(01)
① 三 二 一
② 下 二 一 上
④ 二 三 一
④ 下 二 上 一
に於いて、
① と ② は、「返り点」であるが、
③ と ④ は、「返り点」ではない。
従って、
(01)により、
(02)
① 3 2 1
② 4 2 1 3
③ 2<3>1
④ 4 2<3>1
といふ「順番」に於いて、
① と ② は、「返り点」を付けることが出来、
③ と ④ は、「返り点」を付けることが出来ない。
然るに、
(03)
① 3[2(1)]
② 4[2(1)3]
③ 2(3[1)]
④ 4{2(3[1)]}
に於いて、
#( )⇒( )#
#[ ]⇒[ ]#
#{ }⇒{ }#
といふ「移動」を行ふと、
① 3[2(1)] ⇒[(1)2]3。
② 4[2(1)3] ⇒[(1)23]4。
③ 2(3[1)] ⇒([1)2]3。
④ 4{2(3[1)]}⇒{([1)2]3}4。
といふ「ソート(並び替へ)」が、成立する。
然るに、
(04)
① [ ( )]
② [ ( ) ]
③ ( [ )]
④ { ( [ )]}
に於いて、
① と ② は、「括弧」であるが、
③ と ④ は、「括弧」ではない。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① 3 2 1
② 4 2 1 3
③ 2<3>1
④ 4 2<3>1
といふ「順番」に於いて、
① と ② は、「返り点」と「括弧」を付けることが出来、
③ と ④ は、「返り点」と「括弧」を付けることが出来ない。
従って、
(06)
例へば、
③ Who(are[you)]?⇒ あなたは 誰 ですか。
④ 只管要{纏(擾[我)]} ⇒ ヒタスラ 我ガ ヤッカイ ニナル。
のやうな、「英語」や「白話(中国語)」に対しては、「返り点(括弧)」を、付けることが出来ない。
然るに、
(07)
③ Who are you?
④ 要 纏 擾 我。
といふ「文」は、「十分に簡潔」である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
③ Who are you?
④ 要 纏 擾 我。
といふ「英文」や「白話文(中国語)」は、「十分に簡潔」であって、尚且つ、「返り点(括弧)」を、付けることが出来ない。
然るに、
(09)
During{the past seventy five years[since〔Japan's closed doors were(opened,)〕]}The Japanese have(been{described[in〔the most fantastic series of 'but alseo's'(ever used{for[any nation〔of(the world)〕]})〕]}). When〔a serious observer is(writing{about[peoples〔other than(the Japanese)〕]})and says〔they are(unprecedenty polite)〕〕,he isn't[likely〔to add,('But also insolent and overbearing.')〕]⇒
{[〔Japan's closed doors(opened,)were〕since]the past seventy five years}During.The Japanese({[〔({[〔(the world)of〕any nation]for}ever used)the most fantastic series of 'but also's'〕in]described}been)have.〔a serious obsever({[〔(the Japanese)other than〕peoples]about}writing)is〕When and〔they(unprecedently polite)are〕says,he[〔('But slso insolent and overbearing.')to add,〕likely]isn't. =
{[〔日本の閉ざされたドアが(開か)れて〕から]過去七十五年の}間、 日本人は({[〔({[〔(世界)の〕どの国民]に対しても}これまでに使われた中では)最も途方もない、一連の『だが一方で』の句〕で以て]描写}されて)きた。〔真剣に観察する人が({[〔(日本人)以外の〕国民に]ついて}書いて)いて、そして〔彼らは(ほかに例を見ないほど礼儀正しい)です〕と書く〕際に、その彼が[〔(『だが、無礼で横暴だ』と)付け加えることは〕有りそうに]ない。
といふ「英文」がさうであるやうに、大抵の「英文」には、「括弧(返り点)」を付けることが、出来る。
従って、
(08)(09)により、
(10)
簡潔を旨として作られた「文言文(漢文)」とは異なり、話し言葉(中国語)に基づく「白話文」は、本来訓読に適していない(川島優子、続「訓読論」、2010年、330頁改)。
とは言ふものの、「白話文が簡潔ではない」といふことと、「白話文(中国語)」に対して、「返り点(括弧)」を、付けることが出来ない。といこととは、「別の問題」である。
① 三 二 一
② 下 二 一 上
④ 二 三 一
④ 下 二 上 一
に於いて、
① と ② は、「返り点」であるが、
③ と ④ は、「返り点」ではない。
従って、
(01)により、
(02)
① 3 2 1
② 4 2 1 3
③ 2<3>1
④ 4 2<3>1
といふ「順番」に於いて、
① と ② は、「返り点」を付けることが出来、
③ と ④ は、「返り点」を付けることが出来ない。
然るに、
(03)
① 3[2(1)]
② 4[2(1)3]
③ 2(3[1)]
④ 4{2(3[1)]}
に於いて、
#( )⇒( )#
#[ ]⇒[ ]#
#{ }⇒{ }#
といふ「移動」を行ふと、
① 3[2(1)] ⇒[(1)2]3。
② 4[2(1)3] ⇒[(1)23]4。
③ 2(3[1)] ⇒([1)2]3。
④ 4{2(3[1)]}⇒{([1)2]3}4。
といふ「ソート(並び替へ)」が、成立する。
然るに、
(04)
① [ ( )]
② [ ( ) ]
③ ( [ )]
④ { ( [ )]}
に於いて、
① と ② は、「括弧」であるが、
③ と ④ は、「括弧」ではない。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① 3 2 1
② 4 2 1 3
③ 2<3>1
④ 4 2<3>1
といふ「順番」に於いて、
① と ② は、「返り点」と「括弧」を付けることが出来、
③ と ④ は、「返り点」と「括弧」を付けることが出来ない。
従って、
(06)
例へば、
③ Who(are[you)]?⇒ あなたは 誰 ですか。
④ 只管要{纏(擾[我)]} ⇒ ヒタスラ 我ガ ヤッカイ ニナル。
のやうな、「英語」や「白話(中国語)」に対しては、「返り点(括弧)」を、付けることが出来ない。
然るに、
(07)
③ Who are you?
④ 要 纏 擾 我。
といふ「文」は、「十分に簡潔」である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
③ Who are you?
④ 要 纏 擾 我。
といふ「英文」や「白話文(中国語)」は、「十分に簡潔」であって、尚且つ、「返り点(括弧)」を、付けることが出来ない。
然るに、
(09)
During{the past seventy five years[since〔Japan's closed doors were(opened,)〕]}The Japanese have(been{described[in〔the most fantastic series of 'but alseo's'(ever used{for[any nation〔of(the world)〕]})〕]}). When〔a serious observer is(writing{about[peoples〔other than(the Japanese)〕]})and says〔they are(unprecedenty polite)〕〕,he isn't[likely〔to add,('But also insolent and overbearing.')〕]⇒
{[〔Japan's closed doors(opened,)were〕since]the past seventy five years}During.The Japanese({[〔({[〔(the world)of〕any nation]for}ever used)the most fantastic series of 'but also's'〕in]described}been)have.〔a serious obsever({[〔(the Japanese)other than〕peoples]about}writing)is〕When and〔they(unprecedently polite)are〕says,he[〔('But slso insolent and overbearing.')to add,〕likely]isn't. =
{[〔日本の閉ざされたドアが(開か)れて〕から]過去七十五年の}間、 日本人は({[〔({[〔(世界)の〕どの国民]に対しても}これまでに使われた中では)最も途方もない、一連の『だが一方で』の句〕で以て]描写}されて)きた。〔真剣に観察する人が({[〔(日本人)以外の〕国民に]ついて}書いて)いて、そして〔彼らは(ほかに例を見ないほど礼儀正しい)です〕と書く〕際に、その彼が[〔(『だが、無礼で横暴だ』と)付け加えることは〕有りそうに]ない。
といふ「英文」がさうであるやうに、大抵の「英文」には、「括弧(返り点)」を付けることが、出来る。
従って、
(08)(09)により、
(10)
簡潔を旨として作られた「文言文(漢文)」とは異なり、話し言葉(中国語)に基づく「白話文」は、本来訓読に適していない(川島優子、続「訓読論」、2010年、330頁改)。
とは言ふものの、「白話文が簡潔ではない」といふことと、「白話文(中国語)」に対して、「返り点(括弧)」を、付けることが出来ない。といこととは、「別の問題」である。