=草の根運動総会での発言=
◆ 「辺野古海域の埋め立て」までに多くのハードルが
まず、沖縄で育った私自身の話からさせていただきます。私は、コザ暴動で有名な旧コザ市で子ども時代を過ごしました。
基地の町、というよりは、米兵相手の歓楽街でしたから、当時は、米兵があちこちを自由に歩き回っていました。私の小学校はまだよかったのですが、隣のコザ小学校というのは、歓楽街の中の一本道が通学路になっていて、そこを通らなければ、たどり着けないところにありました。両側には白人ダンサーのヌード写真がべたべた貼ってあって、子どもたちは、その写真を眺めながら登校しました。
そして、ベトナム戦争当時、子どもたちは、毎朝、朝早起き競争をしていました。なぜだか、おわかりでしょうか?夜に、バーに繰り出した米兵たちが、店から出てきた際に、見送るホステスに対してチップを投げるので、朝、明るくなってみてみると、そこら中に、お金が落ちているからです。貧乏な家庭の子ほど、早起きをしていました。
東京でこういう話をすると、「立川にだって赤線地帯はあったよ。沖縄だけじゃないよ。」という突っ込みが返ってきたりするのですが、やはり、少し意味合いが違うように感じます。
米兵は「お客様」でしかなかった立川と、「米兵は武士で、住民は百姓」という状況だった沖縄では、軍と住民との関係性は、全然違っていたと思います。
私の家は核家族で、共働きなのに、当時は学童保育もない時代でした。町に危険があふれている時代でしたので、小学校時代の私の髪の毛は、いつも坊ちゃん狩り、そして、ズボンばかりはいていました。
さて、ここからが、沖縄の現状についてのお話です。
翁長知事の行政処分という実力行使を起点として、沖縄県と安倍政権の辺野古移設を巡る争いが、ここにきて、ますます熾烈を極めています。
この間の経緯をふりかえらせていただくと、まず、10月の13日に、翁長知事が、埋め立て処分の”取り消し”を宣告しました。
石井啓一・国土交通相は、「公有水面埋め立て法」を所管する立場から、翁長知事の取り消し処分を、「一時執行停止」扱いとし、10月の28日に、翁長知事に、埋め立て承認取り消しの撤回を求め、「地方自治法に基づき是正を勧告する」旨の文書を郵送しています。
「勧告」と、それに続く「指導」に従わない場合には、高裁に対して、取り消し処分を無効にするための提訴をし、そこで勝利した後に、「埋め立て処分・取り消し」を撤回し、知事に代わって代執行する…という政府の描いた路線に従って、粛々と進められているわけです。
そして、昨日、ニュースでも流れた通り、是正勧告への回答期限を迎え、翁長知事は、勧告に従わないことを表明しました。
沖縄県は、こうした事態を受けて、国と地方の争いを調停する総務省の「係争処理委員会」に、審査を申し立てています。
ここまでが、現時点における国と沖縄県との係争の経緯です。
県環境評価条例に基づいて、防衛局と県とで協議をしなくてはならない『工事着手の届け出』というものがありますが、県側は、埋め立て処分を取り消した13日の日に、「処分取り消しにともない、協議はなくなった」旨の通知を防衛局に出しています。
ところが、県の“取り消し”自体が執行停止になったことにより、県は再び、防衛局と協議をしなければならなくなり、改めて協議を申し入れたのですが、沖縄防衛局は「県側から協議の打ち切りを宣言した以上、協議をする必要はなくなった」という見解を県に伝えてきました。
菅官房長官も、同じく、「13日の時点で協議はなくなった」という見解を出しました。
こういう大人げない態度こそが、「沖縄に対するいじめ」だということに、彼らは気が付かないんでしょうか。
菅官房長官初め、安倍閣僚というのは、子どもの喧嘩を平気でできる人たちで構成されているわけで、国のトップが、この程度のレベルでしかないことが、国民の最大の不幸だと思います。
マスコミはどうかと言えば、産経や読売は、「翁長氏の埋め立て処分取り消しは、辺野古移設反対という政治的判断の方を優先させるものであり、法定受託事務の逸脱に当たる。」とう論調に偏っています。
安倍首相自身も、翁長さんの処分取り消しに対し、「違法だ。移設の目的は、普天間の危険除去であり、著しく公益を害する。」と見解を述べています。
ここからは、法律の話になるのですが、後で、平山(知子弁護士)さんから、補足願えればと思います。
まず、知事が取った「処分取り消し」は、著しく公益を害するのでしょうか?そんなことはありません。安倍首相の言う公益とは、普天間移設のことを指すのであって、「処分取り消し」そのものが、どのような公益に反しているのかということは、語ることができていないのです。
辺野古こそが、日本国民にとっての公益なのでしょうか?そして、辺野古でなければ、安倍首相の言うように、「違法」なのでしょうか?とんでもありません。
このように、「常に断言調で、言いっぱなし」というのが、自民党の歴代首相の特質でもありますが、今のところ、国民への説明責任を、全く果すことができていません。
では逆に、その「処分取り消し」を受けて、「行政手続き不服申し立て法」に基づき、沖縄防衛局という「国の行政機関」が行った今回の申し立てや、そして、それを受けての「仮差し止め」や「行政代執行」というのは、地方自治法に合致しているのでしょうか? これまた飛んでもありません。
確かに、地方自治法は、国が知事に事務を託す「法定受託事務」に関するトラブルによって、行政が停滞しないように、代執行の手続きを定めています。国サイドは、この代執行を錦の御旗として、「知事による法定受託事務は、法令に反している」と捉え、「これを放置すれば、”著しく公益を害する”と認められる場合は、高等裁判所の判決を経て、所管する官僚が事務を執ることが認められる」というケースに、辺野古を当てはめているわけです。
しかしながら、行政不服申し立て法では、この不服申し立てをする権利があるのは、「行政行為によって、違法に権利を侵害された国民のみ」となっているにもかかわらず、法の趣旨を無視して、沖縄防衛局という国の機関が国土交通省という国そのものに対して、申し立てているのです。新基地建設の工事は、十分に阻止が可能だということになります。
防衛局は、今年7月に、この最難関の護岸工事に関する事前協議を、県に申し入れましたが、知事からの承認を取り付けるのは難しいと判断したのか、一方的に協議を打ち切りました。
この時点で、国はすでに、知事が「処分・取り消し」に動くと睨んで、強権的に代執行をするということで、方向性が定まったのではないかと思われます。強権政治を許さない世論の構築が大変重要だと思います。
最後に、これからの運動の展望について、語りたいと思います。
翁長知事は、菅官房長官との会談の後に、「アメリカ統治時代に沖縄に君臨したキャラウェイが語った言葉、『沖縄住民にとっての地方自治は、単なる神話でしない。地方自治は沖縄において存在しない。』と語ったキャラウェイ高等弁務官の姿が思い出される」と述べました。
名護市長選や沖縄県知事選、そして衆議院選で示された沖縄県民の民意を、キャラウェイのごとく、「存在しないかのようにふるまう」、安倍をはじめとする為政者の存在は、日本が独裁国家であることを体現しているも同然です。
辺野古への基地建設を阻止するために、沖縄では、オール沖縄の戦いが続いていますが、残念なのは民主党の態度です。
最近も、岡田党首がわざわざ、翁長知事を表敬訪問して、「この問題では、沖縄とは一致できない」と伝え、県民ばかりか、全国民をがっかりさせました。鳩山政権時代に、「県外移設」とぶち上げたものの、国内中探しても、移設先が見つからなかったということがトラウマとなった民主党は、「対案を提示できないのに反対するのは無責任」という態度を取っています。
しかしそれならば、民主党はなぜ、米軍基地を、何が何でも国内に置かなければならないと考えているのか、政党である以上、その理由を、国民にきちんと説明する義務があります。
1972年に、沖縄が本土復帰しましたが、復帰を契機にして、在沖海兵隊の撤退を余儀なくされることを想定した米軍は、在沖米軍基地をテニアンに移転する計画を立て、滑走路やら、港湾やらを備えた「複合的基地建設」を進めていました。
この計画は、74年に大幅に縮小されましたが、その理由として、「日本側が、沖縄の米軍の兵力を維持することを、望んだからだ」ということが、「アメリカ国家安全保障会議」・NSCの機密文書に記載されおり、機密指定解除によって、この間の明らかになったものです。
このNSCの文書は、他にも、「海外の基地は、受け入れ国が政治的圧力に対して、とても脆弱であるという弱点を持っている」と分析しているにもかかわらず、日本側が、これをさえぎって、引き留めたのだということが発覚しているのです。
そうであれば、沖縄に駐留する理由として、日米両政府が説明する「地理的優位性」については、米軍自らテニアンを選択していることからも、根拠は大変薄弱だということになります。
移転先を、沖縄県内にこだわる民主党が、沖縄にこだわる理由として、「地理的優位性」以外に何の根拠をもたず、その点において、自民党と一線を画することができないのであれば、民主党がりベラルを結集して、自民党の対抗勢力となりえることは、まずあり得ないでしょう。
民主党を、「国外移設の道しかない」という立場に立たせるためには、やはり、国民的な世論と運動が、民主党の背中を押すしかないであろうと思います。
そして、私は、基地撤去の運動を拡げるためには、もう一つ、阻害要因があると感じています。
それは、沖縄の運動が、「県外移設」にとどまっているという点です。
「県外移設」という方法は、「お互いに基地を押し付けあう」解決の仕方でしかありません。沖縄の基地負担が軽くなったと同時に他県の負担が重くなるということでは、日本国民の一致した要求、そして、一致した戦いにはなりえない弱さを、戦略的に持っています。
また、「県外移設」を掲げた時に、「移設先の候補さえ見つからない。」という状況では、「世界一危険な普天間基地をそのままにしてよいのか」という政府の言い分に、十分に対応できないようにも思えます。
ここは、「普天間基地の国外撤去、候補地探しは、アメリカの責任」という立場を明確にするべきではないでしょうか?
沖縄の負担解消のために、名乗りを上げる県が出ないときに、あるいは、沖縄基地負担の代替を断る自治体があった時に、そして国がそれを許す現状を県民が目の当たりにしたときに、沖縄県民は差別感と挫折感とに突き落とされて、「沖縄独立論」へといざなわれていくのではないかと思います。
堂々と、「国外移設」を掲げないことこそが、翁長さん率いるオール沖縄の戦いを、オールジャパンの戦いへと発展させるうえで、最大の阻害要因になっていると感じています。
基地は、沖縄だけでなく、全国に存在しています。基地の弊害とその影響による苦しみは、沖縄だけに集中しているわけではないのですから、沖縄だけでなく、全国から基地をなくすことが重要です。
さらに自分の「地元」から、そして、暮らしている「足元」から、生活者の目線でしっかりと軍事基地を捉えることが大事ではないかという点と共に、全国が沖縄を向くのではなく、全国が自分の足元を見て、そこにある基地をなくす取り組みをした時に初めて、「全国は一つになれる」、初めて、「オールジャパンの戦いが繰り広げられる」のだと思います。
この首都東京でも、11月21日に、福生市において、オスプレイ配備反対の集会がありますので、一緒に参加して盛り上がりましょうと呼びかけさせていただき、私からのつたない報告を終わります。
報告は以上ですが、最後におまけです。
辺野古、二見、大浦と字が続くのですが、大浦が、私の母の故郷です。辺野古を含む、旧区久志村の海辺の地域の、自然の豊かさと、人の心の美しさ、そして、戦争の悲しさを歌った「二見情和」という沖縄民謡がありますので、最後に、その歌を歌って、終わりたいと思います。ありがとうございました。
『草の根通信ニュース 89号』(2015/12/28)
占領70年の2015年を国民県民の主権と民族意識目覚めの年に!
「平和的で責任ある政府が樹立されたとき、連合国の占領軍は、直ちに日本国から撒退しなければならない」(ポツダム宣言)。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(憲法前文)
◆ 「辺野古海域の埋め立て」までに多くのハードルが
奥野倫子(東京・日野市議会議員、沖縄市出身)
まず、沖縄で育った私自身の話からさせていただきます。私は、コザ暴動で有名な旧コザ市で子ども時代を過ごしました。
基地の町、というよりは、米兵相手の歓楽街でしたから、当時は、米兵があちこちを自由に歩き回っていました。私の小学校はまだよかったのですが、隣のコザ小学校というのは、歓楽街の中の一本道が通学路になっていて、そこを通らなければ、たどり着けないところにありました。両側には白人ダンサーのヌード写真がべたべた貼ってあって、子どもたちは、その写真を眺めながら登校しました。
そして、ベトナム戦争当時、子どもたちは、毎朝、朝早起き競争をしていました。なぜだか、おわかりでしょうか?夜に、バーに繰り出した米兵たちが、店から出てきた際に、見送るホステスに対してチップを投げるので、朝、明るくなってみてみると、そこら中に、お金が落ちているからです。貧乏な家庭の子ほど、早起きをしていました。
東京でこういう話をすると、「立川にだって赤線地帯はあったよ。沖縄だけじゃないよ。」という突っ込みが返ってきたりするのですが、やはり、少し意味合いが違うように感じます。
米兵は「お客様」でしかなかった立川と、「米兵は武士で、住民は百姓」という状況だった沖縄では、軍と住民との関係性は、全然違っていたと思います。
私の家は核家族で、共働きなのに、当時は学童保育もない時代でした。町に危険があふれている時代でしたので、小学校時代の私の髪の毛は、いつも坊ちゃん狩り、そして、ズボンばかりはいていました。
さて、ここからが、沖縄の現状についてのお話です。
翁長知事の行政処分という実力行使を起点として、沖縄県と安倍政権の辺野古移設を巡る争いが、ここにきて、ますます熾烈を極めています。
この間の経緯をふりかえらせていただくと、まず、10月の13日に、翁長知事が、埋め立て処分の”取り消し”を宣告しました。
石井啓一・国土交通相は、「公有水面埋め立て法」を所管する立場から、翁長知事の取り消し処分を、「一時執行停止」扱いとし、10月の28日に、翁長知事に、埋め立て承認取り消しの撤回を求め、「地方自治法に基づき是正を勧告する」旨の文書を郵送しています。
「勧告」と、それに続く「指導」に従わない場合には、高裁に対して、取り消し処分を無効にするための提訴をし、そこで勝利した後に、「埋め立て処分・取り消し」を撤回し、知事に代わって代執行する…という政府の描いた路線に従って、粛々と進められているわけです。
そして、昨日、ニュースでも流れた通り、是正勧告への回答期限を迎え、翁長知事は、勧告に従わないことを表明しました。
沖縄県は、こうした事態を受けて、国と地方の争いを調停する総務省の「係争処理委員会」に、審査を申し立てています。
ここまでが、現時点における国と沖縄県との係争の経緯です。
県環境評価条例に基づいて、防衛局と県とで協議をしなくてはならない『工事着手の届け出』というものがありますが、県側は、埋め立て処分を取り消した13日の日に、「処分取り消しにともない、協議はなくなった」旨の通知を防衛局に出しています。
ところが、県の“取り消し”自体が執行停止になったことにより、県は再び、防衛局と協議をしなければならなくなり、改めて協議を申し入れたのですが、沖縄防衛局は「県側から協議の打ち切りを宣言した以上、協議をする必要はなくなった」という見解を県に伝えてきました。
菅官房長官も、同じく、「13日の時点で協議はなくなった」という見解を出しました。
こういう大人げない態度こそが、「沖縄に対するいじめ」だということに、彼らは気が付かないんでしょうか。
菅官房長官初め、安倍閣僚というのは、子どもの喧嘩を平気でできる人たちで構成されているわけで、国のトップが、この程度のレベルでしかないことが、国民の最大の不幸だと思います。
マスコミはどうかと言えば、産経や読売は、「翁長氏の埋め立て処分取り消しは、辺野古移設反対という政治的判断の方を優先させるものであり、法定受託事務の逸脱に当たる。」とう論調に偏っています。
安倍首相自身も、翁長さんの処分取り消しに対し、「違法だ。移設の目的は、普天間の危険除去であり、著しく公益を害する。」と見解を述べています。
ここからは、法律の話になるのですが、後で、平山(知子弁護士)さんから、補足願えればと思います。
まず、知事が取った「処分取り消し」は、著しく公益を害するのでしょうか?そんなことはありません。安倍首相の言う公益とは、普天間移設のことを指すのであって、「処分取り消し」そのものが、どのような公益に反しているのかということは、語ることができていないのです。
辺野古こそが、日本国民にとっての公益なのでしょうか?そして、辺野古でなければ、安倍首相の言うように、「違法」なのでしょうか?とんでもありません。
このように、「常に断言調で、言いっぱなし」というのが、自民党の歴代首相の特質でもありますが、今のところ、国民への説明責任を、全く果すことができていません。
では逆に、その「処分取り消し」を受けて、「行政手続き不服申し立て法」に基づき、沖縄防衛局という「国の行政機関」が行った今回の申し立てや、そして、それを受けての「仮差し止め」や「行政代執行」というのは、地方自治法に合致しているのでしょうか? これまた飛んでもありません。
確かに、地方自治法は、国が知事に事務を託す「法定受託事務」に関するトラブルによって、行政が停滞しないように、代執行の手続きを定めています。国サイドは、この代執行を錦の御旗として、「知事による法定受託事務は、法令に反している」と捉え、「これを放置すれば、”著しく公益を害する”と認められる場合は、高等裁判所の判決を経て、所管する官僚が事務を執ることが認められる」というケースに、辺野古を当てはめているわけです。
しかしながら、行政不服申し立て法では、この不服申し立てをする権利があるのは、「行政行為によって、違法に権利を侵害された国民のみ」となっているにもかかわらず、法の趣旨を無視して、沖縄防衛局という国の機関が国土交通省という国そのものに対して、申し立てているのです。新基地建設の工事は、十分に阻止が可能だということになります。
防衛局は、今年7月に、この最難関の護岸工事に関する事前協議を、県に申し入れましたが、知事からの承認を取り付けるのは難しいと判断したのか、一方的に協議を打ち切りました。
この時点で、国はすでに、知事が「処分・取り消し」に動くと睨んで、強権的に代執行をするということで、方向性が定まったのではないかと思われます。強権政治を許さない世論の構築が大変重要だと思います。
最後に、これからの運動の展望について、語りたいと思います。
翁長知事は、菅官房長官との会談の後に、「アメリカ統治時代に沖縄に君臨したキャラウェイが語った言葉、『沖縄住民にとっての地方自治は、単なる神話でしない。地方自治は沖縄において存在しない。』と語ったキャラウェイ高等弁務官の姿が思い出される」と述べました。
名護市長選や沖縄県知事選、そして衆議院選で示された沖縄県民の民意を、キャラウェイのごとく、「存在しないかのようにふるまう」、安倍をはじめとする為政者の存在は、日本が独裁国家であることを体現しているも同然です。
辺野古への基地建設を阻止するために、沖縄では、オール沖縄の戦いが続いていますが、残念なのは民主党の態度です。
最近も、岡田党首がわざわざ、翁長知事を表敬訪問して、「この問題では、沖縄とは一致できない」と伝え、県民ばかりか、全国民をがっかりさせました。鳩山政権時代に、「県外移設」とぶち上げたものの、国内中探しても、移設先が見つからなかったということがトラウマとなった民主党は、「対案を提示できないのに反対するのは無責任」という態度を取っています。
しかしそれならば、民主党はなぜ、米軍基地を、何が何でも国内に置かなければならないと考えているのか、政党である以上、その理由を、国民にきちんと説明する義務があります。
1972年に、沖縄が本土復帰しましたが、復帰を契機にして、在沖海兵隊の撤退を余儀なくされることを想定した米軍は、在沖米軍基地をテニアンに移転する計画を立て、滑走路やら、港湾やらを備えた「複合的基地建設」を進めていました。
この計画は、74年に大幅に縮小されましたが、その理由として、「日本側が、沖縄の米軍の兵力を維持することを、望んだからだ」ということが、「アメリカ国家安全保障会議」・NSCの機密文書に記載されおり、機密指定解除によって、この間の明らかになったものです。
このNSCの文書は、他にも、「海外の基地は、受け入れ国が政治的圧力に対して、とても脆弱であるという弱点を持っている」と分析しているにもかかわらず、日本側が、これをさえぎって、引き留めたのだということが発覚しているのです。
そうであれば、沖縄に駐留する理由として、日米両政府が説明する「地理的優位性」については、米軍自らテニアンを選択していることからも、根拠は大変薄弱だということになります。
移転先を、沖縄県内にこだわる民主党が、沖縄にこだわる理由として、「地理的優位性」以外に何の根拠をもたず、その点において、自民党と一線を画することができないのであれば、民主党がりベラルを結集して、自民党の対抗勢力となりえることは、まずあり得ないでしょう。
民主党を、「国外移設の道しかない」という立場に立たせるためには、やはり、国民的な世論と運動が、民主党の背中を押すしかないであろうと思います。
そして、私は、基地撤去の運動を拡げるためには、もう一つ、阻害要因があると感じています。
それは、沖縄の運動が、「県外移設」にとどまっているという点です。
「県外移設」という方法は、「お互いに基地を押し付けあう」解決の仕方でしかありません。沖縄の基地負担が軽くなったと同時に他県の負担が重くなるということでは、日本国民の一致した要求、そして、一致した戦いにはなりえない弱さを、戦略的に持っています。
また、「県外移設」を掲げた時に、「移設先の候補さえ見つからない。」という状況では、「世界一危険な普天間基地をそのままにしてよいのか」という政府の言い分に、十分に対応できないようにも思えます。
ここは、「普天間基地の国外撤去、候補地探しは、アメリカの責任」という立場を明確にするべきではないでしょうか?
沖縄の負担解消のために、名乗りを上げる県が出ないときに、あるいは、沖縄基地負担の代替を断る自治体があった時に、そして国がそれを許す現状を県民が目の当たりにしたときに、沖縄県民は差別感と挫折感とに突き落とされて、「沖縄独立論」へといざなわれていくのではないかと思います。
堂々と、「国外移設」を掲げないことこそが、翁長さん率いるオール沖縄の戦いを、オールジャパンの戦いへと発展させるうえで、最大の阻害要因になっていると感じています。
基地は、沖縄だけでなく、全国に存在しています。基地の弊害とその影響による苦しみは、沖縄だけに集中しているわけではないのですから、沖縄だけでなく、全国から基地をなくすことが重要です。
さらに自分の「地元」から、そして、暮らしている「足元」から、生活者の目線でしっかりと軍事基地を捉えることが大事ではないかという点と共に、全国が沖縄を向くのではなく、全国が自分の足元を見て、そこにある基地をなくす取り組みをした時に初めて、「全国は一つになれる」、初めて、「オールジャパンの戦いが繰り広げられる」のだと思います。
この首都東京でも、11月21日に、福生市において、オスプレイ配備反対の集会がありますので、一緒に参加して盛り上がりましょうと呼びかけさせていただき、私からのつたない報告を終わります。
報告は以上ですが、最後におまけです。
辺野古、二見、大浦と字が続くのですが、大浦が、私の母の故郷です。辺野古を含む、旧区久志村の海辺の地域の、自然の豊かさと、人の心の美しさ、そして、戦争の悲しさを歌った「二見情和」という沖縄民謡がありますので、最後に、その歌を歌って、終わりたいと思います。ありがとうございました。
『草の根通信ニュース 89号』(2015/12/28)
占領70年の2015年を国民県民の主権と民族意識目覚めの年に!
「平和的で責任ある政府が樹立されたとき、連合国の占領軍は、直ちに日本国から撒退しなければならない」(ポツダム宣言)。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(憲法前文)
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