◆ 「集団自決」検定 調査官「つくる会」と関係
【東京】 文部科学省の高校教科書検定で「集団自決」の日本軍関与について断定的記述をしないよう検定意見が付された問題で、日本史を担当した同省の教科書調査官の1人が、「国粋主義的」「戦争賛美」などの批判がある「新しい歴史教科書・改訂版」(扶桑社)の監修者と同じ研究グループに属していたことが18日、分かった。
同教科書の関係者が検定過程にかかわっていたことで、その中立性が問われそうだ。布村幸彦文科省審議官が衆院沖縄北方特別委員会で明らかにした。川内博史氏(民主)への答弁。
文科省は1999年度に「新しい歴史教科書」の監修者、伊藤隆東京大学名誉教授を代表とする研究活動に科学研究費補助金(科研費)を助成。その研究グループの資料に、今回の教科書調査官の名前が研究分担者として記載されていた。この調査官は2000年4月から現職に就いている。
布村審議官は「扶桑社の中学歴史教科書の監修者として、伊藤隆という教授がいる。調査官になる前に、伊藤教授と科研費の研究グループのメンバーに加わっていた者がいる。現在は科研費グループとは一応離れているという形になっているが、そういう調査官が日本史を担当している」と存在を認めた。
川内氏は「新しい歴史教科書の執筆・監修者と教科書調査官が同じ研究グループにいた。思想的に同じと考えるのは当然だ」と指摘している。
伊吹文明文科相は4月の衆院教育再生特別委員会で「教科書調査官はどこの団体でだれと勉強していようと、教科書検定とは何の関係もない」と中立性を強調していた。
2006年度用中学社会「新しい歴史教科書・改訂版」は「新しい歴史教科書をつくる会」主導で、扶桑社から出版された。伊藤教授は「つくる会」の元理事。
社会科の教科書調査官は計16人で、うち4人が日本史を担当している。
このほか、文科省の教科書調査官が取りまとめた調査意見書は、同省の内部決裁を経た上で、教科用図書検定調査審議会に諮問することも明らかになった。
川内氏は「調査意見書を初等中等教育局長が決裁することは、文科省の役人が口出しできる仕組みそのものだ」と審議会の非独立性を批判。
布村審議官は「最終的な検定意見の決定に、調査官は参画しない。意見を付すかどうかは審議会の判断だ」と関与を否定した。
(琉球新報 2007/6/19)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24726-storytopic-3.html
何を見つめているのだろう
何に震えているのだろう 写真の中の少年
周りの老人や女性、子供は
身を寄せ合って声を殺しうずくまっている
後ろでは逃げ出さぬようにと鋭い眼光で見張るアメリカ兵
その中で少年はひとり一点を見つめている
何を思っているのだろう
とうとう戦争はやって来た
いつ来るとも知れない恐怖に怯えながら
必死に生きてきた 少年のもとに
悪魔はとうとうやって来た
戦争で異郷の地にいる父や兄に代わって
ひとり毎日山へ行き
家族を守りたいその一心で
防空壕を掘り続けた少年
しかし無情にも堅い岩が少年の必死の思いをあざ笑うかのように
行く手を阻み掘り進む事ができない
手には血豆
絶望感と悔しさが涙とともにあふれ出た
とうとうやって来た
奴は少年のすぐそばまでやって来た
殺される 死ぬのだ
そんな恐怖が少年を震わせ凍りせた
やっとの思いで入れてもらった親戚の防空壕
泣きじゃくる赤ん坊の口をふさぎ
息を殺して奴の通り過ぎるのを祈った
少年は無我夢中で祈った
しかし祈りは天には届かなかった
壕の外でアメリカ兵の声「出て来い」と叫んでいる
出て行くと殺される
「もう終わりだ」
少年は心の中でつぶやいた
先頭に立って出て行こうとする母親を
少年は幼い手で必死に引き止めた
けれどいつしかその手は離れ
母親はアメリカ兵の待つ入り口へ
それに続いて壕の中から次々と
少年や親戚が出て行った
写真はまさにその直後に撮られたものだ
とうとうやって来た
恐怖に怯え 夢や希望もなく
ただ生きることだけに
家族を守ることだけに
必死になっていた少年のもとに
悪魔はやって来た
写真の申の少年
一点を見つめ何を思っているのだろう
写真の中の少年 僕の祖父
何を思っているのだろう
どんな逆境の中でも最後まであきらめずに
頑張っで生き抜いてきた祖父
だから今の僕がいる
命のリレーは
祖父から母へ 母から僕へと
つながった
あの時祖父が生きることをあきらめずに
必死で生きてきたから僕がいる
だから
自分で自分の命を絶ったり
他人によって奪われたりということは
いつの世でも いかなる場合でも
決してあってはならないことだ
僕がいる
必死で生き抜いてきた少年がいたから
僕がいる
僕はその少年から受け継いだ
命のリレーを大事に絶やすことなく
僕なりに精一杯生きていこう
また少年から聞いた
あの忌わしい戦争の話を風化させることなく
語り継いでいこう
◆慰霊の日追悼式 平和の詩 匹田君(沖尚中)朗読
県平和祈念資料館は15日、2007年度第17回「児童・生徒の平和メッセージ展」の入賞者88人を発表した。
「慰霊の日」の23日の沖縄全戦没者追悼式で、詩部門(中学校の部)で最優秀賞に選ばれた匹田崇一朗君(13)=沖縄尚学中2年=の作品「写真の中の少年」が平和の詩として朗読されることも決まった。
図画の部では、高校の部で最優秀賞になった金城愛香さん=普天間高校3年=の作品が、同展のポスターに採用された。
図画、作文、詩の3部に、小、中、高校合わせた応募数は去年より約200点増え、これまでで最も多い、3883点あった。
同展は23日から7月10日まで県平和祈念資料館で開かれ、その後は八重山平和祈念館、宮古島市平良庁舎ロビー、県庁1階の県民ホールで順次開かれる。入場無料。
最優秀賞は次の通り。 【小学校の部】図画 山下あかね(さつき小6年)
▽作文 嘉納佳子(読谷小6年)
▽詩 嘉納英佑(読谷小3年)
【中学校の部】図画 仲間清香(高嶺中3年)
▽作文 與儀かれん(那覇中1年)
▽詩 匹田崇一朗(沖縄尚学中2年)
【高校の部】図画 金城愛香(普天間高3年)
▽作文 該当者なし
▽詩 仲地愛(球陽高1年)
『琉球新報』(6/16 10:24)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24673-storytopic-1.html
【東京】 文部科学省の高校教科書検定で「集団自決」の日本軍関与について断定的記述をしないよう検定意見が付された問題で、日本史を担当した同省の教科書調査官の1人が、「国粋主義的」「戦争賛美」などの批判がある「新しい歴史教科書・改訂版」(扶桑社)の監修者と同じ研究グループに属していたことが18日、分かった。
同教科書の関係者が検定過程にかかわっていたことで、その中立性が問われそうだ。布村幸彦文科省審議官が衆院沖縄北方特別委員会で明らかにした。川内博史氏(民主)への答弁。
文科省は1999年度に「新しい歴史教科書」の監修者、伊藤隆東京大学名誉教授を代表とする研究活動に科学研究費補助金(科研費)を助成。その研究グループの資料に、今回の教科書調査官の名前が研究分担者として記載されていた。この調査官は2000年4月から現職に就いている。
布村審議官は「扶桑社の中学歴史教科書の監修者として、伊藤隆という教授がいる。調査官になる前に、伊藤教授と科研費の研究グループのメンバーに加わっていた者がいる。現在は科研費グループとは一応離れているという形になっているが、そういう調査官が日本史を担当している」と存在を認めた。
川内氏は「新しい歴史教科書の執筆・監修者と教科書調査官が同じ研究グループにいた。思想的に同じと考えるのは当然だ」と指摘している。
伊吹文明文科相は4月の衆院教育再生特別委員会で「教科書調査官はどこの団体でだれと勉強していようと、教科書検定とは何の関係もない」と中立性を強調していた。
2006年度用中学社会「新しい歴史教科書・改訂版」は「新しい歴史教科書をつくる会」主導で、扶桑社から出版された。伊藤教授は「つくる会」の元理事。
社会科の教科書調査官は計16人で、うち4人が日本史を担当している。
このほか、文科省の教科書調査官が取りまとめた調査意見書は、同省の内部決裁を経た上で、教科用図書検定調査審議会に諮問することも明らかになった。
川内氏は「調査意見書を初等中等教育局長が決裁することは、文科省の役人が口出しできる仕組みそのものだ」と審議会の非独立性を批判。
布村審議官は「最終的な検定意見の決定に、調査官は参画しない。意見を付すかどうかは審議会の判断だ」と関与を否定した。
(琉球新報 2007/6/19)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24726-storytopic-3.html
写真の中の少年
何を見つめているのだろう
何に震えているのだろう 写真の中の少年
周りの老人や女性、子供は
身を寄せ合って声を殺しうずくまっている
後ろでは逃げ出さぬようにと鋭い眼光で見張るアメリカ兵
その中で少年はひとり一点を見つめている
何を思っているのだろう
とうとう戦争はやって来た
いつ来るとも知れない恐怖に怯えながら
必死に生きてきた 少年のもとに
悪魔はとうとうやって来た
戦争で異郷の地にいる父や兄に代わって
ひとり毎日山へ行き
家族を守りたいその一心で
防空壕を掘り続けた少年
しかし無情にも堅い岩が少年の必死の思いをあざ笑うかのように
行く手を阻み掘り進む事ができない
手には血豆
絶望感と悔しさが涙とともにあふれ出た
とうとうやって来た
奴は少年のすぐそばまでやって来た
殺される 死ぬのだ
そんな恐怖が少年を震わせ凍りせた
やっとの思いで入れてもらった親戚の防空壕
泣きじゃくる赤ん坊の口をふさぎ
息を殺して奴の通り過ぎるのを祈った
少年は無我夢中で祈った
しかし祈りは天には届かなかった
壕の外でアメリカ兵の声「出て来い」と叫んでいる
出て行くと殺される
「もう終わりだ」
少年は心の中でつぶやいた
先頭に立って出て行こうとする母親を
少年は幼い手で必死に引き止めた
けれどいつしかその手は離れ
母親はアメリカ兵の待つ入り口へ
それに続いて壕の中から次々と
少年や親戚が出て行った
写真はまさにその直後に撮られたものだ
とうとうやって来た
恐怖に怯え 夢や希望もなく
ただ生きることだけに
家族を守ることだけに
必死になっていた少年のもとに
悪魔はやって来た
写真の申の少年
一点を見つめ何を思っているのだろう
写真の中の少年 僕の祖父
何を思っているのだろう
どんな逆境の中でも最後まであきらめずに
頑張っで生き抜いてきた祖父
だから今の僕がいる
命のリレーは
祖父から母へ 母から僕へと
つながった
あの時祖父が生きることをあきらめずに
必死で生きてきたから僕がいる
だから
自分で自分の命を絶ったり
他人によって奪われたりということは
いつの世でも いかなる場合でも
決してあってはならないことだ
僕がいる
必死で生き抜いてきた少年がいたから
僕がいる
僕はその少年から受け継いだ
命のリレーを大事に絶やすことなく
僕なりに精一杯生きていこう
また少年から聞いた
あの忌わしい戦争の話を風化させることなく
語り継いでいこう
◆慰霊の日追悼式 平和の詩 匹田君(沖尚中)朗読
県平和祈念資料館は15日、2007年度第17回「児童・生徒の平和メッセージ展」の入賞者88人を発表した。
「慰霊の日」の23日の沖縄全戦没者追悼式で、詩部門(中学校の部)で最優秀賞に選ばれた匹田崇一朗君(13)=沖縄尚学中2年=の作品「写真の中の少年」が平和の詩として朗読されることも決まった。
図画の部では、高校の部で最優秀賞になった金城愛香さん=普天間高校3年=の作品が、同展のポスターに採用された。
図画、作文、詩の3部に、小、中、高校合わせた応募数は去年より約200点増え、これまでで最も多い、3883点あった。
同展は23日から7月10日まで県平和祈念資料館で開かれ、その後は八重山平和祈念館、宮古島市平良庁舎ロビー、県庁1階の県民ホールで順次開かれる。入場無料。
最優秀賞は次の通り。 【小学校の部】図画 山下あかね(さつき小6年)
▽作文 嘉納佳子(読谷小6年)
▽詩 嘉納英佑(読谷小3年)
【中学校の部】図画 仲間清香(高嶺中3年)
▽作文 與儀かれん(那覇中1年)
▽詩 匹田崇一朗(沖縄尚学中2年)
【高校の部】図画 金城愛香(普天間高3年)
▽作文 該当者なし
▽詩 仲地愛(球陽高1年)
『琉球新報』(6/16 10:24)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24673-storytopic-1.html
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