おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

嬉しいような・・照れくさいような・・

2023-03-11 14:38:20 | わが家の話

このところ、娘Maの言動にタイトルのような気持ちになっているおせっちゃんです。なんでもない家族の話ですが、なにか慰められています。
すでにブログに書いたことと重なるかもしれませんが、書かせてください。

先日Maとその娘がライブに行くと言って慌ただしく上京してきた話はすでに書きましたね。慌ただしく、一泊してすぐ発って行ったのですが。その帰り際、Maが
「この度は急なことで慌ただしく帰るけど、なにかやって欲しいことでもある?」と聞いたのでした。
言うほどのことでもないと思いながら、時の勢いで言いました。
「お正月までに家中の障子を張り替えたいんよ。コロナ前に一度一人でやったけれど、立ったり座ったり、その度に眩暈がして、とうとう気を失って倒れたから、一人でやるのはちょっと気が重いんよね」
「あ、また、パートと兼ね合いをつけて来る来る」。孫のMちゃんも「私も来れるようにするから」
そんな会話がありました。

その時も、ああ、ありがたいこと言ってくれるな。と思ったのですが、送り出してからつくづく考えながら夕食の用意をしていて、なんだか胸の底が温かいのです。病を得ている夫に、かなりのストレスを受けています。夫もつらかろうと思いはしても・・・
そう言えば義姉の葬儀の際も、何とかして私を出席できるようにしようと、息子Kといろいろ工夫してくれたのでした。
おせっちゃんとしてはできるだけ、人を頼らないで、自分の働きでやろうと頑張っているのですが。
Maが婿殿Sちゃんとの結婚話が持ち上がった時です。Sちゃんは山口県の旧家の長男。定年後は故郷に帰り、親を見ることが条件でした。Maに念を押しました。それでいいのね。と。Maの答え。

「いいよ。東京だけがいいと思っていないもん。会ってみて、ぴたっと来る人だったら私北極でも南極でも行くわよ。住んでみれば面白いと思う。舅、姑の介護の方が容易いかもしれない。自分の親がボケていくのを見るのはつらいと思う。義理の両親なら、腹も立てないでやっていけると思う」
「オイ」と弟に「私、今住んでいる家も土地も要らない。みんなあなたのものにしなさい。その代り爺さん婆さん頼むよ」。自分自身に言い聞かせるように、またあっさりと親の私にも引導を渡したのでした。

その娘が、来てやると言うのです。舅様はすでに亡くなり、姑様は腰・膝の手術が上手くいって、Maは予定さえ合えば上京は可能のようです。お母様大丈夫?と聞いてやらなければと思いながら、2泊だからな、などと甘え心が湧くのです。

昨日は、ラインが行ったり来たり。今、障子紙を買おうとしたらさてどこで売っているか、なのです。コロナ前にはかなりあちこち探しました。昔は、近所の文房具店で買えました。文房具店そのものが無くなりました。友人に聞きました。そうねえ。昔は経師屋さんで分けてくれたけれど、経師屋さんが無くなったしねえ。コロナ前に見つけたのは、渋谷の東急ハンズだったけれど、これもハンズ自体が改装かな?無くなっているし。Kに言わせるとハンズは新宿の高島屋に同居しているよ。

昨日娘からライン。痛い足腰をさすりながら探して歩くより、山口から宅急便で送る、今日近くの会館に行ってみたらちゃんとあるよ。荷造りして送るから。東京って不便ねえ。

何と庇われていること!!ありがたいやら、照れ臭いやら、嬉しいやら。フクザツ!!


何にもない日

2023-03-11 14:38:20 | いろいろ

これも地球温暖化の一現象でしょうか、日々の生活をしていて、気象が荒々しくなっていると怖れを抱くことがあります。異常気象と予報されて慌てて防ぐ手段にあたふたしなければならないことが多い。異様な高温、雨量、積雪、それに伴う豪雨、洪水、地球上同じような、画面にあたふたします。ハザードマップなど、見ることもない無関心さであったけれど、今では誰でもが知っている語句になってきました。
昨日に続く今日があって、今日は明日に通じるとのんきに笑っていることはできないようです。3.11の大地震、津波から12年。今も急ごしらえの仮住居で暮らす人も多いのです。

今朝の朝日新聞、折々のことば。

一寸、話の筋からそれるかとも思いますが、本当に、何にもなく、平穏に今日に続いて明日があり、明日は明後日につながるとは、思えないのが私たちの生活なんですね。

私の親しい友人に、思いがけない事故でお子さんを失った人がいます。そのお子様は、望みの大学にめでたく合格。希望に満ちて学生生活を始めたところでした。その歓迎コンパで、その頃流行っていた一気飲みを強いられたようです。少し酔っぱらって駅のホームを歩いていた時、突き飛ばされたか、倒れ込んだか、線路上に墜落してしまったのです。亡くなりました。

友人は、私より一回りは若い針仕事を趣味にした活動的な人でした。
私共は同じお稽古仲間4人で、月一くらいで、ランチ会をしていました。当分この会は中止にしなければと思っていましたら、電話があり、今までと同じようにしてと言ってきたのです。重い気持ちで集合場所に集まりました。彼女も変わらずやってきました。
「心配かけました。泣くだけ泣きました。そしてこう思うことにしました。息子は大学生活が楽しくて楽しくて、帰省する間がないほど楽しんでいるのだと。だから皆さんもそう思って、今までどおり私と付き合ってね。この話はこれでお仕舞にしてね」。

何にもない日だと無理やり自分に言い聞かせてピンチを切り抜けたのでした。
勿論、一人になった時、どれほど苦しんだか。私どもは、言われた通り、それまでと同じに付き合いましたが。