林組の同心で、フランス兵制を採用しましたときに、父親にねだってフランス式の体操を習ったりしたのだという話です。
常は、よどみのない口調で、答えたものでした。
「フランスの救国の英雄は、ジャンヌ・ダルクという少女で、鎧甲冑に身を固めイギリス軍と戦ったと聞きました。私もお国のために戦ってみたいものと、夢見ていたのでございます」
清々しいその様子は、元服前の美少年そのもので、有礼は、昔の鮫島に似ている!(似てないってば!)と、ぞくっとするほど魅せられたのでした。
今日も今日とて有礼は、女学校をのぞきたい誘惑にかられたのですが、条約改正の試案について、黒田に相談してみたいことがあり、楽しみは後にとっておき、まずは、黒田のもとを訪れました。
黒田は大歓迎で、開口一番、「おじゃったもんせ。おもしろか話がありもっす」と上機嫌。ライマンが常に結婚を申し込み、常が即座に断った経緯を詳細に語り終えますと、「ライマン先生、おなごを知りもはんな。常女はよかおなごじゃが芯がきつかで、うぶな先生の手におえるもんじゃなか。ワハハハハ」と、気持ちよさそうに大笑いいたしました。
有礼は、笑うどころではありません。「先を越されたっ!」とまず焦り、次いで「自分が見込んだ女性は、アメリカの知識人から見てもやっぱり魅力的なんだな」とほくほくもし、しかし一方で、ぴしゃりとライマンの申し出を断ったという常に、いったいどのように結婚を申し込めばいいのか、困惑もしました。一向に、それでひけめを感じているわけではありませんが、信念から、芸者遊びをしたことはありませんし、女を知らないことにかけては、ライマンといっしょなのです。
ここはもう、自分流で押し通すしかありません。
「黒田どん、国家の基礎は、男女の正しい交わりから生まれもす。夫婦がたがいに人格を尊重することで、おなごはりっぱな母となり、国を担う子を育てることができもす。人格を尊重するためには、おなごにも知性が必要じゃって、ライマン先生が、女学校の生徒を正式な伴侶として見込まれたは、まっこて学校の誉れ。結婚は、浮ついた気分でするもんではなか。常女が、なんしてライマン先生の申し込みを断ったか、どういう結婚を望んじょるか、女子教育を考える上で、聞いてみたか」
黒田は、「こいつ、アホか! 男女の好き嫌いに人格もくそもあるか」と内心思ったのですが、すぐに、どうやら有礼が常に気がありそうなことに気づき、笑いたいのをこらえて、まじめくさった顔をつくろいました。
「そりゃ、常女に直接、聞かねばなりもはんな」
呼ばれた常は、しとやかに目を伏せ、勧められるままに、椅子に座りました。
「正直なところを、答えてもらえるとありがたい。ライマン先生は、りっぱな学者で、人格もすぐれておられる。あなたの人格を認められて、正式に結婚を申し込まれたにもかかわらず、即在に断わったというのはなぜなのか、女学校教育の今後のために、聞きたいんだが」
有礼の言葉を聞きながら、黒田は「おい、りっぱな学者なんじゃろうが、あいつの人格はすぐれてねーぞ」と心の中でつっこみを入れつつ、興味しんしんで、常の答えを待ちました。
「正直にお答えして、よろしいのでしょうか? ……私は、ライマン先生がどのようなお方なのか、まったく存じておりません。ライマン先生も、私がどのような女であるか、ご存じのはずがございません。奧女中を見初めて側室にしたいという殿様と、どこがちがうのでしょうか。芸者を見初めて、正式な妻にしたいという場合は、まだしも、お座敷でのつきあいがございますので、お互いにわかりあえることもあろうかと存じますが」
これには有礼も、どきっとしました。なにしろ一目惚れですので、常を知らないことにかけては、ライマンとたいしてかわりません。
「なるほど。……いやしかし、お座敷のつきあいで男女がわかりあえるというのは、あなたの誤解だ。男が金を払って、女を奴属させて遊ぶ不道徳な場に、人格の尊重はない」
常の視線は、吹き出したいのを必死でこらえている黒田をとらえ、踊りました。
「お言葉ではございますが……、民の手本となるべき太政官の方々は、芸者を奥方にお迎えの方が多いと聞きおよびます」
「それがわが国の遅れたところで、改めていかねばならない。大官の人倫にもとる結婚は、世界の侮りを受ける」
重々しい有礼の口調に、常は、「そんな演説は、太政官でしろよっ!!!」と、胸の中でつぶやきつつ、黒田に視線を走らせました。
それに気づいた黒田も、「ここでする話かあ!?」と、以前からわかっていたことではありますが、有礼の変人ぶりにあきれて、かすかに肩をすくめ、有礼の代わりにと、常に向かって問いかけました。
「そいでは、おはんの理想の結婚相手とは、どんな人物かな?」
「さようでございますね……、筒井筒の仲でございます。幼い頃から知り合っていましたら、お互い、よくわかりあえますので」
有礼は胸騒ぎを覚えつつ、聞かずにはいられませんでした。
「すでに、そういう相手がいると?」
「おりました。戊辰の折、大鳥さまについて行きましたきり、行方知れずでございます。大鳥さまがご赦免になりましてなお、姿を現しませんのですから、戦死いたしましたのでしょう。私は……、結婚するためにこの学校へ入ったのではございません」
大鳥圭介は、戊辰戦争に際して、フランス軍事顧問団の伝習を受けておりました幕府伝習隊を率いて江戸から脱走し、関東各地、会津と転戦し、函館に至って抗戦いたしました。降伏した相手の黒田の尽力で赦免され、開拓使に奉職。娘二人が、開拓使女学校に通っております。
「では、どうしたいと?」
「母が静岡でお産でみまかりまして、私、できますれば、西洋医術を心得ました産婆となり、ご奉公いたしたいと存じております。教育も大切でございましょうが、その前に、子が無事に生まれて育ち、母も健やかでありますことが、まず第一と愚考いたします。伝え聞くところによりますと、函館でエルドリッチ先生が産科の講義をなさっておられるとか。こちらを卒業の後は、聴講させていただければ、この上ない幸せなのでございますが」
常が去った後、有礼は呆然とし、黒田は笑いをかみ殺すのに必死でした。
あきらかに常は、有礼が自分に気があることに気づき、予防線を張ったのです。
しかし黒田は、内心、困ったことになった、とも思ってもおりました。「卒業後は5年間の開拓使奉公」と規定しましたものの、予算不足と文部省からの抗議で、開拓使でこれ以上、北海道での女子教育を積極的に進めることもできず、となれば、女性教師の数もそれほどいりません。また医学校は、最初に構想しました大規模なものは実現せず、函館で、エルドリッジが診療の傍ら、小規模に教えているような実態ですが、それでさえ、廃止の方向が打ち出されている現状なのです。
これはもう、なんとか骨を折って「この変人の思いをかなえてやるしかない!」と、決心したところで、有礼が宣言しました。
「決めもした! おいは常女を娶りもす」
黒田は、「だからおまえ……、許婚が脱走兵になって死んだだの、母親が静岡移住で死んだだの、あれだけ嫌みを並べ立てたのは、気がないからだろうが」と脱力しつつ、「どげ、協力してやればいいもんか」と、思いをめぐらせたのです。
そんな黒田の好意も知らず、有礼は、またも演説をはじめました。
「女学生に言われるようでは、まずは太政官のお歴々から、啓蒙せにゃなりもはんな」
仕方なく、黒田は頷きました。黒田の妻は芸者ではなく士族ですが、もちろん、芸者遊びが嫌いなわけではありません。
「そいもよかが、長州攻撃ととられるのもやっかいじゃて、てげてげにな」
えー、親分の木戸孝允に伊藤博文。長州閥のトップ2は、芸者さんを正妻に迎えていたんです。
「そげなことはなか。芸者を正妻にするよりも、正妻がありながら芸者を妾にするのは、もっと悪か。夫婦はたがいに貞節を守らにゃなりもはん。そいが人倫というもんごはす」
黒田はもう、目を白黒させておりました。「大久保さあもかよ。おい、おい、おい、おい………」と、あきれつつ、いや自分も含まれるか、と苦笑して、まあ、この大まじめな変人の恋を助けてやれるのはおれしかない、と思い直したのでした。
そんなわけで、有礼は急遽、「妻妾論ノ一」を書き上げ、明六雑誌に発表したような次第……、かもしれません(笑)
続きます。
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今回の参考書は、主に明六雑誌に連載されました、森有礼の「妻妾論」です。下の本に収録されています。
しかしもう、今日のお話は妄想オンパレードでありますことを、ご承知おきください。
明治文化全集〈第5巻〉雑誌篇 (1955年) | |
クリエーター情報なし | |
日本評論新社 |
開拓使東京出張所は、増上寺境内にあります。長官の黒田清隆は、常時こちらにいて中央行政にも根をはり、こまめに政争にかかわっています。そこらへんの生臭い世界は、理念にこだわります森有礼の苦手とするところでして、まったくもってタイプがちがいますだけに、かえって気楽に接することができたりします。
四月の終わり、広大な境内は藤の花に彩られ、甘やかな香りがただよっておりました。
有礼は、自分が黒田に勧めました女子教育の実験学校でありますだけに、開拓使女学校へはたびたび足を運び、見学しておりました。
外務省からの払い下げを受け、木挽町に屋敷を構えましてから、同じ敷地内の隠居所に住みます母の里は、種子島から上京して森家に住み込みました古市静との結婚を勧めます。
しかし、有礼には、意中の美女がありました。開拓使女学校の女生徒、広瀬常です。
雛人形のように品のいい、整った顔立ちで、すらりとして姿勢が良く、お小姓の出で立ちが似合いそうな、美少年っぽい、きりりとした美人です。
欧米から帰りました有礼の目に、日本女性の最大の欠点として映りましたのは、猫背のような、その姿勢なのですが、常はなぜか西洋式にぴんと背筋をのばしていて、体操が得意です。聞けば、父親が紅林組の同心で、フランス兵制を採用しましたときに、父親にねだってフランス式の体操を習ったりしたのだという話です。
常は、よどみのない口調で、答えたものでした。
「フランスの救国の英雄は、ジャンヌ・ダルクという少女で、鎧甲冑に身を固めイギリス軍と戦ったと聞きました。私もお国のために戦ってみたいものと、夢見ていたのでございます」
清々しいその様子は、元服前の美少年そのもので、有礼は、昔の鮫島に似ている!(似てないってば!)と、ぞくっとするほど魅せられたのでした。
今日も今日とて有礼は、女学校をのぞきたい誘惑にかられたのですが、条約改正の試案について、黒田に相談してみたいことがあり、楽しみは後にとっておき、まずは、黒田のもとを訪れました。
黒田は大歓迎で、開口一番、「おじゃったもんせ。おもしろか話がありもっす」と上機嫌。ライマンが常に結婚を申し込み、常が即座に断った経緯を詳細に語り終えますと、「ライマン先生、おなごを知りもはんな。常女はよかおなごじゃが芯がきつかで、うぶな先生の手におえるもんじゃなか。ワハハハハ」と、気持ちよさそうに大笑いいたしました。
有礼は、笑うどころではありません。「先を越されたっ!」とまず焦り、次いで「自分が見込んだ女性は、アメリカの知識人から見てもやっぱり魅力的なんだな」とほくほくもし、しかし一方で、ぴしゃりとライマンの申し出を断ったという常に、いったいどのように結婚を申し込めばいいのか、困惑もしました。一向に、それでひけめを感じているわけではありませんが、信念から、芸者遊びをしたことはありませんし、女を知らないことにかけては、ライマンといっしょなのです。
ここはもう、自分流で押し通すしかありません。
「黒田どん、国家の基礎は、男女の正しい交わりから生まれもす。夫婦がたがいに人格を尊重することで、おなごはりっぱな母となり、国を担う子を育てることができもす。人格を尊重するためには、おなごにも知性が必要じゃって、ライマン先生が、女学校の生徒を正式な伴侶として見込まれたは、まっこて学校の誉れ。結婚は、浮ついた気分でするもんではなか。常女が、なんしてライマン先生の申し込みを断ったか、どういう結婚を望んじょるか、女子教育を考える上で、聞いてみたか」
黒田は、「こいつ、アホか! 男女の好き嫌いに人格もくそもあるか」と内心思ったのですが、すぐに、どうやら有礼が常に気がありそうなことに気づき、笑いたいのをこらえて、まじめくさった顔をつくろいました。
「そりゃ、常女に直接、聞かねばなりもはんな」
呼ばれた常は、しとやかに目を伏せ、勧められるままに、椅子に座りました。
「正直なところを、答えてもらえるとありがたい。ライマン先生は、りっぱな学者で、人格もすぐれておられる。あなたの人格を認められて、正式に結婚を申し込まれたにもかかわらず、即在に断わったというのはなぜなのか、女学校教育の今後のために、聞きたいんだが」
有礼の言葉を聞きながら、黒田は「おい、りっぱな学者なんじゃろうが、あいつの人格はすぐれてねーぞ」と心の中でつっこみを入れつつ、興味しんしんで、常の答えを待ちました。
「正直にお答えして、よろしいのでしょうか? ……私は、ライマン先生がどのようなお方なのか、まったく存じておりません。ライマン先生も、私がどのような女であるか、ご存じのはずがございません。奧女中を見初めて側室にしたいという殿様と、どこがちがうのでしょうか。芸者を見初めて、正式な妻にしたいという場合は、まだしも、お座敷でのつきあいがございますので、お互いにわかりあえることもあろうかと存じますが」
これには有礼も、どきっとしました。なにしろ一目惚れですので、常を知らないことにかけては、ライマンとたいしてかわりません。
「なるほど。……いやしかし、お座敷のつきあいで男女がわかりあえるというのは、あなたの誤解だ。男が金を払って、女を奴属させて遊ぶ不道徳な場に、人格の尊重はない」
常の視線は、吹き出したいのを必死でこらえている黒田をとらえ、踊りました。
「お言葉ではございますが……、民の手本となるべき太政官の方々は、芸者を奥方にお迎えの方が多いと聞きおよびます」
「それがわが国の遅れたところで、改めていかねばならない。大官の人倫にもとる結婚は、世界の侮りを受ける」
重々しい有礼の口調に、常は、「そんな演説は、太政官でしろよっ!!!」と、胸の中でつぶやきつつ、黒田に視線を走らせました。
それに気づいた黒田も、「ここでする話かあ!?」と、以前からわかっていたことではありますが、有礼の変人ぶりにあきれて、かすかに肩をすくめ、有礼の代わりにと、常に向かって問いかけました。
「そいでは、おはんの理想の結婚相手とは、どんな人物かな?」
「さようでございますね……、筒井筒の仲でございます。幼い頃から知り合っていましたら、お互い、よくわかりあえますので」
有礼は胸騒ぎを覚えつつ、聞かずにはいられませんでした。
「すでに、そういう相手がいると?」
「おりました。戊辰の折、大鳥さまについて行きましたきり、行方知れずでございます。大鳥さまがご赦免になりましてなお、姿を現しませんのですから、戦死いたしましたのでしょう。私は……、結婚するためにこの学校へ入ったのではございません」
大鳥圭介は、戊辰戦争に際して、フランス軍事顧問団の伝習を受けておりました幕府伝習隊を率いて江戸から脱走し、関東各地、会津と転戦し、函館に至って抗戦いたしました。降伏した相手の黒田の尽力で赦免され、開拓使に奉職。娘二人が、開拓使女学校に通っております。
「では、どうしたいと?」
「母が静岡でお産でみまかりまして、私、できますれば、西洋医術を心得ました産婆となり、ご奉公いたしたいと存じております。教育も大切でございましょうが、その前に、子が無事に生まれて育ち、母も健やかでありますことが、まず第一と愚考いたします。伝え聞くところによりますと、函館でエルドリッチ先生が産科の講義をなさっておられるとか。こちらを卒業の後は、聴講させていただければ、この上ない幸せなのでございますが」
常が去った後、有礼は呆然とし、黒田は笑いをかみ殺すのに必死でした。
あきらかに常は、有礼が自分に気があることに気づき、予防線を張ったのです。
しかし黒田は、内心、困ったことになった、とも思ってもおりました。「卒業後は5年間の開拓使奉公」と規定しましたものの、予算不足と文部省からの抗議で、開拓使でこれ以上、北海道での女子教育を積極的に進めることもできず、となれば、女性教師の数もそれほどいりません。また医学校は、最初に構想しました大規模なものは実現せず、函館で、エルドリッジが診療の傍ら、小規模に教えているような実態ですが、それでさえ、廃止の方向が打ち出されている現状なのです。
これはもう、なんとか骨を折って「この変人の思いをかなえてやるしかない!」と、決心したところで、有礼が宣言しました。
「決めもした! おいは常女を娶りもす」
黒田は、「だからおまえ……、許婚が脱走兵になって死んだだの、母親が静岡移住で死んだだの、あれだけ嫌みを並べ立てたのは、気がないからだろうが」と脱力しつつ、「どげ、協力してやればいいもんか」と、思いをめぐらせたのです。
そんな黒田の好意も知らず、有礼は、またも演説をはじめました。
「女学生に言われるようでは、まずは太政官のお歴々から、啓蒙せにゃなりもはんな」
仕方なく、黒田は頷きました。黒田の妻は芸者ではなく士族ですが、もちろん、芸者遊びが嫌いなわけではありません。
「そいもよかが、長州攻撃ととられるのもやっかいじゃて、てげてげにな」
えー、親分の木戸孝允に伊藤博文。長州閥のトップ2は、芸者さんを正妻に迎えていたんです。
「そげなことはなか。芸者を正妻にするよりも、正妻がありながら芸者を妾にするのは、もっと悪か。夫婦はたがいに貞節を守らにゃなりもはん。そいが人倫というもんごはす」
黒田はもう、目を白黒させておりました。「大久保さあもかよ。おい、おい、おい、おい………」と、あきれつつ、いや自分も含まれるか、と苦笑して、まあ、この大まじめな変人の恋を助けてやれるのはおれしかない、と思い直したのでした。
そんなわけで、有礼は急遽、「妻妾論ノ一」を書き上げ、明六雑誌に発表したような次第……、かもしれません(笑)
続きます。
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私は、暇で金も無いことから、(ブログも無料だと分かり)、最近、ブログを始めたのです。、まー、適当に、歴史でもやるかなと、始めたのは酔いのですが、書くのは大変で、貴方のブログの熱意には関心しまして。その、熱意は何処から来ているのか?
続行出来る、秘訣ありや。どうでしょう。
HPを見せていただいたんですが、羽生城といいますのは、幕末の野州羽生陣屋のことでいいんでしょうか? 歩兵とシルクと小栗上野介 vol2 http://blog.goo.ne.jp/onaraonara/e/e58177958b1e3087ee2446e0c74519e9
で、書きましてて、最近、場所を調べたのですが、埼玉県羽生市の現在の高山稲荷神社付近、ということでOKなんだろうかと、ちょっと不安です。
龍馬暗殺の考察は、おもしろかったです。
えーと、そのー、私、半年以上、ブログをほったらかしにしていたり、けっこうしまして、今回も久しぶりに書き始めたところでして、書きかけで中断のシリーズ多数です。
最初、突然、読書感想文が書きたくなり、HPは持っているのですが、更新がめんどうだしで、あまり続けるつもりもなくこのブログを作り、それから三ヶ月後、また突然、モンブラン伯爵について知りたくなったのですが、ろくに史料にめぐりあえずに、謎ときのためにだれか情報をくれないものかと、ここで呼びかけたのですが、ろくに訪問者もなく、あー、こまめに書かなくては情報も得られないかと、最初は、昔知っていたことを、簡単に書いていたんですね。ところがそのうち、思いついたことや教わったことを書けば忘れないでいられると、備忘録になってきまして長くなり、長くなりますと時間をとられ、実生活でいろいろありますと書くのがいやになり、見るのもいやになることもありまして、幾度も中断するのですが、友人に言葉をかけてもらいましたり、自然にまた書きたいことができたりでして、復活するわけです。
私、父母が病気で倒れる以前は、フリーのライターをしてまして、一応は、文章を書き慣れているはずなのです。はずなのですが、もともと遅筆ですし、仕事ならば編集の方で誤字、脱字チェックもしてくれるのですが、趣味ではそれもなく、けっこうくたびれますよねえ。
なにかの謎にとりつかれますと、それで頭がいっぱいになりまして、次から次に本やら史料やらを読み飛ばしー、忘れないためにまとめている、というだけなんです。
ブログとは別に物語を書きたい、という気はあって、そのための謎解きではあるんですが、脱線が私の常でして、さっぱり、前へ向かって進みません。
今回のように、ギャグパロディにしてしまいますのは、とても楽しいので、まあ、あれです。楽しんで書くことがなによりかと思うような次第です。楽しくないときは、いくらでもお休みすればいいんですわ。
あー、去年、久しぶりにちょこっと仕事をしましたら、やはり仕事の文章と趣味のブログではまったくちがいまして、苦労いたしました。やはり、仕事は苦痛です。
やはり、ライターを。文章が上手いですので、そうかなと想像はしてたのですよ。しかし、もったいない文章で、もうすこし、別の公開方法も考えた方が良いですよ。ブログと言うのは自己満足には良いですが、人に伝えたいという事には、難色がありで。これから先、ブログの形態も変えていかないと駄目かも。
何か、貴方の書く気持ちが、良く、分かりますよ。何か、表現したい欲望と、むなしさとが交錯する。ブログの安易さの良さと、その限界と言うのが、ブログにはある。誰でも、作家、評論家になれるが、読者に問うことが出来ないで、埋もれていくのがブログで。こんな感じですかね。ブログは。
これからは、電子書籍の中間を考えた方が、良いですね。誰か、やらないと。
当方も、自己満足でブログを初めて、友人たちなどには誰も知らせず、やっていますが。纏まれば、一つの読み物になるようにと、創作していますが、永遠にマスタ^ベーションで終わると思いますがね。笑い。
それはそうと、有間新八でしたか、続きがみたいですよ。お願いいたしますよ。
それと、リンクしてもよろしいですか?数少ないのですが、リンクは。笑い。
リンクの件、もちろんOKです。こちらからも、させていただければ、と存じます。
私、仕事をしながら、えー、そのー、歴史系ではありませんでしたが、パロディ系のお遊び同人をやっていましたので、マイナーなのには慣れているんです。
仕事で文章を書くことには、当然のことながら、あれこれ制約がありますから、鬱憤をはらしたくて、やっていたんです。
あれを考えますと、現在このブログでのアクセスが、決して少なくもないのではないか、と思ったりもします。検索で迷い込まれる方が多数おられますから、なんとも言い難いのですけれども。
自己満足は自己満足なのですが、公開前提に書いていますと、一応、他人が読んでわかるように書こうとしますし、そうすることによって、考えがまとまったり、思わぬ発見があったりもするものではないでしょうか。自分がわかっていないことを、他人様に説明はできませんから。
まあ、そういう効用は、あろうかと思うんですのよ。
とはいいますものの、「未だ覚めず池塘春草の夢、階前の梧葉已に秋声」の思いを深くしますこのころ、死ぬまでに何本か、ちゃんと小説を完成させたいなあ、と焦ってはいるのですが、完成しましたら、懲りに凝った装丁で自費出版して友人に配りたいものだとか夢見てみたり、私の場合、かなり最後まで自己満足だったりいたします。
有馬新七のお話は、大河の篤姫に腹を立てたのが書くきっかけではあったんですが、桐野の話につなげようと、なんか構想が大きくなったのが敗因でした。中編の冒頭までは書いているんですけど、あのあと、いろいろな方面に迷いまして。
腹を立てるとむきになって書こうとしますので、もう幕末大河ドラマは見ない方がよさそうだと、今回の龍馬伝はまったく見ていません(笑) いっそ、はじけてパロディにしてくれたら、見るんですけどねえ。
当時としては、すごいですよね。不倫かどうかは別にして。その子供を日本に連れて来たのですから。森も、キリスト教者として、堕胎を認められずで、常を許したのですかね。
彼はヨーロッパやアメリカなどの教会で、多くの私生児を見ていたのは確かですし。
今後、娘の動向も、知りたいですね。楽しみです。
それはそうと、リンクのお願いを了承いただき、ありがとうございます。早速、ブックマークに載せます。ありがとうございました。
以上。