◎ 控訴審判決期日:11月27日(水)13:15 東京高裁809号法廷
★ 裁判官は「有ったこと」ことを「無かった」ことに、
「無かった」ことを「有った」ことにできる!?
―――裁判官の劣化&無良心&形骸化した裁判官忌避制度―――
増田都子
★ はじめに
日本国憲法第32条には「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と明記されている。この文章に、当たり前すぎて入っていないと思われる言葉を入れれば「何人も、裁判所において(公正な)裁判を受ける権利を奪はれない。」となるだろう…。
また第76条の3項には「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と明記されている。
しかし、もし、普通に人が持っていて「従ふ」はずの「良心」が裁判官に無かったら、どうなるだろうか? それでは「裁判所において(公正な)裁判を受ける権利を奪はれ」るも同然ではないだろうか。
今、私たち「五輪読本問題に関し、違法不当な東京都教育委員会等※を訴える会」(略称:「都教委等を訴える会」共同代表:高嶋伸欣琉球大学名誉教授他)の会員たちはその事実に直面している…。
(※「等」が存在するのは『五輪読本』裁判(後述)に付随して、担当した裁判長を「民事訴訟法に違反した裁判をした」として訴えているからである。)
★ 訴訟の経緯
(1)『五輪読本』裁判
私は「都教委等を訴える会」の事務局を担当している。
この会は「2020東京オリンピック」に関して都教委が膨大な税金を使って、小学校3年生~高校(私立学校も含む)までの生徒たちに授業で使わせる…公立では、ほぼ強制…副読本に明らかな虚偽(嘘)があることを問題と考え、東京都教育委員会(都教委)を被告として2017年5月17日に提訴した。
「オリンピックでは国旗が掲げられ、国歌が歌われる」等の虚偽の文言や写真があることはオリンピック憲章や憲法の趣旨に反し、精神的苦痛を被った、という理由である。
私たちはこれを『五輪読本』裁判と呼んでいる。
2019年3月14日、東京地裁は私たち原告の請求を棄却する判決を出した。以下のような呆れる内容だった。
1,「本件各教材(『五輪読本』)は教育庁指導部指導企画課が編集・発行したもので」、東京都教育委員会は「『東京都オリンピック・パラリンピック教育』実施指針を策定し、学習教材の作成・配布を定めたにとどまる」から「東京都教育庁指導部等が行った本件各教材の作成・配布に関する一切の法的責任を負う」という「的確な証拠は存在しない」!?
2,「『読本』小学校用P65に『(五輪=オリンピック・パラリンピック)表彰式の国旗掲揚では、国歌が流されます。』と記載され、中学校用P89には、表彰式の写真の説明として『中央に1位、向かって左側に2位、右側に3位の国旗が掲揚され、1位の国の国歌が演奏される。国歌が演奏されるときには、敬意を表し、起立して脱帽する。』等、記載されているけれど、他の個所で『オリンピック・パラリンピックの参加団体が単一の国家を単位とするものではないことを読み取ることができる記載が存在して』」いるから「本件教材によって誤った知識や一方的観念を子供たちに植え付けるような教育を強制することになるとはいえない」…
★ 1、について
この判決を出した裁判官らは「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法)を知らないらしい。この法律は17条で「教育委員会の権限に属する事務を処理させるため、教育委員会に事務局を置く」とあり、教育庁(都教委指導部指導企画課)は東京都教育委員会(都教委)の事務局に過ぎない。
同法21条には「教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務で、次に掲げるものを管理し、及び執行する。」として、その第6項に「教科書その他の教材の取扱いに関すること。」と定めている。
この法律を知る者には当然、都教委は、法的下位にある事務局の一部門である教育庁指導部指導企画課が編集・発行した教材である五輪読本の内容について「最高の法的責任を負う」ものと認識できる。
都教委と都教委「指導部」と、どちらが法的に組織的に上下関係にあるのか? こんなことは別に法を司っているはずの裁判官ならずとも、普通に判断力がある成人なら常識として判断できるだろうことなのだが…。今日びの裁判官はここまで劣化しているのか…。
この程度の裁判官だから、呆れる2、の判断が出てくるのも当然といえば当然といえる…。
★ 2、について
確かに都教委指導部が作制した副読本には「参加国・地域の入場行進」という文言もある。
そして、このことは都教委(指導部)自身が「オリンピック・パラリンピックの参加団体が単一の国家を単位とするものではないことを」よく知っているのであり、大きな写真などで視覚にも印象が刻まれるように「『表彰式の国旗掲揚では、国歌が流されます。』と記載」「表彰式の写真の説明として『中央に1位、向かって左側に2位、右側に3位の国旗が掲揚され、1位の国の国歌が演奏される。国歌が演奏されるときには、敬意を表し、起立して脱帽する。』等、記載」することは誤りであることを認識している、ということである…。
つまり、都教委は確信犯であり、五輪が「選手(個人)・選手団(団体)」の競い合いであって国家対抗戦ではないことを知りながら、あえて子どもたちに「五輪の旗・歌は国旗・国歌なのだ」「国旗・国歌には敬意を表しなければならない」等、最高裁判例で違法となる「誤った知識や一方的観念を子供たちに植え付けるような教育を強制することになる」事実を作っていることが、普通に判断力がある成人なら常識として判断できるだろうに…。
五輪に参加するのは「country」であって、これは各countryのNOC(オリンピック委員会)が参加するのであり、独立国単位ではない。
例えば台湾countryが梅花旗を「選手団の旗」として参加しているように…。
五輪憲章には「オリンピック ・ ムーブメントは、オリンピズムの価値に鼓舞された個人と団体による、 協調の取れた組織的、普遍的、恒久的活動である。」と明記されている。
旗も歌も「選手団の旗・選手団の歌」である事実をこそ子どもたちに「正確」に教えなければならない。
裁判官が副読本の他の場所に「国・地域」として参加しているという記載があることを認識できるのであれば、その「正確」な事実を基に「五輪では国旗・国歌を使用する」というような記載は「本件教材によって誤った知識や一方的観念を子供たちに植え付けるような教育を強制することにな」っているといえる、という結論しか出ないはずであるが、裁判官らは、都教委の主張をそのままコピペして判決文を書いていた…。
(2)「白石哲裁判長」裁判
①白石哲裁判長を訴えるまで…裁判官忌避制度の形骸化
この『五輪読本』裁判の上記判決に納得できなかった私たちは2019年4月2日、東京高裁に控訴したが、そこで、驚くべき裁判官たちに出会った。
同年9月25日午後4時、717号法廷で第1回口頭弁論があった。
開廷された法廷で、私は「あらっ、一人は女性裁判官だ!」と印象に残った。女性裁判官は、まだまだ少ないので…。
終了後、開廷表という当日の法廷前の壁に表示してあるものを見て、担当裁判官は白石哲(裁判長)、筒井健夫、加本牧子さんと分かった。
第2回口頭弁論は同年12月11日にあった。裁判官は全員男性になっていた。
私は「あらっ…女性裁判官がいなくなった。一人、男性と交代したんだわね…。」と傍聴席で思った。
開廷表から次の3人だった。白石哲(裁判長)、筒井健夫、河合芳光。
法廷で白石哲裁判長は何かゴニョゴニョ言ったとあと、アッという間に「弁論終結。判決は2020年2月19日」というや否や他の二人の裁判官ともども、サッと裁判官席の後ろの扉に消えてしまった。とにかく、早く終わらせたくて焦っていたようだ。
傍聴席の私たちはあっけにとられてしまった。法廷の隣にある控室での報告会で口々に言った。
「裁判官、一人、代わってましたよね?」
「そうですよ。前は一人は女性裁判官でしたよ」
「裁判官が交代したら、弁論更新手続きをしなきゃいけませんよね…」
民事訴訟法第249条2項には「2 裁判官が代わった場合には、当事者は、従前の口頭弁論の結果を陳述しなければならない。」と規定されている。一般に「弁論更新」手続と言われているものである。
法を司る裁判官がこの法的手続きを欠落させたまま、裁判を進めてしまったのである。
でも、私たちは初めからこの白石哲裁判長に対して忌避申し立てをする気はなかった。彼がその法的ミスを認め民事訴訟法に基づいて弁論を再開し、裁判官交代の弁論更新をしてから、裁判を進めればいいことだったのだから。
そこで2020年1月13日、私たちの代理人弁護士は白石哲裁判長に「第2回口頭弁論期日において民事訴訟法第249条2項に基づく弁論の更新手続きがなかった」事実を指摘する手紙を送った。
白石哲裁判長は無視した。
私たちが、2019年9月25日に行われた第1回口頭弁論調書を遅ればせながら裁判所から取り寄せみると、これまた「アッ?」と驚いてしまった。なんと!? 第2回口頭弁論調書と全く同じ3人の男性裁判官が出廷したことになっていた!?
しかし、原告の中の二人は、この9月25日第1回口頭弁論の開始前に,つまり、リアルタイムで、法廷前の壁に張ってあった開廷表から、出席裁判官の名前をメモしていたのである。
私は、以下の開廷表を2019年12月末に裁判所に開示請求して手に入れていた。
間違いなく、2019年9月25日の第1回口頭弁論の時の裁判官の一人は女性の加本牧子裁判官だったのだ。
しかし、裁判所から取り寄せた2019年9月25日第1回口頭弁論調書は以下だった。
加本裁判官の名前の代わりに第2回口頭弁論の時に出席していた男性の河合芳光裁判官の名前があった!? つまり、第1回から裁判官は全員男性で、裁判官の交代は無かった…ことになっていた!?
いったい、 これは何を意味するのか?
第2回口頭弁論の時には第1回の時の加本裁判官(女性)が河合裁判官(男性)に交代したために、白石哲裁判長は民事訴訟法にのっとって弁論更新手続きをしなければならなかった。
にもかかわらず、それをしなかった、という自分のミスをごまかすために、第1回口頭弁論調書を改ざんしたのではないか?
白石哲裁判長は、自分のミスをごまかすために、第1回の加本裁判官の名前を河合裁判官に書き換えたのではないか、と私たちは強く疑った。
もしも9月25日第1回口頭弁論の時の裁判官が3人とも男性だったのなら、12月11日の第2回口頭弁論の時に一人の男性裁判官が交代していたとしても、原告の誰も気が付かなかったと思う。普通、裁判長の顔は注視しても陪席裁判官の顔まではそんなに見ない。
9月の第1回には女性が一人いたのに、12月の第2回には全員男性になっていたので、交代したことに気がついたのである。
私たちは同年2月18日、白石哲裁判長の忌避申立てをした…こんな裁判長に公正な裁判など、期待できるはずもない…が、簡単に却下され、特別抗告も却下された。
私は忌避申し立てを審理した東京高裁民事第24部の裁判官たちは、いったいどんな話し合いをし、どんな調査をして白石哲裁判長はこの裁判を公正に進めてきた、と判断したのか、つまり、どのように調査した結果「裁判官の交代はなかった」と結論付けたのか、会議の内容を知りたいと代理人弁護士に訴えた。
弁護士さんの答えには驚いた。
「これは、いわゆる裁判ではないので公開されず、会議録もとっているかどうかわかりません。メモぐらいはあるかもしれませんが、公開請求しても公開されることはないでしょう」…。
え~~っ!? それでは、裁判官忌避制度の意味がないではないですかっ!? 会議録さえ公開されないようでは、その忌避を申し立てられた裁判官が忌避されるに値するかどうかについて、別の裁判官たちが真剣に話し合ったかどうかさえ申し立て人には全くわからない…。コーヒーでも飲みながら雑談しつつ「こんなクレーマーの言うことなんか聞くことないよね。却下しましょ」程度の「審理」だったかもしれない…。
裁判官忌避制度の形骸化が言われているが、これでは、まったく意味のない制度になってしまっている。
本年(2024)9月27日、朝日新聞コラム「私の視点」に元裁判官の西愛礼(にしよしゆき)弁護士が「裁判官の予断排除 形骸化の忌避制度、機能を」という投稿をされていた。
「人間は予断・偏見に無意識に陥ってしまうため、自覚して抜け出すことは困難である。そのため、裁判官が予断・偏見に陥っているときには、裁判の担当を代わるなどの措置が必要になる。例えば、忌避といって、裁判官が不公平な裁判をするおそれがあるときは、裁判を受ける人がその裁判官を外すよう申し立てることができ、通常は別の裁判官が忌避について判断する。忌避を申し立てられた裁判官本人が却下できるのは、法律上、訴訟を遅延させる目的のみでされたことが明らかという例外的な場合に限られている。
予断・偏見に基づく裁判を防ぐためには、こうした法制度を適切に使う必要がある。しかし、どのような 法制度も形骸化するおそれがある。
昭和のいわゆる「荒れる法廷」(学生運動などの裁判で不規則発言などによる裁判手続きの妨害が相次いだ状況)では忌避が常套手段として用いられるようになり、最高裁は、審理の方式や態度は忌避の理由にならず、そのような忌避は申し立てられた裁判官本人が却下できるようになってしまっている。
誤判・冤罪を防ぐためには、裁判官個人が予断・偏見に注意するだけでは不十分である。数判官は誤らないという建前を排し、裁判官を一人の人間として現実的に捉え直して対策すべきだ。
具体的には、日本も裁判官を被験者とする実験を行ってその心理を研究し、研究結果を踏まえた研修を実施して予断・偏見の危険性を周知する必要がある。最新の認知心理学を踊まえた法律判断や、歴史によって形骸化された法制度の復旧を促すといった『裁判の科学化・近代化』を図ることが、誤判・冤罪の防止のために必要だ。」
白石哲裁判長ではない第三者である別の裁判官たちが行ったはずの、白石哲裁判長に対する忌避申し立てについての「審理」…本当に審理したのかどうかさえ疑ってしまうようなそのいい加減さを思えば「裁判官を被験者とする実験を行ってその心理を研究し、研究結果を踏まえた研修」までしなくとも、当該忌避についての審理の公開とその審理会議録の公開を義務付ければ、かなりの程度、形骸化は防げるのではないだろうか…。
白石哲裁判長は2020年10月2日、『五輪読本裁判』控訴審の判決を出した。
民事訴訟法の基本中の基本手続である裁判官交代に伴う弁論更新をしない違法を犯しながら平然としているような裁判官には何も期待できない。
私たちはこの判決法廷をボイコットした。
後日、入手した判決文は、ほぼ1審判決「都教委主張のコピペ」のコピペだった…一部、進化? したオリジナル部分は後述する…が、この判決文の末尾に白石哲裁判長は、わざわざ、ヌケヌケと次の「付言」を書いていた。
「控訴人らは,令和2年2月14日付けで「弁論再開申立書(2)」を提出し,本件第1回口頭弁論期における右陪席裁判官が加本牧子判事であり,第2回口頭弁論期月において他の判事へと交代があったにもかかわらず,同期日において弁論更新の手続を怠った旨を主張しているけれども,本件の第1回及び第2回の口頭弁論期日における裁判所の構成は,いずれも口頭弁論調書に記載のとおり同一の3名であって,この間に裁判官の交代はなく、上記の主張は全くの誤解によるものであるので、念のため付言する。」
とどのつまり、私たち原告は2019年9月25日の第1回口頭弁論時に、法廷で一人の女性裁判官が裁判官席に座っているのを見たのだが、それは河合芳光という男性だった!?というのが「事実」であり、にもかかわらず、私たちは彼を女性だと「全くの誤解」をしたのだ!? と白石哲裁判長は、判決文に書き込んで平然たるものだった…。
私たち原告は集団で、男性である人を女性であると「全くの誤解」をしてしまっていたのか!?
ただ単に「誤解」とだけ書いていてもすむものを「全くの」などと強調の副詞をつけるところに白石哲裁判長の虚勢が見える…。
「裁判官がシロと言えばシロなんだ、クロと言えばクロなんだよ。初めから裁判官は全員男性だったんだ、『裁判官交代は無かったんだ』といえば、無かったことになるんだよ。どうせ、客観的証拠なんぞ、おまえらには掴めるはずはないんだから。それは裁判官サマたちだけが握っているんだから…」
と自信を持っているに違いない。
裁判官たちがグルになって押し通せば、シロもクロになり、クロもシロになり、女性裁判官はいなかったことになり、いなかった男性裁判官がいたことになり、裁判官交代も無かったことにすることができるのだ!? 裁判官は「有ったこと」ことを「無かった」ことに、「無かった」ことを「有った」ことにできる!?
こうして、多くの冤罪事件が起こり、裁判官たちは無実の人を死刑囚にすることもできた。それを思えば、私たちは請求を棄却されただけで済んだと裁判官サマに感謝しなければならないのだろうか…。
こういう人が裁判長席に座り『五輪読本』裁判第1審判決文にさらに恥知らずなオリジナル作文を付け加えた。
『五輪読本』に、五輪で使用するのは「国旗・国歌」と写真や本文に明記していても、それは
「オリンピック・パラリンピックの表彰式等を題材として,国際的な儀礼やマナーについて学ぶことを目的とした説明がされている部分であって,オリンピック・パラリンピックの表彰式等において使用される旗や歌に関する正確な知識を学ぶことを目的とする箇所ではない。
以上を総合すると,本件教材等において,各NOCが採用した旗や歌についての実情を踏まえた簡略な説明として,オリンピック・パラリンピックの表彰式等において掲揚される旗を『国旗』、奏される歌を『国歌』と記載したとしても正確性を欠くきらいはあるとしてもそれが誤りであり,許されるものではないとするのは相当でないというべきである。
したがって,本件教材等における上記記載がオリンピック憲章に違背しており誤りであるとする控訴人らの上記主張は採用することができない」
もはや論評する気も失せるほど無残な低劣な判断力の持ち主による作文である。
しかし、励声して言おう…白石哲、筒井健夫、河合芳光、この3人の裁判官は五輪憲章に書いてあることを理解する能力もなく、そもそも「教育」というものが何か、理解する能力がないように見える。
強いもの(国家等)に従順であること・権力に忖度することの大切さだけを心身に刻みこまれる「教育」を受け続けたらこうなるのか…。
②「白石哲裁判長」裁判の第1審
2021年10月10日、私たちは白石哲裁判長を東京地裁に訴えた。
公務としてなしたことに公務員個人は責任を負わないため、被告は「国(法務大臣)」であるが、実質的には白石哲裁判官である。
前述の『五輪読本』判決を出した後、WIKIによれば、彼は何事もなく2020年10月で定年退官している。その後は2021年1月 立川簡易裁判所判事、2022年3月 東京簡易裁判所判事と出ているから、現在も何事もなく嘱託として東京簡易裁判所判事を務め、裁判に勤しんでおられるのだろうか…。
2023年4月20日、この「『白石哲裁判官』裁判」判決が出された。
その時の担当裁判官は次の3人。村主隆行(裁判長)、川島彩子、小倉広太郎。
村主隆行裁判長は、私たち原告が求めた証人尋問を全くやらずに結審した。つまり、裁判官の交代が有ったのか? 無かったのか? について事実を明らかにする意志は全くないことはハッキリしていたので、判決内容は判決が出る前から明らかだった。
以下に判決文そのものを紹介する。(下線・太字は筆者)
第3 当裁判所の判断
1.本件では、別件第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であったか河合裁判官であったかについて争いがあるが、当裁判所は、仮に別件第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であったと認められたとしても、原告らが主張する別件裁判所、本件書記官及び忌避申立事件担当裁判所の各行為が国賠法の適用上違法な行為とはいえないと判断する。
その理由は次のとおりである。
民訴法160条3項本文は「口頭弁論の方式に関する規定の遵守は、調書によってのみ証明することができる。」と定めているところ、この規定は、口頭弁論期日に立ち会った書記官が調書を作成した上で(同条1項)、その記載内容を認証する意味で裁判長がこれに認印し(民訴規則66条2項)、
他方、当事者その他の関係人にも調書の記載内容について異議を述べる機会を与えること(※民訴法160条2項)によって調書の記載内容の正確性が担保されていることを前提に、訴訟手続そのものがさらに紛争の原因となり、審理の混乱と遅延が生じるのを避けるため、訴訟手続の安定性及び明確性を期して、口頭弁論の方式に関する規定の遵守の有無に限って、これを有効な調書によってのみ証明できるとしたもの、すなわち、口頭弁論の方式については、有効な調書の記載に絶対的な証明力を認め、他の証拠によって調書の記載を覆すことはできないことを定めたものと解される。
※第百六十条 裁判所書記官は、口頭弁論について、期日ごとに調書を作成しなければならない。
2 調書の記載について当事者その他の関係人が異議を述べたときは、調書にその旨を記載しなければならない。
他方で、調書は、その性質及び証明力の程度に照らし、記載内容の真実性及び正確性が法律上強く求められているというべきであるから、調書が完成した後においても、口頭弁論の方式及び内容の記載内容に誤りがある場合には、当該調書を作成した書記官及びその認証者であった裁判長は、その誤りを是正するため、適宜の方法によりこれを更正する義務(以下「更正義務」という。)を負うと解するのが相当である(最小二昭和6 2年7月17日判決・裁判集民事151号559頁参照)。
もっとも、口頭弁論の方式に関する規定の遵守の有無は、前記のとおり、民訴法160条3項により、有効な調書によってのみ証明できるとされており、その趣旨は、訴訟手続の安定性及び明確性を期することにあることに照らせば、口頭弁論の方式の記載の更正は、訴訟手続の安定性及び明確性が害されない場合に限って許されるというべきである。
したがって、当該調書を作成した書記官及びその認証者であった裁判長は、訴訟手続の安定性及び明確性が害されない時期、すなわち、当該調書が完成した後の最初の期日までに口頭弁論の方式の記載内容の誤りを認識したときは当該記載について更正義務を負うものの、その後は、当該記載を更正しても訴訟手続の安定性及び明確性が害されない特段の事情がない限り、当該記載について更正義務を負わないと解するのが相当である。
3 これを本件についてみると、争点1ないし4に対する判断は次のとおりとなる。
(1)争点1に対する判断
口頭弁論期日に出席した裁判官の記載は口頭弁論の方式に関する記載に当たるところ、本件全証拠によっても別件第1回弁論調書が有効性を欠くとは認められないから、別件1回弁論調書の出席裁判官の記載内容については民訴法160条3項が適用されると解するのが相当である。
(2)別件控訴事件が係属した裁判所は、令和元年9月25日午後4時00分、法廷において、別件控訴事件の第1回口頭弁論期日を開き、同期日において控訴状及び控訴答弁書の陳述等がされた。
別件第1回弁論期日の口頭弁論調書には、同期日に出席した裁判官として、白石哲裁判長裁判官、筒井健夫裁判官及び河合芳光裁判官の氏名が記載された(乙1)。別件第1回弁論調書は、民事訴訟規則66条1項の形式的記載事項並びに同条2項の裁判所書記官による記名押印及び裁判長による認印につき、欠けるところがなかった(乙1)。
この点について、原告らは、調書の記載に明白な誤りがある場合、又は裁判官及び書記官が調書の記載内容の真正性の確保に向けて適正な権限を行使しない場合には、民訴法160条3項は適用されない旨主張する。しかしながら、原告らの主張によれば、①他の証拠によって調書の出席裁判官の記載に誤りがあると認められる場合、又は②裁判官及び書記官が調書の出席裁判官の記載内容の真正性の確保に向けて適正な権限を行使しない場合には、その誤りが発覚した時期にかかわらず、調書の出席裁判官の記載について同項は適用されないことになるが、そのような解釈は、上記①又は②の各場合に当たるか否かについて時期を問わず新たな紛争を生じさせることを許すこととなり、口頭弁論の方式については有効な調書の記載に絶対的な証明力を認め、他の証拠によって調書の記載を覆すことはできないものとして訴訟手続の安定性及び明確性を期そうとした同項の趣旨(前記2)を没却することになるから、採用できない。
そうすると、民訴法160条3項より、別件第1回弁論期日に出席した裁判官は別件第1回弁論調書の記載内容のとおりということになるから、白石裁判長が、別件第第2回弁論期日において、別件第1回弁論調書の出席裁判官の記載内容を前提に裁判官交代の事実はないものとして弁論の更新を行わなかったことは、国賠法の適用上違法な行為といえない。
(2)争点2ないし4に対する判断
別件裁判所は、別件第2回弁論期日において、弁論を終結し、判決言渡期日を指定したが、その後、控訴人らの訴訟代理人弁護士は、白石裁判長及び別件裁判所に対し、裁判官交代の事実があったにもかかわらず、別件第2回弁論期日において弁論の更新が行われなかった旨を指摘したところ、本件書記官及び白石裁判長が別件第1回弁論調書が完成した後の最初の期日である別件第2回弁論期日より後の時点において同調書の出席裁判官の記載を更正することは、別件第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であったか河合裁判官であったかをめぐって新たな紛争を生じさせるおそれがある上、弁論の更新を行うために既に終結した弁論を再開する必要を生じさせるものであるから、これによって訴訟手続の安定性及ぴ明確性が害されることになるので、本件において同調書の出席裁判官の記載を更正しても訴訟手続の安定性及び明確性が害されない特段の事情があるとはいえない。そうすると、本件書記官及び白石裁判長が、別件第1回弁論調書の出席裁判官の記載について更正義務を負っていたとはいえない。
したがって、本件書記官及び白石裁判長が別件第1回弁論期日の出席裁判官を調査しなかったとしても、これをもって、国賠法の適用上違法な行為とはいえず、また、本件書記官及び白石裁判長が別件第1回弁論調書の出席裁判官の記載を更正しなかったことも、国賠法の適用上違法な行為といえず(争点3)、さらに別件第1回弁論調書の出席裁判官の記載内容を前提に(前記(1))、別件裁判所が別件控訴事件について弁論を再開して弁論の更新を行わなかったことも、国賠法の適用上違法な行為といえない(争点2)。
また、以上に述べたところに照らせば、忌避申立事件担当裁判所が別件第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であったか河合裁判官であったかを審理しなかったことも、国賠法の適用上違法な行為といえない(争点4)。
4 以上によれば対争点5について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないから、これらを棄却することとして、主文のとおり判決する。
あら、ま …「忌避申立事件担当裁判所が別件第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であったか河合裁判官であったかを審理しなかった」ことを認めちゃってる!?
審理しないでいて、どうして「裁判官交代は無かったから白石哲裁判長は忌避に値しない。公正に裁判をすることができる裁判官である」と判断できたのか?
それはおいても、これはもう全て「無茶苦茶」「滅茶苦茶」としか言い得ない判決文である。
先ず、村主隆行裁判長ら3人の裁判官たちは「第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であったか河合裁判官であったかについて争いがあるが」「仮に別件第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であったと認められたとしても」「違法な行為とはいえないと判断する。」そうだ。
ここから見るに、この裁判官たちは「第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であったと認め」ているのだ!
当然である。裁判所には、どの裁判をどの裁判官が担当したか、公式記録が絶対に残っているはずだから…
しかし、絶対にこの村主隆行裁判官たちはその事実を公表できない。
なぜなら、そうしたら、白石哲裁判官が第1回調書の裁判官名を誤記したか、改竄したかしたことを公に認めることになり、被告「国」…三権の内の行政権を担っているだけだから「日本国行政府」とすべきなのに「国」なんて僭称!?…を敗訴させることになるから。
それに、同僚裁判官の過ちを認めたら、自分の時もそうなるかもしれないし!? ここは寄ってたかって裁判官同士グルになって「裁判官の交代は無かった」ことにするんだ!「第1回に女性裁判官はいなかった、全員男性裁判官だったことにするんだ」という強い意志を感じる…。
そもそも「第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であったか河合裁判官であったか」…こここそが一番の争点である。
「第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であった」ことが事実なら、白石哲裁判長は民事訴訟法第249条2項「2 裁判官が代わった場合には,当事者は,従前の口頭弁論の結果を陳述しなければならない。」(弁論更新手続き義務)に違反したことになる。
「第1回弁論期日に出席した裁判官が河合裁判官であった」ことが事実なら、白石哲裁判長に違法行為は無かったことになる。
でも、村主隆行裁判官らは、絶対にここを明らかにしてはならないという使命(?)に燃えて、たいそうアクロバチックな主張をしている。
1,調書が絶対性を持つのは「当事者その他の関係人にも調書の記載内容について異議を述べる機会を与えること(※民訴法160条2項)によって調書の記載内容の正確性が担保されていることを前提に」していることは認める。
2,そして「調書が完成した後においても、口頭弁論の方式及び内容の記載内容に誤りがある場合には、当該調書を作成した書記官及びその認証者であった裁判長は、その誤りを是正するため、適宜の方法によりこれを更正する義務(以下「更正義務」という。)を負う」ことも認める。
でも、調書の訂正…裁判所用語では「更正」というらしい…ができるのは、次の期日の法廷が開かれる前まで(「当該調書が完成した後、次の期日前までに」)なんだよ!? と勝手に決めてしまう。なぜなら、次の法廷が開かれたのに、前の調書の訂正(更正)なんかしたら「訴訟手続の安定性及び明確性が害され」ちゃうからなんだよ!?
しかし、こういう主張は、被告・国(白石哲裁判官)は裁判において全くしていなかった。なんとしても被告・国(白石哲裁判官)を勝たせなければならない、という意志の下に村主隆行裁判長らが編み出した論点である。
最高裁判例の「調書が完成した後においても、口頭弁論の方式及び内容の記載内容に誤りがある場合には、当該調書を作成した書記官及びその認証者であった裁判長は、その誤りを是正するため、適宜の方法によりこれを更正する義務(以下「更正義務」という。)を負うと解するのが相当である(最小二昭和6 2年7月17日判決・裁判集民事151号559頁参照)。」を引用しながら、最高裁判例は、その期日の限界の日について何も言っていないことをいいことに「でもね、それって、次の法廷が開かれる前の日まで、なんだよ」と勝手に決めてしまう!? これが裁判官サマの裁量権、ってもの? 無実の人を殺人犯に仕立てて死刑囚にすることもお手の物の裁判官サマの裁量権!?
3,ね、これで分かっただろ?
原告らの主張を認めたら、
「第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であったか河合裁判官であったかをめぐって新たな紛争を生じさせるおそれがある上、弁論の更新を行うために既に終結した弁論を再開する必要を生じさせる」ことになり、とってもめんどくさいことになって「訴訟手続の安定性及び明確性が害され」てしまうから、そんなのを認めて被告「国」を敗訴させることなんてできないんだよ!? 同僚裁判官の過ちを認めるわけにはいかないんだよ!?
★ ツッコミどころ満載!
1,2,について。
私たちは、第2回目の裁判官たちを見て初めて「あれっ? 一人いた女性裁判官がいなくなって、全員が男性になっている…裁判官が交代したんだ」と気が付き、それで第1回調書を取り寄せてみたら、第1回の裁判官も全員男性になっている!? と初めて気が付いたわけである。
「第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であっ」て「河合裁判官で」はなかった、と指摘するのが第2回目期日の後になるのは当然ではないか…
第1回調書の誤りを訂正(更正)させたかったら「2回目に裁判官が男性全員になって、1回目の女性裁判官である加本さんが男性裁判官の河合さんと交代した」ということを2回目が始まる前に指摘しなきゃダメなんだよ!? とは…。そんなことは不可能だ。
裁判所が裁判官の交代を2回目が始まる前の日までに…事前に原告の私たちに告げない以上、裁判官が交代している、とは想像もできない。
村主裁判長の主張は「原告たちは神様ではなかったからダメなんだよね」と言っているに等しい…。
なにより、民訴法160条2項には「『調書の記載内容について異議を述べる機会を与えること』は次回期日前までに限る」なんて書いてない。
これは法律の定めにも判例にも全くない「ルール」であり、村主裁判長らが、今回の裁判で勝手に決めてしまった「ルール」である…。
3,について。
デタラメもいいところ…。
白石哲裁判長が、第1回目に出席していたのは加本裁判官であると認めて、第1回調書を訂正(更正)し「結審後だけど、弁論更新手続きをしてなかったから、もう1回、弁論更新手続きをする法廷を開いて結審します」と言って、そうすればいいだけの話だった…。
未だ判決文を公表しているわけでなし、結審後であっても、白石哲裁判長が自分のミスを認めてもう一回法廷を開いたところで特に判決文に影響するわけでなし…そうしたからと言って、白石哲裁判長が判決文を書き換えただろうなどとは夢にも考えられない…「訴訟手続の安定性及び明確性が害され」ることなんか、全く無かったはずである。
この判決への根本的な疑問は「訴訟手続の安定性及び明確性」などという概念を村主裁判長らが突然、持ち出したことである。そんなことは、原告も被告「国」も全く争点にしていなかった…。
被告「国」(「日本国行政府」)が主張していたのは、百年前の大審院判決で「『調書は絶対的証拠能力がある』と決めているんだ」!? だけ…だった。
しかし、さすがにこれを引っ張り出すのは、村主裁判長らも恥ずかしかったのだろうか…多少の羞恥心はあった?
そこで、村主裁判長らは勝手に争点を「訴訟手続の安定性及び明確性が害され」るか否か、に決めて、それを判断基準として判決を作文したわけである。
これでは、原告側は防御の手段が無い。…ジャッジが敵チーム側で、こちらが知らないルール(判断基準)を勝手に決めて最終回にいきなりそれを持ち出したら、公正なゲームなどできるはずがない…。
付言すれば、2019年9月25日の開廷表には出席裁判官の名前に河合芳光は無く、加本牧子の名前が有ったが「開廷表は行政サービスなので法的証拠とはならない」から、書記官が書いて白石哲裁判長が認め印を押した第1回尋問調書に書いてあることが絶対に正しい事実である、とも書いてあった…。
③「白石哲裁判長」裁判、控訴審
2023年5月3日、私たちは村主判決を不服として東京高裁に控訴した。以下は控訴理由書の一部である。
「第1 はじめに――原審における事実認定の放棄と審理不尽――
原判決について、最初に確認されなければならないのは、原判決が 「出席した裁判官が加本裁判官であったと認められたとしても」などと出席裁判官に関する事実認定を回避した点である。
これは、原審が事実上、別件第1回弁論に出席した裁判官が加本裁判官であった可能性を自認するものと言わざるを得ない。
上記の点をしばらく措いても、裁判官の交代の有無の点は、本件争点の前提となる最も重要な事実関係にほかならないにも関わらず、原判決は上記事実認定を不当に放棄したことが明らかである。原審において一審原告らは、別件第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であり、出席裁判官を河合裁判官と記載した別件第1回弁論調書に誤記が生じていたことを前提に、裁判官ないし書記官において当該調書を更正する職務上の注意義務を負う旨主張した。
このような主張の当否を検討するには、通常の考え方としては、出席裁判官の交代が生じていたかとの点が証拠調べにより認定した上で、仮に出席裁判官と調書の記載に齟齬が生じていれば、本件の調書が更正されなかった結果につき、調書の作成状況やその後の認証状況等に照らし、裁判官ないし書記官等に調書更生に際しての職務上の注意義務違反が存するか否かを判断する必要が生じることとなる。出席裁判官が誰であったかとの点は、一審原告らが指摘する国家賠償法1条第1項上の違法行為の存否を画する重要な事実関係にほかならない。
しかし、原判決は「書記官及びその認証者であった裁判長」は「当該調書が完成した後の最初の期日までに口頭弁論の方式の記載内容の誤りを認議したときは当該記載について更正義務を負うものの、その後は」、「特段の事情のない限り、当骸記載について更正義務を負わない」旨判示して、詳細な検討を放棄したまま、調書更正義務違反を否定してしまった。上記の解釈の誤りについては後述するが、仮に、原判決の法解釈に依拠したとしても、当該調書作成後の時点で裁判官ないし書記官が調書の誤りを認識していたか、あるいは容易に誤りを認識し得たのにこれを放置したのかといった点は、まさしく事実問題であって、調書更正義務違反の法解釈のみによって審理判断を完了することなどできない。
このように、原判決は、本件の最も重要な事実関係に関する判断を放棄し、重大な審理不尽を放置したまま判決を下しているのであって、 漫然と同僚たる裁判官らを免責していると批判されてもやむを得ない。」
2 原判決が民事訴訟法の法解釈等を誤っていること等
(1)調書の更正時期に限界などないこと
調書が作成され、書記官及び裁判長の捺印がされた後においても、その記載内容に誤りがある場合には、その誤りを是正することなく放置することは許されないとされており(最小二昭和62年7月17日判決・裁判集民事151号559頁)、これは確立した判例法理である。
上記判例は、調書の記載内容の真実性及び正確性が法律上強く要請されていることを踏まえたものであり、更正により記載内容の真実性等を担保すべきことを確認したものと評価される。
―方で、前記判例が、調書の更正時期に限界がある趣旨の説示を行っていないことからすれば、調書の記載内容に誤りがあることが明らかとなったときは、時期を問わず、更正が要求されるものと解すべきである。
したがって、調書の更正時期に限界がある趣旨の原判決の判示は、法令の解釈を誤っている。
(2)調書の更正時期の限界を観念したとしても、本件では依然として調書更正義務が認められる
ア 原判決が設定する時的限界が根拠を欠くこと
仮に、訴訟手続の安定性及び明確性の見地から、調書の更正時期に限界が存しており「訴訟手続の安定性及び明確性が害されない場合」に限って更正が許容されると理解したとしても、原判決が指摘する更正の時的限界については明らかに理由がない。
すなわち、原判決は調書の更正義務が観念できるのは「当該調書が完成した後の最初の期日まで」であるなどと判示するものの、原判決の判示を裏付けうる民事訴訟法、民事訴訟規則上の根拠は存在していない。加えて、当該調書の作成後の最初の期日を徒過すれば、一律に調書の更正義務が原則として消滅すると解すべきとする根拠も判然としない。
原審は、当該調書が作成された後の最初の期日が徒過すれば、訴訟手続が積み重なっていくことから、事後に調書の記載内容を更正すれば、直ちに訴訟手続の安定性を害する結果を生じさせると判断したものとも思われる。
しかし、民事訴訟の期日において実施される訴訟行為の大半は、 訴状や答弁書、当事者の準備書面等の主張書面の陳述行為、及びこれに付随する書証の提出行為である。これらの訴訟行為が積み重なった後に、調書の記載内容の更正が行われたとしても、主張書面の記載内容が無意味となるわけではなく、当該書面に関する訴訟指揮等が水泡に帰することもない。
したがって、仮に訴訟手続の明確性及び安定性の観点から調書の更正時期に限界があるとしても、それは当該訴訟手続において調書の更正を行えば、具体的に訴訟手続の安定性及び明確性が害される危険のある時期であると解すべきである。すなわち、調書の記載内容に誤りがある場合、原則としてこれを更正することが義務付けられており、例外的に、調書の更正を行った場合、訴訟手続の安定性及び明確性を害することとなると認められる特段の事情がある場合に限って、調書更正義務は免除されると解するべきである。このように理解しなければ、調書の正確性等が法令上強く要請され、調書更正義務が肯定されることと比較して、調書更正義務が肯定される局面が極めて狭く解されることとなり、不当である。
よって、調書の作成後の最初の期日を一律に調書更正義務の時的限界と解する原判決の凝断は、誤りである。
イ 本件調書を更正しても訴訟手続の安定性及び明確性は害されないこと
(ア)本件の審理経過等
上記を踏まえて、本件につき調書の更正により訴訟手続の安定性ないし明確性が害されることとなるかを以下の通り述べる。
原判決が認定する通り、別件裁判所は、別件第2回弁論期日において弁論を終結し、判決言渡期日を指定した。これに対し、別件控訴人ら訴訟代理人は弁論の終結後に、白石裁判長に対し別件第2回口頭弁論期日において弁論の更新が行われなかったことを指摘し、さらに弁論を再開するよう求める趣旨の申立てを行っている(甲 4)。
以上のように、白石裁判長らは別件第2回弁論期日の時点で別件控訴事件の弁論を終結するとの判断を示していたのであるから、仮に別件第1回弁論調書の更正により弁論更新(民事訴訟法249条 2項)のために弁論を再開する必要があるとしても、通常、直ちに再度弁論を終結することが可能であったと認められる。
別件第2回弁論調書を見ても、当該弁論期日で実施されたのは控訴人2名の氏名の確認、控訴状の陳述行為、控訴状訂正申立書(2019年7月4日付)、控訴理由書及び準備書面(控訴人第1、控訴人第2、控訴人第3)の陳述行為のみであり(乙2)、本件で弁論を再開したとしても、上記の手続を再度行えば、やはり直ちに弁論を終結するに支障はないことが明らかである。
本件の審理経過や、既に別件控訴事件について弁論終結が事前に予定されていたことに照らせば、調書の更正により訴訟手続の安定性及び明確性を害するとは認め得ない。
(イ)訴訟行為への民法規定の類推適用に関する法解釈との整合性
訴訟行為につき民法の意思表示規定を類推適用することについて、原則として消極に解されつつも、学説上、訴訟の取下げ、請求の放棄ないし認諾や、訴訟外の行為については、例外的に類推適用が認められるとの見解が有カである。
その見解の根拠は、訴訟係属の終了をもたらす訴訟行為については、その後に新たな訴訟行為が積み重なることがないから、訴訟手続の安定性を害することにはならず、訴訟外の行為は、訴訟行為と直接の関連性がないため、やはり手続的安定を害さないことにある。
本件について見れば、調書の更正に伴い弁論の更新を実施すべきこととなる期日は、別件控訴事件において弁論終結が予定されていた期日である。
そうすると、弁論の更新手続を実施したとしても、当該期日において弁論の終結がされることとなっていたことから、これ以上に新たな訴訟行為が積み重なることは予定されず、手続の安定性を害することにはならない。
ウ 一審原告らが調書の誤記を現実的に認識し得る時期について
また、別件控訴事件の訴訟代理人が弁論更新の欠訣(けんけつ)※を指摘した経緯を見れば、別件第2回弁論期日が開催され、出席裁判官が加本裁判官から河合裁判官に交代しており、かつ、同期日において弁論更新がされていない事実を認識したことから、出席裁判官に係る調書の記載内容と客観的事実に齟齬がある旨を認知し、訴訟代理人において白石裁判長に対する指摘等を行ったものである。
通常、訴訟当事者が出席裁判官に関する調書の誤記を指摘するためには、裁判官の交代事実を認識する必要があるといえ、これを措いて、別件第1回弁論期日の終了直後の時期に、調書の記載内容に誤記があることを確認するのは現実上極めて困難であると言わざるを得ない。
以上の観点からしても、調書の更正義務が存続する時期について、別件第1回弁論期日の次の期日の開催前の時点までと画することは、訴訟当事者が調書の記載内容の誤りを指摘するなどして、これを是正する機会を著しく狭く解することとなるのであって、相当ではない。
(※欠訣:主に民事法規、あるいは法令や法学において、ある要素が欠けていることを表す際に用いられる言葉である(意思の欠缺、意思能力の欠缺、登記の欠缺、訴訟条件の欠缺など)。WIKI)
ウ 結論
よって、本件においても訴訟手続の安定性及び明確性を害するおそれがないから、調書の更正義務が存したことは明らかである。」
本年(2024)10月2日、この控訴審の第1回口頭弁論があった。東京高裁の裁判官は次の3人。相澤眞木(裁判長)、河村浩、桃崎剛。
驚くことに、相澤眞木裁判長…女性に見えるが,この方も男性か?…は、控訴人の代理人弁護士が上記控訴理由の要点、なによりも「『第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であったか河合裁判官であったか』という事実について明らかにしなければならない」ということを的確に簡潔に陳述した後、速攻で結審を言い渡し、判決日を指定してくれた。相澤眞木裁判長らは全く聞く耳が無いようだった。
裁判官たちは、どうしても『第1回弁論期日に出席した裁判官が加本裁判官であったか河合裁判官であったか』という事実について明らかにしてはならない…と考えているようだ。
この裁判は、日の丸・君が代問題や原発問題のような国策やイデオロギーの問題では全くない。裁判官の交代が有ったのか無かったのか、というごくごく単純な事実について争っているだけなのである。しかし、裁判官たちはなぜか、どうしても真実を明らかにしようとしない。
これでは裁判所で「裁判官の嘘」が堂々とまかり通ってしまう・・・原告の私たちの方が、男性裁判官を女性裁判官と「誤解」して、「男性の河合芳光裁判官が裁判官席に座っていたのに、加本牧子裁判官が裁判官席に座っていた」と嘘をついたことになる!?裁判官達が真実を闇に葬り、私たち原告の方が間違っている、と決定する。
こうして冤罪が生まれるのである。
裁判官達がグルになって寄ってたかって「有ったことを無かった」ことにし「無かったことを有ったことにする」・・・この構図がまかり通ることこそが、冤罪を生み出す裁判所の土壌なのではないか?
袴田事件等の言語に絶する酷い冤罪判決に比べれば、あまりにも小さな事件ではあるけれども、なぜ、ここまでして裁判官達は真実を潰そうとするのか?
裁判官サマの面子のためなのか?この裁判官達には普通の「良心」は無いのか?今日ぴは普通の「良心」を持っていたら、裁判官席には座っていられないのか?
私たちは、日本国憲法下において「裁判所においては(公正な)裁判を受ける権利を奪われ」ている・・・。
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