(01)
(ⅰ)
1 (1) ∀x(象x→ 動物x) A
1 (2) 象a→ 動物a 1UE
3(3) ~動物a A
13(4) ~象a 23MTT
1 (5) ~動物a→~象a 34CP
1 (6)∀x(~動物x→~象x) 5UI
(ⅱ)
1 (1)∀x(~動物x→~象x) A
1 (2) ~動物a→~象a 1UE
3(3) 象a A
3(4) ~~象a 3DN
13(5) ~~動物a 24MTT
13(6) 動物a 5DN
1 (7) 象a→ 動物a 36CP
1 (8) ∀x(象x→ 動物x) 7UI
従って、
(01)により、
(02)
① ∀x( 象x→ 動物x)
② ∀x(~動物x→~象x)
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
② すべてのxについて(xが象でないならば、xは動物でない)。
に於いて、すなはち、
①「象の集合」は、「動物の集合」の「部分集合」である。
②「動物の集合」の「補集合」は「象の集合」の「部分集合」ではない。
に於いて、すなはち、
①「象であるものは動物であるものである。」
②「動物でないものは象でないものである。」
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
①「象であるものは動物であるものである。」
②「動物でないものは象でないものである。」
に於いて、
① は、② の「対偶(contraposition)」であり、
② も、① の「対偶(contraposition)」である。
従って、
(04)
「対偶(の真偽)」は、「(互いに)等しい」。
然るに、
(05)
「Aである」といふ「事態の集合」
「Bである」といふ「事態の集合」
を「想定」しても、
①「事態A」であるならば「事態B」である。
②「事態B」でないならば「事態A」でない。
に於いて、
①=② は「対偶(contraposition)」である。
cf.
事実は諸「事態」から、そして「事態」は諸対象から構成されている(ヴィトゲンシュタイン)。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
①「象であるものは動物であるものである。」
②「動物でないものは象でないものである。」
といふ「命題」に於ける、
①=② を含めて、一般に、
① Aであるならば、Bである。
② Bでないならば、Aでない。
といふ「事態」に於いて、
①=② は「対偶(contraposition)」である。
因みに、
(07)
(ⅰ)
1 (1) ∀x(象x→ 動物x) A
2 (2) ∃x(象x&~動物x) A
1 (3) 象a→ 動物a 1UE
4(4) 象a&~動物a A
4(5) 象a 4&E
1 4(6) 動物a 35MPP
4(7) ~動物a 4&E
1 4(8) 動物a&~動物a 67&I
4(9)~∀x(象x→ 動物x) 18RAA
2 (ア)~∀x(象x→ 動物x) 249EE
12 (イ) ∀x(象x→ 動物x)&
~∀x(象x→ 動物x) 1ア&I
1 (ウ)~∃x(象x&~動物x) 2イRAA
(ⅱ)
1 (1)~∃x(象x&~動物x) A
1 (2)∀x~(象x&~動物x) 1量化子の関係
1 (3) ~(象a&~動物a) 2UE
4 (4) 象a A
5(5) ~動物a A
45(6) 象a&~動物a 45&I
145(7) ~(象a&~動物a)&
(象a&~動物a) 36&I
14 (8) ~~動物a 57RAA
14 (9) 動物a 8DN
1 (ア) 象a→ 動物a 9CP
1 (イ) ∀x(象x→ 動物x) アUI
従って、
(07)により、
(08)
① ∀x(象x→ 動物x)
② ~∃x(象x&~動物x)
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
②(象であって、動物でないx)は存在しない。
に於いて、
①=② は「対偶(contraposition)」である。
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プラトンに関してはこの私にとっても贔屓の哲学者であり、後に我が産んだ我が一人娘の命名はこの「プラトン哲学」より引用した程です。
片やウィトゲンシュタインに関しては、この教授の授業にて初めて触れる感覚でした。
以下は我が当時の「科学哲学ノート」より引用しますが。
「ウィトゲンシュタインは哲学者としての活躍の後期に、grammer と ruleを問題の中心としてこれを見出すことが哲学であると唱えた。ただ、単純な規則性はナンセンスと考えた。」そして、「あらゆるものが規則に従っている訳ではないが、規則性を見出すことに哲学の目的がおかれている。 また、合理性rationalityの概念がこれまでのものと違っている」と、我が当時(昭和61年頃)の「科学哲学」ノートに書かれていました。