おせっちゃんの今日2

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よい店、よい商人・・・良い親

2023-10-06 13:45:40 | 言葉

昨日の折々のことばには、こんな言葉が取り上げられていました。作家の色川武大の言葉だそうです。
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戦後、田畑とともに農家仕事として鶏を飼いました。卵は貴重品でした。健康に暮らしている時は食べることは許されませんでした。売って現金収入にするのです。病気をするといまはやりの「卵かけご飯」が恭しく渡されたものでした。近所に何かのお礼や病気見舞いに持って行くものは卵と決まっていました。箱に、もみ殻を敷き、その中に卵を立てて並べて、差し上げたのでした。

この卵の扱いから繋がって、私の頭には、子育ての風景が思い浮かびました。
私は決していい母親ではありませんでした。転勤で方々で暮らしましたが、その怖いおばさんの所へも近所の子供が遊びに来て、にぎやかでした。親の欠けたところを、近所の年上の子たちが補ってくれていました。特に塾などにやる意思もなく、自由に、のびのび遊んだことが子どもたちをすくっていたでしょうか

今、老いの脚を弱らせにために、近所の公園を歩くことが日課になっています。この公園には保育園の先生に連れられて来る子供たちや、パパママと散歩に来ている子どもたちで賑わいます。この子どもたちと挨拶を交わすのが、楽しみです。

スマホが行き渡ってから、公園の親子の姿が少々変わったような気がします。例えばブランコ。まだ一人ではこげない子の背を親が押して揺らしてやります。この親子が昔と違うことが多いような気がします。スマホ全盛時代の今、親は片手にスマホを持ち、打っているのか、読んでいるのか、子供とは、ただ押すことで繋がっているだけ。そ~ら、たかいたかいよ~。お空まで上がるよ~。もう一つ高い高い、ほ~ら、などというつながりはないようです。

卵をなでさするように扱って売った担ぎ屋のじいさんたちに負けているよう。