昨日の続きです。とはいうものの、ぴったりと同じ系列で並びはしないな、と今書きながら思いました。ご自分で話を続けてくださいませ。
息子Kの5・6年生の担任の先生です。ある父母会の後の懇談の時間に次のような話をなさいました。
「皆さんのご家庭では、食事の時、どういう順番に料理の盛られた食器を配られますか。実は最近気がついたのでsが、給食を配る時、ぼくは最後なのです。生徒全員の後の最後です。これどう思われますか。」
「きっとご家庭では、残業で遅い帰宅のお父さん抜きの食事も多いかと思いますが、日曜日や、また子供と母親の食事の時の配る順番を思い起こしてみてください」。
がやがやと声が上がって、お父さん⇒子供A⇒子供B⇒お母さんの順が多かったような気がします。
「お母さんは、子供より偉い人(表現にやや不満ですが)ですよね。それが一番最後なのです。躾担当のお母さんは自分の方が偉いんだけれど、自分を先にするよりは子どもからかな?の意識で、子供も当然、順位は分かっているだろうけれど、今は・・・との意識のようです。
「でも、ぼくは、子どもたちは、この順列が本当は先のお母さんだけど・・・」の意識が失われているような気がするのです。僕が先に給食を食べたいわけではありませんが、指導者としては、先生を立てる・・・お母さんを立てる順番の意識をしっかり持たせるように教えなくてはと思ったのですが・・・」
子供ファーストで子供を立ててばかりいると、子どもは自分が順番の上の方で、優遇されて当たり前と思いかねないようですぞ。、