広瀬常と森有礼 美女ありき8の続きです。
森有礼夫人・広瀬常の謎 前編と後編下で書きました、下の本が発売されました。
とばし読みしかしてないんですけれども。
このお常さん、怖いんですっ!!!
なんといいますか……、テーストは「徳川の夫人たち」文明開化判!!!
えー、広瀬寅五郎=秀雄説をとっておられますが、函館奉行所履歴明細短冊(慶応二年)では定役ですのに、なぜか同心から調役まで出世して旗本、ということになっていたりしまして、常は旗本の一人娘で、美人で、いやーな感じにえらそーなんですの。
しかも、ですね。
「徳川の夫人たち」の主人公・永光院お万の方は、ですね。公家の娘の誇りはあっても、そこにとどまることなく、なぜ公家が落魄れているかを考え、与えられた環境でせいいっぱ自分を生かし、春日局との戦い方も見事で、秘めた恋にも共感がわくんですが、この小説のお常さんはただただ西洋かぶれの白人男好きでヒステリーな感じでして、「わあああああっ、無名のお芋ちゃんたちかわいそう!」「お里さんもお広さんも、かわいそう!」なんです。
だいたい、森有礼全集を見ましたら、末っ子の有礼は明治3年に分家しておりまして、本家の跡取りは、有礼の長兄の遺児、有祐です。つまり広瀬常と森有礼 美女ありき2で書きましたが、クララ・ホイットニーが「「王子さまみたい!」「これほど洗練されて優雅な子はほかに日本にはいない!」「美の典型!」」と絶賛した有祐少年が本家の跡取りですし、その母が広さんです。なんでその広さんを、横山家の嫁にして、底意地の悪い同居親族に仕立てなければならないのか、まったくもって、私にはわかりません。
文庫で読めます「勝海舟の嫁 クララの明治日記」では、ホイットニー一家の来日は明治8年8月で、森有礼と常の結婚式(2月)のときにはまだ来日していませんのに、していることとなり、まあ、それはいいとしまして、有礼の両親と広さん、有祐の本家一族は、有礼と常の新婚分家夫妻とは、別所帯だったらしいことが読み取れますのに、同居にしてしまい、気の毒な里さんは、西洋嫌いで、絵に描いた鬼婆のような姑にされてしまってます。
えー、森有礼夫人・広瀬常の謎 後編上で、「常が明治8年12月30日、長男の清を生んだときに、取りあげたのは、シーボルトの娘イネではなかったか」と推測したんですが、ちょうど、そのわずか15日ほど後の平成9年1月14日、クララが同じ敷地の森本家を訪ねた描写があります。以下、「クララの明治日記」より引用です。
今日、神様のお顔を見、お手を感じる厳粛な出来事があった。森さんのおばあさま(里)は、先頃卒中におかかりになった。とても親切な方なので、私たちは皆気づかっていたが、悲しいことに、今にも去ってしまいそうな魂のために、木と石の神様に随分祈願をなさっておられる。昨夜お祈りの後で、母が有祐さんに、おばあさまはイエス様のことを聞いたことがおありになるかどうか尋ねると、有祐さんは、いいえ、と言った。母はいい種を蒔こうといつも心掛けているので、有祐さんにおばあさまがいつか、お祈りや、神様についての話をお聞きになりたいかどうかをうかがって下さい、と言った。有祐さんはお辞儀をして、聞いてみますと答えたが、間もなく走って戻って来て、おばあさまがすぐに母に来て欲しいと言っていらっしゃる。と言った。(中略) 森さんのお父さまと、背の高いお孫さん、それから日本人があと二人、一部屋で将棋を指していた。そして別の部屋に、屏風で仕切った陰におばあさまが、左側がすっかり麻痺しておられるので、とても苦しそうに寝ていらっしゃった。日本式の寝床なので、私たちはそばに坐り、ヒロ(広)と少し話をした。母がお祈りを始めると、部屋にいた人たちはは皆低くお辞儀をした。(後略)
常の出産時、里さんは卒中で倒れ、半身不随になっていたことがわかりますし、中心になってそのめんどうを見ていたのは、本家の嫁である広さんであることも、はっきりします。里さんと広さん、二人して初産の常をいじめまくったって、どこから思いつかれたのやら。
また広さんは、常より先にホイットニー一家と知り合っていますし、里さんは病床まで、ホイットニー夫人とクララを入れたんです。有礼の密航留学が決まったとき、「チェストー!!! 気張りやんせ、金之丞(有礼)!」と大喜びした里さんが、外国人嫌いのはずがないじゃありませんか。
この翌日、クララはこう書いています。
今日、森さんのおばあさまから母にお祈りに来て欲しいとというお使いが来た。今度は通訳もつけていらっしゃり、ご自分の神様は信じる価値がないから、もっといいものが欲しいと言われた。
まあ、ですね。ここらへんのクララの記述を読んでいますと、クリスチャンではない私などは、既成のプロテスタントもけっこうカルトじみてるなあ、と思うのですが、クララの母・ホイットニー夫人がとてもいい人で、里さんの身をほんとうに案じていたのはよくわかりますし、里さんはその博愛の情を感じとって、キリスト教に帰依してもいい、と思ったんでしょうね。
おそらく、夫からか息子からか勧められて、八田じいさまの「大理論畧」を読んでいたでしょうし、有礼は「キリスト教の神も日本の神も同じだから」なんっちゃって理論を語っていたでしょうし、愛息のすることを、逐一理解するだけの教養を、里さんは備えていたと思いますわよ。単に、英語がしゃべれないだけで。
で、なんといっても呆然といたしましたのが、「ライマンなんかに惚れるかあ、普通???」ってところでしょう。広瀬常と森有礼 美女ありき6で書きましたが、ライマンって、あきれた上から目線のいやーな男ですし、松本十郎は「常は断った」と回想しているんですし。
おまけに、安の父親はゆきずりのアメリカ人設定で、恋する常はヒステリー状態。理解に苦しみます。
最後に、私的には、「鮫ちゃんが出てこないっ!!!」が、けっこうな不満かな(笑) 鮫ちゃんは、有礼の魂の伴侶ですわよ。
すみません。植松三十里さま。小説ですものね。同じ資料を材料にしましても、いろいろな書き方があるのは百も承知です。
しかし、常を調べているうちに、里さんも広さんも大好きになりました私としましては、ちょっと黙ってはいられない気分でした。
言いたいことを言い終えましたので、ギャグだと思って楽しむことにします。
このシリーズ、続きます。
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森有礼夫人・広瀬常の謎 前編と後編下で書きました、下の本が発売されました。
辛夷開花 | |
植松 三十里 | |
文藝春秋 |
とばし読みしかしてないんですけれども。
このお常さん、怖いんですっ!!!
なんといいますか……、テーストは「徳川の夫人たち」文明開化判!!!
えー、広瀬寅五郎=秀雄説をとっておられますが、函館奉行所履歴明細短冊(慶応二年)では定役ですのに、なぜか同心から調役まで出世して旗本、ということになっていたりしまして、常は旗本の一人娘で、美人で、いやーな感じにえらそーなんですの。
しかも、ですね。
「徳川の夫人たち」の主人公・永光院お万の方は、ですね。公家の娘の誇りはあっても、そこにとどまることなく、なぜ公家が落魄れているかを考え、与えられた環境でせいいっぱ自分を生かし、春日局との戦い方も見事で、秘めた恋にも共感がわくんですが、この小説のお常さんはただただ西洋かぶれの白人男好きでヒステリーな感じでして、「わあああああっ、無名のお芋ちゃんたちかわいそう!」「お里さんもお広さんも、かわいそう!」なんです。
だいたい、森有礼全集を見ましたら、末っ子の有礼は明治3年に分家しておりまして、本家の跡取りは、有礼の長兄の遺児、有祐です。つまり広瀬常と森有礼 美女ありき2で書きましたが、クララ・ホイットニーが「「王子さまみたい!」「これほど洗練されて優雅な子はほかに日本にはいない!」「美の典型!」」と絶賛した有祐少年が本家の跡取りですし、その母が広さんです。なんでその広さんを、横山家の嫁にして、底意地の悪い同居親族に仕立てなければならないのか、まったくもって、私にはわかりません。
文庫で読めます「勝海舟の嫁 クララの明治日記」では、ホイットニー一家の来日は明治8年8月で、森有礼と常の結婚式(2月)のときにはまだ来日していませんのに、していることとなり、まあ、それはいいとしまして、有礼の両親と広さん、有祐の本家一族は、有礼と常の新婚分家夫妻とは、別所帯だったらしいことが読み取れますのに、同居にしてしまい、気の毒な里さんは、西洋嫌いで、絵に描いた鬼婆のような姑にされてしまってます。
えー、森有礼夫人・広瀬常の謎 後編上で、「常が明治8年12月30日、長男の清を生んだときに、取りあげたのは、シーボルトの娘イネではなかったか」と推測したんですが、ちょうど、そのわずか15日ほど後の平成9年1月14日、クララが同じ敷地の森本家を訪ねた描写があります。以下、「クララの明治日記」より引用です。
今日、神様のお顔を見、お手を感じる厳粛な出来事があった。森さんのおばあさま(里)は、先頃卒中におかかりになった。とても親切な方なので、私たちは皆気づかっていたが、悲しいことに、今にも去ってしまいそうな魂のために、木と石の神様に随分祈願をなさっておられる。昨夜お祈りの後で、母が有祐さんに、おばあさまはイエス様のことを聞いたことがおありになるかどうか尋ねると、有祐さんは、いいえ、と言った。母はいい種を蒔こうといつも心掛けているので、有祐さんにおばあさまがいつか、お祈りや、神様についての話をお聞きになりたいかどうかをうかがって下さい、と言った。有祐さんはお辞儀をして、聞いてみますと答えたが、間もなく走って戻って来て、おばあさまがすぐに母に来て欲しいと言っていらっしゃる。と言った。(中略) 森さんのお父さまと、背の高いお孫さん、それから日本人があと二人、一部屋で将棋を指していた。そして別の部屋に、屏風で仕切った陰におばあさまが、左側がすっかり麻痺しておられるので、とても苦しそうに寝ていらっしゃった。日本式の寝床なので、私たちはそばに坐り、ヒロ(広)と少し話をした。母がお祈りを始めると、部屋にいた人たちはは皆低くお辞儀をした。(後略)
常の出産時、里さんは卒中で倒れ、半身不随になっていたことがわかりますし、中心になってそのめんどうを見ていたのは、本家の嫁である広さんであることも、はっきりします。里さんと広さん、二人して初産の常をいじめまくったって、どこから思いつかれたのやら。
また広さんは、常より先にホイットニー一家と知り合っていますし、里さんは病床まで、ホイットニー夫人とクララを入れたんです。有礼の密航留学が決まったとき、「チェストー!!! 気張りやんせ、金之丞(有礼)!」と大喜びした里さんが、外国人嫌いのはずがないじゃありませんか。
この翌日、クララはこう書いています。
今日、森さんのおばあさまから母にお祈りに来て欲しいとというお使いが来た。今度は通訳もつけていらっしゃり、ご自分の神様は信じる価値がないから、もっといいものが欲しいと言われた。
まあ、ですね。ここらへんのクララの記述を読んでいますと、クリスチャンではない私などは、既成のプロテスタントもけっこうカルトじみてるなあ、と思うのですが、クララの母・ホイットニー夫人がとてもいい人で、里さんの身をほんとうに案じていたのはよくわかりますし、里さんはその博愛の情を感じとって、キリスト教に帰依してもいい、と思ったんでしょうね。
おそらく、夫からか息子からか勧められて、八田じいさまの「大理論畧」を読んでいたでしょうし、有礼は「キリスト教の神も日本の神も同じだから」なんっちゃって理論を語っていたでしょうし、愛息のすることを、逐一理解するだけの教養を、里さんは備えていたと思いますわよ。単に、英語がしゃべれないだけで。
で、なんといっても呆然といたしましたのが、「ライマンなんかに惚れるかあ、普通???」ってところでしょう。広瀬常と森有礼 美女ありき6で書きましたが、ライマンって、あきれた上から目線のいやーな男ですし、松本十郎は「常は断った」と回想しているんですし。
おまけに、安の父親はゆきずりのアメリカ人設定で、恋する常はヒステリー状態。理解に苦しみます。
最後に、私的には、「鮫ちゃんが出てこないっ!!!」が、けっこうな不満かな(笑) 鮫ちゃんは、有礼の魂の伴侶ですわよ。
すみません。植松三十里さま。小説ですものね。同じ資料を材料にしましても、いろいろな書き方があるのは百も承知です。
しかし、常を調べているうちに、里さんも広さんも大好きになりました私としましては、ちょっと黙ってはいられない気分でした。
言いたいことを言い終えましたので、ギャグだと思って楽しむことにします。
このシリーズ、続きます。
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昼メロドラマ原作と割り切れば良いのでしょうが、ああも薩摩を悪く言われますと・・・。
「旗本」と出るたびにシラケましたし。(笑)
植松さんは静岡出身ですから、やはり幕府贔屓なんでしょうかねぇ。
郎女さまのおっしゃるとおりの植松さんの「常さん」が、ヒロインですのに好きにはなれませんでした。
広さんは横山家の嫁になっていましたね。
コピー送付いたしました。メール便ですので2月3日か4日に着くと思います。
畠山さんの蔵書の件ですが。
国会図書館の検索で「洋図書」にチェックを入れてなかったので、本が見つからなかっただけでした。
タイトルは「DIARY of the Japanese Visit to Philadelphia in 1872」です。
マイクロでは無いようです。
おっしゃる通り、主人公のはずのお常さんが、とんでもなくいやーな人柄に描かれていて、感情移入できないのがすべて、なんだと思います。ほんと、嘘を書いていましても、おもしろい本はおもしろいんですけれど。
そのお話で夢中になり、鳥羽伏見炊事合戦のお話をしようと思っていましたのに、つい、しそびれまして。4日、5日と、有馬藤太は吉井の命令で、御香宮でご飯炊きの警備をしていたんだというんです。有馬の率いていたのは郷士ですから、これも郷士差別ですかねえ(笑) 回顧録を、ぜひ読み返してみてくださいませ。笑えます。
野口氏「鳥羽伏見の戦い」P.255の鏑木靱負についても書いてありましたね。
山田の市ちゃんとおにぎりほおばっていて西郷に𠮟られた件も確かめたいなあ、と思っているんですが、伝記のコピー、どこにやりましたのやら。図書館で借りだし可能なので、また借りてみますわ。さすがに、おにぎりの件までは載ってないでしょうけど(笑)
山田の伝記は日本大学出版のものでしょうか?
近くの図書館には古田薫氏の「剣と法典」はあるんですが、タイトルから幕末の山田については書かれていない感じです。
今、ヤフオクで「有馬聞書き」が出品されてます。でも、「維新史の片鱗」ではなくて、上野一郎編の現代語訳のほうなのに、いいお値段です。(笑)
鹿児島県立図書館のHPページが新しくなり、蔵書検索できます。
『都城と戊辰戦争』あります。
コピー、どうしましょうか。私の国会図書館行きより早いかも。
4日夜、郎女さまにお電話します。
それと、これからブログに書くつもりなんですが、勝之丞さまの紹介で「偽金づくりと明治維新」という本を読みまして、著者は鹿児島の方で、鹿児島県史料の編纂に携わっていて、かなり確かな内容です。
その偽金作り計画の中枢に大久保がいて、現場には市来四郎がいるんです。市来四郎は、偽金作りに反対していて、大久保やら、その大久保と密接な小松帯刀が、嫌いだったみたいなんです。
で、維新になって、新政府は偽金整理をしなければいけなくなり、大久保はいち早く、鹿児島に、偽金作りの中止を進言するんですね。自分が推進したことですから。
で、明治2年だか、上京して中止した状況を大久保に説明しているのが、桐野だというんです。
戊辰戦争後、桐野はかなり藩政にかかわっていたのではないかと思われ、このとき、市来四郎は桐野を認めたのかな、と、ふと思いました。
図書館にあるので、早速借ります。
都城の件ですが。
昨日玄関を出ようとしたら、緊急の仕事の電話が入り、国会図書館には行けなくなりました。
いつもよりは、ちゃんと早起きしたんですよ。
(苦笑) それで、鹿児島県立図書館に電話して調べて頂き、コピー依頼しました。『丁丑役戦歿~』の残りの四氏のコピーもお願いしました。こちらは奥付を見てもらったのですが、やはり筆者はわからないそうです。