つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

信念×夢×目標

2014-02-22 04:32:54 | 日記
会社勤めをしていたときは、オリンピックなど本当に何も見なかった。
元々私は自分がやっていたバレーボールくらいしかスポーツに興味がなく、ワールドカップのサッカーも野球も、もしリアルタイムでテレビの前にいても見ないくらいだ。
サッカーの楽しみ方は幾人かのサッカーファンの人に教えてもらって、その場は楽しむけれどいざ一人で見たことは一度もない。

ロンドンオリンピックのときには、それが開催されているともの知らないくらいに丸ごと何も見ずに、ハイライトすらも気に留めることなく過ぎ去ったように思う。
どうしてだか、昔からほとんどスポーツ観戦をする習慣がない。
プレイしている人の生い立ちや思いを知れば多少は興味も出るかと思うのだが、「情熱大陸」などでスポーツ選手が出ていてそれが良い話でもその後そのスポーツを見るようになったということは一度もない。

戦いごとに興味がないのだろうか。

一つ言うなれば、オリンピックであればやはり私も日本選手を応援する傾向にあって、自国の応援に留まらず、微かにも他国の選手やチームに対して失敗を念じてしまったりする自分が好きではないということはある。
競技そのものや、勝敗がつくことに対しては全くいけないとも思わないし、寧ろそれは清々しい。
しかし、オリンピックに関しては特に「お国のため」という感じが拭えたものではないから、報道を含めても自分の見方にフラットさが欠いてしまうように思えてあまり見る気にならない。

私が楽しみ方を知らないだけ、というのも大いにある。
熱狂、の類なら結構何でも欲しい私にとってはそういう楽しみ事が増えることはとてもとても好ましいことだけれど、どうやって楽しめばいいのかが今のところ分からない。

今回のソチオリンピックもほとんど見ていないけれど、ちょうど私の起きている時間にやっていたので女子フィギュアだけ見ていた。
ショートとフリーの2日間、いろんなことをしながら見ていた。

真央ちゃんがフリーで素晴らしい演技をして、最後に感極まった表情になったのはとても印象的だった。
自己満足で終われない世界にいて、到底想像し得ないほどの巨大すぎるプレッシャーとの戦いだっただろう。
擦り切れて、疲弊して、それでも頑張って、頑張らなくてはいけなくて。

すごくすごく勝手な見方だけれど、真央ちゃんの顔つきは数年前に比べてここ2,3年かなり強張っていたように思う。
それは大人になってあどけなさが抜けた、という意味ではなく。

トップアスリートに限らず、何でもトップの世界は「自分のため」にそれをすることができなくなってしまうのかもしれない。
「自分のため」とも思いつつも、「誰か、しかも時にとてつもなく大勢の誰かのため」にやらなければならなくなってしまうのだろう。

至極勝手なことを思うのであれば、真央ちゃんはスケートが大好きで大好きで滑っていた自分にもう一度出会えるといいなと思う。
本当は、そういう世界では甘すぎるのだろうけれど、「恩返し」をするために踊ったり滑ったりするものではないと思うから。


アンプの電源を入れたままにしておくと、スマートフォンが電波を受発信するたびに傷が疼くような音を出す。
エレキギターの電気信号を拾ってアンプから音が出ているのだからそういうものなのだろうと思うけれど、見えないはずの電波が見えるようになったような変な感覚になる。
疼くような音がするとまもなく、スマートフォンはメッセージを受信したりする。

私たちの身体の周りは、実際見えない電波だらけなのだろう。


アンパンマンマーチ。
最初、表紙くらいのおおきさの大きさの文字で、紙芝居風のものを作ろうと思っていたのだけれど、どうにもイメージ通りにいかずやむなくこの形になった。
他のこともやっていたためおかげで今日は半紙を何枚消費したのか知れない。

これは机で書いているが、普段私はあまり机で書を書くことはなく、そういえば机で書くのはとても楽だと思い出した。
まあ半紙以上の大きさを机で書くことはできないのだけれど。

あと、いつも思うのだが、書は写真ではその雰囲気や手触りのようなものが4割減くらいになる。
これは自分の拙さの弁解だけではなく、どんな書を写真に撮っても、だ。

花の写真は時に実物を超えた良さを出す場合があるけれど、書の場合は今のところ写真の方が良かったというものには出会ったことがない。
影とか手振れなどを除いても、撮り方だけで解決する問題ではないような気がしている。

だから、ブログに載せる書たちについて、弁解したくなる時がある。
それは、本当はもう少しは良いんです、なんて弁解になる。
どうにもしようがないけれど。

もちろんこの書のポイントは、絵心がまるでない私の、それでもアンパンマンに見えるだろうアンパンマンである。

こんなことをしたのは、マーシーのせいだ。