☆ 「奇妙な果実~マルコムXと金嬉老~」
…終わってしまった公演の感想で恐縮ですが…
皆さま
こんにちは。増田です。これはBCCでお知らせしています。重複・長文、ご容赦を!
最終日に観たため、件名の次第で恐縮ではありますが、ご関心のある方に読んでいただければ嬉しいです。
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※ 新宿梁山泊 公式サイト
恵比寿のシアターアルファで15日からの公演だったが、私はやっと最終日に観ることができた。
就職で上京して50ウン年、渋谷区の恵比寿なんて駅に降り立ったのは初めて(笑)で、例によって、方向音痴の私は、駅を降りて正反対の方向に歩いていた。「徒歩2分」と案内にあるのに、5分歩いても着かない…変だなぁ? と、荷物を運んでいたお兄さんに聞いたら、私のスマホ画面の地図を見て「反対方向だよ」と親切に教えてくれて助かった。名前も知らないお兄さん、ありがとうございました!
さて、舞台は、ミュージカルだったのか!? と思ったぐらい『奇妙な果実』はもちろん『朝日の当たる家』とか、名曲の生演奏がいっぱい! 「浪花の唄う巨人」こと趙博さん作。
彼はマルコムXとしてスピーチするかと思えば、歌手になったり、気持ち悪い怪しいヘイトスピーカーの一員になったり、多彩なご活躍、ホント、「巨人」です!? 今川宇宙さん…西郷輝彦の娘さんなんですね…の歌もとても良かった! これだけでも、お得感がいっぱい!(笑)
で、前売り4500円にプラス交通費がかかるけれど、これは見に行かなくっちゃね、と思ったのは「マルコムXと金嬉老」が、どのようなつながりで出てくるんだろうか? と興味深々だったこと。
最初に「事実に基づくフィクション」と字幕に出た。金嬉老が『マルコムX自伝』を読んでいた、というシナリオ…ん~~…それが真実であったなら、金嬉老の生き方も、もう少し変わっていたような気が…
あと、もう一つのフィクションは、金嬉老に自決させたこと。
彼自身はそれを覚悟してたようだし、そうなったら、永遠のヒーローの位置を占めていたかもしれない…現実には仮釈放と同時に強制送還され、韓国では暖かく迎えてもらったのに、そこでも犯罪者となってしまった、日本生まれ日本育ちの韓国籍の彼。これはこれで「日本国にも韓国にも居場所が無かった男」という重いテーマが持ち上がると思うけれど…
舞台では大画面で、マルコムXのスピーチ場面と21世紀現在の日本の唾棄すべきヘイトスピーチ場面が交互に映し出される。
黒人リンチを当然とするような20世紀はじめのアメリカと、20世紀半ば過ぎの金嬉老事件当時の日本と、そして現在の日本の、変わらない…もしかしたら民族(外国人)差別・排外主義はさらに酷さを増しているのかもしれない現実が舞台の上に、これでもか、と可視化されていき暗澹とする…
でも、もちろん、笑いもふんだんにあり、パギやんはじめ、俳優さんたちの熱演…汲めども汲めども尽きせずエネルギーが沸き上がっているとしか思えない人たちばかりで圧倒されながら、自分も元気が出てくるのでご安心を!
この舞台、ぜひ、再演してほしいし、全国の皆さんにも観られるようにしてほしい! できれば中学生・高校生・大学生に観てほしい!
帰宅して本田靖春さんの『私戦』(河出文庫…初刊は1978年潮出版社)を読み直した。最終章末尾の言葉が、この舞台の記憶とともに、やっと鮮明に私の脳裏に刻まれた。
「金嬉老事件の重大さは、在日朝鮮人の懸命の訴えを、権力とマスコミが呼応して葬り去り、差別と抑圧の構造を最悪の形で温存することに成功した点にある。その裁きは、いったい、だれがつけるのか。」
考えたら、事件当時、私は18歳だった。島根の田舎町で、思春期たっぷりの悩みに浸かりながらもひたすら受験勉強に必死の高校生だった。
この事件が「民族差別に起因する大きな問題だ」などとは、全く思い浮かばなかった。なんだか、人騒がせな事件があったみたいだけど犯人が無事、逮捕されてよかったな…ぐらいにしか思わなかった…。本当に狭い狭い世界の住人だった。
それから幾星霜(笑)今はけっこう視界は広がったような気はするが、大半の日本人はやはり自分の身の回りのことしか目がいかない狭い狭い世界の住人ではないだろうか…
「大方の日本人は、すべてを『時代』という曖昧な概念に帰して、歴史に対する責任を自己に問い詰めることもなく、被害者の痛みとはまったく無縁のところで過去を安易に『清算』し、建前としては申し分のない憲法を免罪符に、もっぱら利己的な経済的充足を追い求める『平和国家』の道を歩き始めた。
そして、かなり手ごたえのある分配が行きわたった現在、まるでそれが民族の優秀性の証明でもあるかのような錯覚に酔って、いまなお断ち切りがたく過去をひきずり続ける存在に対してはうとましいものを見るような目をしか持たないのである。そんなに日本に不満があるのだったら自分たちの国に帰ればよいではないか。」(『私戦』)
1978年に書かれた文章だけど、全然、色褪せていない…つまり、40年以上たっても進歩の無い2022年のわが日本国…。
徴用工問題、日本軍政奴隷問題…「被害者の痛みとはまったく無縁のところで過去を安易に『清算』し」てはならないのだ! 来年2023年は「被害者の痛みと」真っすぐに向き合った『過去の真の清算』をしたいものだけど…。
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