◆ Kさん「停職」処分についての人事委員会に参加して
10月5日午後、久しぶりに都庁の人事委員会に参加した。
Kさんの停職処分問題で人事委員会が開かれた。しかも、なんと証人は一度に3人。校長、区教委課長、そしてKさん本人。2時から始まって終了は5時半頃だった。強行軍の半日だったけど、それだけに重厚だった。何と言ってもKさんの本人尋問を聞けて本当に良かった。
Kさんは、過去4回の処分を受けている。2004年度に「君が代」不起立2回分と再発防止研修拒否1回、合わせて3回の「職務命令違反」だということで「戒告、減給1カ月、減給6カ月」の処分。2005年度再発防止研修時にゼッケンを着用していたということで「職務専念義務違反」で1回の戒告処分である。
そして、今回は2010年度、定年退職前の最後の卒業式での「君が代」ピアノ伴奏拒否に対して「1か月の停職処分」だった。
3月30日に言い渡され、3月31日から1か月の停職を命じられた。勤務日は残り1日しかないのに停職1カ月とは本人はもとより誰でもが腑に落ちないことであろう。
2004年度の処分で減給6カ月まで累積処分が進んでしまった時に、以後の処分は即「停職」につながっていくことは、根津さん達の例で明らかだった。Kさんがそこから毎年、毎年、いや、いつもいつも「子どもたちが居る会場に残って不起立をするべきか」「休暇や退出などの手段で子ども達を会場に置き去りにして処分を逃れるべきか」悩み続けて6年間、とうとう最後の卒業式を迎え、子ども達と共に居ることができたのだった。そして、それは停職処分を意味することでもあった。
「停職」処分を受けても、もちろん根津さんのように学校の門前で子どもたちに出会うという道はある。例え「停職」処分を受けてもそのことで子ども達との強い結びつきが生まれることもある。根津さんはその道を進んで行った。東京の教員の中でこうした「狭き門」を通って行った人達は、私たちの誇りだと思う。根津さんはそのためにどれだけの代償を払ったか、私たちは思い致さなければならない。
しかし、普通の教員だったら誰でもが思っている「子ども達と切り離されたくない」という願いが許されないのが東京都の学校の異常さなのだ。
「停職」処分によって「子ども達と1カ月(更に累積されれば3カ月、半年)切り離される辛さ」と、自分だけが卒・入学式などの会場にいないことによって「会場に子どもたちを置き去りにする辛さ」とを都教委は天秤にかけさせる。
都教委はこうして天秤にかけられないものを天秤に掛けなければならないところまで教員を追い込んでいくのだ。
Kさんの背中まで垂れる長い髪はすっかり白くなってしまった。あの髪はKさんの辛さを表して、まるで中国の白毛女伝説のようだ。
今回初めてKさんは自らの行為とキリスト教信仰についてはっきりと語られた。
かつていっしょに話をした時には、今日ほど整理されていなかったように思う。
「みずからの信仰と行為を一致させなければならない」
「キリスト教の神を信じているのに天皇を称えることはできない」
「人に従わず、神にのみ従いなさい」
神様以外を称えることはできないというKさんの信念が信仰者の言葉として素直に入ってきた。
その「子どもから切り離されたくない」という思いと「信仰と行為を一致させなければ」という思いの板挟みになった。解決できない矛盾に悩んでいると大好きな音楽に浸ることもできなくなり、神様に祈ることもできなくなってしまったとKさんは今回証言した。そんな時、Kさんが心のよりどころとしてきたのは「私の代わりにみんなが祈っていてくれる」ということだったそうだ。
「祈りは力だ」とKさんはつくづく感じたとのことだった。
崩壊してしまうかもしれないほど人の心を追いこんでいく都教委に対して、キリスト者の仲間の祈り、そしてKさんを支援してきた多くの人の思いがKさんを支えていたのだなあとしみじみと感じさせられた人事委員会であった。
審査官もじっくりと耳を傾けて、Kさんの思いに納得を表しているように見えたこともうれしかった。
但し、根津さんもKさんも少ししか支えてこれなかった自分を小さく思った日でもあった。 (F)
10月5日午後、久しぶりに都庁の人事委員会に参加した。
Kさんの停職処分問題で人事委員会が開かれた。しかも、なんと証人は一度に3人。校長、区教委課長、そしてKさん本人。2時から始まって終了は5時半頃だった。強行軍の半日だったけど、それだけに重厚だった。何と言ってもKさんの本人尋問を聞けて本当に良かった。
Kさんは、過去4回の処分を受けている。2004年度に「君が代」不起立2回分と再発防止研修拒否1回、合わせて3回の「職務命令違反」だということで「戒告、減給1カ月、減給6カ月」の処分。2005年度再発防止研修時にゼッケンを着用していたということで「職務専念義務違反」で1回の戒告処分である。
そして、今回は2010年度、定年退職前の最後の卒業式での「君が代」ピアノ伴奏拒否に対して「1か月の停職処分」だった。
3月30日に言い渡され、3月31日から1か月の停職を命じられた。勤務日は残り1日しかないのに停職1カ月とは本人はもとより誰でもが腑に落ちないことであろう。
2004年度の処分で減給6カ月まで累積処分が進んでしまった時に、以後の処分は即「停職」につながっていくことは、根津さん達の例で明らかだった。Kさんがそこから毎年、毎年、いや、いつもいつも「子どもたちが居る会場に残って不起立をするべきか」「休暇や退出などの手段で子ども達を会場に置き去りにして処分を逃れるべきか」悩み続けて6年間、とうとう最後の卒業式を迎え、子ども達と共に居ることができたのだった。そして、それは停職処分を意味することでもあった。
「停職」処分を受けても、もちろん根津さんのように学校の門前で子どもたちに出会うという道はある。例え「停職」処分を受けてもそのことで子ども達との強い結びつきが生まれることもある。根津さんはその道を進んで行った。東京の教員の中でこうした「狭き門」を通って行った人達は、私たちの誇りだと思う。根津さんはそのためにどれだけの代償を払ったか、私たちは思い致さなければならない。
しかし、普通の教員だったら誰でもが思っている「子ども達と切り離されたくない」という願いが許されないのが東京都の学校の異常さなのだ。
「停職」処分によって「子ども達と1カ月(更に累積されれば3カ月、半年)切り離される辛さ」と、自分だけが卒・入学式などの会場にいないことによって「会場に子どもたちを置き去りにする辛さ」とを都教委は天秤にかけさせる。
都教委はこうして天秤にかけられないものを天秤に掛けなければならないところまで教員を追い込んでいくのだ。
Kさんの背中まで垂れる長い髪はすっかり白くなってしまった。あの髪はKさんの辛さを表して、まるで中国の白毛女伝説のようだ。
今回初めてKさんは自らの行為とキリスト教信仰についてはっきりと語られた。
かつていっしょに話をした時には、今日ほど整理されていなかったように思う。
「みずからの信仰と行為を一致させなければならない」
「キリスト教の神を信じているのに天皇を称えることはできない」
「人に従わず、神にのみ従いなさい」
神様以外を称えることはできないというKさんの信念が信仰者の言葉として素直に入ってきた。
その「子どもから切り離されたくない」という思いと「信仰と行為を一致させなければ」という思いの板挟みになった。解決できない矛盾に悩んでいると大好きな音楽に浸ることもできなくなり、神様に祈ることもできなくなってしまったとKさんは今回証言した。そんな時、Kさんが心のよりどころとしてきたのは「私の代わりにみんなが祈っていてくれる」ということだったそうだ。
「祈りは力だ」とKさんはつくづく感じたとのことだった。
崩壊してしまうかもしれないほど人の心を追いこんでいく都教委に対して、キリスト者の仲間の祈り、そしてKさんを支援してきた多くの人の思いがKさんを支えていたのだなあとしみじみと感じさせられた人事委員会であった。
審査官もじっくりと耳を傾けて、Kさんの思いに納得を表しているように見えたこともうれしかった。
但し、根津さんもKさんも少ししか支えてこれなかった自分を小さく思った日でもあった。 (F)
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