パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

6・3裁判闘争勝利報告集会から

2007年06月04日 | ノンジャンル
   ● ノ大統領への手紙分限免職取消裁判 ●
     日時:6/25(月)13:10~
     場所:東京地裁722号法廷(東京メトロ「霞ヶ関」駅A1出口)


  <2月14日、対都教委個人情報漏洩「違法」判決を受けて>
 増田の闘い(平和教育実践と法廷闘争)があぶりだしたもの
    ――「反日」「反米」はむしろ『賛辞』だ――         六津五郎


はじめに

 1945年の8月半ばから9月にかけて惨憺たる敗戦。それから15年間ほどを、仮に『第一次戦後』と名づける。同様にその後の30年間ほどを『第二次戦後』。これをもって『戦後』は終わって、それ以降は『ポスト戦後』。増田の闘いは、この『ポスト戦後』において、低劣な反動右派勢力の跳梁によって、強いられる形で始まった。やはりこの時期に(10年早いが)国労闘争団の『国家権力による不当労働行為』に対する闘いも展開されていた。

(1)反動勢力は、なぜ『反日』「反米」と攻撃するか
 彼女の教育実践は、平和・人権・国民主権、思想信条の自由、平等、ジャスティス(義)、個の尊厳など『憲法精神』を考えさせるものである。その教材、教科内容として、あの戦争の実相や、戦争責任、米軍基地(の役割)を取り上げざるを得ない。これは当然のこと「日の丸」「君が代」にも触れるし、天皇制・國体護持にも内在的につなげられ、生徒たちの批判力を育てる、という帰結になっていく。これは反動勢力の、いわば『恥部』を衝くことであり、最も痛いところに触るわけだ。
 よって、反動勢力は増田の教育実践に対し「反日」「反米」と叫び、あらゆる妨害を策し、ついに分限免職という暴挙に出たのだった。(『日の君・不起立闘争』は、この後を追っている!)

(2)反動勢力が叫ぶ「反日」「反米」は、なぜ『賛辞』となるか
 彼らの「愛する日本」「愛してほしい日本」とは、一言でいえば國体護持的な(靖国・遊就館史観=皇国史観的な)日本であり、搾取・収奪・抑圧・格差拡大の反憲法精神の、資本の横暴と支配を肯定する、そのような日本だ。
 同様に米国に対しても、「世界の憲兵、侵略屋の米帝、その米帝による属国化を肯定」しアメリカを愛せよ(沖縄の永久基地化の肯定)という。コスモポリタン的な立場に立つ『人民日本』の対極にある、そのような日本や米国を否定するのは当然である。

(3)あぶりだしたことは、これにとどまらない
 以上は、ポスト戦後期に至って急速に台頭してきた、低劣な反動勢力の正体(3悪都議、都教委、石原都政、産経、右翼出版社)で、増田の闘いは、この正体をあぶりだした。さらに、それにとどまらず、その闘いは、次のものの正体ないしは欠陥・弱点をあぶりだすリトマス紙であった。

a、裁判官の多くの無能ぶり、行政権力へのすり寄り(いわゆる司法の反動化)
b、擬制とポピュリズム(大衆迎合)の『民主主義』

 aについてはいわずもがなであるが、このたびの高裁での逆転勝利判決は例外的な奇跡!? に思えるほどだ。bについては、この擬制民主主義は『第一次戦後』この方、ずっと、あり続けた。このことを、またしても増田の闘いや国労1047闘争は、あぶりだし続けたのである。
 その『擬制』(※注)のありようの現象形態としては、労働組合(の資本への屈服)、教職員組合(のポピュリズムは増田を売って恥じない)、政党(のポピュリズム)、民主派なるものの不団結・セクト根性、マスメディアの劣化(チョムスキーの映画や本を身よ!)などだ。(※注  擬制民主主義は、ここ当分、乗り越えられないだろう)
 その擬制と劣化、腐敗の現状況こそが、今日の政治・経済なのだ。猛烈な搾取・収奪、格差拡大にもかかわらず投票所へも行かないアパシー、自殺、強盗、極右政権の台頭など・・・
 ある種の大衆意識の劣化も『在日』(特に総連系)に対する人権侵害で顕在化。

おわりに・・・『日本の夜と霧』から『灰とダイヤモンド』へ
 奇跡!? の逆転勝訴判決で、小さな希望の灯がポッと灯(とも)った感じだ。まだ、この日本は完全には死に切っていない(ファシズムになりきっていない)と・・・甘いかな・・・
 何はともあれ、草の根に点在している希少な(貴重な)ダイヤを結集(いわゆる共闘・連帯)して、現代の巨大な妖獣・バケモノに対峙していくほかないのだ!

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