パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

☆ 明けない夜はない(238)

2024年03月15日 | 「日の丸・君が代」強制反対

 ☆ <『素数の音楽』から>

<転送歓迎>(重複ご容赦)・「新芽ML」・「ひのきみ全国ネット」・「戦争をさせない杉並1000人委員会」・「杉並コモンズ」の渡部です。
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 2月末からパソコンが不具合になり、昨日までメールの送受信ができなくなりました。
 その間、朝日新聞の書評に載っていた『素数の音楽』(マーカス・デュ・ソートイ著、冨永星訳)を読みました。
 この本は、素数は自然数上にランダムに無数あるが、ではそれらはどのように散らばっているのか、またなぜそうなるのかについて、これまで多くの数学者たちが苦闘してきたことについて述べてある本でした。

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 2000年、当時の大数学者ドイツ人のヒルベルトは、パリ・ソルボンヌ大学で開かれた際数学者会議で、まだ証明されていなかった23の問題について、「新世紀の数学の探検者たちに挑戦状を叩きつけた」。
 その中の8番目に選んだのが<リーマン予想>を証明することだった。
 この予想は、19世紀後半にドイツの数学者リーマンによって、素数の散らばり具合について、複素数(実数+虚数)の考えを入れて出されたものだった。
 しかし、この予想は現在でも証明されていない

 ところで、この本の中の「第7章 ゲッティンゲンからプリンストンへ 数学者の集団移住」には次のようなことが述べてある。

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 1933年には、ドイツ中の数学者が数学に集中しにくくなっていくのを感じていた。
 ゲッティンゲンの図書館の上を、ナチスの鍵十字をつけた飛行機が飛んでいた。
 数学科にはユダヤ人や左翼の学者が多かったことから、通りでは、特に「マルクス主義の砦」である数学科に焦点を絞った街頭宣伝が行われた。
 そして30年代半ばには、数学科のほとんどの人間がヒットラーの大学弾圧によって職を失い、その多くが海外に逃れることとなった。・・
 それでも事態は悪化した。1933年の冬になると、ランダウの講義はナチスの学生たちに監視されるようになった。
 ・・・ある日、ランダウが階段教室に入ろうとしたところ、熱狂的なナチ党員であるタイヒミューラーが通路を塞いでいた。
 そしてランダウに、あなたが解析学を紹介するそのユダヤ的なやり方は、アーリア的思考法とは根本的に相容れないといった。
 ランダウは圧力に屈して職を辞し、ベルリンに戻った。・・・

 その年、ユダヤ人とは何の関りもなかったジーゲルは、数学科の評判を救うべく、フランクフルトからゲッティンゲンに移った。
 しかし1940年には、悲惨な戦争への抗議として、自ら進んでアメリカに亡命することを決めた。
 ・・ジーゲルは、戦時下の日々をプリンストンの高等研究所で過ごすことになる。
 ゲッティンゲンの偉大な評判を作り上げた数学者のなかで、ドイツに残ったのはヒルベルトただ一人だった。・・・

 ヒットラーは、ガウスやリーマンやディリクレやヒルベルトがうち立てたゲッティンゲンの偉大な伝統をほんの数週間で打ち壊した。
 ある人物によると、「ルネッサンス以来人類文化が経験した最大の悲劇のひとつ」だったという。
 ゲッティンゲンが(人によってはドイツ数学界が、というかもしれない)、30年代のナチスドイツによる破壊から完全に復興する日はついに訪れなかった。
 ヒルベルトは、ゲッティンゲンの古びた通りで転んで複雑骨折をおこし、1943年のセント・バレンタインの日に息を引き取った
 ヒルベルトの死は、ゲッティンゲンが数学のメッカだった時代の終わりを告げるものだった。
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 そのヒルベルトは、それ以前、第一次大戦後はじめてドイツ代表団が参加した1928年のボローニャでの国際数学者会議で、次のように述べていたのである。

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 民族や人種などを理由に差別を行うのは、われわれがたずさわる科学を誤解しているからで、このようなことが行われてきた理由は実に卑しむべきものである。
 数学に人種は関係ない。・・数学にとっては、文化的な世界全体がひとつの国なのだ。
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 また、この本では、冷戦たけなわの1970年ごろに、アメリカの女性数学者・ロビンソン(51歳ころ)とソ連の22歳の男性数学者マティヤセヴィッチによって、ヒルベルトの第十問題(決定問題)が解かれたドラマチックな話も紹介されている。

 ところで、ヒルベルトは第二問題で、「数学が矛盾を含んでいないことを証明せよと迫った」
 しかし、1930年オーストラリアの数学者ゲーデルは、素数を利用して作った「ゲーデル数」を使って、数理論理学によって「数学の公理だけを使って、これらの公理が矛盾を引き起こさないと証明することはできない」ことを明らかにした。
 いわゆるゲーデルの「不完全性原理」である。
 少しわかりやすく言えば、数学には「正」とも「誤」とも決定できないものが存在し、また自分の正しさは自分のシステム(論理)では証明できない、ということである。
 また、「正」をそのまま推し進めていくと「誤」になるということも明らかにした。

 このことについては、それ以前にF・エンゲルスが『自然の弁証法』という本で、「抽象的なるものはすべて、これを極端にまで推し進めるときには、背理かあるいは自己の反対物に転嫁してしまう」と述べている。

 また、ソビエトアカデミーの『数学通論』「第1巻第1章 数学の概要」には、次のように述べてある。

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 ゲーデルの結論は、数学のどの分野をとっても形式的な計算だけによって汲みつくすことをゆるさない、数学の内在的弁証法を、はっきりとあきらかにしたものである。
 ・・ヒルべルトは、数学的無限性を有限的体系の枠のなかにとじこめて、そうすることによってすべての矛盾と困難を一掃しようとした。
 だが、それは不可能であることがはっきりしたのである。
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 著者のソートイは、最後の第十二章「見つからないジグゾーパズルのかけら」で、次のように述べている。

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 ・・リーマン予想を守る壁は依然として難攻不落なのだ。・・・
 ・・・決して秘密を明かそうとしない素数を前にして、もし救いがあるとすれば、それは、素数がわれわれを並はずれた知の冒険旅行に誘ってくれることだ。
 素数は、代数の原子という基本的な役割のほかにも、大きな意味を持つようになった。
 すでに見てきたように、素数のおかげで数学の従来無関係とされていた分野を隔てていた扉が開かれた。数論、幾何学、解析学、論理学、確率論、量子物理学、リーマン予想を解くために、これらすべてが結集した。
 そして、数学には新たな光が当てられ、数学者たちは、数学の各分野が驚くほど深く関連しあっているのを知って驚嘆することとなった。
 数学はパターンの学問ではなく、関係の学問になったのだ。・・・
 かりにリーマン予想が証明されたからといって、それですべてが終わるわけではない。
 たくさんの問いや予想が、出番を待って焦(じ)れているのだ。
 リーマン予想の解決は、いわば地図に載っていない処女地のとば口であり、物事の始まりなのである。
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 この本は、きわめて内容豊かな名著であった。
 また、世界は現在2022年に始まったウクライナ戦争、2023年に始まったイスラエルのガザ侵攻などにより、諸矛盾が激化し第三次大戦に向かいつつあるが、その中で私たちはどう生きるかを考えさせてくれる本でもあった。

 私も草の根からの闘いに戦線復帰です。

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