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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

起ちたくない歌いたくなかった高校生からの発信

2015年03月12日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◆ 足を震わせて「不起立」貫いた高校生
レイパーネット日本 松原 明


 「恐くて足がガクガクした」、大阪府立高校の2014年卒業式で校門でビラを撒き「君が代不起立」した卒業生・Aさん(19歳)は、そのときの様子を2月21日の東京集会で語った。
 私はそれを聞いて思い出したのは、国労組合員の山田則雄さんが、初めてストライキをして上司に通告するときに「足がガクガクした」という話だった。権力者にもの言うこと、権力者に従わないこと、それを実践することは大変なことで、そこで普通はひるんでしまうのだ。
 しかし木村さんはこう続けた。「罵声や生卵を投げられるかと思ったが、何もなくあっけなく終わった。やってみるとこんなもんかと思った。なにより友達に『ビラがよかった』と言われたのがうれしかった。私の思いが伝わったのだ。胃が痛かったが、やってよかった」と。
 この日の集いは、「河原井さん根津さんらの『君が代』解雇をさせない会」が主催した集まりで、卒業式シーズンを前に例年開かれるイベントだ。
 会場のスペースたんぽぽには、「不起立」高校生の話を聞こうと70人以上が集まった。彼女の話は、大阪弁を交えながら笑いと涙の感動的内容だった。
 なぜ彼女は立ち上がったのか?父親が活動家で日頃、社会問題の話を聞いていたことが大きかった。しかし、本気で自分の頭で考えるようになったのは、中学3年の出来事だった。
 卒業式を前に「君が代」の練習があったが、音楽教師が「君が代の君はあなたという意味で恋の歌だ」と説明した。木村さんは、「君とは天皇のことではないですか?」と聞いても「ちがう」といい、根拠も示さずそれを押しつけようとした。このことが彼女には許せなかった。
 「自分はめだちたくないと思っていたが、校長先生の一言が私を変えた。校長は『立っても立たなくても自由。立たない人を責めてはいけない』と語ってくれた。何があってもこの先生なら助けてくれる」。そう思って彼女は中学3年生で、初めて不起立したのだった。
 高校でも、不起立教員・梅原聡さんと出会い、行動を貫くことができた。木村さんの話に、会場に感動の渦が拡がった。
 チェ・ソンエさんは、「この話は『不起立』の原点だと思う。『君が代』は日本の戦争を美化するものだが、それについてものが言えない空気が完全につくられてしまった。でもそれを破れるのは私たちしかいない。私も大学で教えているが、学生は『君が代』のことにすごく関心を示してくる。知らないから無関心なだけだ。覚悟を決めて勇気をもって発信すれば、必ず反応が返ってくる」と述べた。
 集会には、不起立を続ける東西の現役教員・梅原聡さんと田中聡史さんも参加したが、かれらも元気をもらったようだった。安倍暴走で厳しい状況が続くなか、かすかに希望が見える集いになった。
『週刊新社会』(2015/3/10)

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