◆ 731部隊国際セミナーに参加して
こんばんは。犯罪都教委&3悪都議と断固、闘う増田です! 重複・長文、ご容赦を。
9月17日から、中国のハルビン社会科学院(国立の社会科学研究機関)主催の「第4次731部隊罪行国際学術研究セミナー」に参加し、昨日、21日に帰国しました。実際の会議は18、19日なのですが、新潟ハルビン直行の中国南方航空は土曜日は飛ばないため21日の日曜日でないと帰れなかったわけです。おかげで、20日はゆっくりハルビン見物や大好きな!? 買い物ができました。
到着した17日の夜、ロビーでハルビン社会科学院の院長であるバオ(日本語の漢字なし)海春氏にお会いしました。50代後半の感じの方でとても温厚な紳士です。通訳をしてくださった彼の部下である社会科学院付属731部隊研究所所長である金成民氏が私のことをお話してくださいましたら、直ぐに! ご理解いただき硬く握手をして「あなたの勇気にとても感動しました」と言ってくださいました。
そして翌日の全体会議の議長をしてくださった時に、わざわざ私のことに触れてくださいました。「午後には日本の増田さんが発表してくれますが、彼女は日本軍の侵略の実態を生徒に教えたために不当に解雇されました。彼女の発表に注目しましょう」。
<18日の全体会議>
この全体会は、柳条湖事件つまり満州事変77周年「大日本帝国皇軍による中国侵略の第一歩の日」に設定してあるのでした。巨大な横幕の一番上に書いてある文字は「抗日戦争勝利&(という意味の漢字)世界反ファシズム戦争勝利63周年」でした。帰国して朝日新聞を見ましたが、夕刊のコラム欄にチョコッ!? と触れてありましたけど・・・日本人の99.9(99,999!?)%は、この日について意識がない、というのが実態でしょうね。
最初のハルビン市長さん(だったと思うんですが)のご挨拶の中の「77年前の、この日の屈辱を忘れないために私たちはサイレンを鳴らしています。」という言葉が印象に残りました。「しかし、侵略された歴史、731部隊、という人類文明に違反した犯罪の辛い記憶はありますが、平和な現在があります。過去は忘れずに美しい未来を気づきましょう」と。
次に金成民氏の発表。つい最近、731部隊の細菌戦について分厚い研究書(厚さ5センチ以上!?)を出版されました。実は*細菌戦を世界で初めて大規模に実行したのも日本軍第731部隊だったんですね・・・無知でした。なんとなく、ナチス・ドイツが最初に細菌銭をやったんだとばかり思い込んでいたのです。「毒ガス戦の世界最初の栄誉!?」はドイツで、細菌戦の、その栄誉!? を担ったのは我が皇軍・・・
いろいろな方の挨拶の後、映画「語られなかった戦争」シリーズを作成された森正孝さんから、何十年にわたって訪中(訪朝も)し、200人にのぼる南京虐殺や細菌戦・毒ガス戦の被害者の中国人の方にインタビューした映像記録、収集した新聞等膨大な資料の市社会科学院への贈呈があり、大きな拍手と感謝が贈られました。この映像に記録された人々はもうなくなられた方が多く、本当に貴重な今後の研究の資料になるでしょう。
森さんの返礼のご挨拶は情熱のこもったもので大変、感動的でした。「右翼になども脅迫を受けました。しかし、私に『この記録を残さなければならない』という努力を続けさせたものは被害者の『なんとしても、この事実を日本人に伝えてくれ』という血の叫びでした」
午後の日本人の発表の一番最初に私が指名されたので、以下のように話しました。
「私は33年間、東京都内の公立中学校で社会科教員として、森正孝氏が制作した映画『侵略』を教材に日本の侵略戦争と植民地支配の真実を教えてきました。しかし、2年前に東京都知事・石原慎太郎が支配する東京都教育委員会によって免職されました。
免職弾圧の理由は、①東京都議会で「日本はどこの国も侵略したことがない」と公言した議員を糾弾したこと。②「新しい歴史教科書をつくる会」が編集発行した扶桑社の歴史教科書の誤りを指摘したこと。③歴史の真実を生徒に教えてきたこと、などでした。まさに、歴史の真実を教える歴史教師を学校現場から追放したのです。私は、それにひるむことなく、現在、復職をめざし東京地裁に提訴し闘っています。
免職される一年前から、私は学校現場から引き離され教員研修センターに配属されました。この経過は、添付した『人民日報』(日本特派記者・曹鵬程2005年9月5日号)で報道されたので、見てください。教員研修センターでは、東京都は私に対して、授業で映画『侵略』を生徒たちに観せたこと、そして、中国への侵略戦争の事実を教えたことを「反省せよ」と迫りました。私は、教師として真実を教える立場から、こうした歴史歪曲・歴史偽造に抗議し、この命令を拒否しました。そこで東京都は、「改善の見込みがない」と免職を強行したのである。
私の教師としての任務は、誤った歴史認識を広めようとする日本の右翼勢力との闘いであるとともに、次代の子どもたちに正しい歴史認識を持たせることで、未来のアジアの平和を担う子弟を育てることであると確信しています。すでに、韓国メディアは「日本の良心的女教師『扶桑社教科書批判』で免職」と報道してくれました。しかし日本のメディアは、リベラルを看板とする新聞でさえ私の闘いの報道を拒否して右翼勢力を助けているのが現状です。
ここにお集まりの皆さんは日本の裁判官が政府の代理人か右翼の代理人であるかのような判決を出すことを良くご存知だと思います。日本の裁判官に、侵略を否定する妄言都議や扶桑社歴史教科書は『国際的には恥を晒す歴史偽造である』という評価に値することを理解させるために、本日配っていただきました日本の裁判所に提出する署名をぜひ、お願いします!」
全体会議は、日本語、ハングル、ロシア語、モンゴル語の同時通訳です。話し終わりますと、本当に大きな拍手をいただき、休憩時間にはたくさんの方が私の席に駆け寄ってきて、握手と励ましをいただきました。そして「記念写真に一緒に写ってくれ」といわれ、ものすごくたくさん写真を撮りました。中には私のカメラで写して「写真ができたら、中国の私の住所に送ってください」といわれる方もあり・・・ムムムム、ま、いいでしょう。がんばります。
もちろん、署名も皆さんがしてくださいました。中国の方、モンゴルの方、韓国の方、そして参加していた日本人の方から・・・それだけでなく、あとで増し刷りして日本の私の住所に郵送してくださるという方も、大勢いらっしゃいました!
その他、日本からはお医者様の方が、「日本の医学会で『人の命を守るべき医者が731部隊のように人の命をこの上ない残酷さで奪うことに使ったことへの反省の決議』をあげるよう努力しているが、まだ、成功していない」ということを発表されました。こういうお医者様がいらっしゃるなんて、これも私の闘い同様、全くマスメディアが報道していないので知らなかったことでした。
日本人の発表者は他に二人、一人は若手の軍事考古学研究者です。お父さんは敗戦間際のソ連軍2万に対する日本軍2500名の中の闘いで奇跡的に生き残った50数名の中のお一人で、戦後、貴重な証言者となった方だそうです。彼は、これは朝日新聞にも大きく載りましたが、虎頭要塞の衛星写真を使った研究でまだ見つかっていない地下要塞などの発見の努力をしているそうです。
もうお一人は日本で731部隊展を16年間も主催していらっしゃるABC企画委員会(Aはアトミックつまり核兵器、Bはバイオつまり細菌兵器、Cはケミストリーつまり化学兵器のことだそうです)という市民組織の事務局長の三島静雄さんです。
「猛威振るう『悪魔の霧』旧日本軍の毒ガス、中国遺棄化学兵器の完全処理は急務」というテーマの発表は戦後63年経っても私たちの国の軍隊が捨ててきた毒ガス弾が、中国の子どもたちにまで取り返しの付かない被害を与えていることを、よくまとめていらっしゃいました。今後とも「731部隊展」&「遺棄毒ガス展」を基礎に展示会活動を続けながら並行して「中国・遺棄化学兵器の完全処理」を目指して日本の各政党にも働きかけていかれるそうです。
それにしても、日本政府は*化学兵器禁止条約に調印し、中国に日本軍が遺棄した毒ガス弾の処理に何十億円も税金を使ってきたはずですが、「実は、まだ、ただの一発も処理は終わっていない」という事実を三島さんから聞いて驚きました。ただ、中国国内を移動させているだけ!? らしいです・・・
中国人の発表者の中では、731部隊の「特別移送」=マルタとして処理された方のお子さん(もう95歳のおじいさんですが)のお話が、やっぱり一番印象に残りました。お孫さんにやさしく介助されて壇上に上がられましたが記憶は鮮明でした。
「抗日戦争、すなわち反ファシズム戦争の闘志だった父は、1941年8月17日、密告で逮捕されました。そして二度と帰ってきませんでした。捕まったとき母に言ったそうです。『私は裏切り行為はしない。屈服しない。日本軍はどんなにしても私の口を開けることはできないから、私は帰って来れない。だから、おまえは子どもの教育をしっかりやってくれ』と。今にいたるも日本からは何の賠償も出ず、怒りが続いている。父のお墓参りをしても父に申し訳が立たないのが悲しい。」
聞いていて、「え? お墓?」と思いましたが、翌日、意味が分かりました。
(以下略)
※続きは『増田都子のHP』で<リンク>
こんばんは。犯罪都教委&3悪都議と断固、闘う増田です! 重複・長文、ご容赦を。
9月17日から、中国のハルビン社会科学院(国立の社会科学研究機関)主催の「第4次731部隊罪行国際学術研究セミナー」に参加し、昨日、21日に帰国しました。実際の会議は18、19日なのですが、新潟ハルビン直行の中国南方航空は土曜日は飛ばないため21日の日曜日でないと帰れなかったわけです。おかげで、20日はゆっくりハルビン見物や大好きな!? 買い物ができました。
到着した17日の夜、ロビーでハルビン社会科学院の院長であるバオ(日本語の漢字なし)海春氏にお会いしました。50代後半の感じの方でとても温厚な紳士です。通訳をしてくださった彼の部下である社会科学院付属731部隊研究所所長である金成民氏が私のことをお話してくださいましたら、直ぐに! ご理解いただき硬く握手をして「あなたの勇気にとても感動しました」と言ってくださいました。
そして翌日の全体会議の議長をしてくださった時に、わざわざ私のことに触れてくださいました。「午後には日本の増田さんが発表してくれますが、彼女は日本軍の侵略の実態を生徒に教えたために不当に解雇されました。彼女の発表に注目しましょう」。
<18日の全体会議>
この全体会は、柳条湖事件つまり満州事変77周年「大日本帝国皇軍による中国侵略の第一歩の日」に設定してあるのでした。巨大な横幕の一番上に書いてある文字は「抗日戦争勝利&(という意味の漢字)世界反ファシズム戦争勝利63周年」でした。帰国して朝日新聞を見ましたが、夕刊のコラム欄にチョコッ!? と触れてありましたけど・・・日本人の99.9(99,999!?)%は、この日について意識がない、というのが実態でしょうね。
最初のハルビン市長さん(だったと思うんですが)のご挨拶の中の「77年前の、この日の屈辱を忘れないために私たちはサイレンを鳴らしています。」という言葉が印象に残りました。「しかし、侵略された歴史、731部隊、という人類文明に違反した犯罪の辛い記憶はありますが、平和な現在があります。過去は忘れずに美しい未来を気づきましょう」と。
次に金成民氏の発表。つい最近、731部隊の細菌戦について分厚い研究書(厚さ5センチ以上!?)を出版されました。実は*細菌戦を世界で初めて大規模に実行したのも日本軍第731部隊だったんですね・・・無知でした。なんとなく、ナチス・ドイツが最初に細菌銭をやったんだとばかり思い込んでいたのです。「毒ガス戦の世界最初の栄誉!?」はドイツで、細菌戦の、その栄誉!? を担ったのは我が皇軍・・・
いろいろな方の挨拶の後、映画「語られなかった戦争」シリーズを作成された森正孝さんから、何十年にわたって訪中(訪朝も)し、200人にのぼる南京虐殺や細菌戦・毒ガス戦の被害者の中国人の方にインタビューした映像記録、収集した新聞等膨大な資料の市社会科学院への贈呈があり、大きな拍手と感謝が贈られました。この映像に記録された人々はもうなくなられた方が多く、本当に貴重な今後の研究の資料になるでしょう。
森さんの返礼のご挨拶は情熱のこもったもので大変、感動的でした。「右翼になども脅迫を受けました。しかし、私に『この記録を残さなければならない』という努力を続けさせたものは被害者の『なんとしても、この事実を日本人に伝えてくれ』という血の叫びでした」
午後の日本人の発表の一番最初に私が指名されたので、以下のように話しました。
「私は33年間、東京都内の公立中学校で社会科教員として、森正孝氏が制作した映画『侵略』を教材に日本の侵略戦争と植民地支配の真実を教えてきました。しかし、2年前に東京都知事・石原慎太郎が支配する東京都教育委員会によって免職されました。
免職弾圧の理由は、①東京都議会で「日本はどこの国も侵略したことがない」と公言した議員を糾弾したこと。②「新しい歴史教科書をつくる会」が編集発行した扶桑社の歴史教科書の誤りを指摘したこと。③歴史の真実を生徒に教えてきたこと、などでした。まさに、歴史の真実を教える歴史教師を学校現場から追放したのです。私は、それにひるむことなく、現在、復職をめざし東京地裁に提訴し闘っています。
免職される一年前から、私は学校現場から引き離され教員研修センターに配属されました。この経過は、添付した『人民日報』(日本特派記者・曹鵬程2005年9月5日号)で報道されたので、見てください。教員研修センターでは、東京都は私に対して、授業で映画『侵略』を生徒たちに観せたこと、そして、中国への侵略戦争の事実を教えたことを「反省せよ」と迫りました。私は、教師として真実を教える立場から、こうした歴史歪曲・歴史偽造に抗議し、この命令を拒否しました。そこで東京都は、「改善の見込みがない」と免職を強行したのである。
私の教師としての任務は、誤った歴史認識を広めようとする日本の右翼勢力との闘いであるとともに、次代の子どもたちに正しい歴史認識を持たせることで、未来のアジアの平和を担う子弟を育てることであると確信しています。すでに、韓国メディアは「日本の良心的女教師『扶桑社教科書批判』で免職」と報道してくれました。しかし日本のメディアは、リベラルを看板とする新聞でさえ私の闘いの報道を拒否して右翼勢力を助けているのが現状です。
ここにお集まりの皆さんは日本の裁判官が政府の代理人か右翼の代理人であるかのような判決を出すことを良くご存知だと思います。日本の裁判官に、侵略を否定する妄言都議や扶桑社歴史教科書は『国際的には恥を晒す歴史偽造である』という評価に値することを理解させるために、本日配っていただきました日本の裁判所に提出する署名をぜひ、お願いします!」
全体会議は、日本語、ハングル、ロシア語、モンゴル語の同時通訳です。話し終わりますと、本当に大きな拍手をいただき、休憩時間にはたくさんの方が私の席に駆け寄ってきて、握手と励ましをいただきました。そして「記念写真に一緒に写ってくれ」といわれ、ものすごくたくさん写真を撮りました。中には私のカメラで写して「写真ができたら、中国の私の住所に送ってください」といわれる方もあり・・・ムムムム、ま、いいでしょう。がんばります。
もちろん、署名も皆さんがしてくださいました。中国の方、モンゴルの方、韓国の方、そして参加していた日本人の方から・・・それだけでなく、あとで増し刷りして日本の私の住所に郵送してくださるという方も、大勢いらっしゃいました!
その他、日本からはお医者様の方が、「日本の医学会で『人の命を守るべき医者が731部隊のように人の命をこの上ない残酷さで奪うことに使ったことへの反省の決議』をあげるよう努力しているが、まだ、成功していない」ということを発表されました。こういうお医者様がいらっしゃるなんて、これも私の闘い同様、全くマスメディアが報道していないので知らなかったことでした。
日本人の発表者は他に二人、一人は若手の軍事考古学研究者です。お父さんは敗戦間際のソ連軍2万に対する日本軍2500名の中の闘いで奇跡的に生き残った50数名の中のお一人で、戦後、貴重な証言者となった方だそうです。彼は、これは朝日新聞にも大きく載りましたが、虎頭要塞の衛星写真を使った研究でまだ見つかっていない地下要塞などの発見の努力をしているそうです。
もうお一人は日本で731部隊展を16年間も主催していらっしゃるABC企画委員会(Aはアトミックつまり核兵器、Bはバイオつまり細菌兵器、Cはケミストリーつまり化学兵器のことだそうです)という市民組織の事務局長の三島静雄さんです。
「猛威振るう『悪魔の霧』旧日本軍の毒ガス、中国遺棄化学兵器の完全処理は急務」というテーマの発表は戦後63年経っても私たちの国の軍隊が捨ててきた毒ガス弾が、中国の子どもたちにまで取り返しの付かない被害を与えていることを、よくまとめていらっしゃいました。今後とも「731部隊展」&「遺棄毒ガス展」を基礎に展示会活動を続けながら並行して「中国・遺棄化学兵器の完全処理」を目指して日本の各政党にも働きかけていかれるそうです。
それにしても、日本政府は*化学兵器禁止条約に調印し、中国に日本軍が遺棄した毒ガス弾の処理に何十億円も税金を使ってきたはずですが、「実は、まだ、ただの一発も処理は終わっていない」という事実を三島さんから聞いて驚きました。ただ、中国国内を移動させているだけ!? らしいです・・・
中国人の発表者の中では、731部隊の「特別移送」=マルタとして処理された方のお子さん(もう95歳のおじいさんですが)のお話が、やっぱり一番印象に残りました。お孫さんにやさしく介助されて壇上に上がられましたが記憶は鮮明でした。
「抗日戦争、すなわち反ファシズム戦争の闘志だった父は、1941年8月17日、密告で逮捕されました。そして二度と帰ってきませんでした。捕まったとき母に言ったそうです。『私は裏切り行為はしない。屈服しない。日本軍はどんなにしても私の口を開けることはできないから、私は帰って来れない。だから、おまえは子どもの教育をしっかりやってくれ』と。今にいたるも日本からは何の賠償も出ず、怒りが続いている。父のお墓参りをしても父に申し訳が立たないのが悲しい。」
聞いていて、「え? お墓?」と思いましたが、翌日、意味が分かりました。
(以下略)
※続きは『増田都子のHP』で<リンク>
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