『自分で考え判断する教育を求めて~「日の丸・君が代」をめぐる私の現場闘争史』
根津公子:著 影書房2200円(税込)ISBN978-4-87714-498-2
=根津公子さんインタビュー (週刊金曜日)=
◆ 「日の丸・君が代」の強制に一貫して反対
東京都の学校現場で「日の丸・君が代」を強制する「10・23通達」から20年。しかし、それ以前から強制に一貫して反対し、停職などのたび重なる処分にも屈せず、信念を貫いた元教員、根津公子さん(73歳)が昨年10月末、自らの闘いの記録を綴った本を出版した。本に込めた思いや教育現場の現状をどう見るのか、根津さんに聞いた。
聞き手 竪場勝司(たてば かつじ・ライター)
--根津さんの著書には『希望は生徒 家庭科の先生と日の丸・君が代』(2007年)、その増補新版(13年)がありますが、今回新しく闘争記録を出そうと思われた理由は何だったのでしょう。
私は生徒たちへの責任として、少なくとも生徒たちの前では間違ったことはできないと思い、「君が代」斉唱に対して起立はしてこなかった。この思いと、「次は免職」という08年3月を迎えるにあたり、多くの人たちに知ってもらおうと、最初の本を出しました。
今では不起立者はほとんどいなくなり、一般的にはこの問題は過去のことになっています。そのなかで教育がめちゃくちゃにされてきました。私は集中的に弾圧を受けた。石原慎太郎都政以来の教育行政を「なかったことにはしない、記録に残そう」と思い、今回出しました。
--「君が代」不起立処分と闘うあるグループの代表らから「いまは裁判をするな。あなたたちが裁判をして負けたら、ほかに響く」と言われた、といったことも書かれていますね。
日本のおかしいところを変えようとして動いている人たちの中にも、無意識でしてはいけないことをしている人がいる、とたびたび感じてきました。
「運動の中で一番大きい団体がトップを走る」ということが、いろんなところであると思います。個人でやっても、1000人でやっても、お互いにつぶしてはいけない。私たちの弁護団は弱小だし、当事者の私たちも力を持っているわけではないから、「従わせるのが当たり前だ」と考えているのでしょう。「もし私たちが男だったら、同じ対応をしたのか」と思います。そこに女性蔑視があるのだと感じます。悩みに悩みましたが、そういうことも事実は事実どして書こうと思ったのです。
---本の最初で、自身の経験として学校教育で侵略戦争の事実を知らされてこなかったことに触れ、「子どもたちに教科書が隠す事実を提示し、それをもとに意見交換し考えあう、これを授業の基本に据えました」と書かれました。
そう思って、教員になりました。父が行った戦争が侵略だったということは全然知らなかった。短大に入ってすぐの18歳のとき、短大の図書館にある本などを読んで、そうだったんだと知り、父を問い詰めました。
◆ 校長は二度も揚げた
ー1994年の八王子市立石川中学校での最初の処分ですが、どういう思いで、校長が揚げた「日の丸」を降ろすという行為に出られたのでしょうか?
石川中は、90年4月に私が行ってから職員会議で議論をして、「日の丸」も揚げず、「君が代」も歌わなくなりました。議論には判断する材料が必要なので、「こういう問題がある」といった資料をつくりました。
卒業式が近づくと「日の丸・君が代」の特設授業を行ない、賛成・反対と世論が二分されていることを説明し、生徒たちに「自分の頭で考え、判断してほしい」と念を押してきました。
処分を受けた93年度の卒業式(94年3月)のときは、朝6時ごろに学校に行って、同僚の教員とともに職員会議の決定通り「『日の丸』を揚げないように」と校長に申し入れをしていました。もの別れとなり、私たちが再び校長室に入ると、校長が引き出しから「日の丸」を出して校庭に走り去りました。
これに気がついた生徒が「校長先生、揚げるのやめて」と訴えるなか、校長は「日の丸」を揚げ、校長室に戻っていきました。
生徒たちは「根津先生、降ろして」と訴えます。沖縄・読谷(よみたん)高校の生徒が「日の丸」を降ろし、その後、非難されたことが頭をよぎり、「生徒に降ろさせるわけにはいかない、私が降ろそう」と決意しました。
降ろした「日の丸」を校長室に届けたら、校長がまたもや揚げたのです。8時を過ぎて、大勢の生徒がポールのところに集まってきて、校長に向かって「揚げるな」「降ろして」と叫んでいました。「私が降ろすしかない」と思って、また降ろしました。
4月になって生徒たちが「なぜ校長が『日の丸』を揚げたのか、聞きたい」と言ってきたので、私の家庭科の授業をその時間に充てました。授業の席で校長は、「上司の命令に従うのが校長の仕事だ。生徒たち700人の反対があっても、上司の命令に従う」と言いました。
生徒たちは校長を反面教師にし、その後は自分たちで考えてつくっていく、「生徒たちの卒業式」になっていきました。
---「君が代」不起立を続けてきた理由は何でしょうか。
「君が代」が嫌いだから立たないのではありません。「日の丸・君が代」について知り考えることをさせずに、ただ立ちなさい、歌いなさいというのは「自分で考えて判断する教育」とは真逆のことで、それは「教育」ではないからです。
◆ 多摩市の教育長が画策
---2001年2月から多摩市立多摩中学校で「男女共生社会に向けて」の授業で日本軍「慰安婦」を取り上げ、学校側からPTAを利用した攻撃があった。このときはどんな思いで?
生徒たちは授業をしっかり受け止めていたが、親に言われたのか、その後変わっていった。授業が終わってからーカ月ぐらいしてから問題にされて……。
それは、私を「指導力不足等教員」にするために都から送り込まれた市の教育長が画策したのだということが、後にわかりました。保護者が多摩市教育委員会側に回って、私を攻撃するために立ち上がった、それを大きくして「指導力不足」にする、そういう計算でした。
同年6月に「根津は生徒たちを利用した」と喧伝する保護者会を開催。「そういうことだったのか」と思わされた生徒たちは、私に対して目つきが全然違ったものになりました。そんななかでの授業は本当にきつい。「仕事を辞めたらどんなに楽か」と思いましたね。
---そこをどのように乗り越えたのでしょうか。
ちょうど50歳のときでした。「人生半分でこのことに負けてしまったら、この後、誇りを持って生きていけるだろうか」と老えました。生きていけるわけはない、「逃げはしない」と決めました。クビにされたとしても自分が正しいと思うことをやっていく、そう思ったんです。
---何度も処分を受け、免職の危機にさらされながら根津さんの支えになったのは、生徒から寄せられる言葉や、生徒が変わっていく姿だと思われますが。
1994年の最初の処分のとき、石川中の生徒たちが校長を反面教師にものすごく成長していきました。「こんなふうに生徒たちは力を持っていたんだ」と学ばされたんです。生徒たちは私がやってきたことを「正しい」と思ってくれていた。それが大きな力となりました。
その後、多摩中で処分されたときも、「君が代」不起立で処分されたときも、生徒たちが手紙やメール、電話をたくさんくれて。2008年3月に累積加重処分でクビにされそうになったときは、都庁での抗議行動に参加してくれた生徒もいました。その支えがすごく大きかった。
◆ 校門前での「授業」
---05年4月、立川市立立川第二中学校の入学式での「君が代」不起立で停職処分を受けたとき、「停職出勤」を始めた。
私には働く意思があるが、停職処分になったので学校には入れない、でもその事実は知ってほしいと、校門前に立ちました。
生徒たちは「なんで都の教育委員会は、そんなことをするの?」とか、いろいろ訊(き)いてくるわけですよ。15時半に授業が終わって、部活の下校時間の18時までずっと私といた生徒もいました。「これが私の授業だ」と思いました。
---「声を上げること」の意味について、どう考えますか。
立川二中の校門前で立っていたころに、イラクで日本人3人が拘束され「自己責任」という言葉がはや流行ったでしょ。これから生活が苦しくなったときも、「自己責任」と言われるんだろうなと思ったんです。
今の若い人たちがこれから生きていくなかで、ひどい仕打ちを受けることがあっても、黙っていては解決にならない。声を出し、行動していいんだよということを、私が校門前に立つことによって、生徒の中に残ったらいいなと思っていました。立川二中の生徒たちは、結果的にそういうふうに受け取ってくれました。
担任教員から人格否定されていたある生徒も、門前で毎日3時間いっしょに過ごす生徒の一人でした。卒業のときに「根津先生を見ていて、おかしいと思うことには『おかしい』と言っていいんだということがわかりました。私はそうして、これからは生きていきます」と言ってくれました。私と出会うことによって、「目が輝くようになった」と母親に言われたそうです。
私は処分されるたびにいろいろなところにSOSを出し、都教委に抗議に行ってもらうなど動いてもらいました。結果的にそういうことがあったからクビにできなかった。「危ない」と思ったら声を上げる。そうやって闘うことで勝ち取れるものがある。
耐え忍んだり、自分より下を見て安心したりする生き方ではなく、おかしいことにはおかしいと声を上げて、同じように思っている人たちといっしょに動いて社会を変えていく。それが大事だし、それが幸せなんじゃないかということを、「声を上げること」で伝えられたらなと思っています。
◆ 学校が命まで奪う
---東京都を含め、日本の教育の現状をどう思われますか。
ネットを使ったオンライン授業のことを「個別最適化された学び」と言っています。みんなで同じことを学ぶのでなく、個別最適化された授業を受けるわけです。そうなると隣の席の子と話をすることもなく、孤立状態に置かれる。みんなで考え判断し、行動していこうということがますます奪われると思うんです。
そうやって、一握りの「トップ」をつくり、海外に留学する子どもたちをつくり、その一方で外国人を含む子どもたちが学ぶ夜間定時制高校を廃止する。同じ人権があるのに“社会的底辺”にいる子どもたちへの対応は、あまりにも露骨です。
底辺にいる子どもに手厚い支援をすることこそが教育行政であり、政治。そこではじめて社会全体が豊かになる。トップだと思っている人が失敗しても救われるわけですから、安心して暮らせる社会になるはずです。
---根津さんが聞いている範囲で、深刻な問題となっていることを挙げていただくと……。
いろいろあります。たとえば2000年ごろから教職員の評価制度が全国で導入されました。すると教員は、自分のクラスで起きたマイナス評価になることは隠すようになるわけです。
いじめによる自死について、「知らなかった」と学校関係者がよく言うでしょ。あれは「知らなかった」ではなく、問題に目をふさいでいただけ。校長も教員も「自分の落ち度」になるから隠せるだけ隠す。そうやって逃げ切ろうとするなかで起こるのが、いじめ自死なんです。命まで学校が奪う、そういう状態になっていると思います。
---本を手にする人に向けて、訴えたいことは何でしょうか。
一つは都教委の教育行政がいかにひどいことをしているか。子どもが精神的に自立する、その助けをするのが教育なのにまったく機能をはたしていない。国家のための人間、指示に従う人間をつくるための都教委になっている現実を知ってほしい。
もう一つはすべてが自己責任にされるなかで「声を上げていいんだよ、声を上げることによって、社会が変わるかもしれない」ということを感じ取ってもらえればと思っています。そのことで自分を否定せずに生きられれば、ということです。
---失礼な言い方になるかもしれませんが、大変な人生でした。
本にも書きましたが、自分に嘘をつかずに、生徒たちに必要だと思うことは全部やってきました。都教委からの弾圧で、本当に鍛えられました。そういう意味では都教委に感謝しています。ポーッと生きなくてすんで、よかったと思っています(笑)。
◆ 根津公子さんが受けた処分
① 八王子市立石川中学校/1994年3月、卒業式の朝に校長が職員会議の決定を破り揚げた「日の丸」を、生徒の「降ろそう」と叫ぶ声を受けて、また石川中の民主主義を守るために降ろす。減給1カ月。
② 同中学校/95年3月、職員会議の決定を踏みにじって「日の丸」を揚げた校長の行為について記した学級通信が「不適切な内容」だとして訓告。
③ 同中学校/99年3月、3年生最後の授業で使った「自分の頭で考えよう」という趣旨の自作プリントが、「不適切な内容」だとして訓告。
④ 多摩布立多摩中学校/2001年2月~02年、「日本軍『慰安婦』」「同性愛」問題を取り上げた家庭科の授業への攻撃などがあり、「指導力不足等教員」として校長が都教委に申請。「指導力不足等教員」には認定されなかったが、この期間中に発せられた職務命令に従わなかったとして、減給3カ月。
⑤ 立川毒立立川第二中学校/05年3月、卒業式での1回目の「君が代」不起立で「職務命令違反」だとして、減給6カ月。
⑥ 同中学校/05年4月、入学式での「君が代」不起立で、停職1カ月。
⑦ 同中学校/05年7月、思想転向を迫る「再発防止研修」の際、ゼッケンを着けたことと質悶をし続けたことが「職務専念義務違反」だとして、減給1カ月。
⑧ 同中学校/06年3月、卒業式での「君が代」不起立で、停職3カ月。
⑨ 町田市立鶴川第二中学校/07年3月、卒業式での「君が代」不起立で、停職6カ月。
⑩ 都立南大沢学園/08年3月、卒業式での「君が代」不起立で、停職6カ月。免職を阻止。
⑪ 都立あきる野学園/09年3月、卒業式での「君が代」不起立で、停職6カ月。
*学校名は、処分対象の事案があった時点での在籍校。年月は対象事案の発生時。⑨と⑪をめぐる裁判では勝訴、処分取り消しとなっている。
(作成/竪場勝司 出典/『自分で考え判断する教育を求めて「日の丸・君が代」をめぐる私の現場闘争史』)
※ねづきみこ:1950年、神奈川県生まれ。71年4月から2011年3月まで、東京都内の公立学校・都立学校教員。生徒たちが自分で考え判断する力を身につけてほしいと、授業づくり(主には中学校家庭科)に取り組んできた。しかし、東京都教育委員会(都教委)による現役中の処分は11回、市教育委員会による訓告が2回。そのうち「君が代」不起立では、都教委による停職6カ月処分・3回を受ける。著書に『希望は生徒 家庭科の先生と日の丸・君が代』(07年)、『増補新版 希望は生徒』(13年、ともに影書房)。共著に「学校に思想・良心の自由を君が代不起立、運動・歴史・思想」(16年、影書房)がある。退職後、現在も都教委の傍聴を続け、傍聴記を「レイバーネット」(http://www.labornet.org/)にアップしている。
『週刊金曜日 1456号』(2024年1月19日)
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