最相葉月(ノンフィクションライター)の言葉が4月3日、折々のことばに載っていました。
『言葉が可哀想で、怒りさえ覚えるほどです』
匿名の言葉が乱暴にばらまかれ、改変されて、炎上する。SNS隆盛のなか、「人が発する言葉が耐えがたいほど軽く」なっている、と。近著は、取材した135人の言葉で構成されている。人ごとに異なる切実な語りをその重さごと届けたかったからだと。
碌な文もかけない私が言うのも烏滸がましいけれど、本当に最近の言葉・・敢えて日本語というものが・・丸ごと粗末に扱われているように思うのは私も同じです。
今耳について、その度にテレビに向かって文句を言っている私です。
「無茶苦茶」という言葉です。程度が高いこと、強調して言いたいとき、この表現一つしかないのですか。話したいことのまとめより、むちゃくちゃ―――何度も何度も繰り返される―――その一つ言葉が繰り返される表現。これで話したいことが伝わるものだろうか。自分の意見が理解されるのでしょうか。
目上の人に対しても、どんな悲しみを表現したくても「無茶苦茶」です。少し前、むちゃくちゃではなく、「すごい。すご~い」一色の時期もありました。
日本語は、こんな貧しい言語ではないはずです。話す人の意思も伝わらないし、その会話で人間関係が深まるとは思えません。
人間が薄っぺらになっていませんか。