何もしていないのに激疲れ…。
本来なら、父の闘病を総括して終わらねばならないのだけれど、今度は母が患ったので番外編と。
母は、某局のお昼の番組やら、某局の夜の番組を熱心に視聴し続け、おおよそ健康に良いとされる『食物』『ドリンク』のほとんどを積極的に摂取し続けたであろう挙句の果てに、誠に見事で立派な『胃癌』になったのである。
でまぁ、手術で切除するコトになり、その手術が今日だったのだ(昨日か…)。
父が癌と言う病気を患ったコトが判った時は、毎年健康診断を受けていたにも関わらず『末期』だったので、驚きと慌てふためき…って言うのはマックスな感じだったが、母の場合は別の部位で既に患っており、また、その関係で定期的な検査を受けている身でもあるから、案外と簡単に見付かったりするワケで、驚きも慌てふためき…も無い。
むしろ、そうした健康への信心…と言うか、妄信ぶり…なんてのを傍から日頃見続けていた者にしてみれば、
「何やってんだか…」
まぁ、呆れ返っちゃったんである。進行の程度から考えれば、まさにそうした健康増進番組の虜となった頃と重なるワケで、まぁ癌の大きさから言えば15年以内だろうって感じだから、驚くとかよりも何を言えば良いのか言葉も見つからない…感じ。
既に別の部位でお世話になった病院(国立病院機構系)で再度お世話になる事になり、術前の家族への説明も家族として聞いたが、いかにも「しっかり、みっちり」と聞かされたので、何ら疑問も不安も私としては皆無。
ただ、私の場合、医療関係者だった時期があるので、理解が早い事もあるわけで、そうでない者がどうだったかと言うと、やはり謎の部分があるみたいだ。
胃もそうだが、消化管ってのは「管(くだ)」であって、口から始まって、肛門で終わる。長く複雑な形はしているが、1本の管であって、簡略化すれば『ホース』または『ストロー』なんである。
その途中が病気になって、切除すると言うコトは、管を途中で切断する…と、言う事になり、そのまま切断しっぱなしじゃマズイ。で、切断面どうしを繋ぎ合わせて、再度、1本の管にし直すワケであるが、それがなかなか理解出来ない様子。管の途中が膨らんで、消化に適していたり、うねうねしていたり、部位によって様々だけれど、あまり難しく考えるコトも無いと思うのだが、
「そんなトコロ切っちゃってどーすんの?」
「取っちゃって短くなった分はどーすんのさ?」
「胃が無くなるとどーなんの?」
と言う点はかなり『謎』な様子。まぁ、細かく言うと、キリも無いのだけれど、そうした点についても医師の説明には含まれていた。また、そうなった後のコトも触れられており、想定される問題なんかも当然、お話には含まれている。
手術を行う医師の中に、見覚えのある医師がいた。もう20年も前だけれど、下っ端として日々過酷な労働に、でろでろで、ぐにょぐにょになりながらも、医師として、また、研究者として毎日を精力的にこなしていた人である。大学病院の医師…なんて言うと、知らない人は「さぞかし…」って思う部分が多いのだが、現実は一般人の労働よりも厳しく、それに全く見合わない「薄給」も良いところだったりする。
国家試験さえ通ってしまえば、医師は出来るのだが、誰からも信頼される医師になるには、心も技も、そうした下っ端の時代の「でろでろ…ぐにょぐにょ…」な毎日を送りながら、磨き尽くさなければならないのである。やがて、下っ端が出来、技も心も身についた頃にやっとこさ「さぞかし…」って部分には近づくが、実はまだまだ…。
立派な専門医となられた姿を久々に見ると、老けちゃってはいるんだが、頼もしい。家族としても、安心して任せていられるのは何より…なんである。
で、都合5時間って手術だったのだが、家族も不測の事態に備えて「待機」する事を要請される。まぁ、そうした部屋が用意されており、そこで、ひたすら終わるのを「待つ」のだが、椅子とテーブルの数が合わず、その椅子もちょっと立派な待合室にある様な椅子で、落ち着いて寝られるとか、長時間座っていても疲れにくい…と言うもんじゃないワケで、何もしないのにただひたすらに「疲れる…」のである。
当然、喫煙や携帯電話の使用も禁止されているし、近所の商店街にぶらり…なんてコトもダメなので、本や雑誌を読むとか、ヘッドホンで音楽を聴く…なんて事に勤しむのだけれど、くつろげる状態に姿勢を持っていく事が出来ないのは、何をしていてもやがて「苦痛」に変わるのだよねぇ…。
「何もしていないのに、疲労困憊…」
そんな半日を過ごして、手術が終わり、術後の説明を受ける。
切り取ったばかりの『胃』を前にして説明を受ける事になるのだが、胃を見るのも久々なので、デジカメを持参したのだが、私が勤務していた病院とは違い、既に病理で処理が簡単に行われた後の胃だった。
管を切断して、それをまた一部切り、広げた状態で、癌に侵された部位が見える様になっているのだが、ホルマリンに漬けられて時間が経っており、新鮮な感じが既に無い…。極、初期の癌だと、これを見せられても病変部の変化を見極めるのはかなり難しく、
「ここですね…」
と言われても、恐らく人間の胃の粘膜面なんか生まれて初めて見る人にとっては全く区別が付かないだろうと思う…。母の場合は初期ではあるものの、粘膜面がクレーター状に変異しているので、それでも判り易いが、そんな判り易いトコロを見てもあまり意味は無く、そこを含めて周囲のどの辺まで微妙な変化が広がっているかいないのか? ってのが見たかったんだけれどなぁ…。医者は当然見ているので、家族が見る必要も無いけど…。
「写真撮るから出して…」
って状態でも無かったんで、撮影は断念。病変部はⅡcだが、bとかaって部分もあるので、変色する前に見たかったんだけどねぇ…。ちょっと残念。と、思う様な患者の家族も滅多にいないだろうけど…。
取ってしまえば何とかなる癌なので、他に転移してなければ問題も無いし、その恐れも少ないようだから、ご苦労様でした。ありがとうございます…でお終い。
昔はこうした手術だと、お腹を大きく切り開いて行う事が当たり前だったのだけれど、現在では「腹腔鏡」って便利なモノがあって、大きく切り開かずに手術が行える。数箇所の小さな穴からファイバースコープ付きの器具を体に入れて、手術を行うんであるね。まぁ、補助的に手を突っ込む為の大き目の穴はあけるみたいだけれど、患者の負担が劇的に緩和されるし、術後の回復も早いらしい。
てなワケで、母は明日からもう歩く事を指示されている。よほどのコトが無い限り、それが可能になった…と言うのはスゴイ事だなぁ…。
全部取ってしまったワケでも無いので、まぁ、ある程度食べられる様にはなるのだけれど、食事が大変になる事には変わりない。そうした点はちょいと心配だが、体に良いと信じて努めて摂取した挙句にこーなったワケなので、恐らく何を食べても大差無いんだろう。だが、きっと母は、よりからだに良いモノを努めて摂取し続けるんだろうと思う。それが健康に繋がる…と信じているからねぇ…。
やれやれ…って感じはするんだけれど、確実に悪い物でも無いわけだからなぁ…。