◆ 「山本宣治終焉の地」記念プレート、設置
皆さま
こんにちは。増田です。これはBCCでお知らせしています。重複、長文ご容赦を!
もう1週間たってしまいましたが、17日(日)件名プレートの「除幕・献花、記念の集い」がありました。
何かの集会でこのビラを見て、この週は毎日出かけていたので少々つらかったのですが「これは行かなくっちゃ」(笑)と頑張りました。主催は「東京山宣会」です。
https://tokyoyamasen.web.fc2.com/index.html
今年は、1929年3月5日、帝国議会議員でただ一人、最高刑を死刑とする改悪治安維持法に反対して右翼テロの犠牲となった山本宣治の没後90周年になります。
「東京山宣会」は2010年発足して以来、山宣記念碑の設置の運動をしてこられ、やっと、千代田区の事業としての「千代田区まちの記憶保存プレート」の一つ…4つ目だそうです…として、実現したのです。
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/bunka/chome/kioku/index.html
場所は宣治の定宿で、「七生義団」の右翼に殺された…まだ39歳でした…神田光榮館の跡地(千代田区神田神保町1-103)そばの歩道です。光榮館のあった場所には今、東京パークタワービルという高層ビルが建っています。
除幕式前の写真に写っているのは宣治の次女の方と、集会(東京堂書店ホール)で親族を代表してご挨拶されたお孫さんの山本勇治さん(京都民医連九条診療所長)です。勇治さんは、やっぱり、おじいさんの写真と似ているな、と思いました。
集会会場に置かれた額…蛍光灯の光が写ってしまい見にくいですけど…は宣治自筆の「唯生唯戦」…意味は「ひたすら生き、ひたすら戦う」…という1929年2月25日に書かれた書です。
記念講演は荻野富士夫小樽商科大学名誉教授の「山本宣治と治安維持法」でした。
荻野先生の著書『よみがえる戦時体制 治安体制の歴史と現在』(集英社新書)には、アベ日本会議政府によって特定秘密保護法・共謀罪と「あらたな戦時体制形成の最終段階へ」この国が入っていることが証明されていて慄然としますが、お勧めです!
集会でいただいたビラには『こころざしつつ たふれし少女(乙女)よ 伊藤千代子の生涯』という劇映画が「2020年に完成・全国公開」と書いてありました。楽しみです。
伊藤千代子についてはhttp://www.tiyoko17.org/
伊藤千代子こころざしの会「こころざしつつたふれしをとめよ」
2018年墓碑前祭と今日を語る会開催しました; 2018年伊藤千代子「墓参と顕彰碑前祭・語る会」にご参加を!
www.tiyoko17.org
1928年の3・15弾圧で特高の拷問・虐待・転向強要にあいながら屈服せず、しかし、精神を病み、24歳で獄死しました。
大日本帝国敗戦後、追悼式で日本国の首相や天皇が「戦死者たちは現在の平和と繁栄の日本の礎となった人々」という主旨のことを何十年も言い続けていますが、私は、それはフェイク(嘘)だと考えます。
あのアジア太平洋戦争の「戦死者たち」は「大日本帝国=天皇主権・無民主主義・無基本的人権の国」を守れ、と強要されて戦争に動員され、殺し・殺された大日本帝国政府の犠牲者であって、現在の「平和・民主主義・基本的人権尊重」の憲法を持つ日本国を作ろうとして殺され、現在の「日本国の礎」となったのは、山本宣治や伊藤千代子たちだと思うのです。
話が飛んでしまいましたが、神田神保町近くにいらっしゃった際には、ぜひ、この山宣記念プレートをご覧になってください。一番近いのは地下鉄A9出口です。
皆さま
こんにちは。増田です。これはBCCでお知らせしています。重複、長文ご容赦を!
もう1週間たってしまいましたが、17日(日)件名プレートの「除幕・献花、記念の集い」がありました。
何かの集会でこのビラを見て、この週は毎日出かけていたので少々つらかったのですが「これは行かなくっちゃ」(笑)と頑張りました。主催は「東京山宣会」です。
https://tokyoyamasen.web.fc2.com/index.html
今年は、1929年3月5日、帝国議会議員でただ一人、最高刑を死刑とする改悪治安維持法に反対して右翼テロの犠牲となった山本宣治の没後90周年になります。
「東京山宣会」は2010年発足して以来、山宣記念碑の設置の運動をしてこられ、やっと、千代田区の事業としての「千代田区まちの記憶保存プレート」の一つ…4つ目だそうです…として、実現したのです。
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/bunka/chome/kioku/index.html
場所は宣治の定宿で、「七生義団」の右翼に殺された…まだ39歳でした…神田光榮館の跡地(千代田区神田神保町1-103)そばの歩道です。光榮館のあった場所には今、東京パークタワービルという高層ビルが建っています。
除幕式前の写真に写っているのは宣治の次女の方と、集会(東京堂書店ホール)で親族を代表してご挨拶されたお孫さんの山本勇治さん(京都民医連九条診療所長)です。勇治さんは、やっぱり、おじいさんの写真と似ているな、と思いました。
集会会場に置かれた額…蛍光灯の光が写ってしまい見にくいですけど…は宣治自筆の「唯生唯戦」…意味は「ひたすら生き、ひたすら戦う」…という1929年2月25日に書かれた書です。
記念講演は荻野富士夫小樽商科大学名誉教授の「山本宣治と治安維持法」でした。
荻野先生の著書『よみがえる戦時体制 治安体制の歴史と現在』(集英社新書)には、アベ日本会議政府によって特定秘密保護法・共謀罪と「あらたな戦時体制形成の最終段階へ」この国が入っていることが証明されていて慄然としますが、お勧めです!
集会でいただいたビラには『こころざしつつ たふれし少女(乙女)よ 伊藤千代子の生涯』という劇映画が「2020年に完成・全国公開」と書いてありました。楽しみです。
伊藤千代子についてはhttp://www.tiyoko17.org/
伊藤千代子こころざしの会「こころざしつつたふれしをとめよ」
2018年墓碑前祭と今日を語る会開催しました; 2018年伊藤千代子「墓参と顕彰碑前祭・語る会」にご参加を!
www.tiyoko17.org
1928年の3・15弾圧で特高の拷問・虐待・転向強要にあいながら屈服せず、しかし、精神を病み、24歳で獄死しました。
大日本帝国敗戦後、追悼式で日本国の首相や天皇が「戦死者たちは現在の平和と繁栄の日本の礎となった人々」という主旨のことを何十年も言い続けていますが、私は、それはフェイク(嘘)だと考えます。
あのアジア太平洋戦争の「戦死者たち」は「大日本帝国=天皇主権・無民主主義・無基本的人権の国」を守れ、と強要されて戦争に動員され、殺し・殺された大日本帝国政府の犠牲者であって、現在の「平和・民主主義・基本的人権尊重」の憲法を持つ日本国を作ろうとして殺され、現在の「日本国の礎」となったのは、山本宣治や伊藤千代子たちだと思うのです。
話が飛んでしまいましたが、神田神保町近くにいらっしゃった際には、ぜひ、この山宣記念プレートをご覧になってください。一番近いのは地下鉄A9出口です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます