おせっちゃんの今日2

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折々のことば・・漁師の言い伝え

2024-04-22 13:50:34 | 言葉

『毎年一年生』・漁師の言い伝え

岡山の漁師・富永邦彦さんの言葉。自然に振り回されてばかりの仕事です。でもゴールのなさが、逆に楽しい、と。
季節は巡るが、毎年違う顔を見せる。年上のものは年少の世代の話を、若い世代は、昔の話をきちんと聞く。自然の厳しさが、人々に相互の敬意を促す。

おせっちゃんは瀬戸内海を小高い山の中腹の家から見晴らして、その美しさも、あらしの夜の怖さも経験して育ちました。戦後の食糧難の時代は、泳ぎに行ってもアサリを掘って、食料を取ってくるのが子どもの役目でした。漁師を訪ねていけば、生簀からピチピチの魚を分けてもらえました。今のパパママのように、子供の相手を親がするという時代ではありませんでした。父が、おせっちゃん、らい太エビをとrに行くぞ~と連れて行ってくれました。父は肩に横長の熊手のような海の砂を浅く掻くいましたし、私と妹は、魚籠と網を持っていました。父が後ろ下がりで、熊手状の道具を引きます。砂の中に眠っていたクルマエビがぴょんと出てくるのです。それ、はやく!!網でエビをすくうのです。
時々会うと妹と、食糧難というけれど、私達取れたての海の幸を頂いていたのね。贅沢したのね、と言い合うのです。

岡山の富永さんのお言葉とは、関係のない話に飛びましたが、お許しください。


日本伝統の生活用品・・・畳

2024-04-20 14:35:16 | テレビから

夫と二人、昼食を食べていました。テレビはNHK.「探検ファクトリー」という帯番組で、今日は日本伝統の畳製造工場を訪ねていました。
社長さんは、若い女性・5代目だということです。畳は日本で完成したものだそうです。

製造過程は、時代とともに、材料そのものも改良され、今は、機械に頼るところは頼り、こここそ人間の手でなければ仕上がらないという所に集中的に熟練者の手仕事を使い、仕上げるのだそうです。

いろいろ説明を聞きましたが、それはさておくとして、。

私が大学生の頃、イグサは岡山県の方でも栽培されていました。これがなかなかの重労働続きの大変な作業だと聞きました。どんな?大学の掲示板に、アルバイト情報というのが張り出されます。その頃学生はみんな有利なバイトを探していましたから。
7月、刈り取りの時期です。夏休みに入りますから、いいバイトと思うわけです。それがいかに過酷な作業か知らずに、宿と、賄と、賃金とがつくと知らない学生が申し込むわけです。それが生易しいものではない、2度と行かん!!経験者は語るなのでした。今日はイグサの話は出ませんでしたが。今はどんな作業なのでしょうか。

私の父は、一家の主人として、家族を取りまとめ、命令することはするのですが、自分で労働をするということはほとんどしない人でした。戦争中にボロボロになった畳の表替えをするという時、自分でやり始めたのです。今、幼い頃を思い出すと、庭の涼み台の上に古畳を横たえ、表(これがイグサ作品)を変えて、ふちを縫い付けるのです。何処で手に入れたのか、長い針に、凧の糸のような丈夫な糸を通し、厚さに突き立て通し、仕上げていくのです。私とらい太は、ただ目を丸くしてみていました。父が助手もつけず、頑張っている姿は、印象に残っています。父を尊敬の目で見た珍しい風景です。


心得させることはきっちりと

2024-04-19 13:57:51 | いろいろ

昨日の続きです。とはいうものの、ぴったりと同じ系列で並びはしないな、と今書きながら思いました。ご自分で話を続けてくださいませ。

息子Kの5・6年生の担任の先生です。ある父母会の後の懇談の時間に次のような話をなさいました。

「皆さんのご家庭では、食事の時、どういう順番に料理の盛られた食器を配られますか。実は最近気がついたのでsが、給食を配る時、ぼくは最後なのです。生徒全員の後の最後です。これどう思われますか。」

「きっとご家庭では、残業で遅い帰宅のお父さん抜きの食事も多いかと思いますが、日曜日や、また子供と母親の食事の時の配る順番を思い起こしてみてください」。

がやがやと声が上がって、お父さん⇒子供A⇒子供B⇒お母さんの順が多かったような気がします。
「お母さんは、子供より偉い人(表現にやや不満ですが)ですよね。それが一番最後なのです。躾担当のお母さんは自分の方が偉いんだけれど、自分を先にするよりは子どもからかな?の意識で、子供も当然、順位は分かっているだろうけれど、今は・・・との意識のようです。

「でも、ぼくは、子どもたちは、この順列が本当は先のお母さんだけど・・・」の意識が失われているような気がするのです。僕が先に給食を食べたいわけではありませんが、指導者としては、先生を立てる・・・お母さんを立てる順番の意識をしっかり持たせるように教えなくてはと思ったのですが・・・」

子供ファーストで子供を立ててばかりいると、子どもは自分が順番の上の方で、優遇されて当たり前と思いかねないようですぞ。、

 


「先生」という呼称

2024-04-18 16:10:20 | 言葉

近頃とみに視力が視力が衰えてきました。疲れる、霞む、ぼんやりする、注意力が続かない、老化現象とあきらめてはいるけれど。その退歩した目でも、よく目を通す新聞記事に、朝日新聞の「声」欄があります。それを集めたどう思いますか、コーナーも興味を持って読みます。自分の考えを述べた投書、それを読んだ人のさまざまの考えの投書。面白いし、こんな考え方もと、世界が広がる気がすることもあります。

17日には、「先生」という呼称についての様々な意見に興味を覚えました。

「先生」は敬称の一つで、自分のことを呼ぶのにはふさわしくない、教壇から生徒に話す時に使うべきではないという考えから、生徒の身分と先生という立場とでは、もちろん先生が敬われる立場です。それだけのものを身に付けていらっしゃるのです。それを教えるために、自分のことをあえて「先生」と呼んでいるのです。敬う気持ちが薄れる近頃、必要なこと。という考えもありました。

いろいろですね。

私の85年の航路の中で、「先生」という言葉で印象に残った方が二人いらっしゃいました。中学2年生の時の、理科の先生でした。まだお若い、独身でいらっしゃいました。
はじめての授業の、第一声が「僕は自分のことを先生とは呼びません。」でした。
「僕は大学を卒業して、君たちが初めての生徒です。自分を先生というだけの力も、技術も人間性もまだ持っていません。ほとんど君たちと同じ程度の若造です。先生とは口幅ったくて言えません。
でも、今から、君たちと一緒に努力して伸びていこうという気持ちは大きく持っています。皆さん、ぼくといっしょに坂道を登ってください。みんな仲間です」。

後にたったの三年間、プロ意識の欠如した学生気分の抜けていない勤め方でしたが、いわゆる先生になりました。。今でもその当時の生徒さん方には謝っている私なのです.だから当然と言えば当然ですが、自分のことを先生とは呼べませんでした。呼びませんでした。私、で通しました」。
あの理科の先生の真似をしたのです。

あとひとかたの「先生」は明日書きます。


亀さんもお散歩

2024-04-17 14:05:06 | いろいろ

公園に新しいお友だちが出来ました。お散歩に来るペットたちです。

今日は亀さんが草原でのんびりしているのに出会いました。亀の国でも、イクメンパパがお散歩係のようです。

パパは、小さな椅子をご持参。カメさんがごそごそと楽しんでいる間、座って日光浴をしながら読書のようです。

「こんにちは。写真撮らせていただけますか」
「どうぞ」ちょっとぶっきらぼうな返事です。ばあさんの図々しさで一枚とり、強引にインタビュー。
「この亀さん、ずいぶん大きいですね。甲羅の長さが50センチは超えていますね」
「始めは小さかったのです、5・6センチもあったでしょうか。もう10年飼っています」
「あら~大きく育ちましたね。何を食べさせるのですか」
「これは陸亀ですから、草食です。こうして草原で草も食べますが、冷蔵庫にある、レタスやキャベツ食べますよ」

暫く話してまたお会いしましょうと別れてきました。
人間二人、間にペットがいると話がはずみますね。