=最高裁判決を受けて=
★ 全都立学校の校長宛に弁護団からの手紙
東京都立高等学校・特別支援学校 校長先生 各位
1 はじめに
突然のお手紙を差し上げることをお許し下さい。
私達は、東京都教育委員会が2003年10月23日に発出した国旗掲揚・国歌斉唱に関する通達(10・23通達)に反対する都立学校の教職員たちと共に、訴訟を行ってきた弁護団です。
この度は、昨年5月より今年2月にかけて10・23通達に関連して出された最高裁判決の趣旨(特に、補足意見や反対意見に表われている最高裁の考え)について、情報提供させていただきたく、またこれを機に、もう一度、校長先生の皆様に、教育現場で行われている「国旗・国歌強制」についてお考えいただきたく、筆を執らせて頂きました。長文となりますが、ご一読いただければ幸いです。
2 2011年5月30日~7月19日の最高裁の判決について
(1) 2011年5月から7月にかけて、最高裁の3つの小法廷で、10・23通達(ないしはその近接する時期に出された同趣旨の市町村教委通達、以下「通達」と示すときには双方を含みます)に関する一連の判決が出されたことはご存じのことと思います。
いずれの判決でも最高裁判決(多数意見)は、通達に基づく職務命令が憲法19条に違反しないとの判断を示しました。
もっとも、いずれの判決でも「国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為」であり、自らの歴史観・世界観から否定的な評価の対象となる「日の丸」「君が代」に敬意を表明することに応じ難いと考える者が敬意の表明行為を求められることは「その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる」と指摘しています。
さらに、この多数意見に対しては、3つの小法廷合計14名の裁判官のうち実に7名が「補足意見」、2名が「反対意見」をつけました。このように多数の裁判官が「意見」をつけるのは異例のことです。是非、各最高裁裁判官の「肉声」に耳を傾けて頂きたいと思います。
(2) 第一小法廷の宮川光治裁判官、第三小法廷の田原睦夫裁判官は、職務命令が憲法19条違反ではないとした多数意見に反対する「反対意見」をつけています。
宮川裁判官は、起立斉唱は慣例上の儀礼的な所作ではなく、思想良心の核心に触れる行為であること、学習指導要領は教職員への起立斉唱行為の強制の根拠とはならないことを述べた上で、職務命令が憲法19条に違反する可能性があることを指摘しています(第一小法廷2011年6月6日判決参照)。
田原裁判官は、「起立命令」はともかく「斉唱命令」は単なる儀礼的行為と評価できず、思想信条の核心部分を侵害するものと評価されうるので憲法19条違反の可能性があるとしています(第三小法廷2011年6月14日判決参照)。
(3) また、結論としては多数意見に同調した裁判官も、以下のように、東京における通達・職務命令による起立斉唱強制について、問題点を指摘しています。
①須藤正彦裁判官(第二小法廷2011年5月30日判決参照)
「本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が、教育現場を疑心暗鬼とさせ、無用な混乱を生じさせ、教育現場の活力を殺ぎ萎縮させるというようなことであれば、かえって教育の生命が失われることにもなりかねない。教育は、強制ではなく自由闊達に行われることが望ましいのであって、(中略)強制や不利益処分も可能な限り*謙抑的であるべきである。(中略)たとえ、裁量の範囲内で違法にまでは至らないとしても、思想及び良心の自由の重みに照らし、また、あるべき教育現場が損なわれることがないようにするためにも、それに踏み切る前に、教育行政担当者において、寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮をすることが望まれる」。
②千葉勝美裁判官(第二小法廷2011年5月30日判決参照)
「教員としては、起立斉唱行為の拒否は自己の歴史観等に由来する行動であるため、司法が職務命令を合憲・有効として決着させることが、必ずしもこの問題を社会的にも最終的な解決へ導くことになるとはいえない。(中略)国旗及び国歌に対する姿勢は、個々人の思想信条に関連する微妙な領域の問題であって、国民が心から敬愛するものであってこそ、国旗及び国歌がその本来の意義に沿うものとなるのである。そうすると、この問題についての最終解決としては、国旗及び国歌が、強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要である」。
③金築誠志裁判官(第一小法廷2011年6月6日判決参照)
「もっとも、教職員に対する職務命令に起因する対立であっても、これが教育環境の悪化を招くなどした場合には、児童・生徒も影響を受けざるを得ないであろう。そうした観点からも、全ての教育関係者の慎重かつ賢明な配慮が必要とされる」。
④岡部喜代子裁判官(第三小法廷2011年6月14日判決参照)
「起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難いものであり、思想及び良心の自由が憲法上の保障であるところからすると、その命令が憲法に違反するとまではいえないとしても、その命令の不履行に対して不利益処分を課すに当たっては慎重な衡量が求められるというべきである(中略)当該不利益処分を課すことが裁量権の逸脱又は濫用に該当する場合があり得る」。
⑤大谷剛彦裁判官(第三小法廷2011年6月14日判決参照)
「儀式における国歌斉唱などは、国歌への敬愛や斉唱の意義の理解に基づき自然に、または自発的になされることこそ望ましいに違いない。国の次代を担う生徒への学校教育の場であればなおさらであろう。過度の不利益処分をもってする強制や、他方で殊更に示威的な拒否行動があって教育関係者間に対立が深まれば、教育現場は混乱し、生徒への悪影響もまた懸念されよう。全体で行う学校行事における国歌斉唱の在るべき姿への理解も要するであろうし、また一方で個人の内心の思想信条に関わりを持つ事柄として慎重な配慮も要するであろう。教育関係者の相互の理解と慎重な対応が期待されるところである」。
このように、職務命令を「違憲ではない」と判断した最高裁裁判官も、一連の最高裁判決によって解決済みであるとしたわけでも、手放しに都教委の「通達・職務命令による国旗・国歌実施体制」が全く問題ないものと認めたわけでもなく、教育行政に寛容さを求め、教育関係者の慎重な配慮による事態の解決を強く望み、呼びかけているのです。
3 2012年1月16日の最高裁第一小法廷判決
(1) また、2012年1月16日には、最高裁第一小法廷にて、通達に基づく職務命令違反を理由とする懲戒処分に関する3事件の判決が言渡されたことも、ご存じのことと思います。
これらの判決につき、都教委は校長先生たちに、「最高裁が、再び職務命令が合憲であることを認めた」ということのみを強調してお知らせしていると聞き及びます。
しかし、2012年1月16日最高裁判決の中心は、懲戒権行使に当たっての都教委の裁量権逸脱・濫用についての判断です。
最高裁(多数意見)は、戒告については違法とはならないとしつつ、戒告より重い減給以上の処分を選択することは「慎重な考慮が必要となる」とし、減給処分以上の処分が許容されるには「学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不利益の内容との権衡の観点から当該処分を選択することの相当性を基礎づける具体的な事情が認められる」ことを要する、としました。
そして、過去1回、卒業式での服装に関する処分を受けた教員の不起立による「減給1ヶ月」の処分、過去3回、卒業式で不起立した教員の不起立による「停職1ヶ月」の処分は、裁量権の逸脱・濫用で違法となる、と判断しました。
ご存じの通り、都教委はこれまで、10・23通達発出後、原則として国旗・国歌に関する職務命令違反1回で戒告、2~3回は減給、4回以上は停職、と1回ごとに加重される懲戒処分を下してきました。しかし最高裁は、この都教委の機械的な「累積加重処分」体制が、違法であって許されないことを明言したのです。
また、「戒告」についても、司法判断としては裁量権逸脱・濫用とまではいえない、としつつも「当不当の問題はある」としており、前述や後述の各裁判官の「補足意見」からしても、決して手放しに「戒告処分は当然であり今後もやって良い」と都教委に"お墨付き"を与えたものではないことは、明らかです。
(2) この判決には1名の裁判官の「反対意見」、2名の裁判官の「補足意見」がついています。
反対意見の宮川裁判官は、先に挙げた2011年の判決と同様、職務命令が憲法19条違反となりうるという意見を引用した上で、次のように述べています。
原告ら教職員は「地方公務員ではあるが、教育公務員であり、一般行政とは異なり、教育の目標に照らし、特別の自由が保障されている。(中略)教育に携わる教員には、幅広い知識と教養、真理を求め、個人の価値を尊重する姿勢、創造性を希求する自律的精神の持ち主であること等が求められるのであり、上記(注・教育基本法2条)のような教育の目標を考慮すると、教員における精神の自由は、取り分けて尊重されなければならない」。
また、裁量権の逸脱・濫用の論点については、本件では戒告処分がひとたびなされると、累積処分が機械的にスタートすることからすれば「戒告処分は、相当に重い不利益処分」であり、戒告処分であっても懲戒処分を課すことは重きに過ぎ、裁量権の逸脱・濫用であるという意見を述べています。
(3) さらに、櫻井龍子裁判官は、結論においては多数意見に賛同しつつ、「補足意見」で次のように述べています。
「本件の紛争の特性に鑑みて付言するに、今後いたずらに不起立と懲戒処分の繰り返しが行われていく事態が教育の現場の在り方として容認されるものではないことを強調しておかなければならない。教育の現場においてこのような紛争が繰り返される状態を一日も早く解消し、これまでにも増して自由で闊達な教育が実施されていくことが切に望まれるところであり、全ての関係者によってそのための具体的な方策と努力が真摯かつ速やかに尽くされていく必要があるものというべきである」。
この判決でも、最高裁裁判官が、決して都教委の国旗・国歌強制体制になんら問題なし、と考えたわけではなく、教育環境のこれ以上の悪化を食い止め自由闊達な教育をつくっていくため「全ての関係者」の努力を切実に求めていることが読み取れます。
4 2012年2月9日最高裁第一小法廷判決
(1) 2012年2月9日の判決は、起立斉唱義務不存在確認及び不利益処分差止め等を求めた訴訟(予防訴訟)の判決で、多数意見においては、訴訟要件に関する判断以外の憲法判断については昨年5月~7月の判決とほぼ同様ですが、宮川光治裁判官の「反対意見」の他、3名の裁判官の「補足意見」がついています。
そのうち金築裁判官、櫻井裁判官は前述と同様の「補足意見」を述べているほか、横田尤孝裁判官は、次のように述べています。
「違反者に重い処分を課したからといって、事柄の性質上、根本の問題が解決するわけでもない。国旗及び国歌をめぐる職務命令違反行為とそれに対する懲戒処分の応酬という虚しい現実は、本来教育の場にふさわしくない状況であるといわなければならない。関係者は、ともども、こうした現実が多感な生徒に及ぼす影響とこの問題に関する社会通念の在り所について真摯に考究し、適切妥当な解決のための具体的な方策を見いだすよう最大限の努力をすることが望まれる。この稔りなき応酬を収束させることは、関係者全ての責務というべきである。」
ここでも最高裁裁判官達は、都教委の「10・23通達」下の異様な職務命令体制が、教育現場にふさわしくないものであると憂慮し、「最大限の努力」により改善を求めているのです。
(2) この判決の多数意見は、訴訟要件に関する判断の中で、次のように述べています。
10・23通達は「職務命令の発出を命ずる旨及びその範囲等を示す文言は含まれておらず、具体的にどの範囲の教職員に対し本件職務命令を発するか等については個々の式典及び教職員毎の個別的な事情に応じて各校長の裁量に委ねられているものと解される」。
実は、裁判では、都教委は一貫して「職務命令は校長の権限と責任において発出した」という主張を繰り返しています。これは、卒業式等の実施に当たり、都教委からの強力かつ詳細な「指導」を受けておられる校長先生方の実感とは異なるのではないかと推察します。
しかし、最高裁が上述のように、職務命令の発出は校長の裁量に委ねられているのだ、と明言していることは、今後、校長先生が卒業式等を実施するに当たり、「職務命令」発出をご再考いただくきっかけとなるのではないでしょうか。
都教委の下す「懲戒処分」は、校長先生の出す「職務命令」違反を前提としています。つまり、職務命令が発出されなければ懲戒処分は繰り返されない、「国旗及び国歌をめぐる職務命令違反行為とそれに対する懲戒処分の応酬という虚しい現実」に歯止めをかけることができるかもしれないのです。
前述のように、多くの最高裁裁判官が、この異常事態の解決のため「教育関係者全ての具体的な方策と努力」を求めています。校長先生も教育関係者として、ご自身で何ができるのか、またすべきなのかを、もう一度、真剣にお考えいただきたいのです。
5 最後に
最高裁裁判官諸氏の意見をまつまでもなく、教育現場における「命令」と「懲戒処分」の脅しによる「国旗国歌強制」が「異常事態」であることは、長年、教育に携わってきた校長先生なら誰でも感じておられることと思います。
教育は児童・生徒が主役です。この訴訟に関わってきた多くの原告たち教職員は皆、児童・生徒のために、よりよい教育をしたいと、真摯に願っています。その思いは、校長先生ときっと同じであると信じています。
最後に、2012年2月9日判決に付けられた宮川光治裁判官の少数意見の最終部分を引用させていただきます。
「全国的には不起立行為等に対する懲戒処分が行われているのは東京都のほかごく少数の地域にすぎないことがうかがわれる。この事実に、私は、教育の場において教育者の精神の自由を尊重するという、自由な民主主義社会にとっては至極当然のことが維持されているものとして、希望の灯りを見る。そのことは、子どもたちの自由な精神、博愛の心、多様な想像力を育むことにも繋がるであろう。しかし、一部の地域であっても、本件のような紛争が繰り返されるということは、誠に不幸なことである。こうでなければならない、こうあるべきだという思い込みが、悲惨な事態をもたらすということを、歴史は教えている。国歌を斉唱することは、国を愛することや他国を尊重することには単純には繋がらない。国歌は、一般にそれぞれの国の過去の歴史と深い関わりを有しており、他の国から見るとその評価は様々でもある。また、世界的に見て、入学式や卒業式等の式典において、国歌を斉唱するということが広く行われているとは考えがたい。思想の多様性を尊重する精神こそ、民主主義国家の存立の基盤であり、良き国際社会の形成にも貢献するものと考えられる。(中略)自らの真摯な歴史観等に従った不起立行為等は、その行為が式典の円滑な進行を特段妨害することがない以上、少数の思想の自由に属することとして、許容するという寛容が求められていると思われる。関係する人々に慎重な配慮を心から望みたい。」
なお、ここに挙げた各最高裁判所判決は、最高裁ホームページから、全文をダウンロードすることができます。
このお手紙に対し、ご意見等がございましたら、是非、下記弁護団連絡先にご一報ください。
このお手紙が、自由闊達なよりよい教育現場を取り戻すための私たちの取り組みに、ご理解をいただける一助となれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
2012年2月27日
★ 全都立学校の校長宛に弁護団からの手紙
東京都立高等学校・特別支援学校 校長先生 各位
1 はじめに
突然のお手紙を差し上げることをお許し下さい。
私達は、東京都教育委員会が2003年10月23日に発出した国旗掲揚・国歌斉唱に関する通達(10・23通達)に反対する都立学校の教職員たちと共に、訴訟を行ってきた弁護団です。
この度は、昨年5月より今年2月にかけて10・23通達に関連して出された最高裁判決の趣旨(特に、補足意見や反対意見に表われている最高裁の考え)について、情報提供させていただきたく、またこれを機に、もう一度、校長先生の皆様に、教育現場で行われている「国旗・国歌強制」についてお考えいただきたく、筆を執らせて頂きました。長文となりますが、ご一読いただければ幸いです。
2 2011年5月30日~7月19日の最高裁の判決について
(1) 2011年5月から7月にかけて、最高裁の3つの小法廷で、10・23通達(ないしはその近接する時期に出された同趣旨の市町村教委通達、以下「通達」と示すときには双方を含みます)に関する一連の判決が出されたことはご存じのことと思います。
いずれの判決でも最高裁判決(多数意見)は、通達に基づく職務命令が憲法19条に違反しないとの判断を示しました。
もっとも、いずれの判決でも「国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為」であり、自らの歴史観・世界観から否定的な評価の対象となる「日の丸」「君が代」に敬意を表明することに応じ難いと考える者が敬意の表明行為を求められることは「その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる」と指摘しています。
さらに、この多数意見に対しては、3つの小法廷合計14名の裁判官のうち実に7名が「補足意見」、2名が「反対意見」をつけました。このように多数の裁判官が「意見」をつけるのは異例のことです。是非、各最高裁裁判官の「肉声」に耳を傾けて頂きたいと思います。
(2) 第一小法廷の宮川光治裁判官、第三小法廷の田原睦夫裁判官は、職務命令が憲法19条違反ではないとした多数意見に反対する「反対意見」をつけています。
宮川裁判官は、起立斉唱は慣例上の儀礼的な所作ではなく、思想良心の核心に触れる行為であること、学習指導要領は教職員への起立斉唱行為の強制の根拠とはならないことを述べた上で、職務命令が憲法19条に違反する可能性があることを指摘しています(第一小法廷2011年6月6日判決参照)。
田原裁判官は、「起立命令」はともかく「斉唱命令」は単なる儀礼的行為と評価できず、思想信条の核心部分を侵害するものと評価されうるので憲法19条違反の可能性があるとしています(第三小法廷2011年6月14日判決参照)。
(3) また、結論としては多数意見に同調した裁判官も、以下のように、東京における通達・職務命令による起立斉唱強制について、問題点を指摘しています。
①須藤正彦裁判官(第二小法廷2011年5月30日判決参照)
「本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が、教育現場を疑心暗鬼とさせ、無用な混乱を生じさせ、教育現場の活力を殺ぎ萎縮させるというようなことであれば、かえって教育の生命が失われることにもなりかねない。教育は、強制ではなく自由闊達に行われることが望ましいのであって、(中略)強制や不利益処分も可能な限り*謙抑的であるべきである。(中略)たとえ、裁量の範囲内で違法にまでは至らないとしても、思想及び良心の自由の重みに照らし、また、あるべき教育現場が損なわれることがないようにするためにも、それに踏み切る前に、教育行政担当者において、寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮をすることが望まれる」。
②千葉勝美裁判官(第二小法廷2011年5月30日判決参照)
「教員としては、起立斉唱行為の拒否は自己の歴史観等に由来する行動であるため、司法が職務命令を合憲・有効として決着させることが、必ずしもこの問題を社会的にも最終的な解決へ導くことになるとはいえない。(中略)国旗及び国歌に対する姿勢は、個々人の思想信条に関連する微妙な領域の問題であって、国民が心から敬愛するものであってこそ、国旗及び国歌がその本来の意義に沿うものとなるのである。そうすると、この問題についての最終解決としては、国旗及び国歌が、強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要である」。
③金築誠志裁判官(第一小法廷2011年6月6日判決参照)
「もっとも、教職員に対する職務命令に起因する対立であっても、これが教育環境の悪化を招くなどした場合には、児童・生徒も影響を受けざるを得ないであろう。そうした観点からも、全ての教育関係者の慎重かつ賢明な配慮が必要とされる」。
④岡部喜代子裁判官(第三小法廷2011年6月14日判決参照)
「起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難いものであり、思想及び良心の自由が憲法上の保障であるところからすると、その命令が憲法に違反するとまではいえないとしても、その命令の不履行に対して不利益処分を課すに当たっては慎重な衡量が求められるというべきである(中略)当該不利益処分を課すことが裁量権の逸脱又は濫用に該当する場合があり得る」。
⑤大谷剛彦裁判官(第三小法廷2011年6月14日判決参照)
「儀式における国歌斉唱などは、国歌への敬愛や斉唱の意義の理解に基づき自然に、または自発的になされることこそ望ましいに違いない。国の次代を担う生徒への学校教育の場であればなおさらであろう。過度の不利益処分をもってする強制や、他方で殊更に示威的な拒否行動があって教育関係者間に対立が深まれば、教育現場は混乱し、生徒への悪影響もまた懸念されよう。全体で行う学校行事における国歌斉唱の在るべき姿への理解も要するであろうし、また一方で個人の内心の思想信条に関わりを持つ事柄として慎重な配慮も要するであろう。教育関係者の相互の理解と慎重な対応が期待されるところである」。
このように、職務命令を「違憲ではない」と判断した最高裁裁判官も、一連の最高裁判決によって解決済みであるとしたわけでも、手放しに都教委の「通達・職務命令による国旗・国歌実施体制」が全く問題ないものと認めたわけでもなく、教育行政に寛容さを求め、教育関係者の慎重な配慮による事態の解決を強く望み、呼びかけているのです。
3 2012年1月16日の最高裁第一小法廷判決
(1) また、2012年1月16日には、最高裁第一小法廷にて、通達に基づく職務命令違反を理由とする懲戒処分に関する3事件の判決が言渡されたことも、ご存じのことと思います。
これらの判決につき、都教委は校長先生たちに、「最高裁が、再び職務命令が合憲であることを認めた」ということのみを強調してお知らせしていると聞き及びます。
しかし、2012年1月16日最高裁判決の中心は、懲戒権行使に当たっての都教委の裁量権逸脱・濫用についての判断です。
最高裁(多数意見)は、戒告については違法とはならないとしつつ、戒告より重い減給以上の処分を選択することは「慎重な考慮が必要となる」とし、減給処分以上の処分が許容されるには「学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不利益の内容との権衡の観点から当該処分を選択することの相当性を基礎づける具体的な事情が認められる」ことを要する、としました。
そして、過去1回、卒業式での服装に関する処分を受けた教員の不起立による「減給1ヶ月」の処分、過去3回、卒業式で不起立した教員の不起立による「停職1ヶ月」の処分は、裁量権の逸脱・濫用で違法となる、と判断しました。
ご存じの通り、都教委はこれまで、10・23通達発出後、原則として国旗・国歌に関する職務命令違反1回で戒告、2~3回は減給、4回以上は停職、と1回ごとに加重される懲戒処分を下してきました。しかし最高裁は、この都教委の機械的な「累積加重処分」体制が、違法であって許されないことを明言したのです。
また、「戒告」についても、司法判断としては裁量権逸脱・濫用とまではいえない、としつつも「当不当の問題はある」としており、前述や後述の各裁判官の「補足意見」からしても、決して手放しに「戒告処分は当然であり今後もやって良い」と都教委に"お墨付き"を与えたものではないことは、明らかです。
(2) この判決には1名の裁判官の「反対意見」、2名の裁判官の「補足意見」がついています。
反対意見の宮川裁判官は、先に挙げた2011年の判決と同様、職務命令が憲法19条違反となりうるという意見を引用した上で、次のように述べています。
原告ら教職員は「地方公務員ではあるが、教育公務員であり、一般行政とは異なり、教育の目標に照らし、特別の自由が保障されている。(中略)教育に携わる教員には、幅広い知識と教養、真理を求め、個人の価値を尊重する姿勢、創造性を希求する自律的精神の持ち主であること等が求められるのであり、上記(注・教育基本法2条)のような教育の目標を考慮すると、教員における精神の自由は、取り分けて尊重されなければならない」。
また、裁量権の逸脱・濫用の論点については、本件では戒告処分がひとたびなされると、累積処分が機械的にスタートすることからすれば「戒告処分は、相当に重い不利益処分」であり、戒告処分であっても懲戒処分を課すことは重きに過ぎ、裁量権の逸脱・濫用であるという意見を述べています。
(3) さらに、櫻井龍子裁判官は、結論においては多数意見に賛同しつつ、「補足意見」で次のように述べています。
「本件の紛争の特性に鑑みて付言するに、今後いたずらに不起立と懲戒処分の繰り返しが行われていく事態が教育の現場の在り方として容認されるものではないことを強調しておかなければならない。教育の現場においてこのような紛争が繰り返される状態を一日も早く解消し、これまでにも増して自由で闊達な教育が実施されていくことが切に望まれるところであり、全ての関係者によってそのための具体的な方策と努力が真摯かつ速やかに尽くされていく必要があるものというべきである」。
この判決でも、最高裁裁判官が、決して都教委の国旗・国歌強制体制になんら問題なし、と考えたわけではなく、教育環境のこれ以上の悪化を食い止め自由闊達な教育をつくっていくため「全ての関係者」の努力を切実に求めていることが読み取れます。
4 2012年2月9日最高裁第一小法廷判決
(1) 2012年2月9日の判決は、起立斉唱義務不存在確認及び不利益処分差止め等を求めた訴訟(予防訴訟)の判決で、多数意見においては、訴訟要件に関する判断以外の憲法判断については昨年5月~7月の判決とほぼ同様ですが、宮川光治裁判官の「反対意見」の他、3名の裁判官の「補足意見」がついています。
そのうち金築裁判官、櫻井裁判官は前述と同様の「補足意見」を述べているほか、横田尤孝裁判官は、次のように述べています。
「違反者に重い処分を課したからといって、事柄の性質上、根本の問題が解決するわけでもない。国旗及び国歌をめぐる職務命令違反行為とそれに対する懲戒処分の応酬という虚しい現実は、本来教育の場にふさわしくない状況であるといわなければならない。関係者は、ともども、こうした現実が多感な生徒に及ぼす影響とこの問題に関する社会通念の在り所について真摯に考究し、適切妥当な解決のための具体的な方策を見いだすよう最大限の努力をすることが望まれる。この稔りなき応酬を収束させることは、関係者全ての責務というべきである。」
ここでも最高裁裁判官達は、都教委の「10・23通達」下の異様な職務命令体制が、教育現場にふさわしくないものであると憂慮し、「最大限の努力」により改善を求めているのです。
(2) この判決の多数意見は、訴訟要件に関する判断の中で、次のように述べています。
10・23通達は「職務命令の発出を命ずる旨及びその範囲等を示す文言は含まれておらず、具体的にどの範囲の教職員に対し本件職務命令を発するか等については個々の式典及び教職員毎の個別的な事情に応じて各校長の裁量に委ねられているものと解される」。
実は、裁判では、都教委は一貫して「職務命令は校長の権限と責任において発出した」という主張を繰り返しています。これは、卒業式等の実施に当たり、都教委からの強力かつ詳細な「指導」を受けておられる校長先生方の実感とは異なるのではないかと推察します。
しかし、最高裁が上述のように、職務命令の発出は校長の裁量に委ねられているのだ、と明言していることは、今後、校長先生が卒業式等を実施するに当たり、「職務命令」発出をご再考いただくきっかけとなるのではないでしょうか。
都教委の下す「懲戒処分」は、校長先生の出す「職務命令」違反を前提としています。つまり、職務命令が発出されなければ懲戒処分は繰り返されない、「国旗及び国歌をめぐる職務命令違反行為とそれに対する懲戒処分の応酬という虚しい現実」に歯止めをかけることができるかもしれないのです。
前述のように、多くの最高裁裁判官が、この異常事態の解決のため「教育関係者全ての具体的な方策と努力」を求めています。校長先生も教育関係者として、ご自身で何ができるのか、またすべきなのかを、もう一度、真剣にお考えいただきたいのです。
5 最後に
最高裁裁判官諸氏の意見をまつまでもなく、教育現場における「命令」と「懲戒処分」の脅しによる「国旗国歌強制」が「異常事態」であることは、長年、教育に携わってきた校長先生なら誰でも感じておられることと思います。
教育は児童・生徒が主役です。この訴訟に関わってきた多くの原告たち教職員は皆、児童・生徒のために、よりよい教育をしたいと、真摯に願っています。その思いは、校長先生ときっと同じであると信じています。
最後に、2012年2月9日判決に付けられた宮川光治裁判官の少数意見の最終部分を引用させていただきます。
「全国的には不起立行為等に対する懲戒処分が行われているのは東京都のほかごく少数の地域にすぎないことがうかがわれる。この事実に、私は、教育の場において教育者の精神の自由を尊重するという、自由な民主主義社会にとっては至極当然のことが維持されているものとして、希望の灯りを見る。そのことは、子どもたちの自由な精神、博愛の心、多様な想像力を育むことにも繋がるであろう。しかし、一部の地域であっても、本件のような紛争が繰り返されるということは、誠に不幸なことである。こうでなければならない、こうあるべきだという思い込みが、悲惨な事態をもたらすということを、歴史は教えている。国歌を斉唱することは、国を愛することや他国を尊重することには単純には繋がらない。国歌は、一般にそれぞれの国の過去の歴史と深い関わりを有しており、他の国から見るとその評価は様々でもある。また、世界的に見て、入学式や卒業式等の式典において、国歌を斉唱するということが広く行われているとは考えがたい。思想の多様性を尊重する精神こそ、民主主義国家の存立の基盤であり、良き国際社会の形成にも貢献するものと考えられる。(中略)自らの真摯な歴史観等に従った不起立行為等は、その行為が式典の円滑な進行を特段妨害することがない以上、少数の思想の自由に属することとして、許容するという寛容が求められていると思われる。関係する人々に慎重な配慮を心から望みたい。」
なお、ここに挙げた各最高裁判所判決は、最高裁ホームページから、全文をダウンロードすることができます。
このお手紙に対し、ご意見等がございましたら、是非、下記弁護団連絡先にご一報ください。
このお手紙が、自由闊達なよりよい教育現場を取り戻すための私たちの取り組みに、ご理解をいただける一助となれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
2012年2月27日
東京「日の丸・君が代」強制反対訴訟 弁護団
弁護士 加藤 文也
(連絡先)
〒160-0003
東京都新宿区本塩町4番地4 祥平館ビル9階
東京中央法律事務所
TEL 03-3353-1911
FAX 03-3353-3420
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