(01)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2115年、13頁)。
従って、
(01)により、
(02)
① 私が主役です。
② 私は主役です。
に於いて、
① _が(濁音) の方が、
② _は(清音) よりも、「心理的な音量」が「大きい」。
従って、
(02)により、
(03)
Q:「私が」は「私は」よりも「私」が強調されているように感じるのはなぜか(橋本陽介、日本語の謎を解く、2016年、146頁)。
と言へば、実際に、
A:「私が(濁音)」の方が、「私は(清音)」よりも、「心理的な音量」が「大きい」からである。
然るに、
(04)
ネイティブの英語の話し方 ― 特に伝えたい部分の単語を強調して話してみよう。ネイティブは、英語を話すときにどこの部分を相手に強調したいかによって、その単語の発音を強めることがあるのをご存知ですか? 例えば、I を強調することで、「他の人ではなく私が」という意味合いが強くなります(cf.https://www.eigowithluke.com)。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 私が(濁音) の方が、
② 私は(清音) よりも、「心理的な音量」が「大きい」が故に、
① 私が主役です。
といふ「日本語」は、
①(他の人ではなく)私が主役です。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(06)
①(他の人ではなく)私が主役です。
といふことは、
① 私は主役であって(、私以外は主役ではない)。
といふ、ことである。
然るに、
(07)
① 私は主役であって(、私以外は主役ではない)。
といふことは、
① ∃x{私x&主役x&~∃y[主役y&(x≠y)]}。
といふこと、すなはち、
① あるxは私であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外である。といふことはない。
といふ、ことである。
然るに、
(08)
1 (1)∃x{私x&主役x&~∃y[主役y&(x≠y)]} A
1 (〃)あるxは私であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外である。といふことはない。
2 (2) 私a&主役a&~∃y[主役y&(a≠y)]} A
2 (3) 私a 2&E
2 (4) 主役a 2&E
2 (5) ~∃y[主役y&(a≠y)] 2&E
2 (6) ∀y~[主役y&(a≠y)] 5量化子の関係
2 (7) ~[主役b&(a≠b)] 6UE
2 (8) ~主役b∨~(a≠b) 7ド・モルガンの法則
2 (9) ~主役b∨ (a=b) 8DN
2 (ア) 主役b→(a=b) 9含意の定義
イ(イ) 主役b A
2イ(ウ) (a=b) アイMPP
(エ) (a=a) =I
2イ(オ) (b=a) ウエ=E
2 (カ) 主役b→(b=a) イオCP
2 (キ) ∀y[主役y→(y=a)] カUI
2 (ク) 主役a&私a 34&I
2 (ケ) 主役a&私a& ∀y[主役y→(y=a)] キク&I
2 (コ)∃x{主役x&私x& ∀y[主役y→(y=x)]} ケEI
1 (サ)∃x{主役x&私x& ∀y[主役y→(y=x)]} 12コEE
1 (〃)あるxは主役であって、xは私であって、すべてのyについて、yが主役であるならば、yはxである。
従って、
(05)~(08)により、
(09)
① 私が主役です=∃x{私x&主役x&~∃y[主役y&(x≠y)]}。
② 主役は私です=∃x{主役x&私x& ∀y[主役y→(y=x)]}。
に於いて、すなはち、
① 私が主役です=ある xは私であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外である。といふことはない。
② 主役は私です=あるxは主役であって、xは私であって、すべてのyについて、yが主役であるならば、yはxである。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(10)
そして緊張の合格発表。2018年のアニー役に選ばれたのは、ともに劇中のアニーと同じく11歳の、新井 夢乃(アライ ユメノ)・宮城 弥榮(ミヤギ ヤエ)! 新井は2回目、宮城も2回目(1回目はダンスキッズへの応募)の挑戦でアニー役を獲得した。
従って、
(11)
例へば、「演劇・アニー」の場合は、主役が、二人ゐる。
然るに、
(12)
1 (1)∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]} A
1 (〃)あるxは新井であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外にもゐる。
1 (〃) 新井は主役であって、主役であるyが、新井以外にもゐる。
2 (2) 新井a&主役a& ∃y[主役y&(a≠y)]} A
2 (3) 新井a&主役a 2&E
2 (4) ∃y[主役y&(a≠y)] 2&E
5(5) [主役b&(a≠b)] A
5(6) ~~[主役b&(a≠b)] 6DN
5(7) ~[~主役b∨~(a≠b)] 6ド・モルガンの法則
5(8) ~[~主役b∨(a=b)] 7DN
5(9) ~[主役b→(a=b)] 8含意の定義
5(ア) ∃y~[主役y→(a=y)] 9EI
2 (イ) ∃y~[主役y→(a=y)] 25アEE
2 (ウ) ~∀y[主役y→(a=y)] イ量化子の関係
2 (エ) 新井a&主役a&~∀y[主役y→(a=y)] 3ウ&I
2 (オ)∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]} エEI
1 (カ)∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]} 12オEE
1 (〃)あるxは新井であって、xは主役であるが、すべてのyについて、yが主役ならば、xとyが同じ人物である。といふわけではない。
1 (〃) 新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない。
従って、
(12)により、
(13)
③ 新井_主役です=∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
④ 新井_主役です=∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]}。
に於いて、すなはち、
③ 新井_主役です=新井は主役であるが、主役であるyが、新井以外にもゐる。
④ 新井_主役です=新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(14)
③ 新井_主役です=新井は主役であるが、主役であるyが、新井以外にもゐる。
④ 新井_主役です=新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない。
といふのであれば、
③ 新井が主役です=新井は主役であるが、主役であるyが、新井以外にもゐる。
④ 新井が主役です=新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない。
といふことは、有り得ない。
従って、
(13)(14)により、
(15)
③ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
④ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]}。
従って、
(09)(15)により、
(16)
① 私が主役です =∃x{ 私x&主役x&~∃y[主役y&(x≠y)]}。
② 主役は私です =∃x{主役x& 私x& ∀y[主役y→(y=x)]}。
③ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
④ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]}。
従って、
(16)により、
(17)
① 私が主役です=∃x{私x&主役x&~∃y[主役y&(x≠y)]}。
③ 私は主役です=∃x{私x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
といふ、ことになる。
従って、
(17)により、
(18)
① 私が主役です。
③ 私は主役です。
に於ける、
① _が と、
③ _は の、「違ひ」は、
① ~∃y と、
③ ∃y の、「違ひ」である。
従って、
(18)により、
(19)
① 私が主役です。
③ 私は主役です。
に於ける、
① _が と、
③ _は の、「違ひ」は、
① 新情報 と、
③ 旧情報 の、「違ひ」である。
といふことには、ならない。
然るに、
(20)
Q:「私が」は「私は」よりも「私」が強調されているように感じるのはなぜか。
「主役は私だ」と「私が主役だ」と比べると「私」の方が強調されているように思われます。先ほど明らかにしたように、「が」は新情報を表すので、「新しいこととして提示する→強調」につながるためでしょう。このように、「他の人ではなく私が」という意味がでるものを、「が」の排他的意味と呼びます(橋本陽介、日本語の謎を解く、2016年、146頁)。
との、ことである。
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2115年、13頁)。
従って、
(01)により、
(02)
① 私が主役です。
② 私は主役です。
に於いて、
① _が(濁音) の方が、
② _は(清音) よりも、「心理的な音量」が「大きい」。
従って、
(02)により、
(03)
Q:「私が」は「私は」よりも「私」が強調されているように感じるのはなぜか(橋本陽介、日本語の謎を解く、2016年、146頁)。
と言へば、実際に、
A:「私が(濁音)」の方が、「私は(清音)」よりも、「心理的な音量」が「大きい」からである。
然るに、
(04)
ネイティブの英語の話し方 ― 特に伝えたい部分の単語を強調して話してみよう。ネイティブは、英語を話すときにどこの部分を相手に強調したいかによって、その単語の発音を強めることがあるのをご存知ですか? 例えば、I を強調することで、「他の人ではなく私が」という意味合いが強くなります(cf.https://www.eigowithluke.com)。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 私が(濁音) の方が、
② 私は(清音) よりも、「心理的な音量」が「大きい」が故に、
① 私が主役です。
といふ「日本語」は、
①(他の人ではなく)私が主役です。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(06)
①(他の人ではなく)私が主役です。
といふことは、
① 私は主役であって(、私以外は主役ではない)。
といふ、ことである。
然るに、
(07)
① 私は主役であって(、私以外は主役ではない)。
といふことは、
① ∃x{私x&主役x&~∃y[主役y&(x≠y)]}。
といふこと、すなはち、
① あるxは私であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外である。といふことはない。
といふ、ことである。
然るに、
(08)
1 (1)∃x{私x&主役x&~∃y[主役y&(x≠y)]} A
1 (〃)あるxは私であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外である。といふことはない。
2 (2) 私a&主役a&~∃y[主役y&(a≠y)]} A
2 (3) 私a 2&E
2 (4) 主役a 2&E
2 (5) ~∃y[主役y&(a≠y)] 2&E
2 (6) ∀y~[主役y&(a≠y)] 5量化子の関係
2 (7) ~[主役b&(a≠b)] 6UE
2 (8) ~主役b∨~(a≠b) 7ド・モルガンの法則
2 (9) ~主役b∨ (a=b) 8DN
2 (ア) 主役b→(a=b) 9含意の定義
イ(イ) 主役b A
2イ(ウ) (a=b) アイMPP
(エ) (a=a) =I
2イ(オ) (b=a) ウエ=E
2 (カ) 主役b→(b=a) イオCP
2 (キ) ∀y[主役y→(y=a)] カUI
2 (ク) 主役a&私a 34&I
2 (ケ) 主役a&私a& ∀y[主役y→(y=a)] キク&I
2 (コ)∃x{主役x&私x& ∀y[主役y→(y=x)]} ケEI
1 (サ)∃x{主役x&私x& ∀y[主役y→(y=x)]} 12コEE
1 (〃)あるxは主役であって、xは私であって、すべてのyについて、yが主役であるならば、yはxである。
従って、
(05)~(08)により、
(09)
① 私が主役です=∃x{私x&主役x&~∃y[主役y&(x≠y)]}。
② 主役は私です=∃x{主役x&私x& ∀y[主役y→(y=x)]}。
に於いて、すなはち、
① 私が主役です=ある xは私であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外である。といふことはない。
② 主役は私です=あるxは主役であって、xは私であって、すべてのyについて、yが主役であるならば、yはxである。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(10)
そして緊張の合格発表。2018年のアニー役に選ばれたのは、ともに劇中のアニーと同じく11歳の、新井 夢乃(アライ ユメノ)・宮城 弥榮(ミヤギ ヤエ)! 新井は2回目、宮城も2回目(1回目はダンスキッズへの応募)の挑戦でアニー役を獲得した。
従って、
(11)
例へば、「演劇・アニー」の場合は、主役が、二人ゐる。
然るに、
(12)
1 (1)∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]} A
1 (〃)あるxは新井であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外にもゐる。
1 (〃) 新井は主役であって、主役であるyが、新井以外にもゐる。
2 (2) 新井a&主役a& ∃y[主役y&(a≠y)]} A
2 (3) 新井a&主役a 2&E
2 (4) ∃y[主役y&(a≠y)] 2&E
5(5) [主役b&(a≠b)] A
5(6) ~~[主役b&(a≠b)] 6DN
5(7) ~[~主役b∨~(a≠b)] 6ド・モルガンの法則
5(8) ~[~主役b∨(a=b)] 7DN
5(9) ~[主役b→(a=b)] 8含意の定義
5(ア) ∃y~[主役y→(a=y)] 9EI
2 (イ) ∃y~[主役y→(a=y)] 25アEE
2 (ウ) ~∀y[主役y→(a=y)] イ量化子の関係
2 (エ) 新井a&主役a&~∀y[主役y→(a=y)] 3ウ&I
2 (オ)∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]} エEI
1 (カ)∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]} 12オEE
1 (〃)あるxは新井であって、xは主役であるが、すべてのyについて、yが主役ならば、xとyが同じ人物である。といふわけではない。
1 (〃) 新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない。
従って、
(12)により、
(13)
③ 新井_主役です=∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
④ 新井_主役です=∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]}。
に於いて、すなはち、
③ 新井_主役です=新井は主役であるが、主役であるyが、新井以外にもゐる。
④ 新井_主役です=新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(14)
③ 新井_主役です=新井は主役であるが、主役であるyが、新井以外にもゐる。
④ 新井_主役です=新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない。
といふのであれば、
③ 新井が主役です=新井は主役であるが、主役であるyが、新井以外にもゐる。
④ 新井が主役です=新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない。
といふことは、有り得ない。
従って、
(13)(14)により、
(15)
③ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
④ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]}。
従って、
(09)(15)により、
(16)
① 私が主役です =∃x{ 私x&主役x&~∃y[主役y&(x≠y)]}。
② 主役は私です =∃x{主役x& 私x& ∀y[主役y→(y=x)]}。
③ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
④ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]}。
従って、
(16)により、
(17)
① 私が主役です=∃x{私x&主役x&~∃y[主役y&(x≠y)]}。
③ 私は主役です=∃x{私x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
といふ、ことになる。
従って、
(17)により、
(18)
① 私が主役です。
③ 私は主役です。
に於ける、
① _が と、
③ _は の、「違ひ」は、
① ~∃y と、
③ ∃y の、「違ひ」である。
従って、
(18)により、
(19)
① 私が主役です。
③ 私は主役です。
に於ける、
① _が と、
③ _は の、「違ひ」は、
① 新情報 と、
③ 旧情報 の、「違ひ」である。
といふことには、ならない。
然るに、
(20)
Q:「私が」は「私は」よりも「私」が強調されているように感じるのはなぜか。
「主役は私だ」と「私が主役だ」と比べると「私」の方が強調されているように思われます。先ほど明らかにしたように、「が」は新情報を表すので、「新しいこととして提示する→強調」につながるためでしょう。このように、「他の人ではなく私が」という意味がでるものを、「が」の排他的意味と呼びます(橋本陽介、日本語の謎を解く、2016年、146頁)。
との、ことである。